原子力発電所

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テンプレート:半保護 原子力発電所(げんしりょくはつでんしょ、テンプレート:Lang-en-short)とは、ウランプルトニウム核分裂反応をする際に発生する大量の熱で水を沸騰させて蒸気をつくり その蒸気を、発電機につながった巨大な羽根車(タービン)に吹き付けて発電機を廻す発電所である。 言ってみれば、<間接蒸気力発電>。タービンを回して電気を起こす発電所である。核燃料を使用して電気を起こすことから、核発電所(かくはつでんしょ)ともいう。略称として、日本語では原発(げんぱつ)と略される。

この記事では、主に世界の原子力発電所の施設に重点を置いて扱う。

  • 原子力発電の原理や仕組み、放射線の影響などについては、「原子力発電」を参照。
  • 日本の原子力発電所については、「日本の原子力発電所」を参照。
  • 原子力発電所の事故については、「原子力事故」も参照。

歴史

1942年シカゴ大学エンリコ・フェルミが、実験炉で原子力発電の原理となる核分裂の連鎖反応を行うことに成功した。1945年にアメリカで核分裂連鎖反応を利用した原子爆弾が開発された。原子力発電は1951年に発電を行った実験炉、EBR-Iから始まる。EBR-Iの当初の発電容量は1kWであった。1954年には最初の原子力潜水艦が進水している。世界最初の原子力発電所は、1954年6月に運転を開始したソビエト連邦オブニンスク原子力発電所[1]である。ソ連、アメリカ以外に、イギリスカナダフランスノルウェーなどで原子炉がつくられた。

法整備(例えばアメリカのマクマホン法(正しくは「1946年原子力法」 1946年7月)など)や、国同士の協定の締結(西側諸国に対抗してソ連を中心とした締結など)も進んだ。1954年7月に国連において原子力に関わる国際会議、第1回ジュネーブ会議が開催された[1]

西側において初めての商用原子力発電所となるのは、イギリスのコールダーホール原子力発電所1号炉である。運転開始は1956年10月17日であり、出力6万キロワット、炉の形式は黒鉛減速炭酸ガス炉(GCR)であった。後にこの形式の炉はコールダーホール型、あるいはマグノックス炉と呼ばれた。なお、コールダーホール原発は2007年9月、老朽化のため爆破解体された。

アメリカでは、シッピングポート発電所が初となる。運転開始は1957年12月18日、出力は10万キロワット、炉の形式は加圧水型原子炉(PWR)であった。なお、シッピングポート発電所は1982年10月1日に閉鎖された。アメリカでの原子炉発注ブームは、1966年から1974年までの9年間であった[2]

フランスでは、1964年2月に運転を開始したシノンA1号炉が最初である。出力8万4千キロワット、炉の形式はGCRであった。

その後、原子力発電所は発電に際していくつかの問題を抱えているため(後述の原子力発電#問題点を参照)、原子力撤廃の流れがあったが、原油の価格高騰と地球温暖化防止を背景として、原子力発電所の建設を推進する動きが出てきている[3]

しかし、2000年代後半に鋼材などの材料費が高騰し(例えば、アメリカで150万kwの原子炉を建造する場合、2005年頃には約30億ドルで可能だったのが、2008年には約70億ドルとなった[4])、原子力発電所は政府の支援抜きには語れない存在となっていった[4]

米国では1979年3月のスリーマイル島原子力発電所事故以来、原発の新設計画が停止されていたが[2]、2001年からのブッシュ(息子)政権が推進政策に転換(原子力ルネサンス)し、法人税控除などの優遇措置が講じられ、当政権期に原発新設が30基分も計画されたが、2011年6月までに1基も建設工事が始まっておらず、2010年時点で撤退が目立ちはじめていた[2]。地球温暖化対策を重点に置くバラク・オバマ政権にも引き継がれた。その結果、事故以来初めての原発としてメリーランド州カルバートクリフス原発第3号機が計画中であったが、2010年10月にコスト上のリスクが高いとして中止され、建設中止が30年以上(1970年代半ばから2011年の間)続くことになった[5]

発展途上国の原発建設資金について

原子力発電所建設のための資金調達は、発注側が自己資本で建設するだけでなく、受注した建設者側が必要な資金を提供し、将来発電所から生じる電気料金などの収入で投資額を回収する、プロジェクト・ファイナンス(PF)方式による建設の傾向が生まれている。一度に工事費用を支払うのが難しい国において、インフラ投資を促進する存在としての役割を担う。

