多摩川競艇場
テンプレート:基礎情報 競艇場 多摩川競艇場(たまがわきょうていじょう)は、東京都府中市是政にある競艇場である[1][2][3]。
通称は、BOAT RACE多摩川(ボートレースたまがわ)。
目次
概要
JRA東京競馬場の南東(徒歩約20分)に位置する。かつて多摩川の河原の砂利採取場であった所を競艇場に転用したものである。施設所有は西武グループの西武建設株式会社であったが、2010年から同グループの多摩川開発株式会社が所有している。
マスコットはカワセミをモチーフとした「ウェイキー」で、航跡を意味する英語の「Wake」に由来する。
2008年度の開催から薄暮レースが行われるようになった。減音型モーターが採用されている。電話投票コードは05#。
所在地の府中市は多摩川競艇場の運営・開催などの関係はない(府中市は平和島競艇場を運営)。
沿革
- 1954年5月 - 施設が完成。
- 1954年6月9日 - 開場(初レース開催)。当初の名称は府中競艇場。
- 1955年5月9日 - 多摩川競艇場と改称。
施設の特徴
スタートラインから1マーク寄りにはアプローチスペースが設けられており、1マーク周辺の攻防を近くで眺めることができる。イベントスペース(イーストスクエア風)は2マーク側にあり、比較的こじんまりとしているが、大きなレースなどのときに芸能人がゲストとして呼ばれてショーを行うときには近くで見ることができる。以前はスタートライン5メートル前に泡のラインを作ってスタートの大まかなタイミングがファンにもわかるようになっていた。現在は大時計の黄色い秒針(12秒針)の回転に合わせて、4秒前・2秒前・1秒前・0秒(フラット)の時に時報のスタイルで、スタートタイミングを知ることができる。又、スタンドからは富士山を望む事が出来る。
発売締め切り間近をファンに伝える音楽には、リチャード・クレイダーマンの「ほほえみのバネッサ」が用いられている。
なお、千葉県市原市にあるボートピア市原で、当競艇場で行われる四市組合が主催するほぼ全てのレースと青梅市が主催する一部のレースの舟券を購入することが可能である。
- 2011年2月より、関東全5場(桐生・戸田・江戸川・平和島・多摩川)とボートピア岡部・栗橋・横浜・平和島競艇劇場との間で相互払戻(関東総合払戻・どこでもはらいおん)を開始した。取扱時間は、開催日→正門外向発売所(7時30分~13時30分)、場内第2投票所(第1R発売開始~第12R発売終了)。平日の非開催日は、正門外向発売所(10時~15時)となる
- 専用場外のボートピア市原・大郷では前述の総合払戻は実施しない
水面の特徴
競走水面はプール[1][2]で、水質は淡水[1][2]。多摩川が近いことから多摩川の水を引き込んでいると思われがちだが、実際は1マーク側にある井戸からの水を使用している。対岸に防風林が設置されており、水面は風の影響を受け難く[2]荒れることが少ないことから、「日本一の静水面」というニックネームが付けられている。エンジンは消音エンジンであり、1コースが弱くまくりがよく決まることで有名である。
関東の競艇場の中では水面が一番広く比較的走りやすい競艇場であることから女子戦が盛んであり、女子王座決定戦競走の開催回数は7回と一番多い(2012年現在)。また、男子選手と女子選手を半数ずつ集めてそれぞれの優勝者を決めるダブル優勝tvkカップや、男女別に予選を行い男女同数選手で優勝戦を行う優木まおみ杯も行われている。また、優勝戦1号艇はポールポジションといわれるが、多摩川の場合は他場に比べてその勝率は低く、しかも2007年には数多くの有力選手が敗退しており、「魔の優勝戦1号艇」「多摩川の優勝戦1号艇には魔物が潜んでいる」ともいわれている。
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観客席 - Tamagawa-kyotei-02.jpg
水面 - Tamagawa-kyotei-05.jpg
発走ピット - Tamagawa-kyotei-03.jpg
電光掲示板
主要開催競走
マスコットキャラ(ウェイキーとリップル)にちなみ、夏から秋にかけて周年記念(GI) 「ウェイキーカップ」が行われる。また、正月には「新春特別かどまつ賞」、ゴールデンウィークには「多摩川さつき杯」、お盆には「大郷葉月杯」が行われている。
女子リーグ戦の名称はかつては「モーターボートレディスダービー」、現在は「リップルカップ」である。企業杯(GIII) として、「サントリーカップ」が行われる。
一般戦ではあるが、男女混合で「ダブル優勝 tvkカップ」が行われる
SG開催実績
年度 | 競走名 | 優勝者 | 登番 | 出身 |
---|---|---|---|---|
