仙台市立上杉山通小学校

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テンプレート:日本の小学校 仙台市立上杉山通小学校(せんだいしりつ かみすぎやまどおりしょうがっこう)は、宮城県仙台市青葉区上杉一丁目に位置する公立小学校学制にもとづいて仙台に初めて設置された7つの小学校のうちの1つ。

概要

仙台市都心部に位置する小学校であり、最盛期は1年間に1000人を超える児童が入学したが、少子化ドーナツ化現象により1990年代から2000年代前期は最も少ないときで1学年2クラス編成にまで陥る年もあった。しかし、学区内(主に北仙台地区)に高層マンションが乱立するようになり、都心回帰の傾向もあって、2007年平成19年)現在では1学年5クラス編成まで回復している。学力向上フロンティアの指定校に、仙台市立上杉山中学校と共に選ばれている。仙台市で生徒数第3位のマンモス校である。

宮城県庁、宮城県議会議事堂、仙台市役所宮城県警本部、NHK仙台放送局仙台放送本社、FM仙台放送局、東北電力本社ビル、NTTドコモ本社ビルを徒歩5分圏内に持つ市中心部に位置する。 

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災東北地方太平洋沖地震)発生直後、上杉近隣では、市内中心部に通勤・通学していて帰宅困難となった帰宅難民が多数発生したが、同校の立地的責務上、体育館、教室を直ちに避難所として開放し、隣接学区となっている仙台市立東二番丁小学校、仙台市立木町通小学校、仙台市立北六番町小学校とともに、約4000人を超える帰宅難民被災者を収容した。この様子はNHKロイター通信AP通信を通じて、避難所開設の第一報として全世界へ実況配信された。

非常に長い歴史を持つ伝統校で、改築工事が行われ、旧校舎は取り壊された。その校舎も老朽化し2007年(平成19年)には現在の新校舎が出来上がり、体育館プール校庭まで全て新しくなった。

学区が仙台市立上杉山中学校の学区とほぼ同一であるため、卒業生の大半は同校に進学する。

吹奏楽部の活動

学校内の吹奏楽部もとても盛んに活動しており、2003年度(平成15年度) - 2004年度(平成16年度)にはマーチングバンド・バトントワーリング東北大会に連続出場し、ついに2005年度(平成17年度)には埼玉スーパーアリーナで開催されたマーチングバンド・バトントワーリング全国大会に出場した。

上記の大会以外にも、3月に行われていた「吹奏楽部卒業演奏発表会」は毎年盛大に行われ現役はもちろん、歴代卒業生メンバーとの合同演奏もある。現在は合唱部との「合同卒業コンサート」とという形になっている。

主な活動経歴

  • 1984年昭和59年) - 全日本吹奏楽コンクール全国大会   「海の歌」(R・ミッチェル)
  • 1984年(昭和59年)度~2008年(平成20年)度 - 吹奏楽コンクール宮城県大会24年連続出場
  • 1985年(昭和60年) - 全日本吹奏楽コンクール東北大会金賞 「海の肖像」 (H・ラガッシー)
  • 1989年平成元年) - 全日本吹奏楽コンクール東北大会金賞代表「スペイン奇想曲」より (N・リムスキー・コルサコフ)
  • 2001年(平成13年) - 国民体育大会「新世紀みやぎ国体」にて夏季大会競技役員団の入退場演奏を担当
    • 委嘱作品として作曲家内藤淳一が「新しい時代を越えて」を作曲し世界初演
    • 秋季大会アトラクション演奏としても「アメリカ」をテーマにしたマーチングを披露
  • 2002年(平成14年) - 東北支部代表として北海道で行われた全国小学校管楽器合奏フェスティバルに参加
  • 2003年(平成15年) - マーチングバンド・バトントワーリング東北大会初出場
  • 2004年(平成16年) - マーチングバンド・バトントワーリング東北大会2年連続出場
  • 2005年(平成17年) - 全日本小学校バンドフェスティバル出場、グッドサウンド賞受賞
    • マーチングバンド・バトントワーリング全国大会銀賞受賞
    • 仙台市教育委員会教育功績者表彰 受賞

また、東北吹奏楽の日演奏会出演や、アンサンブルコンテストなど多くの活動を現在もしている

歴史

「大仏前」時代

本校は、学制にもとづいて仙台に初めて設置された7つの小学校の1つである。1873年明治6年)6月25日三番小学校の校名で創立し、他の6校が7月開校だったため開校日はわずかに早かった。校地は、大仏前通り(おぼとけまえどおり)[1]を挟んで、現在の錦町公園の向かい側にあった宝光院[2]の境内だった[3]。設立時の仮教師は2名、生徒数は男429名・女230名の計659名であった[4]

1874年(明治7年)、所在地の町名を採って大仏前(おぼとけまえ)小学校と改称したが、翌1875年(明治8年)には美称を作って知類小学校になった。

「外記丁」時代

1878年(明治11年)に大仏前から外記丁と北一番丁がつくる交差点の東南角に移転。翌1879年(明治12年)、市内の小学校の名をまた地名からとることになったため、知類小学校から外記丁小学校に改称した[5]

1879年(明治12年)6月2日郡区町村編制法下の仙台区が第1回仙台区会を開いたとき、会場になった[6]

「上杉山通」時代

1889年(明治22年)に上杉山通に移転し[7]上杉山通尋常小学校に改称。これ以降は「小学校」部分の正式名称が「国民学校」などに変わるだけで、「上杉山通」という固有名は変わらないできている。

所在地

〒980-0011 宮城県仙台市青葉区上杉一丁目10番1号

脚注

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参考文献

  • 仙台市史編纂委員会『仙台市史』第2巻(本篇2)、仙台市役所1955年昭和30年)。
  • 仙台市史編さん委員会『仙台市史』通史編6(近代1)、仙台市、2008年平成20年)。

関連項目

外部リンク

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  1. 仙台市道青葉1218号・錦町公園東線
  2. 御城下町割絵図(宮城県図書館。年代:推定1833年天保4年))
  3. 仙台市立上杉山通小学校 沿革史
  4. 1955年刊『仙台市史』第2巻405頁。
  5. 1955年刊『仙台市史』第2巻415頁。
  6. 2008年刊『仙台市史』通史編6(近代1)68-69頁。
  7. 外記丁校舎の跡地には、1891年明治24年)3月宮城県尋常師範学校(現在の宮城教育大学の源流)が移転し、附属小学校(現・宮城教育大学附属小学校)や女子部を併設した。