レイザーラモン

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox お笑いコンビ

レイザーラモンは、日本お笑いコンビよしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。

メンバー

  • HG住谷正樹 (エイチジー/すみたに まさき、1975年12月18日 - )
元々はボケを担当し、ハードゲイキャラ、レイザーラモンHGの存在自体がボケと言えるが、THE MANZAI等に出演以降はツッコミを担当する。漫才ではハードゲイキャラは一切出さないが、ツッコミの際におなじみの「セイ!」を取り入れる事もある。
  • RG出渕誠 (アールジー/いずぶち まこと、1974年6月8日 - )
元々はツッコミを担当していたが、レイザーラモンHGのブレイクを期に類似キャラ「レイザーラモンRG」となり、ダブルボケの様な状態となる。以降、「シルバーウルフ」等のピン芸のネタを増やし、THE MANZAI等に出演以降はボケを担当する。

来歴

大学時代は、共にプロレス同好会に所属。住谷は同志社大学で、リングネームは「ギブアップ住谷」。一方、出渕は立命館大学でプロレスラー新崎人生をもじった「チン先真性」の名で活動していた。両大学のプロレス同好会は定期戦などで交流があり、しばしば顔を合わせていた。共に学内チャンピオンを獲得した経験を持つ2人は意気投合し、1997年10月にお笑いコンビ「レイザーラモン」を結成。コンビ名は、スコット・ホールWWF時代に名乗っていたリングネームレイザー・ラモン」に由来する。

卒業記念でエントリーした「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」で福笑い大賞を受賞。その後2丁目劇場のオーディションライブ「SABIKI」などに出演し、腕を磨いた。

大学卒業後はそれぞれ就職し、住谷は生活協同組合コープこうべ、出渕はカーディーラーで働いていたが、お笑いの道を諦め切れず、程なく脱サラして吉本興業入り。

  • 1999年
    • バッファロー吾郎プロデュースの「爆笑新ネタ逆転満塁ホームラン寄席」に初出演し、本格的にプロとして活動を始めた。吉本の同世代では珍しいNSC非出身者。大阪NSC17期生と同期になる。
    • 10月、毎日放送クヮンガクッ」で、初のテレビ番組のレギュラーとなる。しかし翌3月、「悲しみの豆板醤事件」が仇となり降板した。
  • 2000年
    • 「ABCお笑い新人グランプリ」では審査員特別賞を受賞。
    • フジテレビ新しい波8」に3度出演。しかし、後に同番組から派生して開始した「はねるのトびら」のレギュラーには選出されなかった。
  • 2001年
    • 11月、吉本新喜劇に加入。いずれも若手ではセリフが多い方で、共に様々な役柄を演じた。

レイザーラモンHGのブレイク

  • 2002年から、住谷がハードゲイキャラクターのレイザーラモンHGとしての活動を開始。言葉尻に、「フゥー」(「フォー!」とも)などと叫び、ポーズを決め、様々な番組イベントに登場した(ちなみに、HGは住谷(本名)に宿った別人格という設定が本人によって後付けされている)。
  • HGを真似て出渕はレイザーラモンRG(REAL GAY:リアルゲイ)というキャラクターを作った。HGのブレイクに便乗し「ハードゲイの愛人」という設定で無理矢理登場したものの、HGは「絡み辛い」などと困惑し、RGというキャラクター自体HGのパクリ(衣装、言動等)であるため、明石家さんまダウンタウンなどに呆れられていた。また、当初はRGの名はHGの真似をしている時にのみ使用していたが、その後出渕が他の衣装を着て他のキャラクターを演じている時もRGを名乗るようになり、実質的に出渕の芸名になった。
  • 2003年小籔千豊とユニット「ビッグポルノ」を結成。
  • 2005年5月1日、関西のゲイカルチャーの中心地として知られる堂山町のクラブ「Explosion」で、単独ライブ『堂山フー!!! 〜Do Your Man Who?』を開催。なかやまきんに君をトークゲストに迎え、コント、漫才などネタ見せの他、ビッグポルノのVTR作品などを上演した。
  • RG登場以後、HGが先輩芸人にRGの愚痴をこぼしたり、RGがコンビ解散をHGに提案するなど、両者の関係が悪化してきている事を漏らした。しかしHGは、ブレイクした2005年には番組や自著などで「来年は私だけでなく、出渕と一緒にコンビで売れるようになりたい」という希望を明かしていた。以後、RGにも仕事のオファーが来るようになり、コンビでの仕事も増加した。
  • プロレスイベントハッスルに最初にHG、少し遅れてRGが参戦するようになってからは、二人ともプロレスの仕事が本業お笑い以上に多くなり、必然的にタッグを組むことも多くなった。しかし、HGが怪我により離脱中にハッスルは資金難により活動休止を表明し、レスラーとしては引退することになった。

