羽生世代

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羽生世代(はぶせだい)とは、羽生善治と年齢が近い強豪将棋棋士を指す呼称である。

「羽生世代」の棋士達

羽生と同年代の強豪棋士たちを指す言葉だが、明確な定義はないため、メディアによってメンバーにはばらつきがある。 一般的には羽生善治(1970年度生まれ)と同学年か1学年違いで、順位戦A級を経験した棋士を指す。

ただし、屋敷伸之深浦康市については、羽生と1学年違いだが、屋敷は「羽生世代をも追いこしそうな存在」と紹介されることが多く、深浦も「自分を羽生世代とは認識していない」と述べているため、羽生世代に含めないことが多い。もっとも、渡辺明は深浦を羽生世代の一人として扱う一方で、屋敷を羽生世代に含めないなど、扱いは定まっていない。また、村山聖先崎学は順位戦A級は経験しているもののタイトル獲得経験がなく、羽生世代から除外されることもあるが、羽生世代が台頭してきた当初から活躍していたこともあって、羽生世代の一員とされることが多い。

以上のように、各棋士が羽生世代に含まれるか否かを明確に線引きすることはできないが、羽生世代として紹介されることがある棋士(1969年度から1971年度生まれで、順位戦A級経験者)を以下に列挙する。

(生年月日順)

棋士名 生年月日 プロ入り
(四段昇段)
九段昇段 初タイトル 全棋士参加
棋戦初優勝
竜王戦1組
初昇級[1]
順位戦A級
初昇級
その後
村山聖 1969年6月15日 1986年11月 1998年8月 - 1996年度
早指し選手権[2]
1994年 1995年 1998年にA級のまま死去
佐藤康光 1969年10月1日 1987年3月 1998年6月 1993年度
竜王
同左 1992年 1996年 永世棋聖の資格獲得(2006年)
先崎学 1970年6月22日 1987年10月 2014年4月 - 1990年度
NHK杯
1995年 2000年
丸山忠久 1970年9月5日 1990年4月 2000年6月 2000年度
名人
1998年度
全日本プロ
1998年 1998年
羽生善治 1970年9月27日 1985年12月[3] 1994年4月 1989年度
竜王
1988年度
NHK杯
1989年 1993年 永世棋王の資格獲得(1995年)
-「永世六冠」達成(2008年)
藤井猛[4] 1970年9月29日 1991年4月 2000年10月 1998年度
竜王
同左 1998年 2001年 竜王戦史上初の3連覇
(1998 - 2000年)
森内俊之 1970年10月10日 1987年5月 2002年5月 2002年度
名人
1988年度
全日本プロ
1996年 1995年 永世名人の資格獲得(2007年)
郷田真隆 1971年3月17日 1990年4月 2001年8月 1992年度
王位[5]
同左 1999年 1999年
屋敷伸之 1972年1月18日 1988年10月 2004年4月 1990年度
棋聖
同左 1997年 2011年
深浦康市 1972年2月14日 1991年10月 2008年9月 2007年度
王位
1992年度
全日本プロ
2007年 2004年

なお同年代の棋士は他にもいるが、彼らは「羽生世代(の棋士)」としてはあまり紹介されない。

歴史

「チャイルドブランド」の台頭

テンプレート:出典の明記 後に「羽生世代」と呼ばれる棋士達のうち、10代から目覚ましい活躍をした羽生・村山・佐藤・森内の4人は、島朗によって「チャイルドブランド」[6]と命名された(年上の森下卓1966年7月10日- )も広義でチャイルドブランドの一人とされたテンプレート:要出典)。「アンファン・テリブル」[7]と呼ばれることもあったテンプレート:要出典。4人のうち羽生・佐藤・森内の3人は、島が主宰する研究会「島研」で腕を磨いたメンバーであった。

1980年代後半、彼らは先輩棋士達を打ち負かしていく。1988年度のNHK杯戦では、18歳の羽生が4人の名人経験者(大山康晴十五世名人、加藤一二三九段[8]谷川浩司名人(準決勝)、中原誠棋聖・王座(決勝))を破るという、まるで作ったような舞台設定[9]で優勝し、チャイルドブランドからの初の棋戦優勝者となる。

