勇知駅
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勇知駅(ゆうちえき)は、北海道稚内市抜海村上ユーチにある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅である。駅番号はW77。電報略号はユチ。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の東側(稚内方面に向かって右手側、旧2番線)に存在する[1]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能駅で、駅舎側(東側)が上りの2番線、対向ホームが下りの1番線となっていた。ほかに1番線側に稚内方から分岐した側線を1本有していた[2]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム中央と対向ホーム北側を結んだ構内踏切で連絡した[2]。
無人駅となっている。開業時からの駅舎は改築され、ヨ3500形[3]車掌車を改造した貨車駅舎となっている。駅舎は構内の東側に位置し、ホームに接している。駅舎内にトイレを有する[4]。
駅名の由来
当駅の所在する地域名(字名)より。地域名は、アイヌ語の「イオチ」(蛇の多いところ)に由来する。
利用状況
駅周辺
小さな集落が広がる。
歴史
- 1924年(大正13年)6月25日 - 鉄道省天塩北線稚内駅(現・南稚内駅) - 兜沼駅間開通に伴い開業。一般駅。
- 1926年(大正15年)9月25日 - 天塩南線と天塩北線を統合し線路名を天塩線に改称、それに伴い同線の駅となる。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 天塩線を宗谷本線に編入、それに伴い同線の駅となる。
- 1982年(昭和57年)11月15日 - 貨物取扱い廃止。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物取扱い廃止。CTC導入に伴う合理化により無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化によりJR北海道に継承。
- 1980年代 - 駅舎改築、貨車駅舎となる。
隣の駅
簡易軌道勇知線
かつて当駅前から勇知川河口の下勇知地区へ、簡易軌道勇知線が運行されていた。勇知駅前 - 下勇知間9.8km。動力は馬力で、農業開発が目的であった[5]
歴史
- 1944年(昭和19年) - 勇知駅前 - 下勇知七線間工事着工(第一期)[5]。
- 1947年(昭和22年) - 勇知駅前 - 下勇知間開通(全線開通)[5][注 1]。
- 1955年(昭和30年)頃 - 運行休止[5]。
- 1958年(昭和33年) - 廃止[5][注 2]。
脚注
注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 勇知駅(JR北海道旭川支社)
- 1947年(昭和22年)9月撮影航空写真 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。 駅裏より南に向かった後、勇知川に沿って西へ向かう殖民軌道が確認できる。
- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite book
- ↑ 2.0 2.1 2.2 テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ テンプレート:Cite book
- ↑ 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 テンプレート:Cite book
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