姚明
姚明(テンプレート:Lang-ja,テンプレート:Lang-en,上海出身,1980年9月12日 - )は、中国のプロバスケットボール選手。北米男子プロバスケットリーグNBAのヒューストン・ロケッツに所属していた。ポジションはセンター。背番号は11番。身長229cm、体重141kg。大男たちの集まるNBAの中でも非常に身長が高い選手であり、リーグを代表するセンタープレーヤーだった。愛称は「明王朝」、「歩く万里の長城」、「Chairman Yao」。
目次
生い立ちと中国でのキャリア
姚明の父親、姚志遠(ようしえん、ヤオ・ジーユァン)は身長208cmの元バスケットボール選手であり、母親の方鳳娣(ほうほうてい、ファン・フェンディー)も、198cmの元バスケット選手で、中国代表チームでプレーしていた。出生時の体重は11ポンド(約5kg)。
9歳でバスケットボールを始め、10歳の頃には180cm、13歳になる頃には身長は2mにまで達した。中学生でユース代表チームに選ばれ、17歳で地元の上海シャークスと契約し、中国プロバスケットボールリーグプレイヤーになった。1997-98シーズン、1試合平均10得点、9リバウンドを獲得した。翌シーズンは負傷で大半を棒に振る。1999-2000シーズン、1試合平均21得点、14リバウンドの成績に加え、5ブロックと活躍する。翌2000-01シーズンには1試合平均27得点、19リバウンドを記録し、20歳にしてリーグのMVPを獲得した。
NBA移籍以降
2002年のNBAドラフト1巡目1位でヒューストン・ロケッツに指名された。長身を生かしたポストプレーや豪快なブロックショットが魅力で、ルーキー・シーズンながらNBAオールスターゲームにファン投票で選出されるなどし、デビューから2シーズンは全試合に出場した。デビュー以降周囲からは「期待外れ」との声も囁かれてはいたが、3シーズン目となる2004-05シーズンには2年連続でNBAシーズン得点王に輝いていたトレイシー・マグレディがロケッツに加入し、マグレディとのコンビでチームのレギュラーシーズンの勝率を6割にまで上げる活躍を見せた。しかしマグレディ、ヤオ・ミン共に怪我が多かったため、2人が共に在籍した6年間で一緒に出場する機会は少なかった。
2005-06シーズンから足の怪我に悩まされるようになり、2007-08シーズンまでの3シーズンは毎シーズン30試合前後の欠場を強いられた。 2006-07シーズンには大台の1試合平均25得点、9.4リバウンドという記録を残している。
2008-09シーズンはレギュラーシーズンに77試合出場し、プレーオフでも自身初となる初戦突破を果たした。カンファレンス・セミファイナルでロサンゼルス・レイカーズと対戦したが、2戦目に足首を怪我し、3戦目以降は出場ができなかった(その後チームは7戦目まで戦った末敗れている)。
2009-10シーズンは怪我によりシーズンの全試合を欠場した。2010-11シーズンにはチームから怪我防止のために出場機会の制限を課されてシーズンに臨んだものの、レギュラーシーズン5試合に出場した後に怪我が見つかり、残りの試合を全て欠場した。
2011年7月20日、度重なる怪我の影響のためバスケットボールからの引退を表明した。
中国代表での実績
2004年のアテネ五輪では、1試合平均得点20.7点、1試合平均リバウンド9.3回を挙げ、中国代表をベスト8に導くとともに大会ベスト5(センター部門第1位)に選出された。また2006年のバスケットボール世界選手権においては、大会最高の一試合平均25.3得点を挙げて平均最多得点(得点王)となり、チームもベスト16に進出した。なおその前の2002年におけるバスケットボール世界選手権においても、大会ベスト5(センター部門第1位)に選出されている。2008年の北京オリンピックで中国を率いて、再び世界のベスト8に進出した。また、2003年には、ローレウス世界スポーツ賞における男子年間最優秀成長選手に選出された。
プレイスタイル
類稀な長身とダンク、フックシュート、ジャンプシュートといった様々なシュートを使いこなせる技術を持つ。柔らかなシュートタッチやゴール下でのムーブは、彼の出身地から「シャンハイ・シェイク」(Shang Hai Shake) と呼ばれる。また、ビッグマンでありながらフリースローも非常に得意である。ディフェンス面においてもゴール下での彼の高さは脅威といえる。入団当初はフィジカルなプレーに負けることもあったが、徐々に強さも発揮するようになり、リーグを代表するセンタープレーヤーの1人であった。
個人成績
NBA
レギュラー・シーズン
テンプレート:バスケットボール選手個人成績表 |- | align="left"| 2002–03シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 82||72||29.0||.498||.500||.811||8.2||1.7||.4||1.8|| ||13.5 |- | align="left"| 2003–04シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 82||82||32.8||.522||.000||.809||9.0||1.5||.3||1.9|| ||17.5 |- | align="left"| 2004–05シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 80||80||30.6||.552||.000||.783||8.4||.8||.4||2.0|| ||18.3 |- | align="left"| 2005–06シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 57||57||34.2||.519||.000||.853||10.2||1.5||.5||1.6|| ||22.3 |- | align="left"| 2006–07シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 48||48||33.8||.516||.000||.862||9.4||2.0||.3||2.0|| ||25.0 |- | align="left"| 2007–08シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 55||55||37.2||.507||.000||.850||10.8||2.3||.4||2.0|| ||22.0 |- | align="left"| 2008–09シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 77||77||33.6||.548||1.000||.866||9.9||1.8||.4||2.0|| ||19.7 |- | align="left"| 2010-11シーズン | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 5||5||18.2||.486||.000||.938||5.4||.8||.0||1.6|| ||10.2 |-class="sortbottom" | align="left"| キャリア通算 | align="left"| | 486||476||32.5||.524||.200||.833||9.2||1.6||.4||1.9|| ||19.0 |-class="sortbottom" | align="left"| オールスター | align="left"| | 5||5||18.2||.529||.000||.667||4.2||1.6||.2||.2|| ||8.0 |}
プレーオフ
テンプレート:バスケットボール選手個人成績表 |- | align="left"| 2004 | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 5||5||37.0||.456||.000||.765||7.4||1.8||.4||1.4|| ||15.0 |- | align="left"| 2005 | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 7||7||31.4||.655||.000||.727||7.7||.7||.3||2.7|| ||21.4 |- | align="left"| 2007 | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 7||7||37.1||.440||.000||.880||10.3||.9||.1||.7|| ||25.1 |- | align="left"| 2009 | align="left"| ヒューストン・ロケッツ | 9||9||35.9||.545||.000||.902||10.9||1.0||.4||1.1|| ||17.1 |-class="sortbottom" | align="left"| キャリア通算 | align="left"| | 28||28||35.3||.519||.000||.833||9.3||1.0||.3||1.5|| ||19.8 |}
人物像
- NBAオールスターゲームではルーキー・シーズンから7年連続、9シーズン中8度選出されている。
- アジア人で初めてNBAのトップレベルで活躍できるプレーヤーとなっただけでなく、チームの中心選手としての活躍は中国でのバスケット人気を押し上げている。テレビCM等多くの広告で起用されたり、また、スポーツ店では彼のポスターや等身大パネルが置いてある。
- 2003年に「中国十大傑出青年」の1人に選ばれた。
- アテネオリンピック、北京オリンピックの入場行進で中国チームの旗手を務めた。
- 2006年、日本で行われたバスケットボール世界選手権でもチームの主力として活躍したが、マークが集中した上に怪我で本調子ではなかったこともあり、ベスト8決定戦でギリシャに大差で敗れた。
- 子供の頃に服用した薬の副作用で、左耳の聴力が失われている。
- 2007年6月23日の中国各新聞紙上にて、元プロバスケットボール中国代表で身長1メートル90センチの葉莉(イエ・リー)と8月8日にヒューストンで結婚すると報じられた。
- ブルネイのバスケットボールナショナルチームのメンバーとして活躍していた、台湾のアイドルグループ・飛輪海の呉尊(身長183cm)と対戦した経験を持つ。
関連項目
外部リンク
- NBA.com ヤオ・ミン テンプレート:En icon
- 公式サイト テンプレート:En icon
- 五輪の風~国家とスポーツ(1) 国による“遺伝実験”説も 巨人スター姚明の誕生(共同通信の記事)
- 五輪の風~国家とスポーツ(2) 民意味方にNBAへ 条件は古巣への巨額補償(共同通信の記事)
- 五輪の風~国家とスポーツ(3) 姚明は新中国人の代表 困難に直面する人々の象徴(共同通信の記事)