MiG-23 (航空機)

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テンプレート:Infobox 航空機 MiG-23(ミグ23;ロシア語МиГ-23ミーグ・ドヴァーッツァチ・トリー)は、ソ連ミグ設計局が開発した戦闘機MiG-21の後継機となり、アルチョム・ミコヤンが最期に手がけた機体であった。北大西洋条約機構(NATO)の使用するNATOコードネームフロッガー(Flogger)。

1967年4月3日(23-01のもので、この機は可変翼機ではない)に初飛行した。また、MiG-27МиГ-27)はMiG-23の発展型で、ソ連国内向けの戦闘爆撃機として開発された。

概要

ファイル:MiG-23 NTW 1 94.jpg
主翼下にR-23中射程ミサイル、胴体下にR-60短射程ミサイルを搭載したポーランド空軍のMiG-23MF
ファイル:Aircraft engine MiG-23 sweep wing mechanism.jpg
可変翼の駆動機構、東ドイツ空軍で使われた後にドイツ博物館航空分館へ収蔵された機体

開発

1960年代ミグスホーイ両設計局がSTOL用リフトエンジン搭載有尾翼デルタ翼機と可変翼機の製作を指示されたのが始まりである(ミグは1960年代初めから可変翼機の研究をしていたが、当時は技術的に困難であった)。ミグは新型機を製作するにあたり、リフトエンジン2基を搭載する実験機23-31(MiG-21PD)を1966年に製作し、この機体のデータを基にしたSTOL機23-01(MiG-23PD)と、可変翼の23-11MiG-23)を同年に製作した。翌年の実験で23-01が機体重量と空間の限界や整備面でこの方式が実用的でないことが判ると、23-11が採用された。

可変翼は、アメリカ合衆国の開発したF-111戦闘攻撃機戦闘爆撃機と呼ばれることもある)やF-14戦闘機ヨーロッパで共同開発されたトーネード攻撃機など1960年代後半から1970年代前半の軍用機に共通する特徴で、このような航空機は可変翼機と呼ばれている。この時期の軍用機は敵に滑走路を破壊された場合の対処方法を重要視して設計されており、離着陸距離を短縮できる可変翼機や滑走路を必要としないVTOL、STOL機に大きな関心が集まっていた。可変翼は、高速で飛行する際は翼を後退させて抵抗を減らし、離着陸や低速飛行の際は前に広げて揚力を大きくすることができた。MiG-23も可変後退翼の採用によって、離着陸距離を短縮している。

ただしF-14の可変後退翼はさらに進歩しており、後退角や後縁フラップを自動コントロールにして空中格闘戦能力が大幅に向上していた。一方後退角を手動で制御するMiG-23の前期型(MiG-23Mなど)までは格闘戦能力の向上効果は無かった。MiG-23の可変翼は、油圧で後退角度(16度から72度)が変わるものであったが、戦闘時には主翼を45度の位置に固定させるようになっていた。しかし後期型では改善され、戦闘時の後退角度はMiG-23MLDでは33度に変更され、後退角度制御こそ手動のままであるが、前縁フラップは自動制御になり、格闘性能を向上させている。

MiG-23は本来、前線の制空権を確保するための前線戦闘機であるため、空中戦のみならずある程度の対地攻撃能力も持つよう設計されていた。MiG-23MLなど、後期型では種別は多用途戦闘機に変更されており、アンゴラではMiG-23MLAの対地攻撃能力に対して高い評価が出されている。また、特に対地攻撃を重視した派生型もあり、その内ソ連空軍向けに開発された機体はMiG-27と呼ばれている。一方その輸出向けの機体の名称はMiG-23のままであり、名称の変更の有無はソ連内の予算獲得問題の関係(名称が違うと予算が付きにくい)であったと言われている。

