近鉄12400系電車

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テンプレート:鉄道車両 近鉄12400系電車(きんてつ12400けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道特急形車両

本項では、この系列の派生系列である12410系電車(12410けいでんしゃ)および12600系電車(12600けいでんしゃ)についても記す。

3系列とも電算記号NNである。12400系はNN01 - NN03、12410系はNN11 - NN15、12600系はNN51 - NN52となる[1]

解説の便宜上、本項では大阪上本町駅大阪難波駅側の先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ12401以下4両編成=12401F)。 テンプレート:Main2

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12400系

テンプレート:鉄道車両

概要

10100系「新ビスタカー」(全18編成)が老朽化のために順次廃車されることが決定し、3両編成×4編成が1977年に廃車されたが、同年に廃車分の代替を目的として登場した4両編成の汎用特急車が12400系である[2]。当初は12200系12257F - 12259Fとして製作される予定だったが、途中から次期新型特急車両(30000系)の構想が割り込んだため、正面塗り分けや、屋上、インテリアなど随所で設計変更を実施した。このため、監督官庁より変更点が多過ぎるので形式称号の変更を行うように指導があり別形式となった経緯がある[3]

竣功日は1977年12月21日で、12200系として届出されたが、翌22日付で形式称号変更届が提出されて12400系となった。このため、書類上12200系と名乗っていたのは1日だけであった[4]。 

一般的には12400系で確立されたデザインが30000系に受け継がれた、という解釈が流布されているが、厳密には30000系の構想が先にあって12200系の増備車に構想内容が反映された、という解釈が正しい[注釈 1]。このため30000系においては、両先頭車は12400系で先行して開発されたデザインをほぼ踏襲し、設計の重点はもっぱら中間2階建車両に置かれることになった[5]。 

増備は後述の12410系に移行され、3編成12両の小世帯にとどまった[4][6]

1978年鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞した[7][6]

車体構造

12200系を基本としながらも細部で形状変更された[2]。前頭部は種別標識灯と一体になった行先表示器を分離、貫通扉中央に移設し、自動幕式としたうえで特急マークも行先表示器と一体のデザインとなった。種別標識灯は横長の角型となったが[4]、灯数は12200系と同一で、尾灯1灯、標識灯2灯の合わせて3灯式である。この形状の灯具は、その後の通勤車や12200系更新車にも採用された。窓上の形状はやや平坦化し、それに合わせて前照灯形状も変更された。貫通扉上には、扉と同一面の張り出しが設けられた。貫通扉は12200系と同様で、隠しカバーを装備した観音開き式である。塗り分けは12200系と大きく異なり、紺塗装の割合が減少し、行先表示器の上下に収まる横長の帯が入る見付となった[2]

側面では、乗務員室扉の窓サイズが紺塗装に合わせて上下に短くなったほか、モ12550形の男性用トイレのすりガラス窓は小型サイズとなった[4]

当系列は当初から4両編成として計画されたため[6]、12200系と異なって乗降扉の適正な配置を行なった。具体的にはサ12120形では伊勢寄りに設置されていた扉がサ12550形では省略されて定員が4名増加している[2]

主要機器

12400系はあくまでも12200系の増備車であるため、信頼性のある床下機器関係では小修正にとどめられた[2]。性能面では12200系に引き続き、三菱電機製の出力180kWの|主電動機が採用され、33上り勾配においても均衡速度100km/hを確保している。

台車はMc車、M車(電動車)は近畿車輛製KD-71Fを、Tc車、T車(付随車)は近畿車輛製KD-71Gを採用した。改良内容は空気ばねのパンク時の警報装置が新開発の検知装置になったことである[8]

電動発電機空気圧縮機は12200系と同様の機種が2両に1台ずつ(付随車)に搭載される。C-1000形電動空気圧縮機の採用は特急車としては当該系列をもって最後となり、30000系以後はC-2000形に変更された[9]

両先頭車の正面床下には当初、ジャンパ線受が装備されていたが、用途がなかったためにのちに撤去されている[10]

