関川浩一

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テンプレート:Infobox baseball player 関川 浩一(せきかわ こういち、1969年4月1日 - )は、東京都調布市出身の元プロ野球選手外野手捕手)。2012年から阪神タイガースのコーチを務める。愛称は「関さん」。

経歴

プロ入り前

小学時代は調布リトル、中学時代は同シニアに所属し、中学3年の夏には全日本選手権にて優勝を果たす。その後桐蔭学園高校に進学し、入学早々の1年時の夏、後に慶應義塾大学のエースとして活躍した志村亮投手らと共に第66回全国高等学校野球選手権大会に出場。6番ライトとしてスタメン出場で活躍。その後は、強肩強打の捕手として活躍した。卒業後は駒澤大学に進学し東都大学リーグ通算50試合出場、161打数42安打、打率.261、3本塁打、13打点。捕手として大学リーグベストナインに2回輝く。また日米大学野球選手権大会にも出場した。

1990年のドラフト会議阪神タイガースより2位指名を受け入団。

阪神時代

俊足巧打の捕手として早い時期から注目を浴び、日本プロ野球では珍しい「一番・捕手」として出場することもあった。しかし1994年にはセ・リーグワースト記録となる盗塁阻止率0.125を記録するなど盗塁阻止に難があり、俊足であることから阪神時代は外野手を兼任した。バッティングは毎年安定しており、3割前後の高い打率を残していた。

テンプレート:Byオフに久慈照嘉と共に大豊泰昭矢野輝弘との2対2の交換トレード中日ドラゴンズに移籍。

中日時代

広いナゴヤドームに適応できる野手として外野手専任となり、前年内野手として不本意なシーズンを送った立浪和義、投手として伸び悩んでいた井上一樹と共に外野守備コーチの二宮至の特訓を受けた。当時監督の星野仙一から重用され、移籍1年目からレギュラーとして活躍する。

移籍2年目のテンプレート:Byは自身最高の成績となる打率.330・4本塁打・60打点・20盗塁を記録し、リーグ優勝の牽引役を果たした。主に1番打者として出場した他、勝負強さを買われて3番で起用されることも多かった。しかし日本シリーズ第1戦、ダイエーの先発工藤公康に狙い球を待つ時の癖を見破られ、そこを徹底的に突かれたことにより、パニックに陥り思い切りバットを振れなくなってしまう[1]。結果、日本シリーズ第5戦まで19打席0安打、翌テンプレート:Byは大幅に成績を落とした。特に巨人に移籍した工藤との対戦では、前年の日本シリーズがトラウマになったかのように全くと言っていいほど歯が立たなかった。

その後、監督が山田久志に代わり、福留孝介の外野手転向や英智の台頭も有り出番が激減。テンプレート:Byテンプレート:Byと2年連続で出場試合数が100試合を大きく下回るなど、低迷が続いた。しかし、テンプレート:Byは打棒が復活し、規定打席には届かなかったものの、3割を大きく超える好成績を残した。

テンプレート:By、新監督に落合博満が就任しリーグ優勝を果たすが、自身は移籍後最少の12試合出場に留まり、プロ入り後初のノーヒットに終わった。外野陣は福留・アレックス・英智の3人で埋められており、関川に出番が回ってくることはほとんど無かった。同年オフ、無償トレード小山伸一郎と共に新規参入球団の東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍した。

楽天時代

テンプレート:By3月26日、ロッテとの開幕戦千葉)に1番左翼手で先発出場。新球団1人目の打者となった(初回表先頭打者として相手先発清水直行の初球を叩き左飛)。4月6日の日本ハム戦で通算1000本安打を達成。同時にこの1000本目の安打は球団史上初の猛打賞、及び球団史上初の三塁打となった。

テンプレート:By9月5日、オリックス戦(仙台)に2番で先発出場し、1試合犠牲バント4個の日本プロ野球タイ記録(過去6人)を達成した。またこの年の後半戦から、監督の野村克也が「藤井彰人カツノリが負傷した際に捕手を守らせる」という意向で、捕手守備の練習にも取り組んだが、実際に守備に就くことはなかった。

テンプレート:By9月24日、同年限りで現役引退を表明。引退試合の10月4日の対ロッテ23回戦で、1番中堅手としてフル出場し4打数1安打。現役最後の打席は代名詞となったヘッドスライディングを見せるも一塁ゴロ。相手投手は清水直行で、奇しくも楽天初の公式戦で先頭打者として対戦したのと同じ相手だった。試合後の引退セレモニーでは、監督に試合に出してもらえるよう頼んだところ、上記のように1番中堅手で起用されたことに感謝の意を述べ涙した。プロ17年間の思い出について、「(1999年に)星野監督を胴上げすることができたこと。あの年は星野監督の笑顔を見たくて一生懸命やっていた」と話している。11月30日に自由契約公示された。

