チョ宰榛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月16日 (水) 19:16時点におけるHyolee2 (トーク)による版 (すぐばれる嘘210.253.70.175 (会話) による ID:52297671 の版を取り消し)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:Ambox-mini テンプレート:サッカー選手 曺 宰溱(チョ・ジェジン、조재진1981年7月9日 - )は、大韓民国坡州市出身の元サッカー選手ポジションフォワード李天秀と生年月日が同じ。

来歴・人物

長身を活かし、クサビを受ける動きやポストプレーに長け、豪快なミドルシュートやコースを狙ったコントロールシュートも持ち合わせる。元々ミッドフィールダーだったという事もあり、足元の技術も高く、両足を器用に使える。サイドに流れることもあるが、一番の武器はヘディングである。

2000年、高校卒業後にKリーグ水原三星ブルーウィングスに入団。年代別代表には招集されたものの、Kリーグでの試合出場は少なかった。徴兵軽減措置が認められずに2002年からは韓国軍に入隊して光州尚武フェニックスに所属したが、ここでKリーグ出場の機会を増やした。

2年間の兵役を終え、2004年に水原三星に復帰。前年まで韓国代表FWの安貞桓が所属していたJ1清水エスパルスからのオファーを受け、2004年7月に完全移籍。直後のアテネオリンピックではマリ戦で2得点を決めた。清水では2ndステージの12試合で7ゴールを挙げる。

2005年は1シーズンを通して清水でのプレーとなり、アテネ五輪で共に韓国代表でプレーした崔兌旭も加わって周辺環境は良化したが、相手選手の厳しいマークもあり、9得点に終わる。しかし主力選手の世代交代によるJ2降格の危機が続く、清水にとっては貴重なFWで、チームは最終節でJ1残留にこぎ着けた。

2006年には若手選手の成長でチーム力を取り戻した清水の中にあって、ジェジン自身も好調を保ち、ドイツW杯韓国代表に選出された。W杯本大会ではグループリーグの3試合全てに先発出場し、第2戦のフランス戦ではゴール前の競り合いから朴智星の同点ゴールを導いたが、自らのゴールはなく、韓国代表はグループリーグ敗退となった。W杯終了後も清水に残留し、韓国代表にも招集された。Jリーグでは2年連続での2ケタ得点を記録した。

2008年2月、欧州移籍を断念し、全北現代モータースと契約してKリーグへ復帰した。

2009年、全北現代からガンバ大阪へ2年契約で完全移籍した。開幕戦から15試合は出場機会も多く、7得点を決めた。しかし故障でスタメンを外れた時期とチームのスランプからの脱出がほぼ同時期だったこともあり、シーズン中盤以降はサブに回る機会が多くなった。

2010年ルーカスの負傷、その他ブラジル人選手の調整不足やペドロ・ジュニオールの造反行為もあり、開幕から主力を張るが、度重なる負傷に加え平井将生宇佐美貴史といった若手FWの台頭、更には7月にジュビロ磐田から同じ韓国人の李根鎬の加入もありシーズン終了後、ガンバ大阪を退団。

2011年3月18日、股関節の負傷(先天性股関節異形成)によって現役引退を発表した。

人物・エピソード

  • 韓国国内ではルックスもあいまって非常に人気が高い。CMも多数出演していた。
  • 東方神起のユンホと親友同士で、メールや携帯電話で連絡を取り合う仲である。
  • 2007年9月1日のJ1第24節、ジュビロ磐田戦では、後半ロスタイムに藤本淳吾のフリーキックに頭から飛び込むシュートを打って先制点を決めた。この時、興奮のあまり自分のユニフォームを脱ぎ、サポーターのいるスタンドに投げ込むというパフォーマンスをした[1](本人曰く「すぐに試合終了すると思ったので」)が、試合はまだ続いたため、ユニフォームのない上半身裸の彼はピッチに戻れず、警告が与えられた。試合は程なく終了し、彼のゴールで清水が1-0と磐田との静岡ダービーに勝利した。この試合では伊東輝悦の子供が生まれたことを祝う「ゆりかごダンス」をする予定だったが、それを忘れてしまうほどの興奮だったという。
  • 清水在籍時、マスコミからは寡黙と評され、試合での活躍と比較するとインタビュー取材を受ける回数が少なかった。その点は退団時に記者団に対して釈明した。
  • 大阪の人は韓国人と似ていると思っているようである[2]
  • ガンバ大阪では李根鎬と仲が良く、食事などは共に行動していた。

所属クラブ

ユース経歴

プロ経歴

個人成績

テンプレート:サッカー選手国内成績表 top テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2000||rowspan="2"|水原三星||||rowspan="5"|Kリーグ||5||0||0||0||0||0||5||0 |- |2001||||3||0||0||0||0||0||3||0 |- |2002||rowspan="2"|光州尚武||||0||0||0||0||0||0||0||0 |- |2003||||31||3||0||0||2||1||33||4 |- |2004||水原三星||||8||1||0||0||0||0||8||1 テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2004||rowspan="4"|清水||rowspan="4"|18||rowspan="4"|J1||12||7||1||1||1||0||14||8 |- |2005||29||9||7||3||3||2||39||14 |- |2006||32||16||3||0||2||1||37||17 |- |2007||28||13||3||1||1||0||32||14 テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2008||全北現代||19||Kリーグ||26||8||5||2||2||1||33||11 テンプレート:サッカー選手国内成績表 th |- |2009||rowspan="2"|G大阪||rowspan="2"|18||rowspan="2"|J1||25||10||1||0||3||0||29||10 |- |2010||10||0||1||0||1||2||12||2 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算始73||12||5||2||4||2||82||16 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算行136||55||16||5||11||5||163||65 テンプレート:サッカー選手国内成績表 通算終209||67||21||7||15||7||245||81 |} その他の公式戦

テンプレート:サッカー選手国際成績表 top テンプレート:サッカー選手国際成績表 th |2009||rowspan="2"|G大阪||rowspan="2"|18||6||1||colspan="2"|- |- |2010||4||0||colspan="2"|- |- !通算!!colspan="2"|AFC |10||1||0||0 |}

経歴

タイトル

クラブ

水原三星ブルーウィングス

ガンバ大阪

代表歴

関連項目

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:アテネオリンピック サッカー韓国代表 テンプレート:2006 FIFAワールドカップ韓国代表

テンプレート:AFCアジアカップ2007 韓国代表
  1. テンプレート:Cite web
  2. http://www.kfa.or.kr/Japan_kfa/news/news/view.asp?g_gubun=2&g_conid=200943010825