踊り子 (列車)
踊り子(おどりこ)は、東日本旅客鉄道(JR東日本)、伊豆急行、東海旅客鉄道(JR東海)および伊豆箱根鉄道が東京駅 - 伊豆急下田駅・修善寺駅間を東海道本線・伊東線・伊豆急行線・伊豆箱根鉄道駿豆線経由で運行する特別急行列車である。
なお、本項では同一経路で運行されている「スーパービュー踊り子」などとともに、首都圏と湘南・伊豆半島を結ぶ連絡列車の沿革についても記述する。
概要
特急「踊り子」は1981年10月に、特急形車両183系で運行されていた特急「あまぎ」と急行形車両153系で運行されていた急行「伊豆」を統合し、特急形の新形式185系を充当して運転を開始した。その後1990年4月には、251系を導入して新宿駅・池袋駅・東京駅 - 伊豆急下田駅間で「スーパービュー踊り子」の運転が始まっている。
「踊り子」の列車名の由来は、川端康成作の小説『伊豆の踊子』にちなんでおり、一般公募により決定した。 テンプレート:-
運行概況
踊り子
定期列車は東京駅 - 伊豆急下田駅間に3往復運転され、このうち2往復に修善寺駅発着の列車が連結されている。修善寺駅発着の列車は熱海駅で増解結を行い、三島駅 - 修善寺駅間は特急料金不要の快速列車として運転されている。
このほか、新宿駅・池袋駅 発着で臨時列車が運転されることがある。
停車駅
- 東京駅 - 伊豆急下田間の停車駅
- 東京駅 - 品川駅 - 川崎駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 湯河原駅 - 熱海駅 - 網代駅 - 伊東駅 - 伊豆高原駅 - 伊豆熱川駅 - 伊豆稲取駅 - 河津駅 - 伊豆急下田駅
- 池袋駅 - 横浜間の停車駅
- 池袋駅 - 新宿駅 - 武蔵小杉駅 - 横浜駅
- 熱海駅 - 修善寺駅間の停車駅
- 熱海駅 - 三島駅 - 三島田町駅 - 大場駅 - 伊豆長岡駅 - 大仁駅 - 修善寺駅
使用車両・編成
踊り子 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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大宮総合車両センター所属の185系電車を使用し、グリーン車・普通車で編成されている。 普通列車との兼ね合いもあり、10両基本編成ではグリーン車を4・5号車に2両連結しているが、これは3両連結を基本としている東海道新幹線の列車に次ぐ多さである。
東京駅 - 熱海駅間においては在来線特急列車では最長編成となる15両編成の列車が設定されている(107号と108号は10両編成)。普通車には自由席の設定もあり、伊豆急下田駅発着・修善寺駅発着ともに2両設定されている。なお、2007年3月17日まで、伊豆急下田発着編成は大型連休、夏休み期間、年末年始以外3両であった。
運転開始当初から、それまで「あまぎ」に使用されていた183系と「伊豆」に使用されていた185系がそのまま使用された。だが、183系はともかく185系を使用した列車については、停車駅・設備がほとんど急行「伊豆」の時と変わらずに特急へ格上げされ、テンプレート:要出典範囲。
田町電車区に所属し特急「あまぎ」等に充当されていた183系は、1985年3月の東北新幹線・上越新幹線大宮駅 - 上野駅間の開通により捻出された新前橋電車区配置の185系の一部が田町電車区に転入したことにより、松本運転所に転出した。その後、2005年に臨時「踊り子」が千葉発着で設定された際に183系が使用されている。
このほか、14系客車が臨時列車で使用され、普通座席車両のみで編成したものに加えて、ジョイフルトレイン「サロンエクスプレス東京」を用いた「サロンエクスプレス踊り子」も運行された。
スーパービュー踊り子
平日は、新宿駅→伊豆急下田駅間に1本、東京駅 - 伊豆急下田駅間に3往復、伊豆急下田駅→池袋駅間に1本が運転されている。新宿駅始発の列車は土曜日・休日には池袋駅発着に変更され、さらに大宮駅 - 伊豆急下田駅間で1往復運転されている。
車内には日本レストランエンタプライズ (NRE) 所属のビューアテンダントが通常5名で全区間を乗務し、乗車時の特急券のチェックと車内サービスを担当している。
停車駅
括弧書きは一部列車が停車。
- 大宮駅 - 横浜間の停車駅
- 大宮駅 - 浦和駅 - 赤羽駅 - 池袋駅 - 新宿駅 - 武蔵小杉駅 - 横浜駅
- 東京駅 - 伊豆急下田間の停車駅
- 東京駅 -(品川駅)- 横浜駅 -(小田原駅)-(湯河原駅)- 熱海駅 -(網代駅)- 伊東駅 - 伊豆高原駅 - 伊豆熱川駅 - 伊豆稲取駅 - 河津駅 - 伊豆急下田駅
