小林よしのり

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テンプレート:参照方法 テンプレート:Infobox 漫画家 テンプレート:Sidebar with collapsible lists 小林 よしのり(こばやし よしのり、1953年8月31日 - )は、日本漫画家。「よしりん企画」社長、「ゴー宣道場」主催。

福岡県福岡市出身(出生は大野城市)。本名、小林善範。福岡大学人文学部フランス語学科在学中、1976年に『ああ勉強一直線』を投稿しデビュー。『東大一直線』『おぼっちゃまくん』などのヒット作を持つ。

1992年の『ゴーマニズム宣言』以降、ギャグ路線だけでなく思想的・政治思想路線などの、社会評論的な活動も行うようになる。2002年から季刊誌『わしズム』責任編集長なども務める。

略歴

出生 - 中学生以前

1953年昭和28年)に二人兄妹の長男として生まれる。父親は1927年(昭和2年)生まれ。復員後公務員として就職、マルクス主義者になった。母親は1933年(昭和8年)生まれの寺院の娘。理想主義共産主義を支持する父親と現実主義仏教を支持する母親の思想対立があった。しらけ世代の生まれではあるが、その周囲の感覚に日ごろから違和感を持ち、その感覚に真向から逆らってきた思想家として、団塊の世代とは異なる思想を持っている。『逆噴射家族』のアイドル歌手と女子プロレスラー両方志望の少女は、妹がモデル。

幼少の頃から喘息を患い、ひどい時は気管が細くなり、腕立て伏せのポーズでないと息ができなかった。ガリガリにやせており、あだなは「もやし」「ガイコツ」「黄金バット」。両親は「あんたは大人になるまでに死ぬんだからね。保険金もかけてあるんだから」と言い、彼専用の離れ部屋を作るなど、突き放した態度を取っていた。これは自立心を養うためであった。 しかし、これは口実であり、当時たびたび父親が近所の人たちと麻雀をしていて、その騒音で小林が激高したために離れ部屋ができたとのこと。

夏休みなど長期の休みには、地方で密教の住職を務める祖父の寺に預けられた。祖父は僧侶ながら女性関係もあったなど、破天荒な立ち振る舞いはあったものの、大東亜戦争ニューギニア島へ派遣された際に俳優加東大介と共に現地で将兵向けの慰問芝居を行い、これが後年『南の島に雪が降る』として映画化されたことを誇りに思っており、小林もその自慢話をよく聞かされた。この寺で体験したことはその後『ゴー宣』を中心とする各所に影響を与えており、小林は自らのことを「不動明王の生まれ変わり」と称している(本気でそう信じているのでなく、自分の精神力に関する比喩)。

子供の頃は親の方針であまり物を買ってもらえず、小林の場合はその経験が物欲に対する執着心を弱めるに至ったと語る。つい最近まで自己(自社)保有の車を持たなかったのも、その経験ゆえである。

小学校半ばの頃は、まだ体も弱かったがクラスから親しまれ、級長を務めていた。だが担任の男性教師が当時流行りのスパルタ教師で(戦後軍人帰りの中年が、教職に多数復帰したのも理由)男女問わず殴っていた。小林はこの担任から、ホームルームなどの学級行事進行を手厳しく叩き込まれた。

また精神薄弱気味でブタ鼻のクラスメートがおり、遠足の弁当の時間、同席させてもらえる仲間がいない時は、彼と笑い合って一緒にいた。

テレビ番組が子供文化にも入り込むと「忍者部隊月光」「宇宙大作戦」などを視聴した。子供の頃の憧れの人物は「宇宙家族ロビンソン」のドクター・スミスだと語っている。

高校時代 - デビュー前

福岡市立福岡商業高等学校(現福岡市立福翔高等学校)に在籍。併願で進学校にも合格したが、あえて商業高校へ入学した理由は「家から近い」「暇なので漫画が描ける」「学校の3分の2が女」「勉強する奴がいないから、少し勉強すれば優等生」だと言う。商業関係の資格取得が卒業条件であったため、日商簿記検定2級および珠算3級の資格を1年次に取得して、後の高校生活はほぼ遊んで過ごしたとのこと。中学時代は坊主だった髪を伸ばすなど、しばしば生活指導の先生に叱られていた。同級生に甲斐よしひろがいた。

