メッサーシュミット Bf109
テンプレート:Infobox 航空機 メッサーシュミット Bf 109(Messerschmitt Bf 109)は、第二次世界大戦におけるナチスドイツ空軍の主力戦闘機。世界で初めて一撃離脱戦法を前提に開発されたとされ、機体重量に比し小さく薄い主翼を持ち、モーターカノンや主脚のエンジンマウントなど、特徴のある設計となっている。
1934年、バイエルン航空機製造(Die Bayerische Flugzeugwerke/BFW)で開発が開始され、翌1935年、生産開始。設計主任は、かつてBf 108を設計したロベルト・ルッサー技師。後にバイエルン航空機製造はメッサーシュミット社となった。
名称
Me 109とも呼ばれ、大戦中の公式文書でもMe 109となっているが、戦後、英国の航空機研究家から「バイエルン社時代の設計なのでBfにすべき」との意見が出され、Bfと表記されることが多くなったという[1]。また、当時のパイロットの一人への戦後のインタビューでは、戦時中はBf 109と呼んでいたと回答されている。実際はいずれの表記であれ、間違いではない。 テンプレート:Quotation
機体の特徴
エンジン
Bf 109が標準的に装備したDB 601・DB 605エンジンは、高圧縮低回転型で燃料事情の良くないドイツの国情に配慮する一方、燃料直接噴射ポンプ、つまり現在で言う燃料噴射装置の搭載、倒立V型気筒で発動機中央に機銃が通せる構造や、ローラーベアリングの多用、側面に装備されたフルカン式継手を用いた実際は2速式だが通常の過給機と異なり1速と2速の間が流体トルクコンバーターにより無段階に変速できる過給器、など、非常に高度で複雑な機構を多数採用している。これは製造の困難さや重量の増大も招いたが、高度な工作技術で克服し、大戦前半にはライバル機に対する優位を保った。特にバトル・オブ・ブリテンの空中戦において、気化器を装備してマイナスGがかかるとガソリン供給が一瞬途切れる英国戦闘機のエンジンに対して、そのような事がない燃料直接噴射ポンプは効果絶大だった。
しかしこうした点が、大戦後半の連合国機との出力増強競争に遅れをとる原因の一つとなっていた。
主脚
Bf 109の主脚は胴体(正確にはエンジンマウント)に付いていて、翼端に向かって引き込まれるようになっている。この方式は、一撃離脱戦法(ダイブ アンド ズーム)を採用するためダイブ性能とスピードを第一に要求されたため主翼を薄く設計する必要があったためである。 また、強度と重量を必要とする引き込み装置をエンジンマウントと一体に作れるため、主翼構造を簡素化、軽量化でき、本機の主翼は簡単な単桁構造で片翼ずつ取り外し交換ができた。
その反面、主脚の間隔が狭いので離着陸時の地上滑走中にグラウンドループを起こしやすい。さらに、少しでも接地間隔を広げるために主脚を斜めに設置したことによる強度不足、機首上がりのきつい地上姿勢による前方視界の不良、小型の機体に強力なエンジンを搭載したことによる強いジャイロモーメント、狭い翼面のため低く出来ない離着陸スピードなどにより本機の離着陸を難しくしている。特に主脚の弱さは本機が性能限界を来たす一要因ともなった。 戦時中、量産が行われている工場では並行して前線から送り返された脚破損機の修理も大量に行われていたといい、また、戦争中期以降パイロットに未熟練者が増えるにつれ、この問題は無視できないレベルになった。 しかし、K型になり主脚の取付金具の補強、尾脚を長くしたことで静止時の角度が14.5度から13度に減少、この2点の改修によってグラウンドループ、それによる主脚折れの事故が劇的に減少した。また、主脚に車輪カバーの追加、尾脚を引き込み式にしカバーを付ける事により空気抵抗が減少し最大速度向上にもなった。
航続力
同機の大きな欠点の一つと言われているのが航続距離の短さである。これは開発時期の1930年代に台頭していたドゥーエの空中艦隊論や当時流行した高速爆撃機の思想から、欧州の戦闘機全般が迎撃性能を重視した結果とされる。この点が問題になったのは、バトル・オブ・ブリテンと呼ばれたイギリス上空での戦いでである。爆撃機を護衛する侵攻戦闘機として開発された双発戦闘機[2]が単座戦闘機に対抗しえず、英国上空での滞空可能時間が15分程度しかなかったことは大きな戦術的制約に、そしてバトル・オブ・ブリテン敗北の一因になった。
