清水市代

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清水 市代(しみず いちよ、1969年1月9日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士高柳敏夫名誉九段門下。女流棋士番号は7。タイトル通算獲得数は歴代1位であり、2位以下を大きく引き離している。

日本将棋連盟の棋士会副会長(2009年4月 - 2011年3月)。

東京都東村山市出身。東京都立清瀬高等学校卒業。

棋歴

女流棋士を目指す

1983年、中学3年生のときに第15回女流アマ名人戦で優勝。女流棋士となった者の中には、中井広恵林葉直子矢内理絵子千葉涼子甲斐智美ら、男女の区別がない棋士を目指して奨励会に在籍した経験がある者もいるが、清水の場合は奨励会の経験はない。

中学3年の終わり頃、高柳敏夫八段(当時)に入門。年齢的に遅めのスタートだったが、高校2年生に上がった1985年4月1日に女流棋士(女流2級)となる。これは女流育成会制度による初めてのプロ入りとなった。初期の女流育成会制度では、女流育成会の上位者と、女流棋士のなかの成績下位者との入れ替え戦が実施されていた。この入れ替え戦を勝ち抜いて女流棋士になったのは、清水市代だけである。

戦績

詳細は、末尾の年表 を参照。

1987年度の第14期女流名人位戦を皮切りに女流タイトルを次々獲得。通算勝率は7割を大きく越え、他の女流棋士を寄せ付けない。

また、林葉直子中井広恵との三強を形成した。林葉が将棋界を離れた後も、中井との二強時代が続いた。

1996年7月には、3年間遠ざかっていた女流王将に返り咲き、女流名人、女流王位倉敷藤花と合わせた女流四冠独占を達成。これにより文部大臣表彰も受けた。同時期に羽生善治が七冠独占していたことから、俗に「女羽生(おんなはぶ)」と呼ばれた。

2000年、5度目の女流王将位を獲得して永世位にあたる「クィーン王将」となり、他の3タイトルのクィーン位と合わせて“クィーン四冠(全4タイトルを通算5期以上獲得)の大記録を打ち立てる。その功績により、同年10月1日、史上初の女流六段位が与えられた。

2004年、中井との対戦が女流棋士同士では初の百番指しを記録。この時点での対戦成績は清水の60勝40敗である。

2007年4月3日、通算400勝を達成(女流王将戦、対里見香奈戦)。これは、中井に次ぐ2人目の記録である。

2009年3月5日、第35期女流名人位戦で矢内理絵子に勝利し、40歳1ヶ月で女流名人位を奪取、最年長女流タイトル獲得記録を更新した。従来の記録は、2006年に斎田晴子が倉敷藤花を獲得した時の39歳11ヶ月[1]

このように数々の女流タイトルを獲得しているが、2007年に新設されたマイナビ女子オープンは第5期の挑戦者決定戦進出が最高成績で、未だ挑戦にも至っていない。

棋士(いわゆる「男性棋士」)との公式戦では、女流棋士の中で最も多くの勝ち星を挙げている。

2010年10月11日、激指、GPS将棋、BonanzaYSSによる多数決合議で指し手決定を行うコンピュータ将棋システム「あから2010」と対戦し敗北する。

2010年10月28日、第32期女流王将戦で里見に敗れ、1992年3月に女流王将のタイトルを獲得してから18年7ヶ月ぶりに無冠となる。

2011年9月27日、第38期女流名人位戦A級リーグ戦で、通算500勝を達成。

2012年2月19日、第5回大和証券杯ネット将棋・女流最強戦準決勝を戦い、公式戦年間対局数単独歴代1位の49局を達成する[2]。また、3月22日、第39期女流名人位戦A級リーグ戦で中村真梨花女流二段に勝ち、公式戦年間勝数単独歴代1位の40勝を達成する[3]。最終的に2011年度の成績は、対局55局で40勝15敗だった。

2012年3月26日、第23期女流王位戦挑戦者決定戦で里見に敗れたため、女流王位戦登場連続19年で記録が止まる。

2014年3月14日、第25期女流王位戦挑戦者決定戦で中井に勝利し、2012年2月以来のタイトル戦出場を決めた。五番勝負では甲斐智美に第1局で勝利するも、その後3連敗し、タイトル獲得はならなかった。

2014年第36期女流王将戦は前回2回戦で敗退したが、里見が体調不良で欠場しクイーン称号のタイトルを持っているため、シードとして本戦出場となる。

人物

  • 女流棋士を弟子に持つ唯一の女流棋士である。1999年の女流王将戦で、弟子の石橋幸緒と師弟対決。石橋は清水からタイトル奪取して、初のタイトルを獲得した。その就位式(祝賀パーティー)では、弟子の成長に目を潤ませる清水の姿があった[4]
  • 勝負に徹する堅い性格のイメージがあるが、おちゃめな一面も持っており、著書や将棋雑誌のエッセイなどではかなりくだけた文体で文章を書く。
  • 対局中はいつも背筋をピンと伸ばす、駒音はほどほどにするなど、作法にこだわりがある。
  • 王位戦の記念対局(王位vs女流王位)で、(持ち時間ハンディありの非公式対局ではあったものの)羽生善治谷川浩司に平手で勝ったことがある。
  • 自宅にて子供向け将棋教室「ショウギ・キッズ・ハウス」を開いている。タイトル戦の表彰式では、教室の生徒たちが駆けつけて祝福するのがおなじみの光景である。
  • 趣味は読書(池波正太郎の時代小説などが特にお気に入り)、茶道(表千家)、家庭菜園など。

