日産・パオ

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テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 パオ (Pao) は、日産自動車1989年に企画・販売した自動車である。型式はPK10型。同社のK10型マーチをベースとしたパイクカーシリーズの第2弾。

沿革

概要

パオのデザインについて、コンセプターの坂井直樹は、「バナナ・リパブリックという服飾ブランドのコンセプトである『旅行やサファリの冒険気分を味わえる服』を、そのままクルマのデザインやコンセプトに置き換えてみようというものだった」と語っている[3]

外観は、上下2分割・フリップアウト式リアクオーターウインドウ、ガラスハッチとドロップゲートを組み合わせた上下開きのバックドア、開閉式の三角窓、外ヒンジのドア類、パイプ状のバンパーなど、シトロエン・2CVルノー・4を髣髴とさせる、全体的にレトロスタイリングであった。デザイナーはフロントドアのヒンジも露出させる方針であったが、安全性を優先して半分を隠す処理とした。車体色も、アクアグレー、オリーブグレー、アイボリー、テラコッタという四色のアーシィーカラー (Earthy color) と呼ばれる天然素材を思わせるやさしい色味が設定されていた。

内装は、K10型マーチの「コレット」で初めて採用し、好評であった麻布の風合いを持ったシート表皮で外観との統一感を持たせてある。

ノスタルジックな見た目に反し、ボディー外板には新素材や新工法がふんだんに投入され、フロントフェンダーとフロントエプロン熱可塑性樹脂射出成形ポリフェニリンオキシドナイロン6による非結晶型ポリマーアロイ)のフレックスパネルが用いられており[4]エンジンフードには SMC (Sheet Moulding Compound、ガラス繊維を含む不飽和ポリエステルのシートを加熱反応硬化させて製品にする成形法)成形樹脂 (FPR) 熱硬化性樹脂(SMC の一体成型では日本初)補強リブも1枚構造の樹脂フードを使用、軽量化を図り、鋼板では、耐腐食性を向上させたデュラスチール(亜鉛ニッケル合金メッキの片面処理鋼板)をサイドシル、リアホイールハウスの外板へ、新デュラスチール(亜鉛ニッケル合金メッキの両面処理鋼板)をドア、バックドア、リアエプロンの外板に、そのほか高張力鋼板を適所に採用することで、防錆性能、強度、剛性の向上と、軽量化を図った。特に防錆処理には力が入れられており、袋部分(閉断面部)に防錆シーラント、防錆ワックスの適所注入や、製造工程でもエッジ錆を避け、塗料の付着性を高める目的で、鋼板パネル端末部のバリ突出量を抑える様にしている。外装塗装は、全色フッ素樹脂塗装が採用されている。

走行実験では、基本的な操縦安定性の確保のほかに、前作のBe-1や、フィガロとは違い、ロールセンターが高く、平行ロールに近い(駕籠のような感覚)フランス製大衆車的な乗り心地に設定されているテンプレート:要出典

基本的にはエアコン、ステレオなどはメーカーオプションであったが、ステレオには専用の2DINコンソールが必要でカセットチューナー以外に当時このクラスでは珍しいCDチューナーもあり両方とも真空管ラジオ的なデザインにしパイクカーのイメージに合わせていた。そのためフィガロにも設定されていた。

1987年1月に発売されたパイクカー第1弾「Be-1」は、予想以上の人気によって当初の限定生産台数分を発売後約2ヶ月で完売した。それに対してパオでは、受注期間を3ヶ月(同年4月14日まで)とし、その間に予約された全台数を販売するという販売方法を採用した。その結果、Be-1を上回る51,657台の受注を得、納期は最長で1年半に達した[5]

脚注

  1. 『日産パオ&フィガロ&Be‐1』, エンスーCAR本「STRUT」, エンスーCARガイド, 2008年
  2. http://www.takada-kogyo.jp/company/index.html
  3. PDの思想委員会編 『プロダクトデザインの思想 <Vol.3>』 ラトルズ、2005年
  4. なお、Be-1にも一部この素材が用いられていた。
  5. http://www.nissan.co.jp/MUSEUM/MARCH/PIKE/pike.html

関連項目

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外部リンク

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