屋上機器関係では、東芝製の4,500kcal/hの冷房装置を1両につき6台取り付け、その他にロスナイ(換気装置[注釈 2]を各車2台ずつ設置して、これを連続した一体のクーラーキセに収めた(従来は分散型のクーラーキセ)[4]

集電装置は、12200系と同一の東洋電機製造PT-4203F[4]菱形パンタグラフをMc、M車に各車2台ずつ搭載するが、近鉄特急の新製車として菱形パンタグラフを採用するのは当該系列が最後となった[11]

接客設備

客室は全体を太陽のように明るいイメージとなるように、白とオレンジ系の色調として、これをサニートーン(sunny:日当たり良好/陽気の意味)と称した。そのため、「サニーカー」の愛称がついたという[12]

本系列では、近鉄特急車として初めてトイレ・洗面室を併設しない出入台にもデッキを設けた[6]。このため客室と出入台はすべて仕切り扉で分離され居住性が向上した[13]

座席は12200系と同様の偏心回転式簡易リクライニングシートを採用し、モケットはマロンレッド(オレンジ系の色調)のリーズド・ストライプとした。ほか、灰皿の大型化も図られた[14]シートピッチは12200系と同一の980mmである[15]

化粧板は12000系以降の木目調から、明るいパールカラーのあじろ模様(網目模様)となり、カーテンはオレンジ系のロイヤルライン[注釈 3][14]、床材はそれまでのタイル張りの市松模様を改め、ディープブラウンをベースとして摩耗の多い通路中央部にはベージュのストライプを3本入れて、通路部分のみの張り替えを容易にした(のちに内装の色は在来車にも波及)[14]荷棚は、12200系までの網式からアルミ押出し材式に変更となり、表面に化粧板と同じ色のプラスチックシートを貼って客室全体の色調を統一した[2]

冷房装置の吹き出し口の形状は連続スリット式に変更され、それに伴って照明カバーの形状はそれまでの逆三角形式を改め、吹き出し口パネルの断面に沿うフラットな形状に変わった。車内放送スピーカーはスリット内にビルトインされている。また、このパネル表面には冷暖房の運転モードを切り替える押しボタンが内蔵されている。

デッキと客室の仕切りには「奈良大和路」(長谷寺ぼたん奈良興福寺の五重塔奈良鹿吉野)・「伊勢志摩」(伊勢神宮内宮正殿大王埼灯台はまゆう)のイラストがプリントされている[2]。デッキとの仕切りドアは、ブロンズカラーの全面強化ガラスとなり、こげ茶色の横縞模様を入れた[2][注釈 4]

トイレは12200系では和式洋式の組み合わせであったが、当時は利用の少なかった洋式をやめて、和式と男性用小便器の組み合わせに変更した[14]。洗面所はデッキに設けられ、そのデザインは12200系と同一とされた。また、デッキには引き出し式のビニールクロス張りの補助座席(2人掛)を設置した[2]。車内販売準備室はモ12450形に設けられ、当系列より給湯装置が設けられた[2]。また、デッキ乗降扉付近の床は、折戸可動範囲の床色を変えて注意を促している[16]

編成

MT比2M2Tの4両編成で[6]、大阪側からモ12400形 (Mc) - サ12550形 (T) - モ12450形 (M) - ク12500形 (Tc) で組成される。

12400系営業開始当初の編成表
大阪・京都発着編成
名古屋発着編成
テンプレート:TrainDirection
テンプレート:TrainDirection
形式 モ12400形 (Mc) サ12550形 (T) モ12450形 (M) ク12500形 (Tc)
車両写真 140px 140px 140px 140px
搭載機器 ◇,CON,◇ MG, CP ◇,CON,◇ MG,CP
自重 41.0t 35.0t 41.0t 36.5t
定員 68 68 68 60
車内設備   洗面室トイレ 車内販売準備室 洗面室・トイレ

改造・車体更新

ファイル:KINTETSU12400 (R) PASSENGER COMPARTMENTS.JPG
更新後の内装(写真は喫煙車仕様で空気清浄機を荷棚上に設置)