1963 | 第09回全国地区対抗競走 | 北川一成 | 1395 | 広島 |
1965 | 第11回全国地区対抗競走 | 大島忠行 | 1200 | 岡山 |
1988 | 第35回全日本選手権競走 | 今村豊 | 2992 | 山口 |
1996 | 第06回グランドチャンピオン決定戦競走 | 高山秀則 | 2672 | 宮崎 |
1998 | 第44回モーターボート記念競走 | 長岡茂一 | 3227 | 東京 |
2001 | 第47回モーターボート記念競走 | 市川哲也 | 3499 | 広島 |
2005 | 第40回総理大臣杯競走 | 笠原亮 | 4019 | 静岡 |
2009 | 第44回総理大臣杯競走 | 池田浩二 | 3914 | 愛知 |
なお、客の競合を避けるためか、東京競馬場で行われるGI競走(中央競馬におけるグレード制導入以前となる1983年までの相当競走および2007年から2009年までのJpnI競走を含む)当日と多摩川競艇場でのSG競走(1988年4月の競艇におけるグレード制導入以前の相当競走を含む)最終日が重複した例はない。東京競馬場以外での中央競馬GI競走当日と多摩川競艇場でのSG開催最終日が重複したのは、上述の第40回総理大臣杯競走が初めてであった(当日は中京競馬場で高松宮記念が開催された)。
地元の有力選手
運営
多摩川河川敷の砂利採掘場および旧多磨村立中学校跡地を利用して造成され、1954年(昭和29年)5月に完成。同6月9日に初めてレースを開催した。当初は府中競艇場と呼ばれていたが、翌1955年(昭和30年)5月9日に多摩川競艇場と改称している。開場に際しては地元で反対運動が起こり、多磨村(府中市の前身である3つの自治体の一つ)村長のリコール騒ぎに発展した。開設当初はプールの水が地下に浸透してしまうなどレース実施は困難を極めたが、その後の高度経済成長期に売上を伸ばし、1967年には一日の売上が初めて1億円を突破した。最盛期の1990年度には年間売上1295億円、入場者174万人を記録、収益は130億円に達している。
一方バブル崩壊以降は売上・入場者ともに激減し、1998年度には入場者120万人、売上660億円と最盛期の半分程度となった。翌年からは赤字に転落し、一般会計に繰り出しのできない時期が続いた。その後、数百人に及ぶ従業員のリストラ、西門一帯の閉鎖など徹底的な経費削減により赤字を脱するが、本場の収支は依然赤字であり、場外の受託収入によってそれを補填している状態である。直近の2009年度売上は323億円と最盛期の4分の1以下となり、年間入場者も80万人台まで減少、一日の売上が1億円を割ることも多くなった。受託収入も減少傾向にあり、経費削減と売上減少のいたちごっこが続いている。また青梅市の場外舟券売り場であるボートピア大郷も赤字運営となっている。
2010年度以降の年間売上[4]。
- 2010年度 : 329億円
- 2011年度 : 406億円
- 2012年度 : 308億円
- 2013年度 : 324億円
競艇場の所有者にあたる西武グループは経営再建のために資産処分を進めており、競艇場周辺にある駐車場などの所有地も宅地として順次売却されている。また、最寄り駅である西武多摩川線競艇場前駅の一日当たりの平均乗降人員数は、1996年度の4,534人から2012年度の2,651人へと、10年あまりの間に首都圏では稀な急減ぶり(年間当たり67万人減)を示しており、現在この平均乗降人員数は東京都内の西武鉄道全駅の中でワーストワンの数字となっている。駅周辺の飲食店も近年次々に廃業し、現在は正門前の数軒を残すのみとなっている。これら内外のネガティブな要因により、競艇場の今後の存廃に関しては予断を許さない状況にある。競艇場の一部敷地(現在のプールの東側半分)は、都市計画の中で公園用地に指定されている[† 1]。
アクセス
※府中本町駅から日曜・祝日に運行していた無料タクシーは2012年3月20日で終了した[6]。
脚注
注釈
出典
参考文献
外部リンク
テンプレート:Asbox- ↑ 1.0 1.1 1.2 藤野2006、212頁。
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 蛭子1992、199頁。
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ Miyajima Kyotei Freaks
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ [1]より「無料タクシー終了のお知らせ」
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