土肥義弘
テンプレート:Infobox baseball player 土肥 義弘(どい よしひろ、1976年9月1日 - )は、埼玉県鳩ヶ谷市(現・川口市)出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。
目次
経歴
プロ入り前
テンプレート:節stub 1993年、第75回全国高校野球選手権大会に出場し準優勝を果たす。高校卒業後は社会人野球のプリンスホテルに入社。
1997年のドラフトで西武ライオンズに4位で指名され、入団。背番号は35。
西武時代
ルーキーイヤーのテンプレート:Byは1試合のみの登板だった。テンプレート:Byからは、主に対左打者のワンポイントとして一軍に定着し、先発、リリーフとも左投手不足だった当時の西武では貴重な存在でタフィ・ローズ(当時大阪近鉄バファローズに在籍)キラーとして名を挙げた。
テンプレート:By、先発転向を希望したが西武ではあくまでも中継ぎ要員としての評価で、一軍出場のないままシーズン途中に田崎昌弘・東和政とのトレードで横浜ベイスターズに移籍。
横浜時代
横浜移籍は結果的にその年から読売ジャイアンツへ移籍したローズを追いかけるような形となったが、移籍初勝利は7月7日の巨人戦で、そのローズを併殺打に打ち取って挙げた1球勝利であった。その後左の先発投手が不足していたチーム事情から先発に転向し、この年は5勝を挙げる。
テンプレート:Byには初の二桁勝利となる10勝を挙げた。
テンプレート:Byは5月6日の阪神タイガース戦で金本知憲の打球を手に受けて登録抹消となり、その後首も痛めたこともあって3勝に終わった。テンプレート:Byは開幕5連勝と好調だったが、その後は故障の影響で白星が伸びなかった。
テンプレート:Byは開幕当初は好投も見せていたが、打線の援護なく白星に恵まれないとその後は打ち込まれる試合が続き、開幕から4連敗で5月2日に二軍落ち。6月に中継ぎとして一軍復帰したが、3試合で6失点と結果を残せず再び二軍落ちし、その後は一軍登板機会がなくシーズン未勝利に終わった。この年に国内FA権を取得したが、10月1日に球団から戦力外通告を受ける。12月7日に埼玉西武ライオンズが獲得を発表し、5年ぶりに復帰することになった。
西武復帰
テンプレート:Byは再びワンポイント要員に戻って4月28日に一軍昇格したが、不調で5月18日に二軍落ち。シーズン終盤の9月27日に再昇格し、ここではまずまずの投球を見せた。前年取得した国内FA権は行使せずに残留。
テンプレート:Byは一軍でスタートするものの、開幕3試合目に救援で打ち込まれてしまう。その後も「投げれば打たれる状態」が続き、最も酷い時には防御率が30点台後半にまで悪化した。しかし7月後半以降は持ち直し、同28日以降の20試合で防御率1.42と好成績を挙げる。星野智樹が不調で抜けた投手陣にあってほぼ唯一の左腕リリーフとして活躍した。10月25日、同年に取得した海外FA権を行使し、MLB挑戦を表明。球団も本人の希望を尊重し、慰留しなかった。11月28日(日本時間11月29日)、12月1日(日本時間12月2日)にカリフォルニア州にて行われた合同トライアウトに参加した。
米独立リーグ時代
テンプレート:By6月、アメリカの独立リーグであるアトランティックリーグのランカスター・バーンストーマーズと契約合意したが[1]、就労ビザを取得できなかったため、公式戦登板はなかった[2]。
オリオールズ時代
テンプレート:By1月、ボルチモア・オリオールズとマイナー契約を結んだ[3]。しかし、3月31日に高年齢を理由に解雇[4]。
米独立リーグ復帰
6月15日にノース・アメリカン・リーグのマウイ・イカイカと投手兼コーチとして契約した[5]。同年10月9日、現役引退を表明し、今後は指導者としての道を目指す意向を明らかにした[6]。
引退後
テンプレート:Byからは文化放送・テレ朝チャンネルの野球解説者として活動。また『TVSライオンズアワー』(テレビ埼玉)ではリポーターを務める。6月15日にカリフォルニア州サンディエゴに本拠地をおくサマーリーグ球団「サムライ サンディエゴ」の投手コーチとして入団することが発表された。
プレースタイル
140km/h台前半の速球と、スライダー・チェンジアップ・シュートを投げ分ける。
人物
- 無類の格闘技ファンとして知られ、登板時の登場曲は三沢光晴の入場曲として有名な「スパルタンX」。
- 鳩ヶ谷市初のプロ野球選手ということもあり、鳩ヶ谷市民の間では英雄的存在である。
- 横浜時代には読売ジャイアンツ戦に強く、「巨人キラー」として名を馳せた。
- 「巨人キラー」と呼ばれる投手でも、実際の巨人戦の勝率は突出したものではないことが多いが、土肥は通算成績に比して巨人戦の勝率が極端に高く、横浜時代の5年間で25勝35敗なのに対し巨人戦では13勝4敗と、横浜時代の白星の半分以上を巨人戦で稼いでいる。
- 移籍1年目の2004年から5勝中3勝を巨人戦で挙げると、2005年は必ず巨人戦で投げるように登板機会が調整されたこともあり、この年だけで7勝を挙げた。8月24日に小久保裕紀から3打席連続でホームランを打たれて初黒星を喫するまで、前年からの通算で8連勝をマークした。巨人戦初登板からの8連勝は1979年の小林繁(当時阪神タイガース)と並ぶ歴代2位タイの数字である(1位は山内泰幸の10連勝。また初登板からに限らなければ権藤博が巨人戦11連勝を記録している)。この年は初完投勝利・初完封勝利も共に巨人戦で記録している。翌年以降は土肥自身が不調や故障で登板機会が減ったこともあり、横浜退団までの3年間で3勝3敗であった。
- 一方巨人以外の球団には総じて分が悪く、特に巨人キラーの名が定着した2005年は、巨人戦とセ・パ交流戦での古巣西武戦以外は1勝10敗で、その1勝はシーズン終盤の10月8日のヤクルトスワローズ戦であった。なお、土肥は先発初勝利をヤクルト戦で挙げている。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 西武 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 9 | 1.1 | 4 | 1 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 27.00 | 4.50 |