使用車両・編成
スーパービュー踊り子 | |||||||||||||||||||||||
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大宮総合車両センター所属の251系電車が使用される。2002年から2003年にかけて251系のリニューアル改造が行われた。グリーン車を含めた全車座席指定席で、特急料金は「踊り子」「リゾート踊り子」に比べて割高なA特急料金が適用される。
各先頭車両には展望席が設けられており、1号車はグリーン席で2列6席、10号車は普通席で3列12席である。後述する「リゾート踊り子」と同様に、展望席を利用する際は別料金は不要である。グリーン車の1・2号車と普通車のうち10号車は2階建車両であり、階上は1・2号車がグリーン座席、10号車が普通座席、階下は1号車がグリーン車専用のラウンジ、10号車が子供用のプレイルームである。また2号車には定員4名のグリーン個室が3室設置されている。そのほかの車両(3号車 - 9号車)はハイデッカー車両である。乗降車口は2・3・5・7・10号車(ドアに窓のある車両)に限定されており、アテンダントに指定席特急券の検札を受けてから乗車する。終着駅では1 - 10号車すべての扉が開く。
なお、JR東日本の在来線特急としては唯一、グリーン車でソフトドリンクとおしぼりの提供サービスを実施している。 テンプレート:-
臨時列車
リゾート踊り子
「リゾート踊り子」は、国鉄分割民営化後の1988年7月から、伊豆急行2100系電車「リゾート21」を使用して東京駅 - 伊豆急下田駅間で運転される臨時特急である。なお、運転開始前の1988年5月のゴールデンウィークには、同区間で全席指定席の臨時快速「リゾートライナー21」として運転された。
臨時快速「リゾートライナー21」の停車駅は、東京駅・品川駅・川崎駅・横浜駅・大船駅・平塚駅・国府津駅・小田原駅・真鶴駅・湯河原駅・熱海駅・来宮駅・網代駅・伊東駅・伊豆高原駅・伊豆熱川駅・伊豆稲取駅・河津駅・伊豆急下田駅であった。
2010年10月現在、特定日の土日祝日の運転で、下り列車は東京駅→伊豆急下田駅間。通常は下りのみの運転で、運転日の朝に車両を東京駅まで回送しているが、期間限定で上り列車も営業運転されることもあり、その場合は伊豆高原駅→東京駅間で運転される。
停車駅
東京駅 - 横浜駅 - 大船駅 - 小田原駅 - 湯河原駅 - 熱海駅 - 来宮駅 - 網代駅 - 宇佐美駅 - 伊東駅 - 伊豆高原駅 - 伊豆熱川駅 - 伊豆稲取駅 - 河津駅 - 伊豆急下田駅
使用車両・編成
リゾート踊り子 | ||||||||||||||||
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伊豆急行所有の2100系電車「リゾート21」(おもに第5編成「アルファ・リゾート21」。立川駅発着など一部では「黒船電車」)で運行される。
1988年の運転開始当初、「リゾート21」は普通車のみで編成されており、定期列車と異なり全車座席指定席であった。1990年より「リゾート21」用に増備された特別車両「ロイヤルボックス」をグリーン車として連結している。
全車座席指定席であるが、もともと伊豆急行線内で観光列車である「リゾート21」を使用していることや、両先頭車に展望席が備えられており、観光列車らしい列車である。車内販売は行われていない。なお、JR線内の特急料金は185系特急「踊り子」号と同じB特急料金が適用される。
1998年から夏季に姉妹列車である「シーリゾート踊り子」の運転を開始した。当初は1日に朝の下り1本のみだったが、2002年夏季からは夕方の上り1本も運行を開始した。1日1往復で東京駅 - 伊豆急下田駅の運行であるものの、「リゾート踊り子」が伊豆急下田駅を中心に据えているため東京駅を午後に出発するダイヤを組んでいたのに対して、この列車は東京駅を午前中に出発して東京駅へ同じ列車で日帰りが可能なダイヤを組んでいる。さらに、2002年10月から春季・秋季に「フルール踊り子」が「シーリゾート踊り子」と同様の時間帯で運行されていた。しかしながら2005年夏を最後に夏季は運行されておらず、また、2006年5月からこの時間帯の列車は「リゾート踊り子」81・82号として運行されていたが、2008年の春季を最後に運行されていない。これらの列車には、従来「ロイヤルボックス」は連結されなかったが、2006年10月運転の「リゾート踊り子」81・82号より連結されるようになっている。また、「リゾート踊り子」と異なり自由席も設定されていたが、2008年2月には全車指定席に変更となった。
マリンエクスプレス踊り子
