横芝光町
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横芝光町(よこしばひかりまち)は、千葉県北東部の町。2006年3月27日に山武郡横芝町と匝瑳郡光町が合併し、新たに発足した。発足時の人口は約2万6000人。町役場は旧光町役場。
合併前の横芝町と光町は別の郡(歴史的にはそもそも上総国と下総国という別の令制国)に所属していたが、現在の横芝光町は山武郡に属する。
目次
地理
千葉県の太平洋側、九十九里平野のほぼ中央に位置する。町の北部は標高が高い場所もあるが起伏は大きくなく、中央部を九十九里平野最大の河川である栗山川が流れている。
隣接している自治体
歴史
- 縄文前期:この頃現在の当町の大部分は海であった(縄文海進)。
- 縄文中期:当町の北部の中台などには、この頃の人類の生活跡である貝塚がいくつか残されている。
- 縄文後期:この頃、栗山川の河口部に形成されたラグーンが坂田池や乾草沼として残されている。
- 縄文晩期:東京湾岸方面では人口の減少があったが、九十九里沿岸では引き続き人類の生活が認められ、当町姥山にはこの頃の標式遺跡である山武姥山貝塚が残されている。
- 弥生時代:この頃、海岸線の後退が著しく、現在の平野の部分に陸地が広がり、稲作が盛んになった。
- 古墳時代:この頃、当町小川台に下海上国造との関係が推定される小川台古墳群が、中台に武社国造との関係が推定される芝山古墳群が作られた。
- 平安時代:当町屋形に平高望や良兼などの平氏の拠点あり、高望の孫の将門が反乱を起したので、難波津(現在の大阪府大阪市)から寛朝僧正が下向し、公津ヶ原(現在の成田市)で平和祈願の祈祷をした。
- 室町時代:当町篠本に連郭式城郭の初めとされる篠本城が、坂田に舌状台地築城の手本とされる坂田城が作られた。
- 江戸時代:幕末には伊能忠敬や海保漁村を輩出し、明治維新後の日本の近代化につながった。
沿革
横芝光町発足前
- 1897年(明治30年)6月1日 - 横芝駅が開業。
- 1953年(昭和28年)5月18日 - 国道126号が制定。
- 1998年(平成10年)3月30日 - 千葉東金道路松尾横芝ICが供用開始。
- 2006年(平成18年)3月25日 - 銚子連絡道路横芝光ICが供用開始。
横芝光町発足後
- 2006年(平成18年)3月27日 - 山武郡横芝町と匝瑳郡光町が合併し、横芝光町が発足。
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震による津波で防砂フェンスの破壊、町内が冠水するなどの被害を受けた[1]。
行政区域変遷
- 変遷の年表
横芝光町町域の変遷(年表) | ||
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年 | 月日 | 現横芝光町町域に関連する行政区域変遷 |
1889年(明治22年) | 4月1日 | 町村制施行に伴い、以下の村がそれぞれ発足。[2] |
1892年(明治25年) | 12月28日 | 旭村は改称し横芝村となる。 |
1897年(明治30年) | 4月1日 | 武射郡は山辺郡と合併して山武郡が発足。 |
5月10日 | 横芝村は町制施行し横芝町となる。 | |
1948年(昭和23年) | 11月3日 | 日吉村は匝瑳郡に移行する。 |
1951年(昭和26年) | 上堺村の一部(北清水の一部)は横芝町に編入。 | |
1954年(昭和29年) | 5月3日 | 南条村・東陽村・白浜村・日吉村が合併し光町が発足。 |
1955年(昭和30年) | 2月1日 | 横芝町・上堺村・大総村が合併し横芝町が発足。 |
2006年(平成18年) | 3月27日 | 光町と横芝町が合併し横芝光町が発足。 |
- 変遷表
横芝光町町域の変遷表(※細かな境界の変遷は省略) | |||||||||
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1868年 以前 |
明治元年 - 明治22年 | 明治22年 4月1日 |
明治22年 - 昭和24年 | 昭和25年 - 昭和64年 | 平成元年 - 現在 | 現在 | |||
武射郡 | 横芝村 | 旭村 | 明治30年4月1日 山武郡発足 |