「羽生世代」の台頭

1990年ごろからは、森内と先崎が全棋士参加棋戦で優勝。さらには、郷田が同一年度に谷川に3度タイトル挑戦し、うち、王位戦で最低段位記録となる四段で初タイトル。佐藤は七冠へ駆け上がる途中の羽生(当時五冠)からいったん竜王位を奪い、初のタイトル獲得を果たす。羽生を含む彼ら5名は早熟のため、A級昇級よりも優勝・タイトルが先行した。その後、村山と丸山も順位戦で昇級を重ねるなどして追随する。

藤井は、B級2組(竜王戦は4組)に在籍していた1998年当時に、谷川をストレートで破って初タイトル・竜王を獲得し、一躍「羽生世代の一人」として認知されるようになる。

丸山は2000年に佐藤を破って名人位を獲得する。

「羽生世代」による将棋界の席巻

1990年頃から現在に至るまで、タイトル棋戦やA級順位戦は、常に「羽生世代」の棋士達が主役となっており、各年度の7タイトルの過半数を占める状態が長らく続く(将棋のタイトル在位者一覧 (2) を参照)。その結果、タイトル獲得数3期以上(九段昇段の基準の一つ)の者が6人、永世称号を持つ者が3人(羽生、佐藤、森内 = 2011年現在)もいるという、特異な世代となっている。

名人戦では、1994年から現在まで毎年、彼らのうちの誰かが七番勝負に登場している。羽生対森内のカードが特筆して多く、名人戦で9回(第54、61-63、66、69-72期)対戦しており、大山康晴-升田幸三と並び名人戦の中で1番多いカードとなっている。

竜王戦は創設翌年の第2期に羽生が獲得して以来、「羽生世代」の棋士が七番勝負に登場しなかったことが、ほとんどない。第17期(2004年度)で渡辺明が竜王を獲得して以降、05年に木村一基七段(当時)が挑戦した以外は、羽生世代の誰かが渡辺に挑戦する構図となっている。第26期(2013年度)で森内が竜王を奪還、渡辺の竜王10連覇を阻止した。

2004年頃までは彼らより上の世代の谷川が孤軍奮闘した。

彼らが30代になると、逆に、若手の前に立ち塞がる壁となる。しかし、下の世代では、2004年からは彼らより一回り以上若い渡辺が、佐藤、森内、羽生らを相手にして竜王の一冠を5連覇し、初代永世竜王の資格を獲得した。

2006年には、佐藤が棋聖5連覇で永世棋聖の称号の資格を得、2007年には、森内が名人通算5期で羽生より一歩先に永世名人の資格を得る。

2007年頃からは、渡辺に加え、深浦康市久保利明、木村一基もタイトル戦の舞台に多く出場するようになった。1998年度の佐藤の名人奪取以来ずっと羽生世代の複数人がタイトル保持者だったが、2008年度棋王戦で佐藤から久保が棋王を奪取したことでタイトル保持者が羽生四冠(名人・棋聖・王座・王将)・渡辺竜王・深浦王位・久保棋王の四人となりついにそれが崩れた。そして2009年度王将戦では久保が羽生から王将を奪取し、タイトルの過半数を羽生世代以外の棋士が占めることになった。

2011年度に入り、羽生二冠(棋聖・王座)が広瀬章人から王位を奪取。渡辺が羽生から王座を奪うものの、久保の持つ王将・棋王の座を、それぞれ佐藤康光と郷田真隆が奪還し、2年ぶりに羽生世代がタイトルを席巻した。(渡辺:竜王・王座、森内:名人、羽生:棋聖・王位、佐藤:王将、郷田:棋王

2012年度に入っても羽生と森内による名人戦(森内の防衛)、羽生の棋聖防衛、羽生と藤井の王位戦(羽生の防衛)、羽生の渡辺からの王座奪還、丸山による2年連続渡辺竜王への挑戦と、タイトル戦で羽生世代が席巻している状態が続いている。

