赤岡町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox 赤岡町(あかおかちょう)は、高知県のほぼ中央に位置していた町で、日本の市区町村の中で最も面積が小さい自治体であったが、2006年3月1日に香南市となり、その座を譲った。 人口は3000人強しか無かったが、非常に狭い町であるため、1km²当たりの人口密度は福岡県北九州市とほぼ同じであり、ほぼ全域が市街地となっている。市街地は太平洋に沿って隣接する旧吉川村・旧香我美町岸本、旧夜須町南部とほぼ一体化している。特産物としてイワシの稚魚どろめが有名。この小さな町に、小中高校、警察署、鉄道駅、銀行の支店が2つ、さらに競艇場外舟券売場がある。

地理

  • 山: 北部に須留田山、香取山、轟山など標高20~30m の丘陵があるほかはほぼ平坦である。
  • 河川: 香宗川

隣接していた自治体

歴史

赤岡の名の起こりは、その昔、沖合から見ると一帯が赤く盛り上がった丘のように見えたことからといわれる。古くは「丹陵」とも呼ばれ、香美郡宗我郷に属していた。江戸時代は土佐藩領で、江戸期には商業が盛んとなり、「赤岡の市」は当時から知られていた。

沿革

明治

  • 1870年 - 赤岡村は赤岡浦・岸本浦とともに香美郡第3区となる。
  • 1872年9月3日明治5年8月1日) - 赤岡郵便取扱所開設[1]
  • 1875年 - 赤岡村、赤岡浦、岸本浦を合わせて、香美郡第三大区第二小区とし、浦制を廃止し岸本浦を岸本村とする。
  • 1876年(明治9年)7月22日 - 赤岡郵便局が岸本村に移転、岸本郵便局に改称。
  • 1878年(明治11年)12月 - 区制廃止、岸本村と分離。
  • 1879年(明治12年)1月2日 - 岸本村の岸本郵便局が町内に移転。赤岡郵便局に改称。
  • 1889年4月1日 - 町村制施行により香美郡赤岡村が成立。
  • 1899年2月15日 - 町制施行。
  • 1900年 - 株式会社赤岡銀行設立。
  • 1901年 - 赤岡浦漁業組合設立。赤岡郵便局、江見町より本町へ移転

大正

昭和

  • 1941年 - 赤岡尋常小学校が赤岡国民学校、城山高等小学校が城山国民学校、城山実業青年学校が城山青年学校となる。
  • 1943年 - 赤岡町信用組合が赤岡町農業会、赤岡浦漁業組合が赤岡町漁業会となる
  • 1946年 - 赤岡町漁業会が赤岡町漁業協同組合となる
  • 1947年 - 赤岡国民学校が赤岡町立赤岡小学校となる
  • 1948年 - 赤岡町産業組合と赤岡町農業会を統合し、赤岡町農業協同組合が発足。学制改革により高知県立城山高等学校・同併置中学校が開校。赤岡町立保育園開園
  • 1951年 - 赤岡町立赤岡中学校と組合立城山中学校(吉川村・岸本町生徒が通学)を統合。組合立赤岡中学校となる
  • 1953年 - 高知相互銀行赤岡支店開店、赤岡区検察庁設置
  • 1957年 - 第1回どろめ祭り開催。
  • 1962年 - 赤岡スーパーマーケット開店
  • 1964年 - 赤岡町立相撲場完成
  • 1965年 - 赤岡町営段ボール工場、赤岡町営縫製工場建設
  • 1970年 - 赤岡郵便局、横町へ移転、香南消防署、平井山へ移転
  • 1973年 - 国道55号線バイパス完成、役場庁舎改築、赤岡町隣保館、町民会館、総合福祉センター完成、赤岡漁港完成
  • 1976年 - 第1回絵金祭り開催


平成

行政

  • 町長:浜田 義秋(2001年4月4日 - 2006年2月28日)

経済

産業

  • 主な産業

漁業と商業が中心

  • 産業人口

地域

大字

町村制以来、大字は編成していなかったが、1993年に隣接する香我美町と境界変更したことに伴い、大字徳王子が誕生。

健康

  • 平均年齢

教育

隣接する吉川村と'赤岡町吉川村地域教育推進協議会'を設立していた。

警察署

郵便局

交通

空港

鉄道路線

道路

船舶

高知港高知市)より車で約40分

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所・旧跡・観光スポット

祭事・催事

  • どろめ祭り(4月)
  • 土佐赤岡絵金祭り(7月第3土・日曜日)
    町内の各家に伝わる幕末に高知城下から赤岡に移り住んで町絵師となった「絵金」こと弘瀬金蔵の屏風絵を年に一度だけ公開する。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 山口修監修 『全国郵便局沿革録 明治編』 日本郵趣出版 1980年12月28日発行

関連項目

外部リンク