高校を卒業した後は上京し、石ノ森章太郎の弟子となり、漫画家修行をするつもりだった。しかし担任教師に「大学へ行って本を読め」と勧められ、福岡大学人文学部フランス語学科に入学。このときに受験勉強の準備に取り掛かったことが後に『東大一直線』を描くきっかけになったと述べている。フランス語を専攻した動機は、大学へ進学するにしても自分には合わない商学部には進学したくなかったことや、当時ミッシェル・ポルナレフなどのフレンチ・ポップスが流行っていたことから、「フランス語でミッシェル・ポルナレフが歌えたらカッコいいし、女にモテるだろう」というものだった。フランス語の影響で、『いろはにほう作』の「ふまんたれぶー」や『茶魔』のカメ達の名前など、フランス語から作られたと思われる語句が出て来る。また、フランスに旅行した際、日本語しか話せない日本人観光客を無視し続ける現地の女性店員にフランス語で話しかけたところ、非常にけげんな目で見られたことがあるという。本人によると、フランス語はもう忘れてしまったとのこと。

大学時代、左翼活動に若干ながら関わったことがあった。しかし、日々の左翼活動の中で、勧誘活動で人々の反応がいまひとつだったり、宗教活動の勧誘のほうが支持者をより多く集めているなど、当時の左翼活動が人々の支持を失っているという事実を目の当たりにし、違和感を募らせた結果「自分とは違う世界だ」と比較的早く気づき、左翼活動の仲間と袂を分かち、独自の世界を作るべく、その後は「今これをやっておかなきゃ後悔する気がする」と、貧血になる程に読書にのめり込んだり、アルバイトに精を出した。 アルバイトでは、喫茶店のとある常連客で、相撲の話が好きなヤクザの幹部と話を合わせねばならず、相撲のうんちくを本で必死に勉強したこともあった。建設業のバイト先の先輩と車に同乗した際に、併走している車に対し「おい!学生!文句言え!」など無茶な命令をされたり、探し物が見つからなかったことを弁解したら、「どこかにあるから探して来い!」等と怒鳴られたり理不尽な扱いを受けつつも、虚弱体質ゆえに肉体労働に向かずクビにされかけた時、バイト先の先輩達が「いい奴だから雇い続けてくれ。その分は俺たちがカバーする」と雇い主に訴えたなどの逸話があり、その出来事の中で、仲間の優しさに触れたと同時に、自分の小ささを自覚せざるを得なかったと述懐している。

東大一直線とその後の苦闘

『東大一直線』の投稿から『東大快進撃』の終了までは『東大一直線』を参照。

当時は福岡で執筆活動を行っていたが、1982年に上京、信濃町に住む。どうせなら東京の真ん中に住もうと思ったが、どこが真ん中なのかわからず、ここがそうだろうと東宮御所のすぐそばに居を構えたものの、生活に不便だったため、その後すぐ引っ越したという逸話がある。『東大快進撃』終了後、『週刊ヤングジャンプ』当時副編集長の角南攻から、どんな作品を描いても大丈夫と太鼓判を押された小林は、ラブコメ等軟弱化した若者に喝を与える「(誅)天罰研究会」を連載開始。これが連載第一回から、人気投票でグラビアページ以下の最下位を記録する屈辱を味わう羽目になり、打ち切りとなる。

その後、集英社との専属契約を終了。当時の作品は、『風雲わなげ野郎』『メンぱっちん』など。

この頃手塚治虫の手法として有名なスター・システムを、小林も一時的に使っており、その一例として『東大一直線』のチョンマゲ先生や『(誅)天罰研究会』の首長の竜などが挙げられる。小林がいちばん何とかしてあげたいと思っていたのは『東大一直線』の名脇役、多分田吾作で、『メンぱっちん』の敵役の他、主役とした読切「多分・ザ・ジゴロ」などを発表した。

後に多分を発展させたキャラで『ヤングジャンプ』に読切「不抜呆作伝」を掲載。さらに『週刊少年チャンピオン』にて『いろはにほう作』として連載を行い、単行本にして全9巻と『東大一直線』に次ぐ記録となる。

おぼっちゃまくん以降

テンプレート:See also 『ほう作』終了と入れ替わりに1986年月刊コロコロコミック』で連載された「おぼっちゃまくん」が大ヒットとなる。『コロコロ』編集部は『おぼっちゃまくん』以外の小林の漫画も求め、「いなか王兆作」の同時連載(『おぼっちゃまくん』後に連載を開始するも先に終了)、『救世主ラッキョウ』のリメイク、前述の『ほう作』の『コロコロ』における再録などが行われた。なお、小林は『救世主ラッキョウ』のリメイクについては「ちょっと"ヒネリ"が入りすぎてて、いまひとつ小さな子供にはピンとこなかったみたいやね」と『ゴーマンガ大事典』で語っている。