発展

戦闘機型としては、初期レーダー搭載型MiG-21同様のサプフィール21レーダーを搭載した初期生産型のMiG-23S、本来のサプフィール23を搭載し1970年代ソ連空軍の主力となったMiG-23M、及びそのダウングレード・輸出型のMiG-23MSワルシャワ条約機構向けの輸出型MiG-23MF、機体構造を全面的に見直しエンジンを換装した後期型のMiG-23ML、その防空軍向けの迎撃戦闘機MiG-23P、それに準じた空軍向けのMiG-23MLA、第4世代機に対応するための改良型MiG-23MLDとその輸出型などがあり、戦闘爆撃機型には輸出向けのMiG-23BN、ソ連空軍向けのMiG-27/K/M/D及びインド空軍向けのMiG-27MLMまたはLとも呼ばれる)、その他練習機型の前期型MiG-23UBと後期型MiG-23UMなどがある。艦上攻撃機型MiG-27は量産されなかった。なお、攻撃機型MiG-23/27シリーズの国内対抗機と言える機体にSu-17シリーズがある。Su-17シリーズはいずれも前線偵察機としても使用されたが、MiG-23/27シリーズには結局、偵察能力は付与されなかった。

配備

MiG-23は、ブルガリアルーマニアポーランドチェコスロバキアといった東側諸国へ相当数が輸出され、その他にはアルジェリアインドといったアジアアフリカなどの非同盟諸国キューバアンゴラといった社会主義共産主義諸国にも輸出された。また、日本周辺では北朝鮮に約46機が配備されており、2003年3月にMiG-29 9-13と共に米軍偵察機RC-135を迎撃、2009年4月5日に行われた北朝鮮によるミサイル発射実験の際に北朝鮮側のMiG-23が周囲を警戒、うち1機が原因不明で墜落した。2010年11月23日に発生した延坪島事件においては、北朝鮮側は砲撃直前にMiG-23戦闘機5機を出動させ、哨戒任務を行っていた。

しかしながら、冷戦終結に伴う各国の予算逼迫と経年化によりMiG-23の多くは既に退役しており、ヨーロッパでは2002年10月のブルガリア空軍からのMiG-23MLA/MLD/UBの退役を最後に姿を消した(但し、同空軍が1機のみ保有していたMiG-23MLはその後も運用されていたという。また、MiG-23BNもしばらくは保管状態であったといわれる)

ウクライナではMiG-23M及び後期型(主としてMiG-23MLD)や複座型、並びにMiG-27(サブタイプ不明)がMiG-21やMiG-29などとともにリヴィウオデッサの飛行場に列をなしている2005年2006年の写真が存在するが、運用中であるということではなく近年退役して保管状態にあるものと考えられる。このほか、ビーラ・ツェールクヴァでの保管機、ハルキウでの教材用保管機などが知られる。但し、ウクライナ国防省の公式ページでは現在の運用機に含まれており、一部資料では100機以上が現役にあるとされる。

ベラルーシでの現況は不明であるが、若干機数が保管状態にあるようである。

ロシアではMiG-23MLDを中心に若干数が試験用途などに運用されている模様であるが、本来であれば遙かに多くの機体が第一線、第二戦で運用されているはずであった。ヨーロッパからMiG-23が姿を消していった主な理由は、冷戦終結により単純に作戦機数が過剰となったこと、経済状況の悪化に関連し、可変翼による複雑な機体構造とその維持費の高さの問題、そして欧州通常兵器制限交渉などであった。ロシアに関しては、欧州通常兵器制限条約締結の他に空軍の「以後の作戦機はすべて双発とする」とした決定もあり、1990年代の経済崩壊がさらに退役を早めたといえる。

これら多くの国でMiG-23/27の退役が進む一方、2005年になってアンゴラはロシアに対し自国のMiG-23を能力向上型のMiG-23-98に改修する契約を結んでおり、2007年現在実際に改修されたとされる機体の写真が公表されている。また、リビアのMiG-23MLAもウクライナでオーバーホールを受けている。コンゴ民主共和国では、新規に中古の複座型が導入されている。コートジボワールでは、フランス軍によって破壊された同国のSu-25UB(旧ベラルーシ空軍機)の補完として旧ブルガリア空軍機のMiG-23MLD(輸出型)が輸入されている。世界ではより新しい機体の導入も難しくはなくなっているが、こうした新たな動きから、今後すぐにMiG-23シリーズが世界から全廃されることはないようである。