本機の翼構造は翼内タンクなどを設置する余地がなかった。また、増槽を装備させるには機内の配管を改めなければならなかったため、にわかじこみで増槽を付けるわけにはいかなかった。その燃料配管を改めたBf 109E-7が1940年9月に部隊配備されたものの、パッキンの不整合による燃料漏れなどが祟り長距離型の運用は遅れた。加えて、同時期にイギリスでは、ハリケーンやスピットファイアなどがエンジンのバージョンアップを果たし、速度性能、上昇性能を大きく向上させたMk.II(マーク・ツー)が空軍に引き渡され始めていた。これらに対抗するBf 109Fの生産と機種転換に備えるためにもE-7が主力機になることはなかった。
戦局が守勢となり、迎撃が主流となったドイツ上空での防空戦闘では、航続距離・滞空時間の短さは致命的な欠陥とはならなかった。パイロットの声でもこの点を指摘するものは意外と少なく、ベテランにとってはむしろ、多量の積載燃料によりバランスを崩した米国製戦闘機に対してより優位を占めることができたと言われている。Bf 109を操縦するベテランパイロットは「全備重量ならどんな敵戦闘機にも負けない」と賞賛したとされるが、その理由はこの点にあった[3]。
武装
本機は当初から武装に悩んだ機体だった。理想的武装として搭載する予定だった機首のモーターカノンは振動などの問題点を克服できず、初期には機首上面の機関銃しか使えなかった。Bf 109はもともと主翼内への武装を設計時に想定しておらず、第二次世界大戦の勃発時には無理をして7.92mm機関銃を翼内に装備し、さらにそれを20mm機関砲に増強したが、初速、発射速度、装弾数の点からも満足のいくものではなかった。ちなみに、E型においてようやく20mm機関砲を搭載しているが、当初これはスイスのエリコンFFS機関砲をモーターカノンとして搭載するはずのものだった。しかし、エンジンとFFSの現物を突き合わせてみるとシリンダ間隔が小さすぎて銃が収まらず、国産化されたMGFF機関砲ではこの点を改善したものの、やはり振動からくるトラブルで実用化できず、想定外の翼内装備となった。
念願のモーターカノンはF型になってようやく実現したが、翼内機銃を廃止したため、アドルフ・ガーランドなどの武装重視派とギュンター・ラルなどの運動性重視派との間にいわゆるF型論争が起きている。弱武装を指摘されながら、F型以降では翼内武装は行われず、主翼へ武装を追加する手段は翼下面へ20mm機関砲や30mm機関砲のガンポッド、21cmロケットランチャーを懸架するタイプ(U仕様)などに限られた。これらの火力増強によっても次々に出現する連合軍の大型爆撃機に対抗するには威力不足で、また、翼下へ武装を懸架する方法では、重量と空気抵抗の増加で著しい性能低下を招いた。このことは、主翼への武装強化がすでに本機の性能限界を超えている事を証明していた。続くG型では、G-5以降では機首上面機銃を7.92mm機関銃から13mm機関銃に増強したが、既存の機首内に収まりきらず、ボイレ(こぶ)と呼ばれた突出部を生じ、性能低下を招いている。G-10型以降で過給機の大型化に従って機首全体が膨らんで改修。K型にいたって主翼を設計変更してようやく翼内武装が可能となり、最終型のK-14では機首上面に13mm機関銃、モーターカノンと両翼に30mm機関砲を備える重武装となった。
その他には、操縦席が狭いこと、初期の横開き式キャノピーが緊急脱出しにくかったことなどの欠点があげられている。
戦歴
単葉、全金属・応力外皮式、モノコック構造、密閉式の風防、引込脚などの第二次世界大戦で標準形態となったものを世界に先駆けて備えたドイツ空軍の単座戦闘機。He 112との激しい競争試作の末に採用された。スペイン内戦のコンドル部隊に3機が試験的に投入されてデビュー、以後、改良を重ねて第二次世界大戦終了まで実質的な主力戦闘機の座を保った。
スピードを第一にし、急横転(スナップ・ロール)、スピン性能、ダイブ性能に優れる。一撃離脱の戦法に特化して開発された。反面、開発時は陸戦の直援機としての性格が強かったため航続力は短い。バトル・オブ・ブリテンでは、スピード重視だった事もありスピットファイアに追い散らされ、爆撃機を狙うハリケーンにも機動力で劣っていたために護衛戦闘機の任務は果たせなかった[4]。総生産機数は工場での修理再生分を含めて約30,500機で、戦闘機史上最多である[5]。
