大阪高知特急フェリー
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テンプレート:Infobox 大阪高知特急フェリー(おおさかこうちとっきゅうフェリー)は、かつて存在した海運会社。大阪南港と高知港を結ぶフェリー航路を運航していた。本社は、高知県高知市にあった。
沿革
- 1970年4月 - 大阪高知フェリーを設立。
- 1972年8月 - 土佐特急フェリーと合併し、社名を大阪高知特急フェリーとする。
- 1981年4月25日 - 「ニューかつら」が就航する。当時では珍しいエスカレーターを設置。
- 2000年8月19日 - 「フェリーこうち」が就航する。
- 2001年12月10日 - あしずり港(高知県土佐清水市) - 甲浦港(高知県東洋町) - 大阪南港間に就航していた高知シーライン(旧・室戸汽船)の航路休止に伴い、高知港での待機時間を利用して、航路を引き継ぐ形であしずり港への運航が開始される。
- 2004年4月10日 - あしずり港への運航が休止される。
- 2004年8月28日 - 甲浦港に隔日寄航するようになる。
- 2005年3月30日 - 高知地方裁判所に自己破産(負債総額41億2,300万円)の申し立てをし、翌3月31日に破産手続き開始が決定した。運航は継続。
- 2005年6月30日 - 大阪からの最終便が高知に到着し、35年の歴史に幕を閉じる。
- 2005年11月18日 - 新会社の設立による単独での航路再開を正式に断念。
航路
休止時点での航路。
船舶
- とさ[1]
- 1971年9月就航。3369.6総トン、全長104.6m、幅20.0m、航海速力18.3ノット(最大20ノット)。
- 旅客定員620名。車両積載数:トラック59台・乗用車41台。
- 1973年、関西汽船に移籍し、はやとも丸に改称。
- フェリーなにわ
- 1971年12月就航[1]。4,714総トン、全長120.80m、幅20.40m、最大速力19.5ノット。
- 旅客定員818名。車両積載数:8tトラック60台、乗用車80台。
- 1990年、「ニューとさ」就航にともない引退し、シンガポールに売却[1]。
- フェリーかつら[1]
- 1971年竣工。「フェリーなにわ」と同型船。
- 1981年4月、「ニューかつら」就航にともない引退後、売却先よりテンプレート:要出典範囲。1990年、フィリピンに売却。
- ニューかつら
- 1981年4月就航。6,772総トン、全長140.0m、幅22.7m、最大速力23.5ノット。
- 旅客定員1,000名。車両積載数:8tトラック99台、乗用車48台。
- 2006年、フィリピンに売却[1]。
- ニューとさ
- 6,939総トン、全長141.5m、幅23.0m、最大速力24.0ノット。
- 旅客定員1,000名。車両積載数:8tトラック103台、乗用車35台。
- 「ニューかつら」と同型船。2000年8月、「フェリーこうち」就航にともない引退し、ギリシャに売却[1]。
- フェリーこうち[1]
- 2000年8月就航。4,138総トン、全長118.1m、幅21.0m、航海速力19.4ノット(最大22.18ノット)。
- 旅客定員350名。車両積載数:8tトラック73台、乗用車10台。
- 航路休止時まで運航された。2006年4月、ギリシャに売却。
バスとの連携
高知県交通および土佐電気鉄道のバスがフェリー発着に合わせて、航路休止まで高知県交通は中村駅、梼原および高知駅を結ぶ路線、土佐電気鉄道は安芸とを結ぶ路線が運行されていた。 高知県交通ではバス運賃が割引となる連絡乗車(船)券も存在していた。
提供番組
はらたいらのおらんく風土記(過去)
参考文献
- 日本のカーフェリー -その揺籃から今日まで-(世界の艦船 別冊) - 海人社(2009年3月発行)
外部リンク
- 大阪高知特急フェリー - 閉鎖(2004年4月15日時点のアーカイブ)