「マリンエクスプレス踊り子」は、2012年12月から土曜日・休日を中心に「成田エクスプレス」用E259系を使用して、東京駅 - 伊豆急下田駅間で全席指定席(グリーン車含む)で運行される臨時特急列車である[1]。特急料金は「スーパービュー踊り子」と同様にA特急料金が適用される[2]。 テンプレート:-
マリンエクスプレス踊り子 | ||||||||||||
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停車駅
東京駅(東海道線ホーム) - 横浜駅 - 熱海駅 - 伊東駅 - 伊豆高原駅 - 伊豆熱川駅 - 伊豆稲取駅 - 河津駅 - 伊豆急下田駅[3]
首都圏対湘南・伊豆半島連絡列車沿革
テンプレート:Main2 もともと、首都圏から伊豆半島へ向う列車は、丹那トンネル開業前後の東海道本線(丹那トンネル開業前は、同線の国府津駅 - 熱海駅間は「熱海線」と呼ばれた)や伊東線へ向う列車があった。
戦後、1949年に週末のみ運転されていた臨時列車ではあるが、東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間で運行した準急「いでゆ」がこの列車の源流である。その後、さまざまな変遷を経て現在の「踊り子」になったのは1981年10月、153系電車・165系電車から185系への置換にともなう、特急「あまぎ」と急行「伊豆」の統合によってである。
戦前
- 1928年(昭和3年)4月:鉄道省は東京駅 - 熱海駅間に休日運転の準急列車(現在の快速列車に相当)を1往復新設。東京駅 - 熱海駅間を2時間13分で結んだ。
- 1929年(昭和4年)9月:鉄道省は東京駅 - 熱海駅間に土日運転の準急列車を1往復増発
- 1930年(昭和5年)10月:、鉄道省は東京駅 - 熱海駅間に毎日運転の準急列車1往復を新設 既存の2往復のうち1往復を毎日運転とし東京駅 - 小田原駅間を1時間20分、同熱海間を1時間45分で結んだ。なお、これは当時の特急列車並みのスピードである。
- 1933年(昭和8年)5月:三島駅(現在の下土狩駅)から分岐する駿豆鉄道線(現在の伊豆箱根鉄道駿豆線)の修善寺駅まで、東京方面から普通列車に併結されて来た鉄道省の客車が週末運行で乗入れるようになる。戦時体制の強化により、のちにいったん消滅。
- 1934年(昭和9年)12月:丹那トンネルの開通により、熱海駅 - 沼津駅間が開業。国府津駅 - 熱海駅 - 沼津駅のルートが熱海線から東海道本線となり、それまでの国府津駅 - 御殿場駅 - 沼津駅間は、東海道本線から御殿場線となる。また、駿豆鉄道線の起点も新線上に新たに設けられた三島駅に変更。東京駅 - 熱海駅間を運行していた準急2往復のうち1往復は沼津駅まで運行区間を延ばすようになり、それとは別に東京駅 - 熱海駅・新宿駅 - 沼津駅間に下り土曜日・上り日曜日のみ運行される準急列車を設定。
- 1937年(昭和12年)12月:この年7月に勃発した日中戦争の影響で「遊楽旅行」には次第に制限がかかるようになり、この時新宿駅 - 沼津駅間運行などの、一部の週末準急列車が廃止。
- 1938年(昭和13年)12月:伊東線の熱海駅 - 伊東駅間が全通し、東京駅 - 熱海駅間を運行していた毎日運転の準急列車1往復が同駅まで延長運転され、東京駅 - 伊東駅間を2時間22分で結ぶ。
- 1940年(昭和15年)10月:日中戦争の戦況が次第に泥沼化する中、準急列車の停車駅が増やされて定期列車のそれに関しては東京駅 - 国府津駅間では普通列車同様となる。
- 1942年(昭和17年)11月:戦時陸運非常体制実施のため、東京駅 - 沼津駅間などの準急列車がすべて廃止される。
戦後
終戦直後の湘南準急「いでゆ」「いこい」
- 1949年(昭和24年)
- 2月:東京駅 - 伊東駅間に下りのみ毎週土曜日運行の準急列車が1本設定される。この準急列車は湘南準急と呼ばれた。なお戦後の「準急」は有料列車であり、急行列車より設備・速度などで劣るため、その分割安な料金を設定した列車として、1946年11月に登場していた。
- 4月:湘南準急に、駿豆鉄道線修善寺発着の列車を併結するようになる。同鉄道への乗り入れ再開。
- 10月:上り列車が毎週日曜日に運転されるようになり、湘南準急に「いでゆ」と命名される。当時の国鉄の列車愛称は、同年9月に登場したばかりの東京駅 - 大阪駅間の特急「へいわ」と夜行急行「銀河」のみであり、この命名は画期的なものであった。
- 12月:「いでゆ」の姉妹列車として、東京駅 - 三島駅・伊東駅間に同じく週末(土曜下り・日曜上り)運転の「いこい」を設定。
