アレッサンドロ・コスタクルタ
アレッサンドロ・コスタクルタ(Alessandro Costacurta, 1966年4月24日 - )は、イタリアの元サッカー選手である。
経歴
ACミランユースチームを経て1985年にトップチーム昇格。モンツァ(当時C1・3部リーグに相当)で1シーズン過ごした後はACミラン一筋でプレー。22歳の時にガッリからポジションを奪う。当初は特出した能力がなかったものの、バレージからライン統率を教わっていき、その後はバレージ・マルディーニ等と共に世界最高のディフェンスラインを形成し、クラブの黄金時代の一翼を担った。コスタクルタ自身は「ヨーロッパNo.1クラブ決定戦」UEFAチャンピオンズリーグ(カップ)制覇を4度経験している(1988-89、89-90、93-94、2002-03シーズン)。
イタリア代表歴は59試合・2得点。代表レベルではタイトルに縁がなく、1994年・1998年のワールドカップ、EURO1996に出場したが、いずれも優勝に届かなかった。
2006-2007シーズンのコッパ・イタリア準決勝ローマ戦において先発したが、その試合でオウンゴールを献上、チームも敗退し、落胆を隠せず試合後に引退を表明した。引退後はACミランのフロントを勤めたいと語っている。2007年5月19日にホームスタジアム、サン・シーロでのウディネーゼ戦をもって現役を引退した。試合は2-3で負けたものの、コスタクルタ自身はリーグ戦で15シーズンぶりとなるゴール(PK)を決めて引退の花道を飾った。リーグ戦出場試合数は457試合。2007-08シーズンはコーチとしてクラブ内部にとどまっていたが、シーズン終了後に解説者に転身し2008年10月27日にセリエBマントヴァの監督に就任した。 しかし、2009年2月10日成績不振を理由にマントヴァの監督を辞任した。リーグ戦4勝5分4敗の成績であった。
人物
- 元ACミランDFパオロ・マルディーニ、元ACミランMFデメトリオ・アルベルティーニ、元ACミランFWアンドリー・シェフチェンコとは非常に仲が良い。特に2歳年下のマルディーニとはミランのユース時代から20年来の親友である。
- ミラン在籍時、エドガー・ダーヴィッツに対し「腐ったリンゴ」と発言した。
- ニックネームはビリー。由来はミラノのバスケットボールチームの名前から。小さいころからそのチームのファンである。
- 現役時代から株で投資をしていたり、アメリカの芸術家アンディ・ウォーホルの作品を収集するなどインテリジェンスな一面も持つ。また流暢な英語を話すことでも知られる[1]。
所属クラブ
- 1985-1986.8 テンプレート:Flagicon ACミラン
- 1986.9-1987 テンプレート:Flagicon モンツァ(期限付き移籍)
- 1987-2007 テンプレート:Flagicon ACミラン
個人成績
クラブ | シーズン | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 欧州 | その他 | 期間通算 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |||
ACミラン | 1986–87 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | - | - | 2 | 0 | |
モンツァ | 1986–87 | 30 | 0 | - | - | - | - | - | - | 30 | 0 | |
ACミラン | 1987–88 | 7 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | - | 8 | 0 | |
1988–89 | 26 | 0 | 7 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 41 | 0 | ||
1989–90 | 26 | 1 | 3 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 40 | 1 | ||
1990–91 | 25 | 0 | 3 | 0 | 6 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | ||
1991–92 | 30 | 1 | 6 | 0 | - | - | - | - | 36 | 1 | ||
1992–93 | 31 | 0 | 6 | 0 | 10 | 0 | 1 | 0 | 48 | 0 | ||
1993–94 | 30 | 0 | 2 | 0 | 13 | 0 | 2 | 0 | 47 | 0 | ||
1994–95 | 27 | 0 | 3 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 40 | 0 | ||
1995–96 | 29 | 30 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | - | - | 40 | 0 | |
1996–97 | 11 | 30 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 39 | 0 | |
1997–98 | 5 | 29 | 0 | 8 | 0 | - | - | - | - | 37 | 0 | |
1998–99 | 29 | 0 | 3 | 0 | - | - | - | - | 32 | 0 | ||
1999–00 | 27 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | ||
2000–01 | 18 | 0 | 2 | 0 | 9 | 0 | - | - | 29 | 0 | ||
2001–02 | 21 | 0 | 3 | 0 | 7 | 0 | - | - | 31 | 0 | ||
2002–03 | 19 | 18 | 0 | 5 | 0 | 10 | 0 | - | - | 33 | 0 | |
2003–04 | 22 | 0 | 5 | 0 | 8 | 0 | 1 | 0 | 36 | 0 | ||
2004–05 | 5 | 14 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | - | - | 22 | 0 | |
2005–06 | 15 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | - | - | 21 | 0 | ||
2006–07 | 3 | 1 | 5 | 0 | 3 | 0 | - | - | 11 | 1 | ||
キャリア通算 | 488 | 3 | 78 | 0 | 116 | 0 | 11 | 0 | 693 | 3 |
獲得タイトル
- UEFAチャンピオンズリーグ優勝 4回(1988-89, 1989-90, 1993-94, 2002-03)
- インターコンチネンタルカップ優勝 2回(1989, 1990)
脚注
- ↑ マルコ・イアリア 「世界のトピックスに迫る:イタリア編」 『WORLD SOCCER MAGAZINE 2007 4.19 Vol.160』 第9巻第14号通算160号、ベースボール・マガジン社、2007年、94-95頁。雑誌 29903-7/19