RGの活躍とHG人気の衰退

  • 2009年7月、HGがハッスルの興行で左足かかとを粉砕骨折する大怪我を負う。以降、RG単独でのテレビ出演が増える。「シルバーウルフ」や「市川AB蔵」など、キャラクターの路線変更を頻繁に繰り返してきたRGであったが、それと同時に「なかなか言わないあるあるネタ」などRG個人としてのネタも増やし、活動の場を広げていく。対照的に、HGというキャラクターの需要は低下をたどる一方で、HG自身も「キャラクターをやめるタイミングを失ってしまった」と漏らしていたが、怪我から復帰以降は積極的にマスクを外し、素顔の状態での活動も始めた。以降、「HG、RGはいらない。住谷、出渕で漫才したいんや!!」といったタイトルのライブを開催するなど、漫才コンビとしても精力的に活動し、2012年にはTHE MANZAI認定漫才師、2013年には決勝に進出。結果は8位。
  • 2014年R-1ぐらんぷりではRGが決勝進出し3位。スティーブ・ジョブズに扮した。

芸風

  • 大学時代にプロレスに没頭していた事もあり、プロレスの要素をネタに組み込む事が多い。例として、ちょっとしたきっかけで互いに譲らず口論になり、取っ組み合いに発展。出渕が「ハードゲイやっちゃっていいですか〜!?」と客を煽り「マコト!マコト!(RG!RG!)」と声援を要求する。そのままローリングソバットで住谷を攻めるが、住谷はこれをかわしてヒップアタックで逆襲。うつ伏せに倒れ込んだ出渕の膝に足を掛けると、今度は逆に「出渕(RG)やっちゃっていいですか〜!?」と絶叫。腰を振りながら「ハードゲイ!ハードゲイ!(マサキ!マサキ!)」とアピールし、そのまま後転してロメロ・スペシャルで出渕を締め上げる。
    • RGのハッスル参戦時の記者会見でも、このコントネタを応用し、二人でプロレス技を掛け合った。
  • バッファロー吾郎が若手時代にプロレスを織り込んだネタをやっていたことから、バッファロー吾郎に師事。
  • 午前中の舞台でも、臆せず下ネタを披露する。

エピソード

悲しみの豆板醤事件

1999年に始まった、レイザーラモンの初レギュラー番組「クヮンガクッ」(毎日放送)。しかし番組内では空回りすることが多く、レギュラー当落線上に追い込まれた。そんなある日、番組のスタッフに誘われて焼肉店に食事に出かけることに。食事が終わりかけの頃、スタッフは2人に「もう一度チャンスをやる。ここで意気込みを見せてみろ」と一喝した。すると2人は勘違いし、まず出渕が突然テーブルに置いてあった豆板醤[注 1]を一気飲みしてみせた。あまりの辛さに悶絶する相方の姿を目の当たりにした住谷(HG)は「俺も何かせなあかん」という衝動に駆られ、まずロースターに手を押し付けようとしたものの、既に肉を焼き終わった鉄板は冷え切っていた。ならば、と店の窓から飛び降りようとしたものの、店はビルの2階にあり、インパクトがない。追い詰められた(?)住谷は、テーブルに置いてあった豆板醤のビンを手に取ると、それを眼球に擦り付けるという暴挙に出た。当然の如く住谷は「熱い〜!!!」とその場で悶絶。ひたすら洗面所で目を洗い続ける羽目になった。結局、レイザーラモンは「クヮンガクッ」のレギュラーからわずか3回の出演で降板することになってしまった。

THE MANZAI 2013

2013年のTHE MANZAIに決勝進出し、「ファッションショー」という設定でHGが服を脱いでいくネタを披露したため、ビートたけしに「フランス座じゃねえんだから」とコメントされた。その後の投票後、オール巨人が「個人個人でやっていく力がある、その中で漫才を選んでくれた。ありがとう。裸になって誰かに怒られると言っていたけど、俺が怒る。」とコメントした。オール巨人は芸に厳しいというイメージがあることから「俺が怒る」発言が注目されたものの、実際番組後に怒られることなく激励されたと語った。

その他

TV

CM

受賞歴

  • 第18回今宮こどもえびすマンザイ新人コンクール福笑い大賞(1997年
  • ABCお笑いグランプリ審査員特別賞(2000年
  • 流行語大賞2005年

CD

「YOUNG MAN」(HGのみ)※「男なら腰を振れ」など、HGならではの解釈が印象的。

関連人物

脚注

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注釈

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外部リンク


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