『おぼっちゃまくん』は1989年に第34回小学館漫画賞を受賞。授賞式での審査員に、陰湿で皮肉めいた批判発言をされた事に対して激怒した小林は「こんな下品な漫画に賞をくれた審査員の度胸に感謝します」と、痛烈な皮肉を込めたコメントで反撃し、翌年以降の審査員が刷新される事態にまで発展。この顛末は当時『宝島』に連載していた「おこっちゃまくん」で描かれた。

そのころより、時事論評を展開しつつ、漫画による時事論評という新しい手法が注目され、1992年に第三のヒット作「ゴーマニズム宣言」を『SPA!』誌上で連載。そこから続く思想関連書で『わしズム』を創刊。

2006年、ストーリーギャグ漫画として「遅咲きじじい」を『ビッグコミック』にて連載開始。これは小林の目の病気以降の心境の変化が大きいとされる。

2009年5月CRぱちんこおぼっちゃまくんを京楽産業から発売。

人物

テンプレート:出典の明記

愛称・通称

  • かつて「小林先生」「よしのり」だったが、『おぼっちゃまくん』半ばから「よしりん」が登場した。
  • 一人称は「わし(儂)」。30代の頃から使用していた。説教臭い年寄りに憧れがあり、男が若く見られても外人にナメられるだけで何もいいことは無い、早く年を取りたいという思いから来ている。
  • インターネット上を中心に「コヴァ」という別称が使われていることがある。これは小林よしのり本人はもちろんのこと、小林のファンの通称としても使われている。元々はアンチ小林ファンによる、小林やその熱狂的なファンに対する蔑称で、1990年代に人気を誇ったアニメ「エヴァンゲリオン(エヴァ)」の語感のアレンジとされる。

漫画

  • 元々『サザエさん』の様な誰でも親しめるファミリーな漫画を目指していたが、いざプロになってみると、賛否両論が激しい漫画家になってしまった。特に内容については少しでも密度を高くすると、すぐ拒否反応を起こす読者がいるとこぼしている。このことから相原コージと並び、「日本で最も1ページあたりの密度が濃い漫画家」と呼ばれたことがある。
  • 漫画そのものに対する侮辱、漫画家であることをもって批判することに対しては、激しく怒ることで有名。先述の授賞式での一件や後述する西部邁との一件もそこから勃発した。当初は『ゴー宣』の作中で、「権威主義に負けるな」と漫画を低く見ることを批判していたが、その後に西部の発言に一定の理解を示し、漫画はあくまでもサブカルチャーと考え、サブカルチャーに過ぎない漫画が日本で各世代から幅広く支持され、また日本の文化の担い手的立場を求められていることを批判し、その原因がメインカルチャーである文学などが堕落していることにあるとして、「自分のような漫画家に、知識人が負けてはならないのだ」と主張している。
  • これを『新ゴー宣』1巻で主張するに先立ち、1995年7月放送の討論番組「朝まで生テレビ!」にて、小林は西部と同席し、西部の主張に同意する形で、「朝生で、西部さんが電車の中で漫画を読んではいけないと言ったが、昔なら凄く怒っていたが、今は駄目だと思うようになった」と主張した。番組では宮台真司大島渚らから反論を受け、大島からは「メイン、サブと、カルチャーの高さを分ける事に意味はないよ」という趣旨の批判を受け、観覧からも、西部邁を批判していた頃の『ゴーマニズム宣言』を礼賛しながら、同様の意味の批判を受けたが、小林の姿勢はその後も一貫している。なお、メインが本当にだらしないのなら、サブの立場から、その地位を取るとも警告している。