引退後

ファイル:Sekikawa koichi.jpg
楽天コーチ時代(2011年8月30日、こまちスタジアム

2007年秋季キャンプから楽天一軍打撃コーチ補佐に就任し、テンプレート:Byまで務める。

テンプレート:By韓国プロ野球SKワイバーンズの一軍打撃コーチを務め同年の公式戦優勝、韓国シリーズ優勝に貢献した。

テンプレート:Byからは星野が監督に就任するにあたり楽天に復帰し、二軍外野守備走塁コーチに就任。同年5月15日、一軍外野守備走塁コーチに配置転換。2011年10月30日、退団が発表された[2]

テンプレート:Byからは、和田豊が監督に就任する阪神に復帰し、一軍外野守備走塁コーチに就任[3]テンプレート:Byからは、片岡篤史打撃コーチの退団で配置転換をし、打撃コーチとなった。 但し試合中ベンチには人数の関係でスコアラーとしてユニフォームではなくポロシャツ姿で入っている。

人物

2002年に当時テレビ東京アナウンサーの家森幸子と結婚。人気・評判の絶頂にあった家森と、(離婚を一回経験し)再婚となる関川の結婚は同年年末家森のテレ東退社も含め多方面で話題をよんだ。

関川・家森の間には2003年8月に生まれた長男と2009年2月に生まれた次男がいる。

詳細情報

年度別打撃成績

テンプレート:By2 阪神 10 30 28 3 8 2 0 0 10 0 0 0 0 0 2 0 0 11 0 .286 .333 .357 .690
テンプレート:By2 31 46 43 1 5 1 0 0 6 2 0 0 0 0 3 0 0 13 1 .116 .174 .140 .313
テンプレート:By2 89 262 233 22 65 4 1 1 74 19 2 5 2 0 26 1 1 61 3 .279 .354 .318 .671
テンプレート:By2 103 320 283 27 76 8 1 2 92 27 2 4 9 2 26 2 0 37 5 .269 .328 .325 .653
テンプレート:By2 124 471 417 62 123 17 5 2 156 30 12 8 7 2 44 1 1 74 2 .295 .362 .374 .736
テンプレート:By2 113 382 344 32 108 21 2 2 139 28 5 6 2 4 32 7 0 60 2 .314 .368 .404 .772
テンプレート:By2 95 285 245 28 75 12 2 5 106 26 3 4 2 2 34 8 2 39 4 .306 .392 .433 .825
テンプレート:By2 中日 125 449 382 62 109 13 2 1 129 36 15 3 13 3 47 2 4 57 5 .285 .367 .338 .705
テンプレート:By2 135 591 522 74 172 28 6 4 224 60 20 11 11 8 48 2 2 73 6 .330 .383 .429 .812
テンプレート:By2 127 485 419 50 109 19 2 3 141 29 8 6 13 4 46 2 3 72 3 .260 .335 .337 .671
テンプレート:By2 65 212 180 20 40 4 0 1 47 8 3 3 7 0 24 2 1 34 0 .222 .317 .261 .578
テンプレート:By2 73 137 118 13 25 7 1 0 34 13 4 2 9 2 8 1 0 24 1 .212 .258 .288 .546
テンプレート:By2 107 282 247 35 78 11 1 2 97 23 3 4 4 2 28 1 1 39 2 .316 .385 .393 .778
テンプレート:By2 12 11 11 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 5 0 .000 .000 .000 .000
テンプレート:By2 楽天 101 294 258 30 74 16 2 0 94 12 7 6 6 2 26 0 2 53 1 .287 .354 .364 .719
テンプレート:By2 81 233 199 26 57 8 0 1 68 9 7 3 16 0 16 0 2 45 5 .286 .346 .342 .687
テンプレート:By2 17 25 24 4 5 2 0 0 7 2 0 0 0 0 0 0 1 5 0 .208 .240 .292 .532
通算:17年 1408 4515 3953 490 1129 173 25 24 1424 324 91 65 101 31 410 29 20 702 36 .286 .353 .360 .713
  • 各年度の太字はリーグ最高

年度別守備成績

テンプレート:節stub


捕手 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合数 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1991 10 7 7 0 .000
1992 20 4 3 1 .250
1993 86 43 30 13 .302
1994 99 48 42 6 .125
1995 94 82 57 25 .305
1996 33 21 16 5 .238
1997 60 53 36 17 .321
1998 - 120 237 6 2 1 .992
1999 - 135 252 5 3 1 .988
2000 - 123 209 9 2 0 .991
2001 -
2002 -
2003 -
2004 -
2005 - 95 162 3 3 1 .982
2006 - 68 98 3 2 1 .981
2007 - 5 7 0 0 0 1.000
通算 402 258 191 67 .260

表彰

記録

初記録
節目の記録
その他の記録

背番号

  • 21 (1991年 - 1996年)
  • 22 (1997年)
  • 23 (1998年 - 2007年)
  • 81 (2008年 - 2009年)
  • 88 (2010年)
  • 75 (2011年)
  • 78 (2012年 - )

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク


テンプレート:阪神タイガース テンプレート:セントラル・リーグ ベストナイン (外野手)

テンプレート:阪神タイガース1990年ドラフト指名選手
  1. 報道ステーション 2012年10月26日放送「日本シリーズ必勝の鉄則”キーマンをつぶせ!”」より
  2. テンプレート:Cite web
  3. テンプレート:Cite web