1988年から120km/h運転対応工事が施工された[17][6]

1997年から1998年にかけて車体更新工事が施工された[18][6]。内容は室内化粧板をグレートーンに変更、座席モケットを1991年以降の12200系車体更新車と同様の色の模様が入ったピンク系に変更、客室照明グローブの取り替え、客室仕切部にLED式号車番号・禁煙表示器の設置、車外・客室扉付近の号車番号表示のLED化、和式トイレの洋式化(処理方式を真空式に変更)、トイレ・車販準備室のすりガラス窓を埋める等の内容である。1999年には12401Fのパンタグラフを下枠交差形に交換している。しかし、12200系の更新で採用された間接照明は設けられなかった。

その後、正面・側面行先表示器は全編成がLED式とされた。その際12403Fは新型ATS設置、デッドマン装置更新工事も施工されている。

2009年7月には12401FのB更新工事が施工され、行先表示器のLED化、転落防止幌の設置、新型ATS設置、デッドマン装置更新工事が施工された[6]。これにより本系列の行先表示器のLED化が完了した[6]。同年12月には12403FのB更新工事が施工された。既にLED式行先表示器に交換され、同時に新型ATSも設置されているため、転落防止幌・雨樋の設置に留まっている。2010年5月には12402FのB更新工事が施工された。行先表示器のLED化は2008年に完了しているため、B更新では転落防止幌の設置と新型ATS設置、デッドマン装置更新工事が実施されている。

座席は更新後も12200系のB更新(2006年以降のB更新)で採用されたバケットシートには交換されず、従来の偏心回転式簡易型リクライニングシートのままである。ただし、座席モケットはこれに準じた赤紫色のものに張り替えられた。

お召し列車

1979年から4度、昭和天皇が利用された際には本系列が選定され、サ12551形の車内を改装して御座所を設置、お召し列車に仕立てた[19]。当系列の最初のお召し列車は1979年12月3日と5日の京都駅 - 近鉄奈良駅間の往復運転であった。この時は、近鉄としては4年ぶりの運行[注釈 5]であったため、御座所のソファが新調された[注釈 6]。先頭車の行先表示は、従来は「臨時」を表示したが、当系列より白幕となった。平成以降のお召し列車には特別車両が連結されている21000系23000系21020系などが使用されている。

お召し列車編成表(1979年12月・1980年5月・1981年5月)
  テンプレート:TrainDirection
号車 6 5 4 3 2 1
形式 モ12402
モ12401
サ12552
サ12552
- モ12451
モ12452
サ12551 - モ12452
モ12451
ク12502
ク12501
  • 編成表上段が1979年12月、1981年5月、下段が1980年5月の充当形式
  • 12401Fからモ12451とサ12551を抜き、抜いた2両の前後を入れ替えてから12402Fのモ12452とサ12552の間に組込む方法がとられた(1979年12月と1981年5月の場合)[注釈 7]
  • 主に6両編成で使用されるが、第31回全国植樹祭開催時(1980年5月)に湯の山線に入線した際はホーム有効長の関係で12401F4両編成が使用された。4両編成での運転区間は榊原温泉口駅 - 湯の山温泉駅間と、湯の山温泉駅 - 近鉄名古屋駅間であった。
  • 1981年5月の運転時は、橿原神宮前駅1番のりばに到着し、同一ホーム[注釈 8]にて吉野特急16010系+16000系(16008F)4連のお召し列車に乗り換えとされた。
お召し列車編成表(1984年10月)[19]
  テンプレート:TrainDirection
号車 6 5 4 3 2 1
形式 モ12402 ク12502 - モ12401 サ12551 モ12451 ク12501
  • 号車番号は通常の付番方法とは異なり、近鉄奈良駅・橿原神宮前駅方面が1号車とされた。名古屋方面は通常営業通り近鉄名古屋駅側を1号車とした。

