高円寺

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高円寺純情商店街

高円寺(こうえんじ)は、東京都杉並区にある地名・地区名。地内にある曹洞宗寺院宿鳳山高円寺」に由来する。公称町名としては高円寺北(こうえんじきた)一丁目から四丁目、高円寺南(こうえんじみなみ)一丁目から五丁目が存在する(いずれも住居表示実施済み区域)。高円寺駅東京都道318号環状七号線西側・桃園川北側に位置する。

地理

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高円寺パル商店街

当地は駅周辺以外は閑静な住宅街である。戸建住居と共に学生向けのアパートワンルームマンションなども多く、独り暮らしの若者に人気がある。

駅近辺は商店街が多く、若者向けの衣料品(古着屋)・雑貨店や安価な献立の飲食店・古書店・小さなライブハウスなどが目立ち、休日になると多くの若者でにぎわう。大規模小売店舗がなく多数の小規模店舗が林立して商店街が発展していることが特徴である。

新しい店の新陳代謝は激しいものの、戦前からの老舗や古くからの名店も多い。1923年大正12年)創業の天名家総本店の漉し餡入りの大きめのみたらし団子「お狩場もち」は三代将軍徳川家光鷹狩の途中に「宿鳳山高円寺」へ立ち寄ったという故事を由来にしている。1960年昭和35年)創業の喫茶店「トリアノン」や、東京の「沖縄料理の老舗」の一つ「抱瓶」、またエスニックブームが到来する以前から存在するインド東南アジア雑貨店「元祖仲屋むげん堂」、東京におけるカフェ文化の先駆けとも言える「Yonchome Cafe」など文化的特徴のある店が存在している。地下鉄丸ノ内線東高円寺駅近くには、光塩女子学院と高円寺カトリック教会がある。

杉並区の人口統計によると、人口に占める20代・30代の若者の比率が多いとされる杉並区内の中でも高円寺周辺が際立って高くなっており、杉並区内139街区中、高円寺南二丁目が1位、高円寺北三丁目が3位である。

ねじめ正一の「高円寺純情商店街」は当地の雰囲気を綴った小説で、実際に同名の商店街が高円寺駅北口に存在する。ただし商店街がこの名前になったのは同小説刊行後で、それ以前は「高円寺銀座」という名前だった。

地域内の町名

高円寺北

地域北部。一丁目から四丁目まである。当地域の人口は15,427人(2010年(平成22年)7月1日現在。住民基本台帳による。杉並区調べ)。北部は中野区大和町野方に接する。東部は中野区中野に、南部は中央線の線路を境に杉並区高円寺南・阿佐谷南にそれぞれ接し、西部は杉並区阿佐谷北に接する。地域内一丁目と二丁目を分ける形で環七通りが縦貫している。高円寺駅の北側にあたり、駅周辺に商店などが広がる他は住宅地になっている。

高円寺南

地域南部。一丁目から五丁目まである。当地域の人口は29,547人(2010年(平成22年)7月1日現在。住民基本台帳による。杉並区調べ)。北部はJR中央線の線路を境に杉並区高円寺北に接する。東部は中野区中央に接し、南部は青梅街道を杉並区境に杉並区和田梅里にそれぞれ接し、西部は杉並区阿佐谷南に接する。地域内一丁目・五丁目と二丁目・四丁目を分ける形で環七通りが縦貫している。高円寺駅の南側にあたり、駅周辺に商店などが広がる他は住宅地になっている。

歴史

かつては高円寺村と呼ばれていたが、それより以前の江戸時代初期まで当地は『小沢村』と呼ばれていた[1]。徳川三代将軍・徳川家光鷹狩りでしばしば村内を訪れ、村内にある宿鳳山高円寺を度々休憩に利用した。家光はこの寺院が気に入り、ついには境内に仮御殿が作られるようになった。そのような経緯からやがて寺の名前が有名になり、正保年間の頃には当地の地名が小沢村から寺の名前に因み高円寺村に変更され、これが現在の「高円寺」の地名のルーツになった。

高円寺

現在の高円寺は高円寺駅を中心に、住居表示上は高円寺北と高円寺南があるが、これは戦後の町名変更に基づくもので、それ以前の高円寺は、宿鳳山高円寺(曹洞宗)を中心に駅の南北共に「高円寺」(旧高円寺村)だった。高円寺と阿佐谷の間には馬橋(旧馬橋村)があり、馬橋が町域変更によって高円寺及び阿佐ヶ谷(阿佐谷)に併合された際、南北に町名が分かれた。馬橋三丁目には小林多喜二が1931年(昭和6年)に移り住み、母や弟と共に暮らした。馬橋は小学校名、神社及び、バス停留所(都バス・京王バスの西馬橋停留所)の名として残っている。

神社

高円寺駅南口にある氷川神社境内に日本で唯一の気象神社がある。1938年(昭和13年)に現高円寺北4丁目(旧馬橋4丁目)に設立された、旧陸軍気象部(陸軍気象第三連隊等在駐)の構内に1944年(昭和19年)4月10日に造営、奉祀された。翌1945年(昭和20年)4月13日に空襲で焼失そして終戦直後に再建されたが、終戦後「神道指令」により廃棄されるはずのものを、旧陸軍気象部だった人たちが中心となって、連合軍宗教調査局に申請し払い下げをうけて現在の場所に移設されたもの。戦時中は陸軍気象予報担当者が予報が当たるよう毎日お参りをした。旧陸軍気象部はその後気象庁気象研究所となり、現在は茨城県つくば市に移転し、跡地は馬橋公園となっている。また一丁目には高円寺天祖神社がある。

高円寺のイベント

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高円寺 阿波おどり

高円寺阿波おどり

8月下旬(最終の土曜日曜)に、高円寺駅前の通りを舞台に、「東京高円寺阿波おどり」が開催される。開催年を経るごとに知名度が上がり、現在では阿波踊りの本場である徳島県からも集団参加が見られるなど、遠方からの参加者も多い。見物客は本場徳島の阿波踊りを超える120万人以上とされる。約1万人が踊り、東京の晩夏の風物詩として定着している[2]

演芸祭

びっくり大道芸

高円寺フェス

主な商店街

概要

  • 高円寺純情商店街
  • 高円寺パル商店街
  • 高円寺ルック商店街
  • 高円寺あづま通り商店街
  • 高円寺庚申通り商店街振興組合
  • 高円寺中通り商店街
  • 高円寺北中通り商店街

地域振興券販売での一部商店街の失態

高円寺北仲通り商店街は、2010年平成22年)10月2日に発売された、プレミア付き杉並区内共通商品券地域振興券)である、なみすけ商品券を、早朝から行列を作っていた客のほぼ全員に、誤って多く販売して、自ら損害を蒙るという失態を演じた。

翌日の3日杉並区役所から、誤販売事件が公式に発表され、3日の夕刊各紙の地方版で報道された。

交通

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高円寺駅北口前(2009年(平成21年))
鉄道
道路

高円寺が舞台となっている作品

作中では高円寺と明言されていない(単なるロケ地である等)ものを含む。

脚注

  1. この「小沢」の名には、現在暗渠化されたが地形的に小さな沢となっていた桃園川流域を開墾して出来た村という説と、近隣の梅里にある真盛寺の弁天池から流れていた小川が小沢村の名の起源だという説がある。
  2. 産経新聞 「高円寺阿波踊り、地元連が一足早く」

関連項目

外部リンク

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