エルフリーデ・イェリネク

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ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:2004年
受賞部門:ノーベル文学賞
受賞理由: 「その小説と劇作における音楽的な声と対声によって、社会の不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した」[1]

エルフリーデ・イェリネク(Elfriede Jelinek, 1946年10月20日 - )はオーストリア小説家劇作家。2004年ノーベル文学賞受賞。

経歴

オーストリアのミュルツツーシュラーグに生まれる。父はユダヤ・チェコ系の化学者で、母はウィーンの富裕層出身のカトリックであった。ギムナジウム時代よりウィーン市立音楽院に通い、パイプオルガン、ピアノ、リコーダーを、のちに作曲を学ぶ。ウィーン大学で美術史と演劇学を専攻し、在学中の1967年に詩集を出版。同年大学を中退し作家活動を開始する。他方音楽学校での勉強は続けており、1971年にオルガン奏者国家試験に合格し卒業している。

イェリネクの活動は小説、劇作、エッセイ、翻訳、ラジオドラマや映画のシナリオなど多岐に渡る。1974年から1991年まで共産党に入党しており、初期にはマルクス主義の観点からの文明批判的な作品が多かったが、後に父権社会や自国オーストリアの保守性に対する糾弾に重点を移していった。1998年のゲオルク・ビュヒナー賞受賞をはじめ多数の文学賞を受賞し国際的にも評価が高いが、過激な性描写や辛辣な自国批判などからオーストリアの保守団体からは「ポルノ作家」などとして非難にさらされることも多い。

1983年の小説作品『ピアニスト』はミヒャエル・ハネケによって映画化され2001年のカンヌ国際映画祭でグランプリに選ばれている。

2004年ノーベル文学賞受賞の際には「自分が公の人になってしまうのは残念だ」と述べ、トマス・ピンチョンや同じオーストリア出身のペーター・ハントケのほうがふさわしいのではないか、と語った。また2005年、イェリネクの作品を「不愉快なポルノグラフィ」「芸術的な構築を放棄した文章の山」としてノーベル賞の授賞に抗議し、クヌット・アーンルンド(en)がスウェーデン・アカデミーを退会している。

主要作品

小説

  • 牧歌詩人(bukolit. hörroman、1979年)
  • 私たちは囮だ(wir sind lockvögel baby!、1970年)
  • ミヒャエル(Michael. Ein Jugendbuch für die Infantilgesellschaft、1972年)
  • 愛人(Die Liebhaberinnen、1975年)
  • 締め出された者(Die Ausgesperrten、1980年)
  • ピアニスト(Die Klavierspielerin、1983年)
  • 荒野よ、彼女を守るものよ(Oh Wildnis, oh Schutz vor ihr、1985年)
  • したい気分(Lust、1989年)
  • 死者の子供たち(Die Kinder der Toten、1995年)
  • 情欲(Gier、2000年)
  • 嫉妬(Neid (Privatroman)、 2007年)

戯曲

  • ノラが夫を捨てた後なにが起こったか(Was geschah, nachdem Nora ihren Mann verlassen hatte oder Stützen der Gesellschaften、1977年)
  • クララ・S'(Clara S.、1981年)
  • 病あるいは現代の女性(Krankheit oder Moderne Frauen、1987年)
  • ブルク劇場(Burgtheater、1985年)
  • アーベントヴィント大統領(Präsident Abendwind、1987年)
  • 雲。家。(Wolken.Heim、1988年)
  • トーテンアウベルク(Totenauberg、1991年)
  • レストハウス(Raststätte、1994年}
  • 杖、竿、棒(Stecken, Stab und Stangl、1996年)
  • スポーツ劇(Ein Sportstück、1998年)
  • 彼でない者としての彼(er nicht als er、1998年)
  • 別れの挨拶(Das Lebewohl、2000年)
  • アルプスにてIn den Alpen、2002年)
  • 死と乙女 プリンセスたちのドラマ(Prinzessinnendramen: Der Tod und das Mädchen 2002年)
  • 作品(Das Werk、2003年)
  • 王女達のドラマ(Prinzessinnendramen、2003年)
  • バンビラント(Bambiland、2003年)
  • バベル(Babel、2005年)
  • ウルリーケ・マリア・スチュアート(Ulrike Maria Stuart、2006年)
  • 獣たちについて(Über Tiere、2006年)

日本語訳

  • トーテンアウベルク ―屍かさなる緑の山野(熊田泰章訳、1996年、三元社)
  • ピアニスト(中込啓子訳、2002年、鳥影社
  • したい気分(中込啓子・リタ・ブリール訳、2004年、鳥影社)
  • 汝、気にすることなかれ―シューベルトの歌曲にちなむ死の小三部作(谷川道子訳、2006年、論創社
  • レストハウス、あるいは女はみんなこうしたもの(谷川道子訳、2007年、論創社)
  • 死と乙女 プリンセスたちのドラマ(中込啓子訳、2009年、鳥影社)
  • 死者の子供たち(中込啓子・須永恆雄・岡本和子訳、2010年、鳥影社)

日本の研究

  • ジェンダーと文学 イェリネク、ヴォルフ、バッハマンのまなざし 中込啓子著.鳥影社 1996.10.

外部リンク

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