電車の台頭と列車の増発・名称多様化
- 1950年(昭和25年)
- 10月:東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間に、週末準急「あまぎ」を設定。それまでの準急は客車を使用していたが、この「あまぎ」は湘南電車と呼ばれこの3月から普通列車などで運用についていた80系電車を使用し、優等列車への電車使用のさきがけとなった。当時、駿豆鉄道線三島駅 - 修善寺駅間の架線電圧は600Vであり、同鉄道への乗入れに際しては、三島駅の国鉄線 - 駿豆線の渡り線に死電区間を設け、車両の方も特殊装備を施して対応した。
- 11月:東京駅 - 伊東駅間に下りのみの客車週末準急「はつしま」を設定。なおこの時、「いこい」も修善寺駅まで運行されるようになる。下り「あまぎ」は東京駅 - 熱海駅間を1時間29分、同伊東間を2時間3分で走破したが、これは「いこい」「いでゆ」より全区間の所要時間にしては30分早く、また東京駅 - 熱海駅間の所要時間は当時の最優等列車であった特急「はと」と同じであり、電車の速達性を見せ付けるものであった。現行の特急「踊り子」と比べても東京駅 - 熱海駅間で約10 - 20分、東京駅 - 伊東駅間で約15 - 25分程度しか短縮されていないほど、当時の水準としては速いものであり、その速さから、準急「あまぎ」は湘南特急と人々から呼ばれた[4]。
- 1951年(昭和26年)3月:「いでゆ」「はつしま」は80系電車化され、同時に「いでゆ」は臨時列車ながら毎日運行されるようになる。
- 「いづ」「いでゆ」のヘッドマークにはそのスピードをアピールする意味も込めて「湘南特急」の文字が書き込まれた。[5]
- 1952年(昭和27年)3月:「いでゆ」は伊東行の二等車(現在のグリーン車に相当)をそれまでの2両から3両に増結し、その分三等車(現在の普通車)を1両減車。
- 1953年(昭和28年)3月:「あまぎ」は「伊豆」に改称され、臨時ながら毎日運行になる。
- 1954年(昭和29年)10月:「いでゆ」「伊豆」は定期列車に格上げされる。「伊豆」「はつしま」は着席を確保するため、列車指定・枚数制限の準急券を販売するようになる。同時に、新宿駅 - 熱海駅間に準急「あまぎ」を設定。「あまぎ」により、1937年12月に戦前の温泉準急が廃止されたあと、17年ぶりに新宿始発の伊豆方面列車が復活。また同列車は、1980年代以降横須賀線電車・湘南新宿ラインなどといった多種の旅客列車が運行されるようになったが、当時はただの貨物線であった品鶴線を経由するなど、変則的な運行経路をとった。
- 1955年(昭和30年)
- 7月:電車準急の修善寺編成の東京駅 - 熱海駅間の連結位置を、それまでの熱海方から東京方に変更。
- 10月:「いでゆ」の伊東編成に3両連結の二等車のうち1両を修善寺編成に組込み、それ以外の電車準急の修善寺編成には三等車を1両組込み、5両編成に増結される。
- 1956年(昭和31年)11月:東京駅 - 伊東駅・修善寺駅間に、土曜下り・日曜上り運転の準急を増発。同列車は「たちばな」と命名。
- 1957年(昭和32年)10月:「いでゆ」の5分先行する時刻で、不定期準急「十国」が東京駅 - 熱海駅間に設定される。当時はどの列車も二等車、三等車の両方が連結されていたのに対し、三等車のみを連結した。
- 1959年(昭和34年)
- 4月:「伊豆」「はつしま」は前述した列車指定の準急券販売制を発展させて、全車座席指定席となる。またこの時、同じく列車指定の準急券販売が行われていた「いでゆ」「十国」「たちばな」も座席指定席制へ改められ、新たに全車座席指定制の不定期準急「おくいず」が東京駅 - 伊東駅間に、および土曜日に上りのみ伊東 - 東京間運行の準急(この列車には列車名は付けられなかった)が設定される。そして「たちばな」は、伊東方面のみ毎日運転となる。
- 4月10日・12日:4月10日に皇太子明仁親王(現在の今上天皇)と正田美智子(現在の皇后)との結婚式が催され、国鉄はそれを記念して東京駅 - 伊東駅間に臨時準急「ちよだ」を特急「こだま」用のモハ20系電車で運行。これは同系が準急に使用された唯一の例となる。
- 6月:「伊豆」が、80系電車より性能・設備などですぐれる153系電車に置換えられる。以後「いこい」(客車列車)をのぞく、ほかの電車列車も順次153系電車へ改められていく。
- 9月:伊豆箱根鉄道駿豆線の架線電圧を600Vから1500Vに昇圧。
- 11月:「十国」にも二等車を連結。
- 1961年(昭和36年)