明治25年12月28日 横芝村に改称 明治30年5月10日 町制 |
昭和30年2月1日 横芝町 |
平成18年3月27日 横芝光町 |
横芝光町 | ||
古川村 | |||||||||
栗山村 | |||||||||
鳥喰上村 | |||||||||
鳥喰下村 | |||||||||
鳥喰新田 | |||||||||
両国新田 | |||||||||
屋形村 | 上堺村 | 上堺村 | |||||||
北清水村 | |||||||||
新堀村 | 明治10年 新島村 | ||||||||
三島村 | |||||||||
木戸台村 | 大総村 | 大総村 | |||||||
長倉村 | |||||||||
坂田寺方村 | |||||||||
坂田曽根合村 | |||||||||
坂田市場村 | 明治11年 坂田村 | ||||||||
坂田取立村 | |||||||||
姥山村 | |||||||||
遠山村 | |||||||||
中台村 | |||||||||
坂田於幾村 | |||||||||
坂田小堤村 | |||||||||
谷台村 | |||||||||
匝瑳郡 | 小川台村 | 南条村 | 南条村 | 昭和29年5月3日 光町 | |||||
台村 | |||||||||
小田部村 | |||||||||
傍示戸村 | |||||||||
虫生村 | |||||||||
富下村 | |||||||||
芝崎村 | |||||||||
母子村 | |||||||||
両国新田 | |||||||||
宮川村 | 東陽村 | 東陽村 | |||||||
谷中村 | |||||||||
原方村 | |||||||||
目篠村 | |||||||||
上原村 | |||||||||
木戸村 | 白浜村 | 白浜村 | |||||||
尾垂村 | 明治11年 尾垂惣領村 | ||||||||
惣領村 | |||||||||
香取郡 | 篠本村 | 日吉村 | 昭和23年11月3日 匝瑳郡に移行 |
日吉村 | |||||
新井村 | |||||||||
市野原村 | |||||||||
二又村 | |||||||||
宝米村 |
人口
行政
町長
- 初代・3代:佐藤 晴彦(さとう はるひこ) 2006年4月24日 - 2010年4月18日、2012年3月25日 - 現職
- 2代:齊藤 隆(さいとう たかし) 2010年4月19日 - 2012年2月5日 任期途中で失職(本人死去の為)。
役所
- 横芝光町役場(旧光町役場)
- (本庁舎)
- 山武郡横芝光町宮川11902番地
- (本庁舎)
経済
農業
- 古来より稲作が盛んである。
漁業
町内に本社のある主な企業
- 日本GE・エンジンサービス - 航空機エンジンの修理等。
町内に事業所のある主な企業
- 東京エレクトロン・ロジスティクセンター
姉妹都市・提携都市
日本国内
地域
教育
小学校
中学校
高等学校
交通
鉄道
- 東日本旅客鉄道(JR東日本)
バス
道路
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 鬼来迎(重要無形民俗文化財)
- 芝山古墳群(殿塚・姫塚:国の史跡)
- 小川台古墳群:千葉県最古の形象埴輪を出土。
- 坂田城址、ふれあい坂田池公園
- 熊野神社:熊野山領の匝瑳南条荘に鎮座する神社、旧郷社。
- 四社神社:上総介に任じられた高望王の政務所の鬼門の方角に建立された神社、旧郷社。
- 無量寺:元禄年間に近隣の網主が寄進した「無量寺六地蔵」は古くから女人の信仰を集めたという。
- 成田山御本尊不動明王御上陸之地 - (大本山成田山 - 成田山紹介 - 御本尊上陸聖地)
- 屋形海岸:マリンピアくりやまがわがある、成田空港第2旅客ターミナルからの空港シャトルバスの終点。
- 木戸浜海水浴場:旧光町にある観光海水浴場。銚子連絡道路・横芝光ICより車で10分。夏季限定の海の家、無料駐車場あり。アカウミガメの産卵地。
出身有名人
横芝光町を舞台にした作品
- アンダンテ 〜稲の旋律〜 (2010年、ゴーゴービジュアル企画、監督:金田敬、脚本:山田耕大、原作:旭爪あかね、主演:新妻聖子、筧利夫)
脚注
- ↑ テンプレート:Cite web
- ↑ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201より