成績

MiG-23は、モンキーモデルの情報が流れていたこともあり、旧来西側からは非常に低く評価されてきた。冷戦終結後その評価は一変し、特に全面的な改設計により大幅に能力を高めたMiG-23ML以降の後期型に関しては、西側のF-4ファントムIIを凌駕する性能を認めた。また、その攻撃力と加速力の高さによりF-16F/A-18などにとっても脅威になると考えられている。ミグ航空局ではマッハ1前後の加速力はF/A-18を凌ぐとしている(ただしF/A-18は元より遷音速域での加速性能が弱点として挙げられている機体である)。しかしながら、スピードと遠距離からのミサイル攻撃を重視するという設計当時の世界的な潮流に漏れず、MiG-23も空中格闘戦向きの設計にはなっておらず、特にロール率が悪いため、旋回方向をすばやく変えることが出来ない。とは言え、主翼が前進状態であればそれなりに敏捷であり、アンゴラでは、ミラージュIIIインパラとの至近距離(半マイル(およそ800m)程度と言われる)のドッグファイトで後ろに回りこみ、相手を撃墜している。

実戦においてより大きな役割を果たしたのは攻撃機型で、インドスリランカエチオピアなどでの働きが知られている。

MiG-23は、対戦闘機戦闘においては、使用国自体の体制的な問題もあり、西側製の戦闘機に多くの場合敗れている(アンゴラは、有利な態勢で戦闘を行うことの出来た希な例である)。リビア空軍機をアメリカ海軍機が撃墜したことはアメリカ合衆国によって広く宣伝された。また、イスラエルも同様に自国の戦果を大きく宣伝しており、多数のMiG-23を撃墜し自らの損害はごく僅かであったとしている。中東戦争やその後の消耗戦、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争以降のイラクでも多くの機体が撃墜・破壊されたとされている。一方、使用国及びソ連側からは戦果として主張されているケースも少なくない。 なお、重度のプレッシャー下にあることによる戦果の過大な報告に加え、損傷と撃墜・撃破の差異がつかず帰還機が「撃墜」と報告されることも多く、事後にならなければどちらの側の情報も信憑性は高くはないため、実際の「成績」を知ることは著しく困難である。