- 3月:日光駅 - 伊東駅間に、それまで東京駅 - 日光駅間を運行していた準急「日光」を延長する形で、「湘南日光」を運転開始。この列車は季節により利用状況が異なるものと推定されたため、シーズンにより日光駅 - 東京駅間の「第2日光」、東京駅 - 伊東駅間の「臨時いでゆ」とに分けて運転。またこの時、「伊豆」が上り1本増発されている。この「第2伊豆」は、「湘南日光」または「臨時いでゆ」の間合使用で、「第2伊豆」を運転した場合は翌日、品川駅から伊東駅へ送り込み回送列車を運転して上りの「湘南日光」または「臨時いでゆ」に充当。「湘南日光」は、東京駅をスルー運転する優等列車という珍しいものとなったが、湘南を観光した後に日光へ向かう客やその逆の客は多く、好評を博した。車両はすでに「日光」に投入されていた、特急列車並の設備を持った157系電車を使用。
- 10月:新宿駅 - 熱海駅間の「あまぎ」は廃止され、新たに「たちばな」が改称されて「あまぎ」を名乗るようになる。なお上りの「たちばな」は「伊豆」の増発列車扱いとなった。「十国」廃止。「いでゆ」は増発され、下り2本・上り3本となる。
- 1961年(昭和36年)12月:伊豆急行線の開業により、「伊豆」のうち1往復と「おくいず」が伊豆急下田駅まで乗り入れるようになる。
- 1963年(昭和38年)
- 3月:「湘南日光」を165系電車に置換え。設備面では153系電車と同等となる。
- 10月:それまで土・休日運転であった「おくいず」が定期列車に格上げされる。
- 12月:「あまぎ」が伊豆急下田駅乗入れ開始。
新幹線開業後の「伊豆」「あまぎ」およびその列車群
- 1964年(昭和39年)10月1日:東海道新幹線の開業により次のように変更。
- 「こだま」による東京駅 - 熱海駅間の所要時間は58分と1時間の大台を割込む。
- 東京駅 - 大阪駅間の特急「ひびき」に使用されていた157系電車が、新幹線の開業による「ひびき」廃止で余剰となったため「伊豆」に転用。
- 「伊豆」は東京駅 - 伊豆急下田駅・修善寺駅間定期2往復の急行列車へ格上げとなる。ただ準備のため運転開始は翌月からとなった。「伊豆」の編成は下田行7両+修善寺行6両の13両編成で、それぞれの編成に一等車を2両ずつ連結した。
- 「伊豆」の格上げに関して残った1往復半は「あまぎ」に組み込まれ、「あまぎ」は不定期2往復となる。
- 1964年東京オリンピック開催に伴う観光客誘致のため、東京駅 - 熱海駅間に151系電車による全車座席指定制臨時急行列車「オリンピア」が運行された。「オリンピア」は、湘南・伊豆方面へ向かう最初の急行列車となる。
- 1965年(昭和40年)10月:列車名の整理が行われて、「おくいず」は「あまぎ」に、「いこい」は「いでゆ」に統合される。定期の準急は「いでゆ」から「あまぎ」に移って「あまぎ」は定期5往復半体制となり、「いでゆ」は不定期準急となる。
- 1966年(昭和41年)
- 3月:国鉄の料金制度改定に伴い、「あまぎ」「いでゆ」「湘南日光」は準急から急行に格上げされる。
- 10月:平(現在のいわき駅) - 伊豆急下田駅間に、臨時急行「常磐伊豆」(土曜下り・日曜上り運転)を設定。
- 1967年(昭和42年)
- 9月:「常磐伊豆」に修善寺行きを設定。平駅(現在のいわき駅) - 伊豆急下田駅・修善寺駅間の列車となる。
- 10月:東海道本線三島駅に併設して新幹線の車両基地ができたことにより、東京駅 - 熱海駅間の「こだま」が設定される。
- 1968年(昭和43年)10月:再び列車名の整理が行われて、車両や定期・不定期問わず全車指定席の列車は「伊豆」に、自由席連結の列車は「おくいず」となり、「いでゆ」「あまぎ」を廃止。
- 1969年(昭和44年)4月
- 車両基地のあった三島駅を新幹線の停車駅とし、東京駅 - 熱海駅間の区間運行であった「こだま」は、すべて三島駅まで運転。
- 「伊豆」は前年10月の改正で、153系電車と157系電車の両方が使用されるようになっていたが、二等車のサービス格差が大きいため157系電車使用の列車を特急列車に格上げし、「あまぎ」と命名。
- この特急「あまぎ」は急行「伊豆」の格上げ定期2往復と季節・臨時各1往復の4往復とした。なお「あまぎ」の特急列車格上げに際しては、運行区間を東京駅 - 伊豆急下田駅間とし、うち定期・臨時それぞれ1往復は横浜駅 - 網代駅間をノンストップ(定期・季節各1往復は熱海駅にも停車)にすることで東京 - 伊豆急下田間を2時間30分台で結ぶダイヤにするなど速達性を重視することにした。また、伊豆急行線内でも社線内特急料金を徴収することになった。ただし、修善寺方面は、その使命を新幹線に託して設定されなかった。
- 1970年(昭和45年)10月:末期は伊東行きのみの運転となっていた「湘南日光」が廃止。