運用

ファイル:KINTETSU12400 20131028B.jpg
12400系同士の運用も存在する

登場時から12200系や18400系、30000系ビスタカーと併結した6・8両編成で運用されているが、1994年以降は22000系との併結も多く運転されている。2009年4月以降は新車投入された22600系とも編成を組むようになった。また、阪伊乙特急を中心にサニーカー同士の8両編成や、さらに2両連結した10両編成の運用も存在する。この点については後述の12410系・12600系も同様である。

当初は高安検車区に配置されたが、2013年4月現在は明星検車区に配置され[20]、阪伊乙特急や阪奈京奈特急を中心に運用されている[6]。特に限定した運用は組まれておらず、同区配置の12200系4両編成と共通に運用される[6]。また、1988年に21000系が営業運転を開始する前は、後述する12410系同様に当時利用客が増加していた名阪甲特急(ノンストップ)にも運用されていた。 テンプレート:-

12410系

テンプレート:鉄道車両

概要

1980年に登場。前述の12400系を3両編成仕様に変更し、名阪甲特急(ノンストップ)用として製作された[6]東海道新幹線に利用客が流出し、12200系2両編成での運行が恒常化していた名阪ノンストップ系統も、日本国有鉄道(国鉄)の運賃・料金値上げの影響などでこの時期には利用者が増え、3両編成への増結が求められるようになったからである[21]。また、将来の4両編成化も考慮して設計された[21]

車体

前面は特急表示兼行き先表示器の形状、標識灯・尾灯を30000系と同一品に変更した[6]

機器

主電動機は三菱電機製MB-3127-A、出力180kW×4個を採用。台車はMc車、M車は近畿車輛製KD-83を、Tc車は近畿車輛製KD-83Bを採用。電動発電機と空気圧縮機は12400系の仕様を踏襲せず、30000系と同一品(日立製作所 HG-634-Erbと三菱電機 C-2000形)を採用した。12400系は12200系のシステムを踏襲したため、1基につき2両分を賄うが、当該系列は 30000系と同じく1基で4両分を賄う。両機ともク12510形に一括搭載した[22]

なお、1981年に増備された第5編成 (12415F) は4両編成で落成し、Mc、M車にはパンタグラフがそれぞれ2基搭載された[6]。補機類の搭載がないサ12560形は重心の上昇が懸念されたため、本来、屋根上に6基のユニットクーラーを取り付けるところを、当該車両は2基のみ(ロスナイも搭載)とし、他は30000系中間車と同一品のユニットクーラーを床下に取り付けた[22]。このため、床下全体をダクトが覆い、特異な外観となった[21]。また、台車をKD-83Bに変更した[21]

集電装置はPT-4811-A-M下枠交差型パンタグラフに変更されている[21][6]。パンタグラフは電動車同士で隣り合うため、Mc、M車の伊勢寄り(大阪発着基準)に各1基搭載とした[22]。なお、将来T車を加えた4両編成にする計画があったため、それぞれもう1基増設できるようにしていた。

接客設備

ファイル:KINTETSU12410(R) INTERIOR 2.JPG
サ12560形特有の風道部分

客室は、大筋では12400系のデザインを踏襲しているが、妻部壁面の「伊勢志摩」「奈良大和路」のイラストを省略した代わりに車内広告枠が設けられた。また、妻壁は艶のないレザー調の化粧板となった[23][注釈 9]

サ12560形はユニットクーラーを床下に搭載した関係上、冷風をダクトを介して天井に送る必要から、窓柱に風道を通した。このため全ての窓柱が他車と比べて厚くなっている。また、この付近の側壁にリターン風道整風板が設けられた[23]

トイレ・洗面室はMc、M車に、車販基地はM車に設置された。トイレは和式のみとして男子小用は省略された[23]。洗面台はトイレの向かいに設けられ、この点、12400系と異なり独立性の強い空間となった[23]

編成

現行の編成は12400系と同様にMT比2M2Tの4両編成で、大阪側からモ12410形 (Mc) - サ12560形 (T) - モ12460形 (M) - ク12510形 (Tc) で組成される。

