池田政礼

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池田 政礼(いけだ まさのり、嘉永2年12月17日1850年1月29日) - 明治40年(1907年10月7日)は、備中生坂藩の第8代(最後)の藩主。名の表記は池田政禮とも(旧字体)。

第7代藩主・池田政和の次男。正室は上杉斉憲の娘。養子に池田政時(本家岡山藩池田慶政の子)。官位は従五位下、丹波守。幼名は日升丸。

安政2年(1855年)12月27日、父の隠居により家督を継ぐ。文久3年(1863年)、上京して御所の警備を務めた。慶応3年(1867年)12月に再び上京して、翌慶応4年(1868年)からの戊辰戦争では本家の岡山藩と共に、新政府軍に与した。そして大津口の警備や尾張藩への進軍などで功を挙げている。明治3年(1870年)正月、生坂藩知事となる。明治4年(1871年)7月14日、廃藩置県により免職され、9月に東京に移った。後に子爵となり、明治40年(1907年)に死去。養子の政時が跡を継いだ。政時は実子の政良が早世したため、養子として政英姉小路公政の子)を迎えた。政時、政英もまた子爵となっている。

テンプレート:生坂藩主