- 1972年(昭和47年)11月:「常磐伊豆」が廃止。
- 1975年(昭和50年)3月:「伊豆」の修善寺発着編成のうち1往復に連結されていたグリーン車を廃止。修善寺発着編成は全列車普通車のみの列車となる。
- 1976年(昭和51年)3月:「あまぎ」に使用される157系電車は老朽化したため、183系電車に置換えられる。これは157系電車の終焉でもあった。これに合せて自由席を連結する。また「伊豆」にも自由席が連結されることとなったため、「おくいず」を「伊豆」に統合。
- 1981年(昭和56年)3月:「伊豆」の車両が、老朽化した153系電車から順次新しく登場した185系電車に置換えられる。これは、この年10月に運転を開始する「踊り子」に同系を使用することになったため、試験運用も兼ねた先行投入といえるものであった。また185系電車は153系電車との併結列車も存在した。
特急「踊り子」の誕生
- 1981年(昭和56年)10月:特急「あまぎ」と急行「伊豆」を「踊り子」に統一し「エル特急」に指定される。所要時間は平均2時間45 - 50分と「伊豆」と同じ停車駅を引き継ぎながら10分程度のスピードアップは図られたものの2時間30分台で走っていた「あまぎ」よりは劣るものとなった。
- 1983年(昭和58年)8月:EF58形またはEF65形が牽引する81系和式客車による「お座敷踊り子」が運転された。いわゆる旧形客車による最後の特急運用。
- 1985年(昭和60年)
- 3月:「踊り子」全列車を185系電車に統一。
- 10月:準急「あまぎ」以来の復活となる新宿発着「踊り子」を休日中心の臨時列車で運転開始。
- 1986年(昭和61年)3月:「踊り子」に平日・休日別ダイヤを採用。
国鉄分割民営化と「踊り子」の多様化
- 1987年(昭和62年)12月:前橋駅 - 伊豆急下田駅間を高崎線・山手貨物線・品鶴線経由で運行する臨時特急列車「モントレー踊り子」を運転開始。1990年12月までおもに夏休み・冬休みに運転を行った。
- 1988年(昭和63年)
- 3月:「踊り子」の1往復を、池袋駅発着とする。これは従来新宿発着で運行されていた列車を定期列車化したものである。なお、池袋発着の列車には100番台の番号を与え区別をした。またこの日から急行「東海」の停車駅と新橋駅・茅ヶ崎駅・真鶴駅に停車する快速「アクティー」が新設されたことに伴い「踊り子」の平日・休日別ダイヤは終了し、大船駅 - 小田原駅間は平日でも通過となるほか、東京駅 - 熱海駅間で曲線通過速度と分岐器通過速度を向上させたことにより一部列車の所要時間が短縮される。
- 5月:伊豆急行の2100系「リゾート21」を使用して、大型連休に東京駅 - 伊豆急下田駅間で臨時快速「リゾートライナー21」を運行。
- 7月:東京駅 - 伊豆急下田駅間に、前述した2100系電車を使用した臨時特急「リゾート踊り子」を運転開始。
- 1989年(平成元年)8月:成田駅 - 伊豆急下田駅間に183系電車により臨時特急「ウイング踊り子」運行。この時点ではまだ成田空港高速鉄道成田駅 - 成田空港駅間は未開業のため、成田国際空港へはバス連絡となる。
- 1990年(平成2年)4月28日:新宿駅・池袋駅・東京駅 - 伊豆急下田駅間に、展望席などを設けた251系電車を使用して、リゾート特急「スーパービュー踊り子」3往復を運転開始。新宿・池袋発の「踊り子」は、同列車に変更。ただし、設定当初は251系電車が2本のみの在籍だったので、車両運用の兼合いから池袋発の「スーパービュー踊り子」は水曜日運休とし、代走で「踊り子」が運行。また、以下のように番号を振分けた。
- 1号 - :東京駅発着「スーパービュー踊り子」
- 51号 - :新宿駅・池袋駅発着「スーパービュー踊り子」
- 101号 - :東京駅発着「踊り子」
- 151号 - :新宿駅・池袋駅発着「踊り子」(ただし、臨時列車のみで定期列車としては設定当初計画的に行われた「スーパービュー踊り子」代走の「踊り子」のみ)
- 臨時列車は通例の80番台を付す。
- なお、設定当時は、東京駅からではなく新宿・池袋駅発着の列車を中心にした。理由は以下のとおりとされる。
- 1990年(平成2年)7月:以下の臨時快速列車を165系・167系電車で運転開始。
- 1991年(平成3年)12月:東京駅 - 伊豆急下田駅間で臨時快速「伊豆いでゆ号」運行。1993年まで毎年年末に運行。
- 1992年(平成4年)3月 「スーパービュー踊り子」、定期5往復に。また、代走「踊り子」の運行も終了
- 1994年(平成6年)12月:「スーパービュー踊り子」、2往復を臨時に格下げ、定期3往復・臨時2往復となる。