回数は少なかったが、アメリカ海軍やイギリス海軍のグラマンF4F ワイルドキャットやF6F ヘルキャット、さらに地中海でP-39と戦った。
派生型
ドイツ軍の慣習に従って、AからKまでの各型には非公式の愛称として、該当するアルファベットのフォネティックコードに対応した人名が付けられている。
Bf 109V
前生産型。A-E各型のもととなった機体。一部はスペイン動乱で実戦試験に投入された。Vは、Versuch(フェアズーフ=試作)を示す。
Bf 109A
Bf 109A(アウグスト August)は、初期生産型。ユモ 210エンジンが入手できず、ロールス・ロイス ケストレル(570馬力)を搭載し、プロペラは木製固定ピッチ2翅であった。BF 109V-1と改称され、レヒリンの試験では、比較検討された競争試作機のHe 112V-1を支持するパイロットが多数であった。
Bf 109B
Bf 109B(ベルタ Berta)は、1936年11月に初飛行したBf 109V-4(4号機)がBf 109B-01と呼ばれるB型の原型機で、Jumo 210Aを搭載した。12月に初飛行した改良型のV5とV6はJumo 210Bエンジンを搭載した。
これら3機がスペイン動乱で1936年の12月の末頃に試験的に投入された。B型は正式採用されて量産型がレーゲンスブルクに新工場を設けて始まった。
Bf 109C
Bf 109C(ツェーザー Cäser、またはクラーラ Clara)は、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけて少数が使用された。なお、「ツェーザー」は人名のほか、ローマ帝国皇帝カエサルを特に指す固有名詞的な使い方もされる。
機首上面と翼内に各2門のMG 17 機関銃を装備した。20mm MGFF機関砲を搭載することが予定されたC-3は生産されなかった。
Bf 109D
Bf 109D(ドーラ Dora)は、Jumo 210を搭載した機体で、主にスペイン動乱からポーランド侵攻にかけてある程度の機数が使用されたが、すぐにBf 109Eが登場したため戦場に長くは留まらなかった。
Bf 109E
Bf 109E(エーミール Emil)は、ダイムラー・ベンツ製エンジンDB 601Aを搭載した機体で、第二次世界大戦初期の主力機となった。後期型では出力向上させたDB 601Nも使用された。
Bf 109F
Bf 109F(フリードリヒ Friedrich、またはフリッツ Fritz)は、DB 601N及び改良されたDB 601Eエンジンが搭載された機体。空気抵抗を減少させる設計に刷新された。大きな性能向上を果たし、中期の主力機となった。
Bf 109G
Bf 109G(グスタフ Gustav)は、DB 605エンジンを搭載した機体。多数の派生型が開発され、後期の主力機となった。
Bf 109H
Bf 109H(ハインリヒ Heinrich)は、Bf 109F-4から開発された高々度戦闘機型。形式名「H」はHochleistungsjäger(高性能戦闘機)またはHöhenjäger (高々度戦闘機)を意味する。
翼幅が拡張され高度10,100mにおいて750km/hでの飛行が可能とされた。少数のH-1が量産され高々度偵察任務に就いたが、主翼の強度不足とより高性能なTa152Hの出現により、それ以上の開発は中止された。
Bf 109K
Bf 109K(クーアフュルスト Kurfürst)は、量産された最後の機体で、後継機開発の失敗が決定的となったことから生まれた速度向上型。なお、「クーアフュルスト」とは「選帝侯」のこと。戦争末期に完成し2機のみ配備されたK-14型では2段2速過給器付きDB605Lを搭載し、高度14000mで740km/hとされている。
Bf 109T
Bf 109T(トレーガーフルークツォイク Trägerflugzeug)は、E-3型にカタパルトフックとアレスティング・フックを追加、主脚強化、主翼延長と翼端を折りたたみ式に改造した艦上戦闘機型。航空母艦「グラーフ・ツェッペリン」に搭載する予定だった。フィゼラー社担当でまず先行量産型T-0型を10機製作、E-4/N型ベースのT-1型60機の量産が進められた。しかし空母が未完成に終わったため、完成した機体から艦載用装備を撤去、航続距離が長いことからノルウェーや北西ドイツの陸上基地で部隊運用された。
Bf 109TL
