FANKS

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テンプレート:複数の問題 FANKS(ファンクス)とはもともとは、TM NETWORK(TMN)のファン及び、TM NETWORKの音楽ジャンルを指す名称であったが、現在は、TM NETWORK(TMN)のファンの名称として使われている。

概要

FUNKPUNKFANSを語源としている造語1986年4月21日発売のシングルCome on Let's Dance (This is the FANKS DYNA-MIX)」で初めて提唱された。そして、同曲をリードシングルとするアルバム「GORILLA」においては、FANKSの中に”Powerful and Tenderness”というキーワードを込めている。

その後、FANKSは『TM NETWORK TOUR '86 FANKS DYNA☆MIX』、『TM NETWORK TOUR '87 FANKS! BANG THE GONG』、『TM NETWORK FANKS CRY-MAX』とライブツアーのタイトルに使われ、彼らの初のベスト・アルバムは「ファンへのお中元」の意味を込めて『Gift for Fanks』と名づけられており、1987年末発売のアルバム「humansystem」まではFANKSという言葉を積極的に使用していた。

その後、1988年に入り、TM NETWORKはFANKSに代わり、T-MUE-NEEDSという言葉をコンセプトに掲げた。T-MUE-NEEDSは「TMを必要とする人々の総称」を意味し、TMTmutation(超出し続けることによって脱皮、変化する)のMUE、必要とするという意味のNEEDSを合わせた言葉である。FANKSと同様ツアータイトル『T-MUE-NEEDS STARCAMP TOKYO Produced by TM NETWORK』に使用されたが、定着しなかった。

1989年小室哲哉が「FANKS!!'89」というコンセプトを提示。リミックスアルバム(彼らはリプロダクション・アルバムと呼んでいる)『DRESS』を製作する。また、彼らが当時パーソナリティーとして出演したラジオ番組は『TM NETWORK Come on FANKS!』というタイトルであり、FANKSという言葉を再度使い始めた。

1990年のTMNへのリニューアルを前後として、このFANKSという言葉を彼らは提示することはなくなった。TMNの音楽性が急激に変化したためか、ジャンルの意味でのFANKSという言葉は死語となり、TM NETWORK/TMNのファンを意味する言葉として残った。TMN時代だけでなく、1999年のTM NETWORKの再始動の時もFANKSを提示せず、2000年発売のシングル『MESSAGE』、アルバム『Major Turn-Round』においてはTM-Internet-workをキーワードとした。

しかし、彼らのブレイクした時期に提示したキーワードであり、その後も彼らのアルバムや楽曲の歌詞、ツアータイトル、ライブビデオのタイトルに使われたため、このFANKSという言葉はT-MUE-NEEDSや TM-Internet-workといった他のキーワードと異なり、現在でもTM NETWORKのファンを指す言葉として使われている。 2004年の結成20周年においては、発売のファン投票のベスト・アルバムは『Welcome to the FANKS!』と名づけられた。

主な有名人FANKS

  • バナナマン 日村勇紀 - 度々バラエティ番組などでピアニカでGet Wildを演奏している。
  • SURFACE 椎名 慶治
  • 氣志團 綾小路翔
  • 深田恭子 - アルバムTMN BLACKを好きなアルバムにインタビューで挙げている。
  • 佐藤藍子
  • 小渕優子-父親で当時総理大臣だった小渕恵三が沖縄サミットで小室を起用したのは娘がTMのファンだったため。
  • 観月ありさ - 小室哲哉とのタッグのきっかけは、本人がTM NETWORKのファンだったため。
  • 坂本美雨 - 初めての出会いは高円寺新星堂で7歳の時にTM NETWORKのポスターを見て一目惚れしてからとの事。[1] その時に初めて買ったCDが「JUST ONE VICTORY (たったひとつの勝利)」だった。当時は父親である坂本龍一には内緒で隠れて聴いていた。
  • RAM RIDER - 小室哲哉が在学していたという理由だけで、早稲田大学に入学した。
  • shinnosuke(SOUL'd OUT) - 文化祭でTM NETWORKとaccessをコピーしていた。
  • 石坂翔太 - 宇都宮隆が所属するエム・トレスの取締役であり、元TM NETWORKのスタッフだった石坂健一郎氏の息子。その為、子供の頃からTM NETWORKのライブにも行った事がある。その縁もあって小室哲哉に見出されたという形でユニット・Purple Daysでデビューとなった。
  • nishi-ken - 宇都宮隆のソロプロジェクトでは、サウンドプロデュースやキーボーディストとしてアルバムやライブに参加している。
  • Janne Da Arc kiyo - ザ・ベストテンで「Self Control (方舟に曳かれて)」を聞いて衝撃を受け、楽器屋に毎日通ってシンセサイザーを触っていた。学生時代はYAMAHAのEOSでTM NETWORKのコピーを一人でやって楽しんでいた。
  • ダイノジ 大地 洋輔
  • 住吉美紀 - 2012年の日本武道館ライブにいったことやファンクラブにも入っていて大ファンであったことを本人のブログで明かしている。[2]
  • 田辺晋太郎 - 元 Changin' My Life メンバー。
  • 澤野弘之 - 高校時代にTM NETWORKや小室のプロデュースする楽曲を聞いており、自身の音楽のルーツだと度々インタビューで語っている。

脚注

テンプレート:Reflist

テンプレート:TM NETWORK
  1. TOKYO FMディア・フレンズ2012年3月12日放送より
  2. すみきちブログ。2012年4月24日分に記述がある