- 1995年(平成7年)7月 :「パノラマエクスプレス アルプス」+167系「メルヘン」車使用の臨時急行「パノラマ東伊豆」を7月24日 - 28日・31日 - 8月4日にかけて東京駅 - 伊豆急下田駅間に運行。
- 1998年(平成10年)
- 7月:2100系電車使用の臨時特急「シーリゾート踊り子」を下りのみ東京 - 伊豆急下田間に運転開始。
- 12月:臨時特急「伊東線60年記念号」を東京駅 - 伊豆急下田駅間183系電車で運行。
- 1999年(平成11年)5月:この年の大型連休に、183系電車を使用して「あまぎ」の復活運転を行う。
2000年代の展開
- 2000年(平成12年)
- 休日の修善寺発列車については駿豆線内のみの乗車を禁止していたが、これを解除する。
- 12月:「リゾート踊り子」、上りのみ伊豆高原駅 - 東京駅間運行に変更される。
- 12月9日:14系座席車6両編成使用の「さよなら20世紀 踊り子号」を東京駅 - 伊東駅間下りのみ運行。EF58形61号機牽引により客車「踊り子」リバイバル運転の要素も込められたが、14系客車の全廃により事実上最後の客車「踊り子」となった。
- 2001年(平成13年)
- 2月:2100系使用の臨時特急「踊り子観桜」号を横浜駅 - 伊豆急下田駅間に運行。
- 3月:「踊り子」で、定期乗車券と自由席特急券との併用を解禁。これまでは、ほかの在来線特急で認められるようになっていた定期乗車券と自由席特急券の併用が「踊り子」「東海」では長らく認められず、再度普通乗車券を購入する必要があった。
- 7月:485系和式電車使用の臨時特急「お座敷湘南伊豆」を東京駅 - 伊東駅間に14・15・28・29日の4日間運行。
- 10月7日:「踊り子」運転開始20周年を記念して、「踊り子20周年記念号」として183系電車9両編成によるリバイバル運転が行われた。
- 12月9日:伊豆急行線開業40周年記念事業の一環として、165・167系国鉄色8両編成を使用したリバイバルトレインの急行「伊豆」を東京駅 - 伊豆急下田駅間に運行。
- 2002年(平成14年)
- 2003年(平成15年)7月:「スーパービュー踊り子」池袋発の下り1本を臨時に宇都宮駅始発として運行する。
- 2004年(平成16年)11月13日:JR東日本の「駅からハイキング」企画の一環として、東京駅 - 伊豆急下田駅間で臨時特急「あまぎウォーキング」を1往復運転。183系電車によるもので、ヘッドマークは「あまぎ」のものに“ウォーキング”の文字を書き添えたものを使用した。
- 2005年(平成17年)11月3日・5日・6日:総武快速線千葉駅 - 東京駅 - 伊豆急下田駅間に幕張車両センター183系・189系電車を使用の「踊り子」161・160号を運行。
- 2006年(平成18年)
- 5月:下田開港150年に際し、黒船をイメージして黒をベースに赤と白帯を配した塗色の「黒船電車」に模様替えした2100系「リゾート21EX」使用の「リゾート踊り子」81・82号を休日に運行。
- 10月:「リゾート踊り子」81・82号に、「黒船電車」装飾の「ロイヤルボックス」の連結を開始。
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)12月13日・14日:伊東線開業70周年記念事業の一環として、田町車両センター183系・189系電車を使用の臨時特急「あまぎ」を1往復運転。
- 2009年(平成21年)
- 3月14日:「踊り子」の蓮台寺駅停車が取りやめになる。
- 5月16日・17日:南武線沿線からの黒船祭観光を考慮して、黒船ラッピングを施したリゾート21EX普通車のみの6両編成(南武線内の有効長の関係)使用の臨時特急「リゾート踊り子」91・92号が立川駅 - 伊豆急下田駅間(浜川崎駅経由)で1往復運転。その後、同年7月11日・12日および9月26日・27日、11月14日・15日、2010年1月9日 - 11日・5月15日・16日、2011年2月18日・25日、2012年3月23日 - 25日・5月18日 - 20日にも運行されたが、2011年2月は伊豆急下田行きのみの運転だった。なお2011年は5月21・22日にも運転予定だったが、3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の発生を受けて被災者の心情などへの配慮から黒船祭が中止されたため、同列車も運休。
2010年代の展開
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