Bf 109TLは、ジェットエンジン換装型。TLはTurbo-Lader(ターボチャージャー)の略。BMW 003もしくはJumo 004を搭載予定。計画のみ。
Bf 109W
Bf 109W(ヴァッサーフルークツオイク Wasserflugzeug)は、水上機型。
Bf 109X
Bf 109Xは、BMW 801空冷星型エンジン換装型。胴体はF型をベースに改造。試作機Bf 109V-21のみ。
Bf 109Z
Bf 109Z(ツヴィリンク Zwilling、双子の意味)は、2機のBf 109Fを合体させて双発機とした機体。実用化されなかった。
海外での運用
- ブルガリア
- Bf 109E-4/7とBf 109G-2/6/10などを戦前から戦後まで運用した。
- ハンガリー
- Bf 109F-4、Bf 109G-2/6/10/14などを戦後まで運用した。
- スペイン
- ドイツ・イタリアの支援を受けたフランシスコ・フランコ将軍のナショナリスト軍で初期型各型を運用した。フランコ軍の識別標識をつけながらドイツ空軍のコンドル軍団によって運用された機体もあった。スペイン動乱時にはBf 109V各型、Bf 109B-1/2、Bf 109D-1、Bf 109E-1/3を運用。しかし、その後の第二次大戦でフランコのスペインは枢軸国側に立って参戦することをしなかったため新型機の供給は基本的に拒絶されるようになった。そのため、以降のスペインでは若干数のBf 109Fが提供されたに留まり、スペインでは自力改修を行った。まずHA-1109-J1Lと呼ばれる機体が完成したが、これは失敗作に終わった。HA-1109-J1Lのエンジンをロールス・ロイス製のマーリンへ変更して完成したのがHA-1112-M1Lと複座のHA-1112-M4Lなどで、ブチョン(鳩)と呼ばれたこれらの機体はイスパノ・アビアシオン社で生産、1960年代まで第一線で使用された。その他、スペイン動乱では共和国・人民戦線政府側でも鹵獲した機体を使用した。
- なお、このブチョンはしばしば戦争映画でドイツ軍のBf 109役として登場していた。
- イタリア
- Bf 109F-4、Bf 109G-2/4/6/10/14などを運用した。
- ルーマニア
- ルーマニア王国航空隊でBf 109E-3/4/7、Bf 109F-2/4、Bf 109G-2/4/6を戦後まで運用した。一部は革命後のルーマニア人民共和国空軍にも引き継がれた。また、国内の航空機メーカーIAR社でライセンス生産された機体Bf 109Ga-4/6は、戦後配備・運用された。
- スロバキア
- Bf 109E-3/4/7、Bf 109G-6を運用した。
- フィンランド
- Bf 109G-2/6などを戦後まで運用した。「メルス(Mersu)」の愛称で呼ばれた。
- クロアチア
- Bf 109E-3/4、Bf 109G-2/5/6/10/14などを運用した。運用した機体は戦後ユーゴスラヴィアへ譲渡された。
- チェコスロバキア
- 戦前より航空産業が盛んで戦中にはドイツの航空機工場が置かれていたチェコスロバキアは、戦後ナチス・ドイツ製の各種の機体が新規に生産された珍しい国のひとつとなった。Bf 109シリーズとしては、アヴィア社がBf 109G-10をそのまま完成させたS-99、Bf 109G-14のエンジンをユンカース製のJumo 211Fに変更するなどしたS-199、その複座練習機型のCS-199などが生産された。しかし、エンジンを無理に変更したS-199では直線飛行すら困難なほどに性能が悪化した。これらは主にFw 190やLa-7などとともに空軍や国境警備隊で使用されたが、スピットファイアの増備により余剰化し、第一次中東戦争の際にイスラエルへ輸出、エジプト軍のスピットファイアなどと激しい戦闘を行った。チェコスロバキア国内に残った機体は、1950年代中盤頃まで使用されていたが、MiG-15の国産化・増備により退役した。
- スイス
- Bf 109D-1、Bf 109E-3、Bf 109G-6を運用した。Bf 109G-6は国産化されたが出来が悪く、Bf 109E-3よりも先に退役した。
- ユーゴスラビア