以下は伝えられるとおりの情報の簡略な紹介である。

  • シリア対イスラエル
    1982年6月のベッカー高原空中戦では、シリア空軍のMiG-23MSがF-16AF-4Eなど12機を空中戦で撃墜したとシリアによって公表されている。なお、MiG-21F-15をはじめとする5機を撃墜したとされている。一方、ソ連の資料に拠ればシリア空軍の空中戦の戦果はすべてMiG-23によるものであり、5機を撃墜、損失は6機であった。また、イスラエルに拠れば同国国防軍空軍は十数機のMiG-23を撃墜したとし、空中戦における損害は皆無であったとしている。
    その後もイスラエルとシリア空軍はしばしば衝突を繰り返していたが、ソ連の資料に拠れば、シリア空軍に新型のMiG-23MLが供給されてより短期間のうちに3機のF-15を撃墜し、MiG-23MLの損失は皆無であったとされている。ただし、このF-15の撃墜に関しては、ミサイルが刺さったまま帰還した例など複数あり、これらの事象もあって、日本をはじめとする西側諸国では、F-15は自軍機による撃墜を除くと一度も撃墜されたことのない「無敵の戦闘機」であるとされており、イスラエルの記録ではMiG-23全機種を通算して20機以上の撃墜が報告されている。
  • 湾岸戦争
    1991年1月17日から始まった湾岸戦争においては、開戦初日にイラク空軍のMiG-23MLがイタリア空軍トーネード1機を撃墜したと主張されている。実際、同日にイタリアのトーネード1機が原因不明の未帰還となっているので、イラク側の主張が正しい可能性はあると思われる。但し、MiG-29によるとする説もある。一方多国籍軍は、合計8機のMiG-23を空中戦で撃墜したと主張している。
    なお、湾岸戦争前に海外へ補修などに出されていたイラク空軍の機体は、東ドイツへ渡されていたMiG-21bisをはじめどれも本国に返還されなかったが、MiG-21bis/UMなどとともに1機のMiG-23MLAもユーゴスラビアから返還されなかった。この機体は他のMiG-21などとともにユーゴスラビア空軍及び防空軍に編入されたのち、現在ではセルビアの博物館に野外展示されている。
  • アンゴラ
    アンゴラでは、同国空軍及び支援していたキューバ空軍のMiG-23が南アフリカ共和国のインパラやミラージュF.1CZとしばしば空中戦を行った。こうした中、南アフリカもインパラ、ミラージュF1各1機の損失を認めている。
    インパラは練習機兼用の攻撃機でMiG-23の方が圧倒的に高い能力を持っているものの、MiG-23とミラージュF1とでは機体の決定的な性能差はなく、むしろ南アフリカの搭載ミサイルであった短射程ミサイルR550マジックとアンゴラが使用したR-24の差異に拠るところが大きいと言われる。なお、アンゴラのMiG-23の機上レーダーは南アフリカの戦闘機のレーダーより高性能であったが、その稼働率は極めて低く、レーダーの性能差によるアドバンテージは得られていなかったと考えられている。また、これと関連し、レーダー誘導ミサイルの稼働状況も万全なものではなかったとの説もある。
    戦果の一方で、当時最新型のMiG-23MLAをはじめ数機が南アフリカ共和国軍の戦闘機の機関砲によって損害をうけており、また、地対空ミサイルの攻撃により撃墜されている。なお、アンゴラではキューバ空軍のMiG-23BNも活動していた。
    冷戦が終了するとキューバは撤退したが、そのためアンゴラ政府軍は苦境に立たされた。アパルトヘイトの廃止後南アフリカ共和国と停戦したアンゴラ政府は、1990年代半ばより南アフリカ共和国の元軍人の創設した民間軍事会社エグゼクティブ・アウトカムズ社に支援を求め、アメリカ合衆国のCIAの支援により政府に対するテロ行為を行ってきた反政府ゲリラに対する戦闘を続行した。その結果政府軍はゲリラ側を圧倒し、どうにか和平に漕ぎ着けることに成功した。この戦闘において、南アフリカ共和国空軍の元パイロットであった社員はかつての敵機MiG-23MLAに対し、特に23mm連装機関砲の対地攻撃における威力は素晴らしいという評価を下している。また、同じく傭兵としてMiG-23MLAに搭乗したオランダパイロットは、自身が操縦したF-16Aと比べて、垂直面の運動性はMiG-23が勝り、水平面での運動性も劣らないと評している。
    なお、アンゴラでは1990年代以降中古のSu-27SKSu-25を導入しているが、これらは古いMiG-21MF/bisやSu-22(Su-17M2の輸出型)などの代替であり、MiG-23MLAはMiG-23-98仕様に改修されて今後も使用される予定である(MiG-23MLAより古いMiG-23MFについては不明)
  • ソ連のアフガニスタン侵攻
    MiG-23が実戦活動を行った軍事行動の中で最もよく知られているのはソ連のアフガニスタン侵攻である。この戦争では戦闘機型のMiG-23も主として地上目標に対する攻撃任務に投入されたが、空中戦における戦果も報告されており、ロシアの情報に拠れば、MiG-23MLDがR-60によってパキスタン空軍のF-16A 1機を撃墜したとされている。パキスタンはこの損失を認めているが、自軍機の誤射によるとしている。
    また、ソ連のアフガニスタン侵攻に際してはMiG-27各型が空軍戦力の主力として投入されたが、アフガニスタンの複雑な地形に悩まされ思ったような成果は挙げることができなかったようである。
  • 大韓航空機撃墜事件
    大韓航空機撃墜事件の際にはソ連防空軍のMiG-23P数機が迎撃に上がりSu-15TMを補佐、結果、Su-15のR-98ミサイルによる旅客機の撃墜に至った。一部では、MiG-23が撃墜したとする情報も流れたが、MiG-23は迎撃には参加したものの実弾は発射しなかった。
  • アフリカの角
    エチオピアは隣国エリトリアとの戦争においてMiG-23BNを航空戦力の主力としていた。一方、エリトリアもMiG-23BNを用いエチオピア側を攻撃した。
  • リビア
    リビアとエジプトチャドとの戦闘でもリビア空軍のMiG-23が使用されたとされている。2011年リビア内戦では、MiG-23MLなどが多国籍軍の戦闘機などと交戦し多数を撃墜したものの、1機が空戦の末に撃墜されている。
  • 朝鮮民主主義人民共和国
    2003年3月に、2機のMiG-23がMiG-29 9-13と共同で米軍RC-135偵察機に対しスクランブル発進を行い接近し威嚇した。