テレビ出演

  • 1993年1月20日放送のさすらい刑事旅情編V「山形新幹線・殺意の名将戦振り飛車の女」に女流棋士・森川成美役で出演。他に、同じく女流棋士の斎田晴子とプロ棋士の小林健二も共演している。
  • 1993年4月~1996年3月、NHK-BS「囲碁・将棋ウィークリー」(現「囲碁・将棋ジャーナル」)の司会を担当。
  • 2003年4月から半年間、女流棋士として初めてNHK将棋講座の講師を務めた。当時14歳の生徒・江成正元えなりかずきの弟)との微笑ましいコンビで、「と金は、遅いようで速いよ!」などの名言を残した。
  • クイズ番組「あなたも挑戦!ことばゲーム」(NHK総合、2004年度)に出演。女性チームキャプテンの高木美保とともに、頭の回転の速さを遺憾なく発揮し、筧利夫キャプテン率いる男性チームを圧倒した。
  • 2014年4月からNHK杯テレビ将棋トーナメントの司会を担当している。但し、5月18日、25日の放送分は女流王位戦に出場だったため、矢内理絵子が代わりに司会を務めた。

棋風

  • 生粋の居飛車党で、「清水と言えば2六歩」と呼ばれるほど、先手番で初手▲2六歩の採用率が高いことで知られる。
  • 急戦からの激しい将棋を得意とする棋風相掛かり右四間飛車を得意戦法としている。

表彰

  • 1996年7月 文部大臣表彰
  • 1997年2月 都民文化栄誉章
  • 2000年11月 東村山市民栄誉賞
  • 2008年8月 倉敷市将棋文化栄誉章

おもな成績

タイトル・永世称号

詳細は末尾の年表 を参照。 他の女流棋士との比較は、棋戦 (将棋)#女流タイトル 、および、将棋のタイトル在位者一覧 (女流棋戦) を参照。

タイトル 番勝負 獲得年度 登場 獲得期数 連覇 永世称号資格
女王 五番勝負
4-5月
女流王座 五番勝負
10-12月
1
女流名人 五番勝負
1-2月
87(第14期)、89、94-98、03-04、08 18 10期
(歴代1位)
5
(歴代1位タイ)
クィーン名人
女流王位 五番勝負
4-6月
93(第4期)-96、98-06、09 20 14期
(歴代1位)
9
(歴代1位)
クィーン王位
女流王将 三番勝負
10月[5]
91…93(第14、15期)、96(第18期)、
98、00-01、07-09
14 9期
(歴代2位)
3
(歴代2位タイ)
クィーン王将
倉敷藤花 三番勝負
11月
94(第2期)-00、04-05、07 14 10期
(歴代1位)
7
(歴代1位)
クィーン倉敷藤花
登場回数合計67回、 獲得合計43期 = 歴代1位
(番勝負終了前は除く。最新は2014年度の女流王位戦敗退)

優勝

優勝年度・詳細は末尾の年表 を参照。

優勝合計11回

記録

  • 最高同時タイトル - 四冠(1996年・1998年、歴代2位)
  • 通算優勝回数- 54回(歴代1位、タイトルと一般棋戦の合算)
  • 年度最高勝率 - .8966(26勝3敗、1993年、歴代1位)
  • 最多連勝 - 17連勝(1994年・1998年、歴代2位タイ)
  • 女流名人位戦A級リーグ全勝 - 8-0(第37期、2010年)[6]、9-0(第38期、2011年)[7](歴代1位)
  • 公式戦年間対局数 55局 (2011年度、歴代1位)
  • 公式戦年間勝数 40勝 (2011年度、歴代1位)

著書

清水市代の年表

脚注

  1. スポーツ報知 2009年3月5日
  2. 日本将棋連盟 2012年2月21日 『清水女流六段、年間対局数単独歴代1位に』
  3. 日本将棋連盟 2012年3月22日 『清水女流六段、年間勝数単独歴代1位に』
  4. 囲碁・将棋ジャーナル」でその模様が紹介された。
  5. 2008年度以前の女流王将戦は、5月から7月にかけて五番勝負として行われた(休止になりかかったが、スポンサーが替わって年度中に復活)。また、1992年度は開催されなかった。
  6. [1]
  7. [2]

関連項目

外部リンク

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