テンプレート:By2 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 139 | 34.1 | 24 | 0 | 15 | 3 | 2 | 27 | 2 | 0 | 10 | 9 | 2.36 | 1.14 | |
テンプレート:By2 | 55 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | -- | .750 | 210 | 49.2 | 44 | 4 | 19 | 3 | 0 | 30 | 1 | 1 | 18 | 16 | 2.90 | 1.27 | |
テンプレート:By2 | 39 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 101 | 25.0 | 18 | 1 | 7 | 2 | 2 | 23 | 2 | 1 | 11 | 10 | 3.60 | 1.00 | |
テンプレート:By2 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 0 | -- | .200 | 179 | 43.2 | 30 | 3 | 14 | 2 | 3 | 41 | 1 | 0 | 14 | 13 | 2.68 | 1.01 | |
テンプレート:By2 | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | -- | .333 | 145 | 34.1 | 39 | 7 | 7 | 1 | 1 | 27 | 0 | 0 | 16 | 16 | 4.19 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 横浜 | 18 | 13 | 0 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 330 | 80.1 | 89 | 14 | 11 | 0 | 4 | 67 | 0 | 0 | 41 | 37 | 4.15 | 1.24 |
テンプレート:By2 | 26 | 25 | 4 | 1 | 1 | 10 | 11 | 0 | 0 | .476 | 675 | 164.2 | 160 | 30 | 30 | 1 | 7 | 106 | 4 | 0 | 80 | 70 | 3.83 | 1.15 | |
テンプレート:By2 | 14 | 14 | 0 | 0 | 0 | 3 | 7 | 0 | 0 | .300 | 359 | 80.2 | 106 | 14 | 21 | 0 | 4 | 39 | 0 | 0 | 54 | 54 | 6.02 | 1.57 | |
テンプレート:By2 | 18 | 17 | 0 | 0 | 0 | 7 | 8 | 0 | 0 | .467 | 398 | 92.2 | 104 | 15 | 23 | 0 | 7 | 43 | 0 | 1 | 51 | 46 | 4.47 | 1.37 | |
テンプレート:By2 | 8 | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | .000 | 127 | 27.2 | 41 | 6 | 6 | 0 | 1 | 16 | 0 | 0 | 23 | 23 | 7.48 | 1.70 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | .000 | 44 | 10.2 | 10 | 0 | 0 | 0 | 2 | 7 | 0 | 0 | 7 | 6 | 5.06 | 0.94 |
テンプレート:By2 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | ---- | 89 | 18.0 | 24 | 1 | 11 | 1 | 1 | 10 | 0 | 0 | 16 | 13 | 6.50 | 1.94 | |
通算:13年 | 335 | 74 | 4 | 1 | 1 | 31 | 45 | 1 | 7 | .408 | 2805 | 663.0 | 693 | 96 | 166 | 13 | 34 | 437 | 10 | 3 | 345 | 317 | 4.30 | 1.30 |
---|
- 2010年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
- 投手記録
- 初登板:1998年5月19日、対日本ハムファイターズ6回戦(東京ドーム)、3回裏2死に2番手で救援登板、1回1/3を4失点
- 初奪三振:同上、4回裏に野口寿浩から
- 初勝利:1999年9月30日、対千葉ロッテマリーンズ27回戦(千葉マリンスタジアム)、4回裏に2番手で救援登板、3回無失点
- 初セーブ:2003年9月15日、対オリックス・ブルーウェーブ24回戦(Yahoo! BBスタジアム)、9回裏2死に4番手で救援登板・完了、1/3回を無失点
- 初先発:2004年7月21日、対阪神タイガース15回戦(横浜スタジアム)、5回1/3を2失点
- 初先発勝利:2004年8月6日、対ヤクルトスワローズ18回戦(平塚球場)、6回2/3を無失点
- 初完投勝利:2005年4月7日、対読売ジャイアンツ3回戦(横浜スタジアム)、9回6失点
- 初完封勝利:2005年6月22日、対読売ジャイアンツ8回戦(横浜スタジアム)
- 初ホールド:2009年4月28日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(西武ドーム)、7回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 打撃記録
- 初安打・初打点:2004年7月21日、対阪神タイガース15回戦(横浜スタジアム)、4回裏に金澤健人から左前適時打
- その他の記録
- 1球勝利投手:2004年7月7日、対読売ジャイアンツ15回戦(東京ドーム)、7回裏1死にタフィ・ローズを二塁ゴロ併殺打 ※史上18人目(セ・リーグ10人目)
背番号
- 35 (1998年 - 2004年途中)
- 30 (2004年途中 - 2008年)
- 38 (2009年 - 2010年)
- 19 (2012年)