趣味・好きなもの

AKB48[1]
無類のAKB48ファンである。主な推しメンは、大島優子市川美織渡辺麻友NMB48渡辺美優紀HKT48村重杏奈[2]であり、第5回AKB総選挙で1位になったHKT48の指原莉乃のアンチであると公言していた[2]ため、今後はNMB48を応援していくことを、自身のブログで宣言した。大島優子に関してはSEXへの思いも捨てきれないようで、「(恋愛禁止ルールがある中でも)ひそかに恋愛を解禁している子がいる」と述べつつ「(解禁してもいい子を)公開したくない。わしが許可するとやりそうな気がする」[3]と複雑な心情をのぞかせている。また本人はAKB48を好きになった理由として「楽曲の良さ」を挙げており、「AKB48は歌謡曲の復権現象」と賛美し、『アウト×デラックス[4]において「フライングゲット」の弾き語りも披露している[5]。かつて『ゴー宣』内で秋元康を批判したこともあったが、現在は考えを改めている。
峯岸みなみの丸刈り謝罪が世界各国で冷ややかに報道される中[6]、「退屈な『良識派』どもの、クソつまらんバッシングなど、全部わしが引き受けてやる」[7]と述べ、自分が全てを引き受けると宣言している。前述の『アウト×デラックス』で「大島優子とやりたい」と発言したが、小林は翌日のブログでこれを否定した。これに対して大島は大喜びし、後に武道館で会った際に大島は小林に「私はあの発言、嬉しかったですよ」と対応した[8]
また指原莉乃がAKB総選挙にて一位となった際には「いちばん恐れていた事が現実になってしまって、今夜はヤケ酒飲んで寝るしかない」「AKB総選挙の結果を甘く見てはいけない。これは、これから起きる出来事の予兆である。速報で指原が一位になった辺りから株価が下落している。最終結果でも一位になってしまったので、日本経済は破たんしてIMFの管理下に置かれることになる」などの愚痴や暴言を口にした。もっとも当の指原は意に介さず「さっきからなんかいろいろ言ってるみたいですけど、1位は1位なんですいません」と返したところ、「バカ野郎!一位とったからって調子に乗ってんじゃないぞ、おまえ(指原)は!」と罵声を浴びせた。その一部始終はテレビの生中継でオンエアされていた。
プロレス
有名な趣味で、締切前に仕事を急いで仕上げ、観戦に行く時間をわざわざ作る程である。観戦専門としており、自らやることはしない。「暴力への憧れがあるのかも知れない」と語っており、これまでの作品やギャグにも、プロレスや格闘技をモチーフにしたものが多い。国内プロレスではアントニオ猪木派で、選挙で猪木に投票したり、その後の猪木の体たらくを見て逆に投票しなかったこともある。また、『ほう作』のおまけのページでは「現在長州力にお熱をあげててリングサイドで作戦を授けるのが夢」という発言もあり、『茶魔』の作中では長州をもじった「酋長力」なるプロレスラーが登場している。他に障害者プロレスを世に広めたのも『ゴー宣』の功績の一つで、障害者プロレスで挨拶をしたこともある。
歌謡曲・カラオケ
赤ん坊の頃から歌謡曲を聴いて育ち、現在に至るまでほとんどの流行曲を把握、「ヒットするかの許可をわしが審査している」と語る程の歌謡曲通。取材に来たマスコミが「よしりん企画の入社試験には、カラオケがあるんですか?」と、スタッフに聞いた程のカラオケ上手で、専用のマイクを持っている者もいる。古くはピンク・レディー沢田研二庄野真代柏原芳恵などを『東大一直線』に登場させていた。特に演歌が好きで、中でも藤あや子(男なら冠二郎)の大ファン。『ゴー宣』にも彼女を登場させた回が二度存在し、藤本人との面会も実現している。
映画鑑賞
漫画家にならなければ映画監督になっていたと自負しており、『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』が公開された時は早くに鑑賞した。当時の作品にはパロディ的表現が多数ある。
  • 『生命いつまでも』(1980年)…自主映画化。
  • 『中洲界隈天罰研究会』(1981年)…自主映画化。
  • 逆噴射家族』(1984年)…没になった漫画のアイデアが脚本になった。
似顔絵
小林の仕事場を訪ねてくる人間については、ほとんど似顔絵を描いていた。その中でも特に個性的な人物は、登場人物に昇格することもあった。過去の作品の登場人物達の一部は、彼の旧友がモデルとなっている。
自身は本来面長の顔であるが、似顔絵には全く反映されていない。