12410系編成表
大阪・京都発着編成
名古屋発着編成
テンプレート:TrainDirection
テンプレート:TrainDirection
形式 モ12410形 (Mc) サ12560形 (T) モ12460形 (M) ク12510形 (Tc)
車両写真 140px 140px 140px 140px
搭載機器 CON,◇ ◇,CON MG,CP
自重 41.0t 35.0t 41.0t 36.5t
定員 64 72 64 64
車内設備 洗面室・トイレ   洗面室・トイレ
車内販売準備室
 
  • 12411F - 12414Fは当初はサ12560形を連結していなっかたため、3両編成であった。
  • 編成定員は264名(12400系と同一)。

改造・車体更新

ファイル:KINTETSU12410(R) INTERIOR 1.JPG
更新後の車内は12400系に準ずる

第5編成にあわせて、1983年7月にはT車サ12560形が4両製造され、第1 - 第4編成に組み込まれ、全編成が4両化された[24][6]

4両化時、12411F - 12414Fはパンタグラフを増設する予定であったが、M - T - M間に母線を引き通した。そのため、パンタグラフ増設は行わず、1編成2基のままとした[24]。また12415Fも製造時より母線は設置されていたが使用されていなかった。12411F - 12414Fの4両化と同時に母線を有効とし、Mc、M車のパンタグラフを1基ずつ取り外し、12411F - 12414Fと外見上の差をなくしている[24]。なお、12411F - 12414FではT車挿入の翌年(1984年1月)、集電装置間隔の問題からモ12460形の伊勢寄りのパンタグラフを大阪寄りに移設して、モ12410形のパンタグラフとの間隔を縮小した[24]

12400系と同様に1988年から120km/h運転対応工事が施工された[24][6]。2000年から12400系と同内容の車体更新工事が始まり、2002年に完了している[25]。2002年に更新された12415Fの行先表示器は白地幕から赤地幕に変更された[22]。ただし、12400系と同様に間接照明は設置されていない。その後、12415F以外の編成は行き先表示器をLED式とした[6]

そのほか、2008年からは転落防止幌の設置を開始し[6]テンプレート:要出典

運用

1980年7月9日に竣功し[24]、同月より名阪特急にて運用開始された[21]

かつては高安検車区に配置されていたが、2013年4月現在は東花園検車区に配置されている[20]。登場時より名阪ノンストップ特急に使用されていたが、21000系導入後は主に阪伊特急・京都線系統のほか、阪奈・名阪乙特急に使用されている[6]。12400系と同様に特に限定運用は組まれていないため、明星検車区配置の12200系4両編成と共通に運用される[6]

12600系

テンプレート:鉄道車両

概要

1982年に登場した12410系の改良型である[6]京都橿原線吊り掛け駆動式特急車18000系の廃車代替として登場[26][6]した。

12410系と異なり、最初から4両編成として製作されたため新形式となった。製造は2編成8両にとどまり[6]、以後の車両デザインは21000系「アーバンライナー」をベースとしたため、12600系は車両デザインにおいて、10100系や12000系を基本とする最後の特急車となった[27]。また、その後の汎用特急車は22000系にモデルチェンジされた[6][注釈 10]

主要機器

主電動機は12400系・12410系と共通の三菱電機MB-3127-Aを採用、台車は12410系に引き続き、Mc車、M車は近畿車輛製KD-83を、Tc車、T車は近畿車輛製KD-83Bを採用している。補機類は、電動発電機がク12700形、空気圧縮機がサ12750形にそれぞれ4両分がまかなえる容量のものが1台ずつ搭載されている[28]

12410系からの変更箇所

ファイル:KINTETSU15200 洗面台.JPG
新製直後のデザインと概ね同じスタイル

12410系からの変更点は、トイレがMc車からT車(サ12750形)の大阪側設置に変更されたことで[6]、これに伴って、和式1室から和式1室、洋式1室ずつの12200系と同じ部屋数に戻された[29]。また、M車(モ12650形)トイレは変わりなく和式のみである[30]。洗面台はサ12750形は半個室タイプから12400系と同じく乗降扉付近に戻され、併せて洗面所のデザインを一新し、ベージュ地に斜めストライプの入った化粧板を曲げ加工のうえ採用し、柔らかな造形となった[31]