バリエーション

本機には細かいNATOコードネームが付けられていた。詳しくはフロッガーを参照。

試作型

ファイル:MiG-23Prototyp.jpg
MiG-23のプロトタイプである23-11可変翼試作戦闘機
23-01MiG-23PDМиГ-23ПДミーク23ペデーYe-230
23-0123-01の三面図
STOL試作戦闘機MiG-21と同じ、尾翼付きデルタであるが、胴体側面に円形の空気取り入れ口を配置し、機首に大型のレドームを備えていた。武装は2連装23mm機関砲を搭載。主エンジンはMiG-21が装備していたR-11F2S-300を改設計したR-27-300(推力7,800kg)で、胴体内にリフトエンジンとして2基のコリェソフRD-36-35(推力2,350kg)を装備していた。1967年4月3日に初飛行して以来、数回実験を行うが、リフトエンジンが飛行中に完全な死重となることに加え、リフトエンジンに機体内部空間を割り当てねばならぬため燃料や機材の搭載量が限定されるなどの不都合が多いことがすぐに判明。こうした欠点に加え将来の発展性も失望されたため、開発中止となった。1967年7月のドモデドヴォ航空ショーに登場した際、西側はNATOコードネームフェイスレス(Faithless:不信心者)」と名付け、本機がソ連の次期戦闘機の有力候補と見ていた。
23-11(MiG-23МиГ-23ミーク23Ye-231
可変翼試作戦闘機。技術的問題から開発の遅れていたレーダーを搭載しておらず、機体性能の試験機として用いられた。エンジンは23-01と同じR-27-300。1967年6月10日に初飛行。上記の23-01が開発中止になったため、本機が採用された。
23-31(MiG-21PD
MiG-21を改造したVTOL研究機。

初期型

MiG-23SМиГ-23Сミーク23エース
前線戦闘機として開発された初期量産型。所期の高性能レーダーが間に合わなかったため、当時のMiG-21に搭載していたのと同じサプフィール21(RP-22)レーダーを搭載していた。このため戦闘能力は限定的で、MiG-23の主兵装となるはずであった中距離ミサイルも使用できなかった。ミサイルの誘導装置としては、デーリタNとラズーリSが搭載された。エンジンR-27が搭載された。1969年から1970年にかけてモスクワズナーミャ・トルダーで少数が生産されたのち、主として練習機として使用された。
MiG-23UBМиГ-23УБミーク23ウベー
MiG-23Sをもとに開発された複座の戦闘訓練戦闘機で、転換用高等練習機としても用いられた。レーダーは装備しないものの、限定的な戦闘能力は有していた。量産機では機体構造は中期型に準じたものに修正され、エンジンはR-29B-300となり主翼も張り出しのあるものに変更された。複座型は、他機種におけるのと同様「スパールカ」の愛称で呼ばれた。生産は1970年から1978年までイルクーツクイルクーツク航空機工場で行われた。

