熊本県立第一高等学校

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熊本県立第一高等学校(くまもとけんりつ だいいちこうとうがっこう, Kumamoto Prefectural Daiichi High School)は、熊本県熊本市中央区古城町にある公立高等学校。略称は「一高」(いっこう)、または「熊本一高」、「第一」。

戦前の高等女学校を前身とし、戦後の学制改革により、男女共学の新制高等学校となったが、1976年(昭和51年)4月に男子の入学者数が0となり、1978年(昭和53年)3月の卒業生を最後に、2012年(平成24年)3月までの34年間男子の在籍はなかった[1]2012年(平成24年)4月に男子生徒70名が入学、2013年(平成25年)4月には102名の男子生徒が入学した。

学校概要

歴史

1903年明治36年)に開校した「熊本県立高等女学校」を前身とする。2003年平成15年)に創立100周年を迎えた。

設置課程・学科

全日制課程 普通科 9クラス(うち英語コースが1クラス)

教育精神「白梅の精神」

春に先がけ、凜冽たる空気の中で、凜乎として気品高い香りを放つ白梅の精神 「叡知、真理の探究、自律、高潔、品格」

教育目標

「進学指導の『質』と『量』の工夫・改善」「男女共学の定着」「部活動の充実・振興」

校章

校花の「白」(しらうめ)を意匠化し、その中央に「高」の文字を配する[2]

校歌

作詞は勝承夫、作曲は平井康三郎によるもの。3番まであり、各番に校名の「熊本一高(くまもといっこう)」が登場する。

制服(女子)
  • 冬服 - 紺色のセーラー服で、襟と袖には白線が入っている。ネクタイは黒[3]
  • 夏服 - 長袖の白いセーラー服で、袖部分は青色で白線が入っている。ネクタイは白で蝶結び。スカートは紺。
制服(男子)

一般的な黒の詰襟の学生服である。

保護者会

「好文会」(こうぶんかい)と称する。

同窓会

「清香会」(せいこうかい)と称する。

寄宿舎

「白梅寮」がある。

沿革

熊本県立高等女学校
  • 1903年(明治36年)
    • 2月22日 - 熊本県、熊本県立高等女学校の開校を決定。
    • 4月1日 - 熊本市南千反畑町の熊本県物産館を仮校舎に、「熊本県立高等女学校」が開校。修業年限を4年、生徒定員を300名とする。
    • 5月1日 - 授業を開始。この日を開校記念日とする。
  • 1904年(明治37年)10月14日 - 校友会(生徒会)が発足。
  • 1905年(明治38年)3月13日 - 薮の内16番地の熊本県立熊本中学校[4]旧制中学校)跡に移転。
  • 1908年(明治41年)2月14日 - 修業年限1年の補習科を設置。
  • 1910年(明治43年)3月 - 補習科を第一部と第二部に分ける。
  • 1911年(明治44年)4月12日 - 校舎新築のため、新町にある熊本県立商業学校[5]跡の仮校舎に移転。
  • 1912年大正元年)9月10日 - 花形の徽章校章)を制定。
  • 1913年(大正2年)
  • 1918年(大正7年)3月 - 同窓会を「清香会」と命名。
熊本県立第一高等女学校
  • 1921年(大正10年)3月25日 - 「熊本県立第一高等女学校」に改称。補習科を廃止し、修業年限3年の専攻科を設置。
  • 1923年(大正12年)3月16日 - 本科の修業年限を5年に変更。
  • 1944年昭和19年)4月1日 - 本科の修業年限を4年に変更。修業年限2年の高等科を設置。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 本科の修業年限を5年に変更。
  • 1947年(昭和22年)3月 - 高等科を廃止。
熊本県立第二高等女学校
  • 1921年(大正10年)3月25日 - 熊本女子師範学校[6](現・熊本市立藤園中学校校地)内に「熊本県立第二高等女学校」が開校。
  • 1923年(大正12年)3月16日 - 本科の修業年限を5年に変更。
  • 1943年(昭和18年)3月31日 - 修業年限を4年とする。
  • 1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限を5年に変更。
新制高等学校

学校行事

3学期制をとる。

1学期
  • 4月 - 始業式、入学式、入寮式、対面式、1年宿泊研修
  • 5月 - 一高祭体育部門(体育祭)、前期生徒会認証式、県高総体・県総文祭推戴式、好文会(PTA)総会、県高校総文祭
  • 6月 - 県高総体、英語合宿(英語コース)
  • 7月 - 七夕、芸術鑑賞会、学校説明会、終業式
  • 8月 - オーストラリア交流事業
2学期
  • 8月末 - 始業式
  • 9月 -
  • 10月 - 一高祭文化部門(文化祭)、後期生徒会認証式
  • 11月 - 防災避難訓練
  • 12月 - 校内ダンス発表会、終業式、音楽部クリスマスコンサート
3学期

部活動

運動部
文化部

「共学化」復活への動き

同校は1949年に男女共学となった。当時は通学区域を周辺に限定した小学区制がとられ、西山中学校三和中学校などの各中学校から男子生徒が入学した。全盛期の1952年には3学年合わせて約300人の男子生徒が在籍した。しかし、1954年の中学区制移行に伴い、男子が激減し、1978年卒業の3人を最後に2011年時点まで、男子生徒が1人もいない状況が続いていた[1]国立大学の合格者数減少など、進学校としての地盤沈下を懸念する声を背景に「共学化」復活を実現させる運動が拡大。同窓会「清香会」が2010年11月に男女共学推進委員会を立ち上げて、具体的な活動を開始した[1][7]。その結果、2012年度入学試験では70人の男子受験生、2013年度入学試験では102人の男子受験生が合格した。

著名な出身者

文化人
芸能
マスコミ
スポーツ

著名な関係者

アクセス

周辺

脚注

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  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
  2. 熊本県立第二高等学校竜胆を意匠化した校章)とよく似た配色である。
  3. 学校創立100周年を記念して、同窓会の企画により、リカちゃん人形の熊本県立第一高等学校の制服バージョンが発売された。
  4. 熊本県立熊本高等学校の前身。
  5. 熊本県立熊本商業高等学校の前身
  6. 熊本大学教育学部の前身の1つ。
  7. 女子しかいない34年…共学高が男子獲得作戦(2011年7月30日付読売新聞)- 2011年7月31日閲覧

関連項目

外部リンク

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