生活・健康

  • 喘息は「大学時代に若干再発したものの、いつの間にか治っており、漫画家デビューしたら他人より強靭になってしまった」との事であるが、2006年1月に死去した郵便職員の父が、その数年前から再び喘息を患うようになっていたのを見て「年を取ったら再発するかも」とも語っている。
  • ペン等細長い物を持つ場合、通常は人差し指と中指の間で挟むが、小林は人差し指と親指の間で挟む。このため人差し指と親指の間にペンだこが6つもあり「日本一多くのペンだこを持つ漫画家」と自称する。風変わりなペンだこは、自らをモデルにした漫画家・小林やしゃのりが主人公の『夜叉』にも登場したことがある。
  • 生活サイクルは「2日間起きて6時間寝る」と『おぼっちゃまくん』時代のアシスタントが語り、本人も長らく夜型生活であると語っていたが、視力回復手術を行った後は朝型生活に変わったと語る。
  • 歴代秘書曰く、「潔癖症レベルの清潔好き」。自宅以外のトイレには行きたくないがために、外での水分摂取を極度に避けていた時期もあった(現在は医師に水分の不足を指摘され、積極的に摂っている)。また、バスタオルが敷かれた椅子(通称「タオルイス」)を愛用している。
  • 2005年秋に白内障のため視力が著しく悪化した事により手術を行い、『新ゴー宣』を休載する。旧『ゴー宣』時代、『噂の真相』の記事が引き金となって、当時の秘書である末永直海が退職したショックで原稿を落として以来の休載となった。視力は回復したものの、「眼圧が強すぎる」との理由で翌週も休載。なおこれら生活・健康についての話は、近年では珍しく無思想の描き下ろし漫画「目の玉日記」に詳しい。

討論番組

以前は『朝まで生テレビ!』をはじめ、テレビ番組に積極的に出演し、数々の場面を演出した。

  • 基本的に『テレビなどの場で喋るのは苦手』と公言しているため、自ら積極的に発言する場面は少なく、自ら描き下ろした『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』特集時は当の小林本人よりも、他の出演者の方が熱論を交わしていた。
  • 小林はイラク戦争に反対の立場ゆえに、他の反対派と同じサイドの席を指定されたことがある。この際、「えー、今日は左翼の末席に繋げられてしまって。これはますます誤解を受けてしまうなあと、思っているんですけれどもね。」と発言(2003年11月放送の『朝生』より)。
  • 2005年末頃より「マスコミは政府の走狗に過ぎない」として、今後は一切のテレビ出演をしないと宣言した。が、2006年6月の段階で、NHK生放送討論番組『日本の、これから』に出演し、宣言を破る。ちなみに『朝生』についても、以前に田原総一朗への批判などから「今後は出演しない」と宣言した後に出演した例がある。もっとも「宣言した」といえども、あくまでギャグタッチで描いているため、どこまでが本気なのかは量りかねるものがある。その後、2007年の8月15日の『日本の、これから』にも出演する小林の姿があった。日本国憲法第9条護憲に関して「本当に、日米安保自衛隊もなくして、丸裸の状態になり、それでもやっていく覚悟があるのか。あるのならわしはそれに賛同しますよ?」「命が大事なら、ガンジー主義はできませんよ?」と発言し、その覚悟がないなら改憲すべきと主張した。なお小林は、「憲法九条はガンジー主義を具現化したものとラダ・ビノード・パール判事が考えていた」と主張した中島岳志との論争(『正論』2007年11月号)で、「対米依存」「命こそが一番大事」の九条護憲と、ガンジー主義は別物であると主張している。また、SAPIOの2007年02月14日号では、米英と共に侵略戦争に加担する懸念から「現時点での憲法改正に反対」と明言している。
  • 自身の発行する雑誌『わしズム』を発刊していた。「2001年に自身の漫画本『新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論2』を発刊した直後の、日本のメディア上の異様な雰囲気に危機感を持ち、自身の言論を守る雑誌を持たなければという危機感に駆られて」その直後テレビの仕事が激減し、NHKハイビジョンの仕事以外来なくなったという旨を対談で語っている。

