田村謙治

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テンプレート:政治家 田村 謙治(たむら けんじ、1968年3月19日 - )は、日本政治家民主党所属の元衆議院議員(3期)。妻はフリーアナウンサー田村あゆち

経歴

静岡県静岡市生まれ。筑波大学附属駒場中学校・高等学校卒業、東京大学法学部卒業。1991年大蔵省(当時)に入省。1993年ミシガン大学大学院に留学する。2002年財務省を退官し山村健衆議院議員の政策秘書になる。

2003年11月の第43回衆議院議員総選挙に、民主党公認で静岡4区から出馬するも小選挙区で敗れ、比例復活もならず落選。この総選挙において田村は当初、民主党比例東海ブロックの落選者の中で、津川祥吾浅野真に次いで惜敗率が3位であったが、比例復活で当選した愛知10区佐藤観樹が秘書給与詐取により辞職したことで、次点の津川が繰り上げ当選。続いて、次々点の浅野が公職選挙法違反容疑により公判中だった2004年3月、比例区名簿から削除された。田村は3位から次点に繰り上がり、2004年11月4日に都築譲が公職選挙法違反により辞職したため、繰り上げ当選した。

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風の煽りを受けて静岡4区では敗れたが、比例東海ブロックで復活し再選。

2009年8月の第45回衆議院議員総選挙では、初めて静岡4区で当選し、3選。同年9月、鳩山由紀夫内閣内閣府大臣政務官に就任。2010年6月に発足した菅内閣でも留任した。同年9月、菅改造内閣発足に伴い退任し、民主党総括副幹事長に就任。2011年1月、副幹事長を退任し、民主党政策調査会副会長に就任。同年6月、民主党静岡県連会長に就任。

2012年12月の第46回衆議院議員総選挙では静岡4区で敗れ、比例復活もならず落選した。

政策

所属していた団体・議員連盟

人物

  • 吉本興業のお笑い芸人たむらけんじと同じで、愛称は「たむけん」。2007年10月には、議員会館にてたむらの訪問を受けている[5]
  • キャッチコピーは「たむけん見参」。月に1度、地元ラジオ局エフエムしみずでそのキャッチコピーを冠とした番組「たむけん見参!」に出演している。
  • 清水エスパルスのチームカラーであり、「元気」を象徴するオレンジがイメージカラーとなっている。
  • 大蔵官僚としてベトナムに出張した際、現地の人からベトナム語で話しかけられたという[6]
  • 民主党内では保守派に属しており、映画「南京の真実」の賛同者である。また、米下院121号決議の全面撤回を求める7月13日付けのアメリカ合衆国大使館への抗議書(チャンネル桜主導)の賛同者に名を連ねている[7]
  • 小林よしのりによる対談本『希望の国 日本』の中でも、外国人参政権への反対を表明した[8]
  • 同じく「希望の国 日本」において、左翼の両親の影響で、高校時代から大学卒業くらいまでは完全に左翼であり、小林の書籍等によって軌道修正することが出来たと語っている[9]

論文

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 テンプレート:Cite news
  2. 2009年衆院選時朝日新聞アンケート回答
  3. 国立国会図書館法の一部を改正する法律案(平成十八年五月二十三日提出)
  4. しんぶん赤旗 2013年1月6日
  5. ダブルたむけん
  6. たむけんねっと たむけん日記
  7. 抗議書賛同者一覧
  8. 小林よしのり『希望の国 日本』 テンプレート:要ページ番号
  9. 小林よしのり『希望の国 日本』 テンプレート:要ページ番号

外部リンク

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テンプレート:S-off |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
岡本芳郎宇野治並木正芳 |style="width:40%; text-align:center"|テンプレート:Flagicon 内閣府大臣政務官
津村啓介泉健太と共同

2009年 - 2010年 |style="width:30%"|次代:
阿久津幸彦和田隆志園田康博 テンプレート:S-ppo |-style="text-align:center" |style="width:30%"|先代:
牧野聖修 |style="width:40%; text-align:center"|民主党静岡県連会長
 2011年- |style="width:30%"|次代:
-

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