マルタン・マルジェラ
“メゾン・マルタン・マルジェラ”(Maison Martin Margiela)[1]は、ベルギー出身のファッションデザイナー“マルタン・マルジェラ”(1957年生[2])の制作による、1988年設立、フランス・パリ発のファッションブランド[3]。
デザイナー:マルタン・マルジェラ
略歴
- 1957年 - ベルギーのルーヴェンに出生。
- 1980年 - アントワープ王立芸術学院を卒業。同期には「アントワープの6人(アントワープ・シックス)」と呼ばれたアン・ドゥムルメステール、ウォルター・ヴァン・ベイレンドンク、ダーク・ヴァン・セーヌ、ダーク・ビッケンバーグ、ドリス・ヴァン・ノッテン、マリナ・イーがいた。後にイーがデザイナーを引退したため、マルジェラを「アントワープの6人」に含めることもある。
- 1984年 - パリで見たジャン=ポール・ゴルチエのショーに感銘を受け、ゴルチエのアトリエに入る。
- 1988年10月 - 自身のブランド「マルタン・マルジェラ」を立ち上げ、パリコレクション(レディース)でデビュー。
- 1998年 - エルメスのプレタポルテのデザイナーに就任。
- 1999年 - 「マルタン・マルジェラ」、メンズコレクションを発表。
- 2002年 - 「マルタン・マルジェラ」がディーゼルに買収され、ディーゼル傘下に入る。
- 2004年 - エルメスを退任。
人物像
デビュー当時こそコレクションのフィナーレに顔を出していた事もあった様だが、現在では公の場に姿を見せる事は殆どなく、ファッション業界関係者でさえも、彼の素顔を見た人は極少数。雑誌のインタビューもFAXで質疑応答し、ミステリアスな雰囲気を演出している。
コレクションライン
現在、マルジェラの服や小物には、通称「カレンダータグ」とも呼ばれている0~23迄の数字が明記された白地の布が縫い付けられており、このタグからコレクションラインを読み取る事ができる。この表記方法は、メンズラインがコレクションに加わった1999年頃から採用されている。レディースコレクションのみの時は現在のコレクション「1」同様に、何も書かれていない白い布が縫い付けられているだけだった。数字が表す一覧は下記の通り。
- 0 - 手仕事により、フォルムをつくり直した女性のための服
- 0 10 - 手仕事により、フォルムをつくり直した男性のための服
- 1 - 女性のためのコレクション(ラベルは無地で白)
- 4 - 女性のためのワードローブ
- 3 - フレグランスのコレクション
- 8 - アイウェアのコレクション
- 10 - 男性のためのコレクション
- 14 - 男性のためのワードローブ
- 11 - 女性と男性のためのアクセサリーコレクション
- 12 - ファインジュエリーのコレクション
- 13 - オブジェ、または出版物
- 22 - 女性と男性のための靴のコレクション
- MM6 - ♀のための服
デザインの方向性としては「アンチモード」を掲げており、中でも軍服のリメイク品や中古ジーンズに白ペンキのペイント等の作品は「ポペリズム」(貧困者風)と呼ばれた。それまでの煌びやかで優雅な雰囲気を持つ「モード」とは対極のコレクションとして「デストロイコレクション」とも呼ばれ、以降マルジェラの代名詞ともなった。又過去には、畳むと四角になる服などのデザインでコム・デ・ギャルソンと合同でショーを行ったこともある。
日本展開
2000年9月、日本の東京・恵比寿に路面店『マルタン・マルジェラ・トウキョウ』を開業[3]。これはこのブランド初の旗艦店でもあった[4]。2011年には広島市内に中国地方初の直営店が開業[5]。さらに九州地方初の直営店が大分市内に開業[6]。翌2012年には中部地方初、日本国内11店目にあたる直営店舗が名古屋市内に開業している[7]。
初期から日本での売り上げが多く、進出当初からの大取引先にあたる仙台「リヴォルーション」との関係は有名。店舗によって、扱うコレクションラインは異なる。その他、セレクトショップでの扱いもある。