地球温暖化対策として、2009年に鳩山由紀夫のもとで鳩山イニシアチブが策定され、原発の積極利用も検討された。鳩山はベトナム首相のグエン・タン・ズンから、ベトナムでの原子力発電所建設の依頼の手紙を受け取った。鳩山は、「ベトナムは日本の原発技術を使うことを検討するだろう」と述べた[6]。2010年10月受注が決まったベトナムの原子力発電所2基建設については、財務省所管の国際協力銀行がファイナンス役として参画している[7]。またこれに続いて交渉継続している(2010年末現在)トルコの原子力発電所建設にも、このプロジェクト・ファイナンスが導入される予定[8]

主なメーカー

世界的なメーカーの寡占化が進んだ結果、2008年現在では、アレヴァ-三菱、東芝(WH)、GE-日立の3グループに集約されつつある。

世界の原子力発電所の一覧

2011年1月1日時点での運用中、建設中、計画中の世界の原子力発電所の一覧を出典で示す。

また、以下では、世界各地の主な原子力発電所を紹介する。 テンプレート:Main テンプレート:Seealso テンプレート:Seealso

アジア

中国で稼働中あるいは建設中の原子力発電所の運営会社の株式は、1999年に発足した中国核工業集団公司(国防科学技術十大グループ企業のひとつ)が、直接あるいは子会社を通じて保有している。

アメリカ・カナダ

ファイル:Nrc reactors map.gif
アメリカ合衆国の稼動中の原子力発電所の原子炉の配置

アメリカの原子力発電所は、アメリカ合衆国原子力規制委員会(NRC)により4つの地域に分けて監督されている。

ヨーロッパ

  • テンプレート:Flagicon ドイツの原子力発電所」も参照
    • エムスラント原子力発電所
    • オーブリヒハイム原子力発電所 -(2005年廃止)
    • グライフスヴァルト原子力発電所 -(旧東ドイツ、1990年廃止)
    • ミュールハイム・ケルリヒ原子力発電所 -(1988年廃止)
    • レーンスブルク原子力発電所 -(1990年廃止)
  • テンプレート:Flagicon ロシアの原子力発電所」も参照
  • ヴォルゴドンスク原子力発電所(1基(1基建設中、2基計画中))
  • カリーニン原子力発電所(3基(1基建設中))
  • クルスク原子力発電所(4基(1基建設中、4基計画中))
  • レニングラード原子力発電所(4基(4基計画中))
  • ノヴォヴォロネジ原子力発電所(3基(1基建設中、1基計画中))
  • シベリア原子力発電所(2002年閉鎖)

上記以外の原子力発電所

議論

テンプレート:Main 原子力発電所に関する議論には、多数の立場や観点によるものが存在している。賛成には、科学技術への期待や信頼、原子力産業の振興、経済的効率性、長期間の供給安定性、火力発電によるCO2排出と比較しての環境優位、国際的地位などが挙げられている。また批判には、原子力事故や原子力廃棄物のリスクと影響度、軍事転用や核テロリズムへの警戒、経済的効率性や科学技術優先への疑問、環境問題、などが挙げられている。

脚注

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関連項目

テンプレート:ウィキポータルリンク

技術・施設
災害
その他

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:原子炉 テンプレート:原子力発電所

  1. 1.0 1.1 『日本原子力学会誌』Vol.49
  2. 2.0 2.1 2.2 新規発注はスリーマイル島事故発生前年の1978年が最後であった。なお、1974年以後の発注では1基も完成していない。長谷川公一『脱原子力社会へ -電力をグリーン化する-』岩波書店 岩波新書(新赤版)1328 76ページ 2011年9月 ISBN 978-4-00-431328-1
  3. 『フジサンケイビジネスアイ』2006年11月2日付配信
  4. 4.0 4.1 「原発巡り絡まる思惑 共和党マケイン氏の推進策が波紋」『日経ビジネスオンライン』日経BP社、2008年7月15日付配信
  5. 共同:米で原発新設計画を凍結 コスト面に問題
  6. Hatoyama Says Vietnam to Consider Japanese Nuclear Technology for Power Bloomberg news, April 1, 2010
  7. テンプレート:Cite news
  8. テンプレート:Cite news
  9. 社団法人 日本原子力産業協会 公式サイト、2011年11月30日閲覧