- 戦前ドイツから購入したBf 109E-3と国内でライセンス生産をしたBf 109E-3aを装備したが、ドイツ軍の侵攻により破壊を受けた。少数の機体はドイツ軍機を撃墜する戦果をあげ、エースを生んだ。その後はクロアチアから鹵獲した機体や賠償で得た機体などを運用し、Bf 109G-6/10/12、Bf 109G-6から改修された複座練習機型UBf 109を保有した。
- 大日本帝国
- 1941年1月から6月にかけ第二次世界大戦下のドイツ・イタリアに山下奉文航空総監を団長とする軍事視察団が派遣された。この際、レーゲンスブルクのメッサーシュミット工場でBf 109の展示飛行を見学し実験用に輸入する話が決まった。同年6月にはBf 109E-3 三機が神戸に到着、岐阜県の陸軍各務原飛行場に移し試験飛行が行われた。メッサーシュミット社のテストパイロットヴィリー・シュテァーが訪日、操縦法を伝えた。その際にキ-44(のちの二式単座戦闘機)と空戦比較が行われ、速度・加速力・上昇性能・格闘戦能力など、飛行能力で全面的にキ-44が上回っていた。結果、格闘戦至上主義の日本陸軍で採用が危ぶまれていたキ-44の正式採用が決まった。もっとも、この時期すでにドイツ軍ではより高性能のBf 109Fが実戦配備されていた。
その他
鹵獲(ろかく)された機体
その他、イギリス、アメリカ合衆国、スウェーデン、ソ連、フランスなどに鹵獲された機体があった。その他、上記運用国でも互いに鹵獲機を運用していた。
仕様
Bf 109G
- 全長:9.02m
- 全幅:9.92m
- 翼面積:14.5m²
- 全備重量:3,150kg
- エンジン:ダイムラー DB605 1,800hp×1
- 最大速度:621km/h
- 上限限度:11,800m
- 武装
- MG 151 20mm機関砲×3、MG 131 13mm機関銃×2
- 乗員:1名
- Bf 109 C-1:ユンカース ユモ 210G(680ps)エンジン、航続距離650km
- Bf 109 E-3:ダイムラー・ベンツ DB 601A(1,100ps)エンジン、航続距離660km
- Bf 109 F-1:ダイムラー・ベンツ DB 601N(1,270ps)エンジン、航続距離570km
- Bf 109E:7.92mm MG 17 機関銃2丁・20mmMGFF機関砲2門 555km/h 1,100馬力
- Bf 109F:7.92mm MG 17 機関銃2丁・15mm MG 151 機関砲または20mm MG 151/20 機関砲1門 606km/h 1,350馬力
- Bf 109G:13mm MG 131 機関銃2丁・20mm MG 151/20機関砲 1門 621km/h 1,500馬力
- Bf 109K:13mm MG 131 機関銃2丁・30mm MK 108またはMK 103機関砲1門 645km/h 2,000馬力
脚注
- ↑ 出典・モデルグラフィックス誌での市村弘の記事
- ↑ メッサーシュミットBf110など
- ↑ 世界軍用機解剖シリーズ 『丸メカニック』No.39「マニュアル特集 メッサーシュミットBf109」(潮書房、昭和58年3月10日刊)P.12
- ↑ 「イギリスの暗号解読」ディスカバリーチャンネル
- ↑ 出典・メッサーシュミットBf109の全貌 モデルアート社
関連項目
国内対抗機
メッサーシュミットBf109のライセンス生産機
- イスパノ HA 1112 (スペイン) ただし、エンジンにはDB系ではなくイスパノ・スイザ 12Z-17V、ロールス・ロイス マーリンを搭載。
- アヴィア S-99 (チェコスロヴァキア)
- アヴィア S-199 (チェコスロヴァキア) 上記S-99に使用していたDB系エンジンの在庫が枯渇したため、Jumo211に換装したモデル。
DBエンジン、あるいは同エンジンのライセンス生産品を採用した外国機
- マッキ MC.202 フォルゴーレ (イタリア)
- マッキ MC.205 ヴェルトロ (イタリア)
- フィアット G.55 チェンタウロ (イタリア)
- レッジアーネ Reggiane Re.2001 アリエテ (イタリア)
- レッジアーネ Reggiane Re.2005 サジタリオ (イタリア)
- 川崎 キ60 試作戦闘機 (日本)
- 川崎 三式戦闘機 飛燕 (日本)
- 川崎 キ64 試作戦闘機 (日本)
- 川崎 キ78 研三 (日本)
- 空技廠 D4Y 彗星 (日本)
外部リンク
- 画像解説日本語 [1]
- The Messerschmitt Bf-109