その他

テンプレート:言葉を濁さない

  • フジテレビ抗議デモについて、「ネトウヨ系のヤツは、強硬なことを言っておけば保守なんだ、愛国者なんだと思っている」「しかも、君たち年収200万円以下の下層でしょ?・・・それでいいわけ?」「自分の立場に対して満足してないって、そこをちゃんと怒れよって言いたくなるよね」と批判した[9]。また、2012年12月27日の朝日新聞朝刊で、自身の著作『おぼっちゃまくん』を使った安倍総理大臣への辛辣な風刺イラストと共に、「安倍支持者はほとんどがネトウヨで、安倍自身もそれに甘えて寄りかかっている」などと批判し、朝鮮日報にもその記事が部分引用された[10]
  • かつては永住外国人の地方参政権付与に賛成であった[11]
  • 超能力UFOなどのオカルトについては、いわゆる「自分の目で見たものしか信じられない」否定派。存在を信用しないと言うより「科学を使って理論的に(存在しない事を)解明しろ」とする主張である。特にオカルト研究家として有名になった、つのだじろうについては「本業の漫画がさっぱり売れなくなったもんだから、今やってるオカルトはほとんどギャグにしかならない」と強く攻撃、オカルトを皮肉った『うしろの中岡くん』(つのだじろうの『うしろの百太郎』と、心霊写真鑑定家の中岡俊哉のもじり)なる読切漫画を発表した。この反オカルト思想から、以前は大槻義彦のファンと称していたが、その後は「大槻教授も回答を出していないのが欠点だ」と語った。しかし小林自身は前述の密教寺に泊まった際霊らしき体験をしてたとして『ゴー宣』で完全に割り切れていないオチをつけている。
  • タクシーや電車などの公共交通機関の利用が多かったことから、長らく自前の車を保有していなかったが、『ゴー宣』で有名になって以降、オウム事件での一件や、お喋りなタクシー運転手などから自分に関する情報が漏洩する状況が少なからず起こったため、免許未保有のままで車を購入するに至る。車種はメルセデス・ベンツ Cクラス(2代目)。選定の理由は「(イラク戦争に加担する)米国車や(中国に媚びる)日本車は買わない」として欧州車に絞り、(自分が座る)助手席の乗り心地が良く、かつ「便通が良くなりそうな名前だから」とのこと。運転は現秘書の岸端みなが担当することが多い。
  • ゴー宣・暫1』第三幕・第二場「ブックオフは文化破壊だ!」では、ブックオフは新しく見える「古本」を余りに早い時期に並べ、新刊本の販売量=製作者への報酬を減らすとして「漫画家は原稿料だけでは確実に赤字!単行本が売れて初めて給料を払い、経費を払い、収益がやっと出る!」(p.143)と、日本の漫画産業を成り立たせたシステムを破壊すると批判し、「モノには「適正価格」というものがある!」(p.146)と主張した。同時に再販制度および委託制度を擁護をしている。
  • 『CRぱちんこおぼっちゃまくん』をめぐる問題については「CRぱちんこおぼっちゃまくん」を参照。
  • 保守派論客と知られる人物の中では珍しく野田佳彦内閣を強く後押ししている[12]ものの、当の野田本人はTPPへの参加表明方針[13]や人権救済機関設置法案提出の閣議決定[14]など小林の意見と異なる[15]決定を次々と行っている。そもそも、小林と旧知の仲である原口一博は反野田勢力である。衆院選では日本未来の党の支持者[16]であったが、衆院選から2週間後に解党がきまっている[17]
  • 中沢新一と福岡で一緒に講演をした際、中沢が坂本弁護士一家失踪事件に関し「創価学会をはじめとする宗教団体に調査した結果、どこの宗教もオウムの仕業じゃないといった。別の組織によって八丈島へ連れて行かれ、埋められた」と聴衆に向かって発言したが、講演後に新聞記者にそのことについて聞かれて「嘘に決まってるじゃない」と一言。「自分の立場を有利に進めていくためには、どんなことでも言ってしまうわけよ。あの人は学会の植木等だよ、あのくらい調子よけりゃ、許せる部分もあるけどね」と発言[18]。(別冊宝島229でのテリー伊藤との対談「お笑いオウム真理教」にて。)
  • 少年キングを含めた五大週刊少年誌のうち、週刊少年サンデーのみ週刊連載の経験が無い。ただし、おぼっちゃまくんの出張読み切りや後述の通り『よしりんぞーん』の月イチ連載など、掲載経験は何度もある。
  • 選択的夫婦別姓制度導入に関連して、少子化対策の面から「事実婚こそ日本の伝統」と肯定的[19]
  • 2013年7月に小林よしのりのスタッフである時浦兼がよしりんウィキ直しを実施した。[20][21]

