村田善則

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テンプレート:Infobox baseball player 村田 善則(むらた よしのり、 1974年4月24日 - )は、長崎県佐世保市出身の元プロ野球選手捕手)。現在は、読売ジャイアンツのスコアラーを務める。

経歴

佐世保実業高時代は、4番主将としてチームを率い、テンプレート:Byの甲子園大会に出場。同年のドラフト5位で巨人に入団。

テンプレート:Byに一軍に初昇格。テンプレート:Byフレッシュオールスターゲーム出場。

テンプレート:Byに一軍定着を果たすと、テンプレート:By工藤公康とバッテリーを組み、自己最多の76試合に出場。日本シリーズ第1戦では先発マスクをかぶった。守備での評価を上げ、将来の正捕手候補として期待された。

テンプレート:By阿部慎之助がレギュラーを取ると、以降2番手捕手として阿部をカバー。工藤との相性が良いため、工藤の先発時はスタメンで起用されることも多かった。

テンプレート:By星孝典加藤健などの起用が多く、出場機会が減った。また、自身も肩の故障で6月初旬から9月中旬まで出場選手登録を抹消された。再昇格後も出場機会ゼロに終わるなど、シーズン出場数は6試合だった。うち1試合は同い年でプロ入り同期で自主トレも合同実施の親友野口茂樹が5月15日にインボイスSEIBUドームでの西武ライオンズとのセパ交流戦で、移籍後初登板初先発した際の先発マスクであった。

テンプレート:By、前年限りで桑田真澄が退団したため巨人生え抜き最古参選手となったが、加藤の台頭で終盤に一軍に呼ばれたのみであった。ファームでも若手に出場機会を譲っている。シーズン終了直後に「二軍ブルペンコーチに就任」との誤報があったが、現役を続行した。

テンプレート:Byは集大成の年と位置づけ「気力で臨む」とし、開幕一軍を勝ち取った。しかしシーズン通算での一軍出場はわずか3試合にとどまり、10月3日に現役引退を表明。巨人の公式戦最終試合となる10月11日の明治神宮野球場での対東京ヤクルトスワローズ戦では7回からの途中出場でマスクをかぶり、9回には自身最後の打席に立った(対戦相手は、かつての同僚木田優夫で結果はレフトフライ)。村田の打席終了後に球場全体からの拍手に包まれながら他の選手にベンチ前で迎えられ、高橋由伸が花束を手渡した。

引退後は、スコアラーに転身した。

プレースタイル

当初は村田真一を追い落とす2番手捕手として期待され、2001年以降は阿部慎之助に続く控え捕手としてチームを支えた。阿部には及ばないものの、元来は打撃も期待されていた。

人物

テンプレート:雑多な内容の箇条書き

  • 1992年のドラフトで巨人に入団した選手の中で、高卒選手は村田と松井秀喜だけであり、2人は親友である。また村田は松井が期待されている選手である事を理解していた為、松井の分の雑用などを引き受け、練習に専念出来るようにしていたとも言われる。
  • 妻はテレビ東京スポーツTODAY司会を務めた元タレント須志田しのぶ
  • 2004年の夏の甲子園には、12歳離れた実弟が、自身と同じく主将として佐世保実業を率いて出場した。
  • 城島健司は同じ中学の2年後輩にあたる。2005年5月19日、福岡Yahoo!JAPANドームでの福岡ソフトバンクホークスとの交流戦で先輩・後輩リード対決が実現、村田に軍配が上がった。
  • 1999年6月8日の対中日戦で左腕対策として2番・左翼手でスタメン起用されたことがある(その年の初スタメンでもあった)。結果は2打数1安打(途中交代)。
  • プロ入りから2001年までは村田真一がいたため「村田善」と表記されていた。村田真一が引退してからは「村田」表記となったが、2008年には村田透が入団したため再び「村田善」表記に戻った。
  • 上原浩治など後輩からは「善(ぜん)さん」と呼ばれ、慕われている。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 巨人 1 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 16 50 46 3 7 0 0 0 7 1 0 0 0 0 3 0 1 6 1 .152 .220 .152 .372
テンプレート:By2 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 41 59 55 5 13 1 0 1 17 4 0 0 0 0 2 0 2 11 1 .236 .288 .309 .597
テンプレート:By2 76 169 153 14 41 6 0 3 56 13 0 0 5 0 7 4 4 27 4 .268 .317 .366 .683
テンプレート:By2 6 7 7 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .143 .143 .143 .286
テンプレート:By2 36 63 57 6 13 0 1 1 18 6 0 1 2 0 3 0 1 12 0 .228 .279 .316 .594
テンプレート:By2 58 157 135 9 20 4 0 1 27 11 1 1 4 2 11 2 5 28 5 .148 .235 .200 .435
テンプレート:By2 23 47 46 4 12 4 0 0 16 0 0 0 0 0 1 0 0 13 1 .261 .277 .348 .624
テンプレート:By2 32 107 98 5 24 5 0 0 29 7 0 0 1 1 6 0 1 19 8 .245 .292 .296 .588
テンプレート:By2 6 17 16 1 1 0 0 0 1 1 0 0 1 0 0 0 0 3 1 .063 .063 .063 .125
テンプレート:By2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- ---- ---- ----
テンプレート:By2 4 7 4 0 0 0 0 0 0 0 0 0 2 0 1 1 0 1 0 .000 .200 .000 .200
通算:13年 302 686 620 47 132 20 1 6 172 43 1 2 15 3 34 7 14 121 21 .213 .268 .277 .546

年度別守備成績

テンプレート:節stub


捕手
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率
1995 4 0 0 0 0 -
1997 16 0 10 7 3 .300
1998 2 0 0 0 0 -
1999 29 0 14 8 6 .429
2000 70 5 27 21 6 .222
2001 6 0 4 4 0 .000
2002 33 1 10 4 6 .600
2003 55 2 42 28 14 .333
2004 20 3 11 8 3 .273
2005 31 238 8 0 2 2 1.000 14 10 4 .286
2006 5 25 2 1 0 0 .964 6 5 1 .167
2007 1 0 0 0 0 0 .000 0 0 0 -
2008 2 6 1 0 0 1 1.000
通算 274 12 138 95 43 .312

記録

背番号

  • 92 (1993年 - 1995年)
  • 56 (1996年 - 1998年)
  • 12 (1999年 - 2006年)
  • 40 (2007年 - 2008年)

関連項目

テンプレート:読売ジャイアンツ1992年ドラフト指名選手