中期型

前線戦闘機として開発された。

MiG-23MМиГ-23Мミーク23エーム
ソ連国内向け型。エンジンR-29B-300となり、主翼も張り出しのあるものに変更された。サプフィール23Dレーダーを搭載した。このレーダーでは、MiG-21クラスの目標であれば距離55kmで探知可能で、R-23Rミサイルの搭載により35kmの距離から攻撃することが可能となった。また、初めて本格的な採用となった赤外線探知装置としてTI-23を装備した。これは、のちにTI-23-1によって更新された。ミサイル誘導装置としては、デーリタNGとラズーリSMが搭載された。
MiG-23M(E)МиГ-23М(Э)ミーク23エメー
輸出型。ワルシャワ条約機構外への輸出用で、機体能力は大幅にダウングレードされていた。サプフィール21レーダーを装備し、赤外線探知装置は装備しなかった。赤外線誘導型のR-23Tは運用可能であったものの、レーダー誘導型のR-23Rは運用できなかった。主としてアラブ諸国で運用された。輸出は1973年より開始された。
MiG-23MSМиГ-23МСミーク23エメース
輸出型。サプフィール21を装備した。ワルシャワ条約機構外への輸出用で、エンジンがR-27、レーダーが「ジェイバード」になるなど、機体能力は大幅にダウングレードされていた。サプフィール21レーダーを装備した。赤外線誘導型のR-23Tは運用可能であったものの、レーダー誘導型のR-23Rは運用できなかった。主としてアラブ諸国やアフリカ諸国で運用された。輸出は1973年より開始された。
MiG-23MFМиГ-23МФミーク23エメーフ</small>)
ワルシャワ条約機構向け輸出型。MiG-23Mとほぼ同規格の機体で、MiG-23Mと同じサプフィール23Dレーダーを搭載した。輸出は1977年より開始され、のちにワルシャワ条約機構外へも輸出された。

戦闘爆撃機型

戦闘爆撃機として開発された。

MiG-23BМиГ-23Бミーク23ベー
MiG-23Sをもとに開発された初期型。ソーコル23S照準システムフォーン・レーザー測距儀などの対地攻撃用機器を装備した。エンジンは国内対抗機のSu-17Mと同じAL-21F-3が搭載された。1971年に初飛行し、1972年から1973年にかけて24機がモスクワのズナーミャ・トルダーで生産された。これらは実際に部隊配備され、習熟訓練に用いられた。
MiG-23BMМиГ-23БМミーク23ベエーム
ソ連国内向け型。MiG-23Mをもとに開発され、エンジンも同じR-29B-300に変更された。1972年に初飛行し、MiG-27として制式採用された。
MiG-23BNМиГ-23БНミーク23ベエーヌ
輸出型。
MiG-27МиГ-27ミーク27
ソ連国内向け型。
MiG-23RМиГ-23Рミーク23エール
前線偵察機型。Su-17シリーズが偵察機として十分な能力を発揮したため不要となり、計画のみに終わった。
MiG-23BKМиГ-23БКミーク23ベカー
ソ連国内向け型。1974年に初飛行し、1976年から1982年までの間に197機が製造された。1980年にMiG-27Kと改称された。
MiG-27KМиГ-27Кミーク27カー
ソ連国内向け型。
MiG-27RМиГ-23Рミーク23エール
前線偵察機型。Su-17シリーズが偵察機として十分な能力を発揮したため不要となり、計画のみに終わった。
MiG-27MМиГ-27Мミーク27エーム
ソ連国内向け型。MiG-27Kを補完する目的で開発されたややグレードの劣る派生型。1976年に初飛行し、1978年から1983年までの間にウラン・ウデウラン・ウデ航空機工場で162機が製造された。
MiG-27DМиГ-27Дミーク27デー
ソ連国内向け型。MiG-27をMiG-27M仕様に改修したもの。
MiG-27MLバハドゥールМиГ-27МЛ БАХАДУРミーク27エメール・バハドゥール
輸出型。1986年に初飛行した。生産・運用国のインドではMiG-27Mバハドゥールと呼ばれている。

後期型

ファイル:MIG-23-hatzerim-1.jpg
MiG-23MLD(輸出型)イスラエルの国籍マークをつけているのはイスラエルが捕獲したシリア空軍機であるため(垂直尾翼にシリアの国籍マークが残っている)

