日東駒専

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日本大学(日大会館)
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東洋大学(白山キャンパス)
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駒澤大学(本部棟)
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専修大学(120年記念館)

日東駒専(にっとうこません)とは、日本における大学群の通称のひとつ。在京私立では早慶MARCHに次ぐ入試難易度の総合大学であり、東京に所在する私立大学のうち次の4校が括られている。

由来

旧制大学から続く在京私立大学中、多方面への実績に比して知名度が首都圏に限定的なこれらの大学が、1960年代から学部学科の増設や定員枠拡大などによる急速な規模拡大から注目を浴び、螢雪時代編集長が4大学を一括して呼称し始めたことに由来する。

風説

螢雪時代では4大学を「日東専駒」としているが、「日専東駒」などと語順を変え数回記載する雑誌も現れたが、経年後に現在の語順が定着する。

大学間の交流

現在、この4大学のみで行われている公的な集会や企画は特にないが、4大学は共に東都大学野球連盟に加盟しており、伝統の一戦として日専戦と東駒戦が行われている。また、東京箱根間往復大学駅伝競走でも古参的参加校であり、学生スポーツの世界では相互にライバル意識が強い[1]

大学受験生に対する広報を目的とする東京12大学広報連絡協議会には、日本大学と専修大学が加盟している。

各大学の概要

日本大学は、当時の司法大臣であった山田顕義らが日本独自の法学の確立を目指して、1889年日本法律学校として創立した。1903年に日本大学と改称し、1920年大学令による大学となり、1949年新制大学に移行した。法学部・文理学部・経済学部・商学部・芸術学部・国際関係学部・理工学部・生産工学部・工学部・医学部・歯学部・松戸歯学部・生物資源科学部・薬学部の各学部があり、学生数は約7万人で、国内の私立大学では最大規模である[2]

東洋大学は、1887年井上円了が護国愛理を学是に哲学館として創立した。1906年に東洋大学と改称し、1916年には日本初の男女共学を実施した。1928年に大学令による大学となり、1949年に新制大学に移行した。文学部・経済学部・経営学部・法学部・社会学部・国際地域学部・生命科学部・ライフデザイン学部・理工学部・総合情報学部の各学部がある[3]

駒沢大学は、曹洞宗系の仏教大学であり、1592年に栴檀林が創立した学林が起源である。1882年に曹洞宗大学林となり、1905年に曹洞宗大学、1925年に大学令に基づく駒沢大学と変遷し、1949年に新制大学に移行した。仏教学部・文学部・経済学部・法学部・経営学部・医療健康科学部・グローバル・メディア・スタディーズ学部の各学部がある[4]

専修大学は、1880年に日本最初の私立法律経済学校である専修学校として設立した。1923年に大学令による大学となり、1949年に新制大学に移行した。経済学部・法学部・経営学部・商学部・文学部・人間科学部・ネットワーク情報学部の各学部を置く。五大法律学校からの流れを汲む法学部や経済学部が有名である[5]

参考資料

  • 蛍雪時代(旺文社)各号
  • YOZEMI Jornal(代々木ゼミナール)各号
  • 週刊現代(講談社)各号

脚注

  1. 専大スポーツ増刊号『専Sation』による
  2. 日本大学百科事典マイペディア 第3版』(平凡社・1995年)
  3. 東洋大学『百科事典マイペディア 第3版』(平凡社・1995年)
  4. 駒沢大学『百科事典マイペディア 第3版』(平凡社・1995年)
  5. 専修大学『百科事典マイペディア 第3版』(平凡社・1995年)

関連項目


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