ブリュッセル

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ブリュッセルBruxelles [bʁysɛl]、Brussel [ˈbrʏsəɫ]、Brüssel [ˈbʀʏsl]、Brussels [ˈbɹʌs(ə)ɫ̩z])は、ベルギーの首都である。名称は「湿地(bruoc、bruc、broek)」、「(sella、zele)」という単語から来ている。ブリュッセル単独で、ベルギーの連邦構成主体である3つの地域のうちの一つであるブリュッセル首都圏地域テンプレート:Lang-fr-shortテンプレート:Lang-nl-short)を構成している。

人口103万人(2007年)。他の2つの地域と比べて面積は161km2と相対的に狭いが、約30km2の森林地域を除いて、その領域のほとんどが市街化されている。欧州有数の世界都市であり、欧州連合の主要機関が置かれるなど、欧州の政治の一拠点ともなっている。

概要

ベルギーの連邦構成主体の一つであるブリュッセルは19の基礎自治体から構成され、その一つが憲法上の首都であるブリュッセル=ヴィル(Bruxelles-ville、ブリュッセル市)である。北緯50度50分37秒、東経4度21分27秒。、フランスパリの20の行政区と比較されることもあるが、パリとは違い全体を統括する「市長」がいないのが特徴である。

市街は美しく世界遺産にも登録され、「小パリ」とも呼ばれている。2014年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第11位の都市と評価されており、特に政治的評価が高かった[1]

ブリュッセルはフランス語オランダ語の公式な2言語地域であり、市民は多数のフランス語話者(85%から90%を占める)と少数のフラマン語話者(10%から15%を占める)に分かれるため、街中にある看板、標識、駅名などは、フランス語、オランダ語の二ヶ国語表示が義務付けられている。市民は話す言語によって通う学校などが異なり、フランス語、オランダ語話者に対する文教、言語政策についてはそれぞれフランス語共同体政府とフランデレン政府が担当する。ブリュッセルはベルギーを南北に分割する言語境界線の北側にあり[2]フランデレン地域の首都でもあり、フランデレン地域の政府と議会が置かれている。

フラマン系とワロン系の2大民族のほかにも、欧州委員会など多くの国際機関があるため、欧州連合加盟国出身者が多く住んでいる。近年は旧ベルギー植民地(コンゴ民主共和国ルワンダブルンジ)だけでなくマグリブ(特にモロッコ)、トルコイランパキスタン南アメリカなどからの労働者が増えており、国際色豊かで多民族的な地域となっている。移民は一般にフラマン語ではなくフランス語を学ぶ傾向がある。近年はアフリカアジア中近東などからのイスラム系の移民が非常に増加し、移民系の住民が過半数を占めると言われる。近年生まれた男子に最も多く付けられた名前は、イスラム系の「ムハンマド」である。言語政策のあおりを受け、1969年には、1834年創立のブリュッセル自由大学はフランス語系のUniversité Libre de Bruxellesとオランダ語系のVrije Universiteit Brusselに分離した。

歴史

都市名は、オランダ語で「沼の村」を意味するブルークゼーレに由来するといわれ、新石器時代の紀元前2250年ごろから農耕民族が住んでいた。やがてローマ文化をうけいれたガリア人が、センヌ渓谷の沼沢地に定住てローマ帝国の属領とし、紀元前1世紀から2世紀にかけて荘園を増やしていった。

12世紀には、地理的な利点を最大限に活かし、交易と交通の中継点として商業や手工業で栄え、職人や貿易商たちは事業を確立していき、貴族たちは要塞や城を築いて土地の所有権を宣言した。1312年1356年にはブラバント公の特許状を得ることで、ブリュッセルの交易や産業はさらに発展した。やがてブリュッセルは、現在のベルギーのフランデレン地域ワロン地域の一部、オランダ北ブラバント州を包括していたブラバント公国の最も重要な都市となっていった。

1383年ブラバント公国の宮廷がルーヴァンからこの地に移され、その後4世紀間にわたって変転するヨーロッパの政治の中心地として繁栄した。1430年ブルゴーニュ公国の支配下に置かれ、シャルル豪胆公の死後の1477年からは、フランシュ=コンテネーデルラント諸州と共に、シャルル豪胆公の娘マリーと結婚したハプスブルク家マクシミリアン1世の領土となった。ブリュッセルとブラバント公国は、ラテン語文化圏とゲルマン語文化圏の境界であったが、ハプスブルク家の支配はスペイン領ネーデルラントにおいて、ロマンス語の衰退をもたらした。

1555年にハプスブルク家の神聖ローマ皇帝スペインカール5世が退位し、息子のフェリペ2世に統治を譲る。ブリュッセルの市民は、スペインに住むこの新しい君主に、宗教、文化、階級の違いからことごとく反発し、暴動を起こした。次第に信奉者が増えていくプロテスタントに対して、カトリックを信奉するスペイン・ハプスブルク家は厳しい弾圧をもってのぞんだ。この宗教的対立は、聖像破壊運動を経てついにプロテスタントの反乱、宗教改革となった。1567年この地域へ派遣されたスペインのネーデルラント総督アルバ公フェルナンド・アルバレス・デ・トレドは、ブリュッセルに司令部をおいて反乱を鎮圧した。彼の恐怖政治によって、エフモント伯ラモラールホールネ伯らがここで処刑された。