トイレ配置変更に伴い定員も変更された[6]。Mc車はトイレが無くなったことで4名増加の68名、T車は逆にトイレ新設によって4名減の68名、ほか2両は変化はない。なお、編成全体の定員数は12400系、12410系、12600系とも264名である[32]

編成全体の重量バランスを考慮し、12410系ではク12510形に一括搭載されていた補機類を、当該系列ではT車に分散した(C-2000M形電動空気圧縮機等)[28]。また、Mc車、M車の電制用主抵抗器もT、Tc車に移した[28]。また、12410系ではT車の重心上昇の懸念からユニットクーラーを床下設置としていたものを、屋上設置に変えた[28]

そのほか、乗務員室の環境改善のために奥行きが拡大され、それに伴い乗務員扉の位置が12410系と比較して60mm客室側に移動した[28]。この拡大変更は30000系の最終増備車30215Fにも適用されている。

編成

MT比2M2Tの4両編成で、大阪側からモ12600形 (Mc) - サ12750形 (T) - モ12650形 (M) - ク12700形(Tc) で組成される。

12600系編成表
大阪・京都発着編成
名古屋発着編成
テンプレート:TrainDirection
テンプレート:TrainDirection
形式 モ12600形 (Mc) サ12750形 (T) モ12650形 (M) ク12700形 (Tc)
搭載機器 CON,◇ CP ◇,CON MG
自重 41.0t 36.0t 41.0t 36.0t
定員 68 68 64 64
車内設備   洗面室・トイレ 洗面室・トイレ
車内販売準備室
 
  • 編成定員は264名(12400系・12410系と同一)。

増備車

1986年に12602Fが増備されたが[6]、12601Fの製造から3年半を経過していることから部分的な改良が実施された。まずパンタグラフが4基搭載からMc車、M車に各1基ずつ、編成全体で2基の搭載に変更された[6]。また30000系の最終増備車30215Fと同様に、トイレ・洗面所部分の窓が省略された[6]。車内についても改良が実施され、座席のリクライニング機構が30215Fと同様に2段階式からフリーストップ式に改められたほか[6]、客室仕切自動ドアの開閉機能を従来のマットスイッチ方式から光電スイッチ方式に改めている[33]。また床の清掃性向上と腐食防止のために床敷物をコーナーでRに巻き上げている。

改造・車体更新

12400系、12410系同様、1988年に最高速度120km/hに引き上げられている[6]

2002年に12400系・12410系と同内容の車体更新工事が行われた[6]。側面の行先表示器字幕は「○○ゆき」表記から「○○」表記とされ、正面行先表示器字幕は白地から22000系に準じた赤地に変更された[6]。客室照明は12400系・12410系と同様に間接照明は設置されていない。トイレについてはモ12650形の和式を洋式化、サ12750形の洋式は便器交換、和式は男性用小便器にそれぞれ変更された(洋式トイレの処理方式はいずれも真空式に変更)。なお、Mc車とM車にパンタグラフ(PT-48形)を各2基搭載していた12601Fは、車体更新の際にMc-T-M間に母線を引き通すことにより各1基とする改造を受けており、トイレ・洗面所部分の窓を撤去している[6]

また、2009年から2011年にかけては新型ATS (ATS-SP) 設置・デッドマン装置更新工事、特急車用スクリーンタイプの転落防止幌設置の各工事が実施されている[6]

転属・運用

18000系の置き換え目的で投入されたため、当初は西大寺検車区に配置され、京奈・京橿特急など京都線主体に運用されたが[6]、1990年3月以降は富吉検車区に配置され、名古屋線を中心に、名伊・名阪乙特急で運用されている[34]。2013年4月現在も富吉検車区に配置されている[20]。こちらも特に限定運用は組まれていないため、同区配置の12200系4両編成と共通運用である[6]。2編成しかないために編成を組むのは稀ではあるが、名伊乙特急では本系列2本連結の8両編成で運用される場合もある。

