松平信祝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年7月19日 (土) 16:49時点における123.198.28.148 (トーク)による版
テンプレート:複数の問題 テンプレート:基礎情報 武士 松平 信祝(まつだいら のぶとき)は、江戸時代中期の大名・老中。下総古河藩の第2代藩主、三河吉田藩主、遠江浜松藩初代藩主。松平伊豆守系大河内松平家4代。
生涯
古河藩初代藩主・松平信輝の長男。宝永6年6月21日(1709年7月27日)に父の隠居により家督を継ぐ。
古河藩から三河吉田藩への国替えの時、古河の頼政神社より分霊して、吉田に豊城(とよき)神社を建立した。最終的には遠江浜松に移封されている。
諱ははじめ林信篤の撰により信高。享保4年(1719年)、やはり信篤の撰によって信祝と改めた。
奏者番、大坂城代、老中など要職を歴任し、8代将軍・徳川吉宗の享保の改革に参与した。延享元年4月14日(1744年5月25日)、病気により老中辞職を願い出るが許されず、4月18日(5月29日。実際は16日(27日))に死去した。享年62。跡を長男の信復が継いだ。
年譜
- 天和3年11月6日(1683年12月23日) - 松平信輝の長男として誕生。
- 元禄6年8月9日(1693年9月8日) - 信高と名乗る。
- 元禄10年12月18日(1698年1月29日) - 従五位下・甲斐守に叙任する。
- 宝永6年(1709年)
- 正徳2年7月12日(1712年8月13日) - 吉田藩7万石に移封。
- 享保4年4月9日(1719年5月27日) - 名を信祝と改める。
- 享保14年(1729年)
- 享保15年
- 延享元年4月18日(1744年5月29日) - 老中在任中に死去。
登場作品
- テレビドラマ
- 映画
テンプレート:大河内(大河内松平)氏歴代当主 テンプレート:古河藩主 テンプレート:三河吉田藩主 テンプレート:浜松藩主 テンプレート:大坂城代