著作・関連書籍

連載作品

  • 東大一直線週刊少年ジャンプ、1976年28号-1979年46号)
    • 東大快進撃 (週刊ヤングジャンプ、1980年7号-1981年25号)
  • 救世主ラッキョウ月刊少年ジャンプ、1978年4月号-1979年8月号)
  • 世紀末研究所週刊ヤングジャンプ、1979年創刊号-1980年4月号)
  • 格闘お遊戯 (月刊少年ジャンプ、1979年9月号-1981年3月号)
  • ジューシィガンコ (月刊少年ジャンプ、1981年4月号-7月号)
  • (誅)天罰研究会 (週刊ヤングジャンプ、1981年37号-1982年3・4合併号)
  • 風雲わなげ野郎週刊少年キング、1982年13号-22号)
  • 異能戦士 (週刊少年マガジン、1982年37号・1983年52号・1984年3・4合併号-33号)
  • タコちゃん ザ・グレート (月刊ジャストコミック、1983年1月号-1984年5月号)
  • メンぱっちん (週刊少年マガジン、1983年6号-35号)
  • 角栄生きる (コミック・ノストラダムス、1983年10月号-1985年10月号)
  • 青年ジェット (月刊コミック・バンバン、1984年1月30日号-6月30日号)
  • おーっと、フル・タッチ! (月刊ジャストコミック、1984年5月号-12月号) - 作:古舘伊知郎、画:第一部のみ小林、第二部は国友やすゆき
  • いろはにほう作週刊少年チャンピオン、1984年36号-1986年24号)
  • おぼっちゃまくん (月刊コロコロコミック、1986年5月号-1994年9月号)
  • タコちゃん ザ・グレーテスト (月刊少年チャンピオン、1986年9月号-1987年5月号)
  • ろまんちっく牛之介 (週刊少年チャンピオン、1986年28号-1987年1・2合併号)
  • 忠牛ばっふぁ郎 (週刊少年チャンピオン、1987年20号-49号)
  • 突撃!!(偏)(へんさち)BOYS(週刊ヤングジャンプ、1987年52号-1988年)
  • 厳格に訊け!週刊ヤングサンデー、1988年10号-1989年18号)
  • おこっちゃまくん (月刊宝島、1989年2月号-1991年7月24日号)
    • おこっちゃまくん (月刊コロコロコミック、1991年10月号-1994年5月号)
  • 最終フェイス (週刊ヤングサンデー、1989年23号-1991年8号)
  • どとーの愛 (隔週刊スーパージャンプ、1992年4号-18号)
  • ゴーマニズム宣言週刊SPA!、1992年1月22日号-1995年8月2日号)
    • 新・ゴーマニズム宣言 (SAPIO、1995年9月27日号-2007年)
    • ゴーマニズム外伝 (月刊Views、1996年1月号-4月号・7月号)
    • ゴー宣・暫(2007年- )
    • 世論という悪夢(わしズム2006年冬号-2009年冬号連載のコラム「天籟」と描き下ろしを収録、本の帯・そでに活字版ゴーマニズム宣言と記載されている)
    • ゴーマニズム宣言PREMIUM 修身論(過去のゴーマニズム宣言シリーズの単行本よりテーマに合わせて抜き出し、加筆訂正のうえ転載したもの)
  • いなか王兆作 (月刊コロコロコミック、1992年4月号・8月号-1993年1月号)
  • よしりんぞーん (週刊少年サンデー、1993年7号・12号・17号)
  • ザ・カリスマンガ 聖人列伝 (月刊PANjA、1994年7月号-1995年2月号)
  • ザ・よしりん仮面 (週刊金曜日、1995年4月7日号-4月28日号)
  • 私たち普通の日本人 (週刊ヤングマガジン、1995年38号・41号-43号・46号-1996年6号) - 隔週連載
  • よしりん昔話 (月刊宝島30、1996年4月号-5月号)
  • 次元冒険記 (週刊ヤングマガジン、1996年16号-38号) - 隔週連載
  • 夫婦の絆 (わしズム、2002年-現在中断中)
  • 遅咲きじじい (ビッグコミック、2006年-2008年)