主として、迎撃任務もこなせる高規格の多目的戦闘機として開発された。

MiG-23AМиГ-23Аミーク23アー
前線戦闘機として開発された試作型。
MiG-23MLМиГ-23МЛミーク23エメール</small>)
後期型の初期型。サプフィール23MLレーダーを搭載した。これにより、85km先の目標を探知可能となり、また、新しいR-24Rミサイルの搭載により55kmの距離から攻撃が可能となった。赤外線探知装置も更新され、TI-23Mの装備により35km先の目標を探知可能となった。ミサイル誘導装置は、ラズーリSMLに更新された。また、敵味方識別装置SPO-2Mを装備し、戦闘能力が大幅に向上した。エンジンも高出力のR-35-300が搭載され、軽量化された機体構造と相俟って飛行性能は飛躍的に向上したとされる。1974年より生産された。
MiG-23UMМиГ-23УМミーク23ウエーム
複座の戦闘訓練戦闘機で、MiG-23ML仕様としたもの。
MiG-23PМиГ-23Пミーク23ペー
ソ連国内向け型。ソ連防空軍で低空目標の迎撃用に用いられた迎撃戦闘機。アメチースト・レーダーを搭載した。赤外線探知装置も更新され、MiG-25PDのものに準じたTI-26の装備により60km先の目標を探知可能となった。1977年より生産された。
MiG-23MLAМиГ-23МЛАミーク23エメラー</small>)
後期型の中期型。MiG-23Pの空軍型で、サプフィール23MLAレーダーを搭載した。赤外線探知装置は、TI-26が装備された。1978年から1983年まで生産された。
MiG-23KМиГ-23Кミーク23カー
艦上戦闘機型。MiG-29KおよびSu-27Kと競合したが、試作は中止された。
MiG-23MLDМиГ-23МЛДミーク23エメルデー</small>)
後期型の後期型。サプフィール23MLAレーダーを搭載した。赤外線探知装置は、TI-26が装備された。1984年から生産が開始された。
MiG-23MLGМиГ-23МЛГミーク23エメルゲー</small>)
MiG-23MLDの発展型。新型のアクティブ妨害装置や照射式警告観測装置を搭載する予定であった。MiG-29の実用化に伴い計画は中止された。
MiG-23MLSМиГ-23МЛСミーク23エメレース</small>)
MiG-23MLDの発展型。MiG-23MLGの輸出型として計画された。
MiG-23MLDGМиГ-23МЛДГミーク23エメルデゲー</small>)
MiG-23MLDの発展型。新型のアクティブ妨害装置や照射式警告観測装置を搭載する予定であった。

近代化改修型

MiG-23シリーズの近代改修案として提示された派生型。

MiG-23-98МиГ-23-98ミーク23-98
多用途戦闘機型の近代化改修型。R-27(AA-10 アラモ)R-77(AA-12 アッダー)などの各種新型ミサイルの運用が可能となっている。1998年に提示された。アンゴラのMiG-23がこの規格に改修されている。
MiG-23B-98МиГ-23Б-98ミーク23-98
MiG-23BNの近代化改修型。1998年に提示された。

スペック (MiG-23ML)

  • 初飛行:1976年
  • 全幅
    • 後退角72°:7.78m
    • 後退角16°:13.97m
  • 全長:16.70m
  • 全高:5.00m
  • 翼面積
    • 後退角72°:34.16m²
    • 後退角16°:37.27m²
  • 空虚重量:10,230kg
  • 離陸重量
    • 通常:14,770kg
    • 最大離陸重量:17,800kg
  • 燃料搭載量:3,700L
  • エンジン:ソユース・トゥマーンスキー設計局製 R-35-300ターボジェットエンジン×1
  • 推力
    • アフターバーナー使用:13,000kg
    • アフターバーナー未使用:8,550kg
  • 最高速度
    • 高高度:2,500km/h
    • 地表高度:1,400km/h
  • 巡航速度:976km
  • 実用航続距離:1,950km
  • 戦闘行動半径:700-1,450km
  • 最大上昇率:12,900m/min
  • 実用飛行上限高度:18,500m
  • 最大G:8.5
  • 乗員:1名
  • 武装

運用国

MiG-23およびMiG-27シリーズの運用国・地域。

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