1576年、ブリュッセルはスペインの支配を脱し、勝利をおさめたネーデルラント連邦共和国に入ったが、1585年にはアレッサンドロ・ファルネーゼが指揮するスペイン軍に攻略され、再びスペイン領ネーデルラントに加えられる。1792年にはフランス革命軍によって占拠され、ナポレオン戦争が終結する1815年までフランスの支配下にあった。1815年ウィーン議定書によって、現在のベルギーとオランダを含むネーデルラント連合王国の都市となった。

1830年、ブリュッセルの王立モネ劇場オペラの上演中に興奮した観客が暴動を起こし、ベルギー独立革命の引き金を引いた。革命に際しては、ブリュッセルはその中心地となり、1831年ベルギー王国の首都となった。第二次世界大戦後の1958年には盛大な万国博覧会を開催し、北大西洋条約機構欧州委員会の本部をブリュッセルへと誘致した。

気候

ケッペンの気候区分では海洋性気候に属する。(Cfb)。過去100年平均で、年間で200日は降雨がある。 テンプレート:Weather box

行政

ブリュッセルは地理的にはベルギーの言語境界の北側、フランデレン地域に位置するものの、住民の8割はフランス系であり、この地の扱いがフラマン・ワロン両民族の対立の焦点となっていた。1932年の言語法によってベルギーはフラマン語地域とフランス語地域に分けられたが、ブリュッセルは特別地域として両言語併用の2言語地域とされた。1963年にはブリュッセルに属する19自治体が2言語地域とされた。1970年にはベルギーはフラマン、ワロン、ブリュッセルの3地域に分けられることとなったが、ブリュッセルの扱いにおいて両民族間に対立が生じた。ブリュッセルはフランス語系住民が多く、ブリュッセルをほかの地域と対等とすると人口で劣勢なフランス語系が3地域のうち2地域で優勢を占めることとなる。それを避けたいフラマン系と、影響力を残したいワロン系の論争となったのである。結局、東部のドイツ語共同体にも行政府と議会を設け、「地域」(地理区分)と「共同体」(言語区分)の2本立ての政府を作ることで両勢力に妥協が成立し、1989年には19自治体を領域とするブリュッセル首都地域行政府、ならびに議会が開設された。そして1993年には3つの言語共同体と3つの地域政府からなる国家としてベルギーは完全に連邦化された[3]

現在、ブリュッセルにはベルギー連邦政府(中央政府)とブリュッセル首都地域政府が置かれているほか、フランデレン地域共同体政府(フランデレンでは言語共同体政府と地域政府は統合している)の政府および議会もおかれている。また、フランス語共同体政府の政府・議会もブリュッセルにあるが、ワロン地域政府は南のナミュールにおかれている[4]

行政区分

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ブリュッセルは19の自治体から構成されている。

フランス語 オランダ語 紋章 郵便番号[5] 人口
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面積
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人口密度
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#
Anderlecht Anderlecht アンデルレヒト 22x15px 22x15px 1070 97601 17.7 5501 [6] 1
Auderghem Oudergem オーデルゲム 22x15px 22x15px 1160 29681 09.0 3286 [7] 2
Berchem-Sainte-Agathe Sint-Agatha-Berchem 22x15px 22x15px 1082 20431 02.9 6927 [8] 3
Bruxelles-Villeテンプレート:Ref label Stad Brusselテンプレート:Ref label ブリュッセル市 22x15px 1000テンプレート:Spaces1130
1020テンプレート:Spaces1040
1120テンプレート:Spaces1050
145917 32.6 4475 [9] 4
Etterbeek Etterbeek エテルベーク 22x15px 22x15px 1040 42342 03.1 13445 [10] 5
Evere Evere エヴェレ 22x15px 22x15px 1140 34128 05.0 6801 [11] 6
Forest Vorst 22x15px 22x15px 1190 48284 06.2 7728 [12] 7
Ganshoren Ganshoren 22x15px 22x15px 1083 21395 02.5 8714 [13] 8
Ixelles Elsene イクセル 22x15px 22x15px 1050 78088 06.3 12308 [14] 9
Jette Jette ジェッテ 22x15px 22x15px 1090 43564 05.0 8638 [15] 10
Koekelberg Koekelberg 22x15px 22x15px 1081 18541 01.2 15814 [16] 11
Molenbeek-Saint-Jean Sint-Jans-Molenbeek 22x15px 22x15px 1080 81632 05.9 13855 [17] 12
Saint-Gilles Sint-Gillis サン・ジル 22x15px 22x15px 1060 44767 02.5 17731 [18] 13
Saint-Josse-ten-Noode Sint-Joost-ten-Node 22x15px 22x15px 1210 23785 01.1 20822 [19] 14
Schaerbeek Schaarbeek スカールベーク 22x15px 1030 113493 08.1 13943 [20] 15
Uccle Ukkel ユックル 22x15px 22x15px 1180 76576 22.9 3343 [21] 16
Watermael-Boitsfort Watermaal-Bosvoorde ワーテルマール・ボアフォール 22x15px 22x15px 1170 24121 12.9 1865 [22] 17
Woluwe-Saint-Lambert Sint-Lambrechts-Woluwe ウォルウェ・サン・ランベール 22x15px 22x15px 1200 48315 07.2 6687 [23] 18
Woluwe-Saint-Pierre Sint-Pieters-Woluwe ウォルウェ・サン・ピエール 22x15px 22x15px 1150 38554 08.9 4356 [24] 19