読み切り・描き下ろし

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対談、共著

  • 『知のハルマゲドン―ゴー宣・サリン・パープリン』 小林よしのり、浅羽通明(1995年) ISBN 4198603146
  • 『ゴーマニズム思想講座 正義・戦争・国家論―自分と社会をつなぐ回路』 竹田青嗣橋爪大三郎、小林よしのり(1997年) ISBN 4770501587
  • 『教科書が教えかねない自虐』 小林よしのり、竹内義和、日本の戦争冤罪研究センター(1997年) ISBN 4821105527
  • 『歴史教科書との15年戦争―「侵略・進出」から「慰安婦」問題まで』 西尾幹二藤岡信勝、小林よしのり、高橋史朗(1997年) ISBN 4569557651
  • 『朝日新聞の正義―逆説の新ゴーマニズム宣言』 小林よしのり、井沢元彦(1997年) ISBN 4093895414
  • 『知のハルマゲドン』 小林よしのり、浅羽通明(1998年) ISBN 487728561X
  • 『新しい歴史教科書を「つくる会」という運動がある』 小林よしのり、新しい歴史教科書をつくる会(1999年) ISBN 4594026052
  • 『戦争論争戦―小林よしのりVS.田原総一朗』 小林よしのり、田原総一朗(1999年) ISBN 4821106493
  • 『子どもは待ってる!親の出番』 金美齢、高橋史朗、小林よしのり、濤川栄太(1999年) ISBN 4900682373
  • 『国家と戦争―徹底討議』 小林よしのり、西部邁佐伯啓思福田和也(1999年) ISBN 4870313715
  • 『自虐でやんす。』 小林よしのり、竹内義和、日本の戦争冤罪研究センター(1999年) ISBN 4877287655
『教科書が教えかねない自虐』改題版。タイトルの文字の配置にお遊びがしてあり、『自虐ですやん。』(関西弁で「(その内容は)自虐じゃないですか」)とも読める。
日本に帰化した「親日」の元外国人たちとの対談集。

関連本

  • 呉智英編『ゴーマニズムとは何か! 小林よしのり論序説…』 (出帆新社、1995年)
  • 『ゴ-宣レター集 ゴーマニスト大パーティー』既刊3巻 (ポット出版、1996年 - 1997年)

批判本

  • ロフトブックス編『教科書が教えない小林よしのり』(1997年11月 ロフトブックス ISBN 4795200696)
  • 『君たちは戦争で死ねるか-小林よしのり『戦争論』批判』 ISBN 4272520563(1999年)
  • 『“小林よしのり『台湾論』”を超えて―台湾への新しい視座』 東アジア文史哲ネットワーク(2001年) ISBN 4878933895
  • 吉本隆明『「超」戦争論』
  • 上杉聰『脱ゴーマニズム宣言-小林よしのり「慰安婦問題」』東方出版(2002年)
  • 『トンデモ本の世界R』、と学会(編)、太田出版、2001年10月、ISBN 4-87233-608-9:『戦争論』をトンデモ本として認定。
  • 目取真俊『沖縄・地を読む 時を見る』世織書房(2006年11月)ISBN 4902163261 『ゴーマニズム宣言スペシャル沖縄論』の盗作問題を指摘。

その他

論文

関連人物

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関連項目

参考文献

  • 『ゴーマニズム宣言』
  • 『新・ゴーマニズム宣言』
  • 『小林よしのりの異常天才図鑑』
  • 『小林よしのりのゴーマンガ大全集』
  • 『オレの“まんが道”』

脚注

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外部リンク

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  1. 『フライングゲット』 発売初日で100万枚突破! - ゴー宣ネット道場
  2. 2.0 2.1 指原莉乃2ndシングル『意気地なしマスカレードType-C』に同封されているDVDに収録「長浜ラーメン屋台対談 指原莉乃×小林よしのり」内にて本人談
  3. [1]
  4. 2013年4月4日放送。
  5. [2]
  6. AKB「丸刈り騒動」が世界を震撼? BBC、AFP、中韓メディアも報じるJ-CAST 2013年2月2日
  7. AKB48 峯岸みなみの物語が始動した!ゴー宣道場 2013年2月2日
  8. 大島優子 小林よしのりへセックスOKサインを発した女性の器 - リアルライブ
  9. テンプレート:Cite news
  10. 小林よしのり氏「安倍首相はネット右翼と共生関係にある」 朝鮮日報 2013年1月3日
  11. [3]
  12. テンプレート:Cite news
  13. 首相、TPPを政権公約に明記 交渉参加方針盛り込む
  14. 人権委設置法案:今国会提出を閣議決定
  15. [4]
  16. [5]
  17. 日本未来の党:分党、28日に発表毎日新聞 2012年12月27日
  18. 別冊宝島229 オウムという悪夢』
  19. 季刊わしズム 2007年4月
  20. http://yoshinori-kobayashi.com/1811/
  21. 小林よしのり関係のウイキペディアの気に入らない記事を時浦本人が削除や改変して編集(修正)する企画である。