2014年には、羽生世代のすべての棋士が順位戦A級を経験した九段昇段者となった。

ポスト羽生世代

羽生世代のすぐ下の世代(1973~1975年生まれ)には、羽生世代の後を追ってA級入り・タイトル獲得を果たした「ポスト羽生世代」と呼ばれる有力棋士達がいる。以下にその世代のA級経験者を挙げる。(括弧内は生年月日)

なお、そのすぐ下の世代(1976年~1980年生まれ)の棋士からは、2013年4月現在のところA級棋士・タイトル挑戦者・全棋士参加棋戦優勝者が現れていない[10]。その世代の伸び悩みがしばしば指摘されるが、そのひとつの要因として、羽生世代・ポスト羽生世代の層の厚さを挙げられることがある。

一方、さらに下の世代(1981年生まれ~)からは渡辺明を筆頭に、王位を獲得した広瀬章人や2012年にA級昇級した橋本崇載、2004年度のNHK杯に優勝し2009年度王座戦に挑戦した山崎隆之、2008年度朝日杯と2009年度銀河戦で優勝した阿久津主税、関西棋界のホープといわれ、23歳でB1級に所属し、王将戦にも挑戦した豊島将之、順位戦こそC級1組だが、2011年に歴代2位の勝率(0.851)を誇り、棋聖戦、王座戦に挑戦した中村太地、タイトル本戦出場こそ果たせていないが、各種棋戦や順位戦で高い勝率を保っている佐藤天彦(B2級)など活躍を見せる棋士が出ている。

「羽生世代」に近い年代の女流棋士

「羽生世代」とは呼ばないが、彼らより少し年上の女流棋士である林葉・中井・清水は、「女流三強」と呼ばれた。

林葉は、女流王将10連覇などの記録を残した後、1995年に退会したが、その後も中井と清水は「女流二強」として長らく隆盛を誇り、若手の前に立ち塞がる壁となる。

特に清水は、女流棋界の第一人者として君臨し、羽生の七冠独占と同時期に4つの女流タイトルを独占して「女羽生(おんなはぶ)」とも呼ばれた。その後、さらに、クイーン四冠[11]の偉業を達成し、史上初の女流六段位を与えられる。

中井は、全女流棋士中で通算勝数1位を誇り、通算タイトル獲得数においても清水に次いで2位である。中井も女流六段位を与えられている。

脚注

  1. 羽生は第1期竜王戦で4組からのスタート。ほかの棋士は、プロ入り後、6組からのスタート。
  2. 「早指し将棋選手権」には「早指し新鋭戦」の優勝者・準優勝者も出場できるので、ここでは全棋士参加棋戦扱いとした。
  3. 加藤一二三谷川浩司に次ぐ、史上3人目の中学生棋士。
  4. 藤井は竜王位獲得の頃から「羽生世代」と呼ばれ始めた。
  5. 四段でタイトルを獲得した唯一の例
  6. 田中寅彦「将棋界の超新人類 これがチャイルドブランドだ!」(池田書店)
  7. 「恐るべき子供達」の意のフランス語 enfant terrible より。
  8. このときの羽生-加藤戦で、「伝説の▲5二銀」と呼ばれる妙手が出る。
  9. 谷川浩司は「(対戦相手は抽選で決まるから)羽生が持って生まれた運」と表現している(別冊宝島380「将棋王手飛車読本」pp.16)。
  10. 順位戦では松尾歩がB級1組に在籍しているのが最高である。
  11. 当時の女流タイトル4つ(女流名人女流王将女流王位倉敷藤花)全てについてクイーン(通算5期以上獲得 = 永世称号に相当)となること

関連項目

参考文献

  • 『将棋界の若き頭脳群団 (チャイルドブランド)』 石堂淑朗著、学習研究社、1992年、ISBN 4-05-106369-0
  • 『これがチャイルドブランドだ! 将棋界の超新人類』 田中寅彦著、池田書店、1989年、ISBN 4-262-10182-7
  • 『四人の名人を破った少年』 飛矢正順著、評伝社、1989年、ISBN 4-89371-815-0

外部リンク