EUの首都

ヨーロッパの中央部にあり、各大国から近く交通の要衝にある上に小国の首都であるブリュッセルには、ヨーロッパ全域にまたがる国際機関の本部が多く置かれている。中でも最も重要なものは、欧州連合の諸機関である。欧州委員会はブリュッセルにあるベルレモン庁舎その他の市内の庁舎に、欧州連合理事会事務局は同じくブリュッセル、ベルレモンの向かいにあるユストゥス・リプシウス庁舎に置かれている。欧州議会の本会議は本部のあるストラスブールで開かれるが、ブリュッセルにも1989年エスパース・レオポルド会議場が建設され、欧州連合諸機関との連携がとりやすいことから欧州議会の活動の4分の3がストラスブールではなくブリュッセルで開かれるようになってきている。欧州連合に明示的な本部の指定はないが、こうしたことからブリュッセルは事実上の欧州連合本部所在地とされている。ブリュッセルで働く欧州連合職員の数は30520人に上る[25]

ブリュッセルに欧州連合の施設が多く立地するのは、その前身である欧州原子力共同体の本部や欧州経済共同体の多くの施設がブリュッセルに置かれていたからである。これに欧州石炭鉄鋼共同体を加えた3機構が1967年7月1日にブリュッセル条約によって統合され、欧州諸共同体体制が発足。このときに各委員会の部局がブリュッセルに置かれることとなり、1969年にはそれを収容するためにベルレモンビルも建設された。

北大西洋条約機構 (NATO) の本部もブリュッセルにある。これは、1966年にフランスのシャルル・ド・ゴール大統領がNATOからの脱退を宣言し、それまで本部のあったパリからの移転を余儀なくされたNATOをベルギー政府が誘致したものである。現在、本部はブリュッセルの北部にあるエヴェレ地区におかれている。また、ベネルクス経済連合コインブラ・グループ (Coimbra Group)(ヨーロッパの大学連盟)の本部もブリュッセルに存在する。

経済

欧州連合の主要な機関が多く置かれていることからサービス業に大きく偏頗している。多国籍企業の多くが本店・支店を構える一方で、Cantillon Brewery のような地場産業もある。2013年のアメリカのダウ・ジョーンズらの調査によると、世界24位の金融センターと評価されている[26]

食文化

ブリュッセルは世界有数の美食の都として知られ、特にグラン=プラスの北側にあるイロ・サクレ地区には多数のレストランが集まり、地元住民や観光客が多く訪れる。

また、ブリュッセルはベルギー・チョコレートの中心でもあり、ノイハウスゴディバピエールマルコリーニ、ヴィタメール、レオニダス、ガレといった有名店が軒並みブリュッセルに本店を構えている。また、ベルギー・ワッフルでも知られている。ワッフルには四角でやわらかくて大きく、上にソースやアイスクリームを乗せるブリュッセル・ワッフルと、丸くて焼いて食べるリエージュ・ワッフルがあるが、ブリュッセルではレストランでブリュッセル・ワッフルを、スタンドでリエージュ・ワッフルを、どちらも食べることができる。

見所

ファイル:Galeries St. Hubert.JPG
ギャルリー・サン・チュベール

交通

市から南50kmのシャルルロワには、ブリュッセル・サウスシャルルロワ空港もある。こちらはライアンエアーなどが発着し、近年、新ターミナルもオープンした。

スポーツ

ブリュッセル出身の人物

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姉妹都市

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脚注

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関連項目

外部リンク

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公式
観光

テンプレート:欧州連合加盟国の首都

  1. 2014 Global Cities Index and Emerging Cities Outlook (2014年4月公表)
  2. 「ビジュアルシリーズ世界再発見4 イギリス・中央ヨーロッパ」p75  ベルテルスマン社、ミッチェル・ビーズリー社編 同朋舎出版 1992年5月20日第1版第1刷発行
  3. 「世界民族問題事典」(新訂増補)p1030 平凡社 2002年11月25日新訂増補第1刷
  4. 「ベルギーを知るための52章」pp112-114 小川秀樹編著 明石書店
  5. テンプレート:Cite web
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  25. 『ベルギーを知るための52章』p287 小川秀樹編著 明石書店
  26. Xinhua-Dow Jones International Financial Centers Development Index(2013) 2013年9月15日閲覧。
  27. テンプレート:Cite web
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  29. テンプレート:Cite webテンプレート:リンク切れ
  30. テンプレート:Cite web
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  32. テンプレート:Cite web