「軍民転換」の版間の差分
(相違点なし)
|
2013年4月17日 (水) 11:49時点における最新版
テンプレート:独自研究 軍民転換(ぐんみんてんかん)とは軍需産業を自動車、家電といった民需産業に転換すること。
東西冷戦時代は、アメリカ、ソ連とも軍事優位の獲得を血眼になって争い、戦車、航空機、宇宙防衛などの軍需産業を中心に育成した。しかし、この冷戦構造の終焉とともに、両国では、大きな経済的課題となり、軍民転換が行われるようになった。
米ソ両国の比較
まずソ連の場合、軍民転換は「コンベルシア」(ロシア語: конверсия)と呼ばれ、ゴルバチョフ政権以来、市場経済改革を推進する中での最重要政策の1つに位置づけられている。ソ連及びロシアの発表資料によれば、1995(平成7)年までに推進が決定している民需への転換は、600以上の軍産複合体で始まっており、カラーテレビ、ビデオ、カメラ、医療機器などの民生用消費財の生産が1.8倍に拡大する予定だという。また、西側先進国も、1991(平成3)年のロンドン・サミット以来、経済支援の必要条件として軍民転換を挙げているため、ロシアとしても積極的に進めたいところである。しかし、依然隠然たる影響力を持つ軍部の抵抗は根強い。また、従来、戦車や弾頭をつくっていた生産ラインを、一朝一夕に乳母車やエアコンなどのラインに転換することには、技術面やコスト面で困難を伴う。日本からも、通商産業省(現在の経済産業省)が調査団を数回派遣しているが見通しは厳しい。
一方、アメリカにおける軍民転換は、巨額な貿易赤字を解消するための産業政策との絡みで論議されることが多い。ドワイト・アイゼンハワー元大統領は、1961(昭和36)年の演説で、軍事と大産業の相互依存、癒着構造を批判する演説を行ったが、第二次世界大戦後のアメリカは結局、軍事的優位を保つための技術面への研究開発投資を国が全面的に支援し、それによって得られた研究的成果を、一部民生用に転換する形の経済構造になっていった。この構造は、50年代、60年代までは、民需部門にも好影響を与えていたが、70年代以後は、経済力をつけた日本や旧西ドイツが、これらの技術を民生用に特化した応用研究へと進めたために、家電、自動車など民需を代表する産業部門でアメリカの退潮が目立ち、貿易赤字の遠因にもなった。
軍事技術と民間技術
歴史的にはその時代の最先端技術を軍事技術がリードした分野も少なくない。古くから存在する暗号技術、19世紀の製鉄、化学工業、電信などの通信技術、20世紀の航空機、ロケット、トランジスタに起源をもつ半導体、無線通信などは軍事技術と密接に関わっていた。身近なものでも当初、軍用として開発され、その後、民間でも利用されるようになったものが多く存在する。例えば、古いものでは缶詰、近年の代表的なものではインターネットがある。このように、軍事技術が最先端技術をリードし、時代が下った後に民間にも転用されるというサイクルが20世紀後半まで続いていた。