- 2月11日 - 2月13日:河津桜観光を考慮して、総武快速線千葉駅 - 東京駅 - 伊豆急下田駅間に、伊豆急2100系リゾート21EX(ロイヤルボックス組込の8両編成)使用の臨時特急「河津桜号」を1往復運転[6]。
- 3月26日:3月まで実施の「伊豆・湯河原 温泉いっぱい・花いっぱいキャンペーン」ファイナルイベントとして80系に準じた湘南色とした大宮総合車両センター所属の185系OM03編成を使用した臨時特急「上州踊り子」を高崎駅 → 伊豆急下田駅間(新宿経由)で、臨時特急「伊豆の踊り子」を伊豆急下田駅 → 東京駅間で運行予定だったが、3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)および東京電力・福島第一原子力発電所事故を発端とした電力不足による東京電力の計画停電実施にともない両列車とも運転中止。これ以降、電力不足により運転中止もしくは減便を余儀なくされる。
- 3月27日:大宮総合車両センター185系200番台OM03編成使用の臨時特急「いでゆ」を東京駅 - 伊豆急下田駅間で1往復運行する予定だったが、前記の理由により運休。
- 10月7日:「リゾート踊り子」を伊豆急2100系黒船電車8両編成で運転再開。
- 10月15日・10月16日:「踊り子」運転30周年を記念して、登場時の塗色に復元した田町車両センター所属の185系A8編成を使用した団体臨時列車「特急踊り子30周年記念号」を15日に下り、16日に上り各1本を東京駅 - 伊豆急下田駅間に運転[7]。
- 2012年(平成24年)
- 2013年(平成25年)
各列車名の由来
東京駅 - 熱海駅・伊豆半島駅間を走る列車の名称は、かつては前記したように数に富んでいたが、徐々に統廃合されて「踊り子」一種類のみとなった。多種多様な名称が存在した背景としては、列車名称を分けることで座席指定券の誤発券を防ぐことや、目立たせて乗客を各列車に分散させることなどがあったとされる。
(五十音順)
- 「あまぎ」 伊豆半島の中央部に存在する「天城山」(あまぎさん)にちなむ。
- 「いこい」 温泉場で「憩う」(いこう、のんびり休息するの意)ことから。
- 「伊豆」(いず) 半島名・旧国名である「伊豆」にちなむ。
- 「いでゆ」 温泉を表す言葉の「出湯」(いでゆ)にちなむ。
- 「おくいず」 伊豆半島の南部地域をさす言葉である「奥伊豆」から。
- 「オリンピア」 オリンピック大会の語源・由来となったギリシャ語の地名「オリンピア」から。
- 「十国」(じっこく) 静岡県熱海市と函南町の間に位置する、「十国峠」(そこから相模国・武蔵国・安房国・上総国・下総国・駿河国・遠江国・信濃国・甲斐国・伊豆国の旧国名にして「十国」が眺められるということからの命名だという)にちなむ。一般的には「じゅっこく」と呼称されることが多いが「じっこく」が正当。
- 「湘南日光」(しょうなんにっこう) 湘南地域と日光を結ぶことから。
- 「常磐伊豆」(じょうばんいず) 常磐(旧国名の常陸・磐城、現在の茨城県・福島県東部)地域から伊豆へ向かう列車として命名。
- 「たちばな」 伊豆地域でも多く栽培される、食用柑橘類の総称名である「橘」(たちばな)にちなむ。
- 「ちよだ」 皇居の所在地である「千代田」(ちよだ)に由来。なお当時の皇太子明仁の婚姻の祝賀という側面もあり、例外的に東京の地名が用いられた(→列車愛称を参照)。
- 「はつしま」 静岡県熱海市に属し、同市の海上東方約10kmのところに位置する「初島」(はつしま)にちなむ。
脚注
関連項目
外部リンク
- JR東日本:車両図鑑 特急・寝台特急 185系踊り子 - 東日本旅客鉄道
- JR東日本:車両図鑑 特急・寝台特急 251系スーパービュー踊り子 - 東日本旅客鉄道
- 伊豆急2100系 - 伊豆急行
- ↑ テンプレート:PDFlink - 東日本旅客鉄道 プレスリリース 2012年10月19日
- ↑ JR時刻表・JTB時刻表2013年1月号
- ↑ 特急「マリンエクスプレス踊り子」号デビュー - 東日本旅客鉄道 横浜支社
- ↑ 寺元光照『国鉄・JR 列車名大辞典』中央書院 ISBN 4-88732-093-0 p.80
- ↑ ヘッドマークに付いては「鉄道ファン」の各号に写真掲載。「いづ」- No.178 (1976年2月号) p18。「いでゆ」 - No.457 (1999年5月号) p47。
- ↑ テンプレート:PDFlink - 伊豆急行株式会社プレスリリース 2011年1月13日
- ↑ 団体臨時列車“特急踊り子30周年記念号”運転 - 『鉄道ファン』交友社 railf.jp鉄道ニュース 2011年10月16日