「サニーカー」の名称について

本系列の愛称である「サニーカー」の名称は、鉄道アナリストの川島令三が命名したとされ[注釈 11]、当初は近鉄では正式な名称として認めていなかったという(その後近鉄でも使用するようになった)。

1983年に発行された『カラーブックス「近鉄II」』保育社 (ISBN 4-586-50622-9) の著者で、製造メーカーである近畿車輛の技術者であった鹿島雅美は、12400系については「サニーカー」と記している。しかし、10400・11400系「エースカー」の後継と見たのか、「サニーカー」の名称が相応しくないと考えたのか、12410系については「最新エースカー」、12600系電車は「最新エースカーII」と同書に記している。

「サニーカー」と称するのはこの12400系電車と派生系列である12410系電車および12600系電車が該当し[6]、(呼ばれることは少ないが)製造年代が同じである16010系電車を含むこともある。なお、16010系は12400系の狭軌版[35]である。

脚注

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注釈

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  1. 『鉄道ファン』(第473号)2000年9月号、55頁
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 2.7 2.8 2.9 『鉄道ファン』(第205号)1978年5月号、100 - 102頁
  3. 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、 126頁
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、181 - 183頁
  5. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、61頁
  6. 6.00 6.01 6.02 6.03 6.04 6.05 6.06 6.07 6.08 6.09 6.10 6.11 6.12 6.13 6.14 6.15 6.16 6.17 6.18 6.19 6.20 6.21 6.22 6.23 6.24 6.25 6.26 6.27 6.28 6.29 6.30 6.31 6.32 6.33 6.34 6.35 6.36 6.37 6.38 『私鉄車両年鑑2012』 39p・40p (発行 イカロス出版 2012年)ISBN 978-4-86320-549-9
  7. 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、174 - 175頁
  8. 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、33頁
  9. 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、32頁、38頁
  10. 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、32頁 ジャンパ栓受を取り付けた当時の写真が掲載されている。
  11. 1年後に竣功した30000系よりPT4811-A-M下枠交差式パンタグラフ化された。『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、185頁
  12. 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、212頁
  13. 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、35頁
  14. 14.0 14.1 14.2 14.3 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、32 - 33頁
  15. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、90頁
  16. 16.0 16.1 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、92頁
  17. 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、127頁
  18. 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、88頁
  19. 19.0 19.1 『決定版 近鉄特急』ジェー・アール・アール、86頁
  20. 20.0 20.1 20.2 鉄道ファン』2013年8月号 交友社 「大手私鉄車両ファイル2013」
  21. 21.0 21.1 21.2 21.3 21.4 21.5 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、40 - 41頁
  22. 22.0 22.1 22.2 22.3 『鉄道DATA FILE』(第147号) ディアゴスティーニ・ジャパン、15 - 16頁
  23. 23.0 23.1 23.2 23.3 『決定版 近鉄特急』ジェ-・アール・アール、34 - 35頁
  24. 24.0 24.1 24.2 24.3 24.4 24.5 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、185 - 187頁
  25. 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、171頁
  26. 『鉄道ピクトリアル』(第727号)2003年1月臨時増刊号、213頁
  27. 『近鉄特急 下』JTBキャンブックス、42頁
  28. 28.0 28.1 28.2 28.3 28.4 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、189 - 190頁
  29. 『決定版 近鉄特急』ジェ-・アール・アール、36 - 37頁、146頁
  30. 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、134頁 『決定版 近鉄特急』ジェ-・アール・アール、146頁
  31. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、93頁
  32. 『信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車』近畿日本鉄道技術室車両部、72頁
  33. 『鉄道ピクトリアル』(第505号)1988年12月臨時増刊号、92頁
  34. 『車両発達史シリーズ 近畿日本鉄道特急車』関西鉄道研究会、134頁
  35. 『カラーブックス「私鉄の特急電車」』保育社 p.63 ISBN 4-586-50812-4


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