古谷三敏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年1月10日 (金) 21:44時点におけるBrockenman (トーク)による版 (経歴・人物)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 古谷 三敏(ふるや みつとし、1936年8月11日[1] - )は、日本漫画家満州大連生まれ、茨城県鹿島郡神栖町(2005年に合併で神栖市に)出身[1]薀蓄を多く含んだ漫画を得意とする。

経歴・人物

1955年、『みかんの花咲く丘』(島村出版)でデビュー[1]1958年手塚治虫のアシスタントになり、1961年に一度独立して月刊『少女』(光文社)等に連載を持つ。1963年に編集者の推薦により赤塚不二夫アシスタントになる。

1965年に赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションに参加。フジオプロ在籍時代はアイディアスタッフのメインとして『おそ松くん』『天才バカボン』など赤塚作品に多く関わっていたほか、並行して少女誌を中心に自作も手掛け、1970年から『週刊少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』のヒットで、少年誌向けギャグ漫画家として人気を博し、同作で第24回(1978年小学館漫画賞を受賞した。当時はフジオプロの大黒柱とまで呼ばれた。

その後、フジオプロから独立し、1974年9月に芳谷圭児とともに『ファミリー企画』を設立。以後は青年誌を中心に活動を続け、薀蓄を交え、サラリーマンのユーモラスな日常生活を描いた「減点パパ」を始め、酒の世界と人間ドラマを織り込んだ「BARレモン・ハート」、落語と噺家の人生を描いた「寄席芸人伝」など数多くの作品を世に送り出している。

1975年から現在まで毎日新聞「日曜くらぶ」に「ぐうたらママ」を連載し約40年の長期連載となっている。

漫画家以外の活動では、日本テレビおはよう!こどもショー』内でイラスト講座を担当したことがある。

大泉学園駅にて漫画と同名の「BARレモンハート」の経営者でもある。阿佐ヶ谷でも「Beer Bar レモンハート」を孫が経営していたが閉店、その孫は現在活躍中のビジュアル系バンドに所属していた事がある。

作品

漫画以外でイラストを描いた作品

  • まりちゃんズ「ひがみブルース/尾崎家の祖母」シングルジャケット

書籍

  • 落語うんちく高座 -実録・寄席芸人伝-(廣済堂出版、1984年)
  • 落語うんちく学 -噺家たちの夢芝居-(廣済堂出版、1985年)
  • 古谷三敏・ウンチク大全・酒(大和書房、1985年)
  • 男の酒と肴ウンチク学(廣済堂出版、1985年)
  • 「男の手前みそ」 -ウンチク手作り事典食の巻-(徳間書店、1986年)
  • 面白うんちく新学説 -ユ―モラスな104のウンチク集-(廣済堂出版、1987年)
  • 続 面白うんちく新学説 -奇説・新説・知識の宝庫-(廣済堂出版、1990年)
  • BAR レモン・ハート・カクテル大事典(双葉社、2002年)

関連人物

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

テンプレート:Manga-artist-stub

テンプレート:Normdaten
  1. 1.0 1.1 1.2 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「mangaseek」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません