島唄

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テンプレート:出典の明記 テンプレート:独自研究 島唄シマ唄(しまうた)は、奄美群島で歌われる民謡である。

元来は、奄美群島内で、地元の住民によって集落毎に歌われる民謡を指して用いられていた。近年、用語が沖縄県や日本全国に広まるにつれて、本来の含意、用法から離れて、奄美群島の民謡と琉球民謡が混同されたり、あるいは、琉球民謡の別名として誤って使用されることもある。誤用を避けるため、あるいは集落の歌であることを示すために「島」という漢字を使わず、「シマ唄」と表記されることもある。

本項では、本来の奄美群島の民謡としての島唄(シマ唄)について説明する。

概要

奄美群島の方言である奄美方言(シマグチ、シマユムタ、シマユミタ、シマムニ、シマフトバなどと呼ばれる。)では、「シマ」という言葉は自らの郷里、帰属地を指し、シマ唄とは郷里の民謡を意味する。「シマ」という言葉の指す範囲は、奄美群島、個々の、集落など、場面によって様々であるが、「シマ」と片仮名表記する場合には集落のことを指すことが多い[1]。そして、奄美大島の高齢者は、出身集落以外の歌は「シマウタ」とは呼ばないとの報告もある[2]。実際、奄美群島や沖縄県では集落ごとにそのオリジナルの民謡を持っていることが多く、また多くの市町村に広まっている歌であっても、集落ごとに異なった歌詞のバリエーションを持っていることが多く、旋律に違いがある場合もある。島唄は集落毎の生活に密接に根ざしている労働歌や、伝承を歌詞にした歌、呪術の一種であるサカ歌などを口伝によって伝えてきたものが多く、一方で、歌遊び(歌掛け)など、即興で方言による歌詞を組み合わせながら変えて歌うことも行われる。島唄に長けたものは唄者(うたしゃ)と称されるが、職業としての歌手ではなかった。録音、放送などによって広い地域に伝える技術が成立した一方で、方言が分からない若い世代が増えた現在は、島唄が興業的に歌われる機会が増え、唄者が職業的になってきているが、奄美群島においては、著名な唄者であっても他に生業を持っている。また、奄美群島の各地から唄者が参加して優劣を競う奄美民謡大賞などの大会も存在する[3]。「ワイド節」のように、近年新たに作られ、奄美群島で広く普及した歌もある。

近年、奄美群島の民謡と琉球民謡との総称として、あるいは、琉球民謡のみを指して、さらには、琉球民謡の影響を受けた流行歌までを、「島唄」と誤って呼ぶ例が増えている。「島唄」という呼称は1970年代に、琉球放送のラジオ番組などを通じて沖縄に導入された[2]。また、1990年代には全国的に広まったが、これは、山梨県出身であるが沖縄県のイメージが強いTHE BOOMの「島唄」のヒットの影響であるとも言われる。テンプレート:要出典範囲また一部の三味線奏者の元には「THE BOOMの島唄を"さんしん"で弾きたい」と言う沖縄の若者が増えたと言われている。

特徴

グィン(裏声を瞬間的に含めるこぶしの一種)とファルセットを多用する独特の歌唱法を持ち、音域が非常に広いなどの特徴を持っている。

奄美大島の島唄は、北部の笠利節/笠利唄(かさんぶし/かさんうた)と南部の東節/東唄(ひぎゃぶし/ひぎゃうた)の2つの流れに大別される。笠利節は、ゆったりとした調子で深みのある荘重な表現が特徴であり、東節は、激しく変化に富んだ節回しで情緒的な表現が特徴である。笠利出身の当原ミツヨ松山美枝子里アンナは笠利節、朝崎郁恵元ちとせ中孝介は東節の系統にあたる。

奄美大島を含む、徳之島以北は本土と同じ五音音階陽音階(律音階。ヨナ抜き音階参照)で、日本民謡の南限という側面を持つ。一方で、沖永良部島以南(奄美群島では他に与論島)では琉球音階が用いられ、琉歌の北限という側面も持っており、琉球民謡の一翼を担う。琉歌は八音を中心に、五音・六音・七音を標準とする定型詩であり、基本的には「サンパチロク」といわれ、八・八・八・六を基本形とする。

主に用いる楽器の奄美三味線は見た目には沖縄の三線と似ているが、沖縄では太い弦を爪(水牛の角)や、最近では安値で管理しやすいギター用ピックなどでダウンストロークに弾くのに対し、奄美の島唄では細い弦を薄くて細長い竹べらやプラスチックのへらを用いてアップストロークを多用する。また、棹を押さえる左手の指で弦を弾く「はじき」や、ハンマリングの「うちゆび」、これらを組み合わせた3連音も多用される。このように奏法・調弦に大きな差があり、鎖国期にはニシキヘビの皮のかわりに和紙を10枚重ねたものが庶民のあいだで愛用されたことから楽器本体の構造にも違いがあるため、基本的に三線との使い回しはできない。呼称は地域や年代によって様々だが、シャミセン(三味線)、ジャミセン(蛇皮線・鹿児島県伝統工芸品)、サンシル(沖永良部島)、サンシンと呼ばれる。リズムを取るための打楽器としては独特の太鼓ちぢん(の転化音)が普及している。

演歌本土の民謡琉球民謡などでは逃げの声として避けられる裏声も、ヨーデルでのそれと同様に、頻繁に用いられるのが特徴的である。その理由に対し民謡研究家仲宗根幸市が以下の仮説を出している:

  • 琉歌のルーツは神託に求められ、非日常的で神聖な行為と関連していたため。
  • おなり神(うない神)信仰による男性の女性の声に近づけて歌いたいという願望。
  • 薩摩の支配下で大っぴらに苦しみを表現できなかったため。
  • 山合の急峻な地形でのコミュニケーション手段。
  • 音色変化と音域を補うという音楽的理由。

代表的な島唄

奄美大島

喜界島

徳之島

沖永良部島

代表的な唄者

  • 南政五郎
    大島郡笠利村(現・奄美市)佐仁出身。1889年-1985年。カサン唄の代表的唄者として知られる。地元で唄者として知られた母のもとで育ち、唄遊び(歌掛け)の場で自然に島唄を覚えて育つ。25歳の時、名瀬の八千代館という劇場でデビューした。戦後になり、アメリカ統治下で娯楽の乏しかった時代に奄美諸島各地を回り、その名を全島に広めた。1961年(昭和36年)、文部省主催・全国民俗芸能大会に参加。1975年(昭和50年)、郷土民族部門・南海文化賞受賞[4]
  • 武下和平
    関西在住。戦後の島唄の先駆者。昭和30年代から活躍。島唄のレコードが普及し、武下の流暢な三味線の音色と、独特の裏声に魅了されて地元では勿論、本土でも島唄がより広く知られることとなった。関東、関西、地元と島唄普及に尽くしている。
  • 坪山豊
    奄美大島(奄美市名瀬)在住。島唄界の第一人者。国内はもとより、海外までも招待を受けて活躍中。船大工という職業を持ちながら、奄美大島の生活の風、香りを受けながら島唄の普及に尽力している。人柄の良さから多くの門下生を育て、その門下生も全国民謡大会での優勝や大きなライブなどで活躍している。NHKなど、テレビ出演多数。自身の作った「ワイド節」「あやはぶら」など、島唄をポピュラーにした功績も大きい。
  • 築地俊造
    奄美大島(奄美市名瀬)在住。30代のころ福島幸義に師事。その後坪山豊と交流し、島唄の磨きをかけた。国内、国外招待多数。高音質の唱法に特徴があり、洋楽にも通じるものがあるといわれている。島唄の即興が得意。日本民謡大賞優勝、総理大臣杯受賞。
  • 当原ミツヨ
    奄美大島(奄美市笠利)在住。1987年(昭和62年)、地元で民謡大会が行われ、初めて出場する。地区大会を勝ち進み、初出場で日本民謡大賞での日本一の栄冠を手に。奄美群島初の女性民謡日本一となる。その時の「野茶坊節」は一躍全国に知られるようになる。その後同大会では、奄美大島(瀬戸内町)のRIKKIが優勝した。大島紬を織るかたわら、教室を開講し後輩の指導、ライブなどで活躍中。
  • RIKKI
    奄美大島(瀬戸内町)出身。佐賀県在住。本名・中野律紀(なかの りつき)。高校生の時、初出場で日本民謡大賞で日本一に、曲目は「むちゃ加那」。その後上京して本格的な歌手デビューを目指し、BMGビクターより本名の中野律紀でポップス系のアルバム『風の声』でデビュー。 海外での活動も多く、最近は奄美の新しい音楽スタイルを目指している。NHKなどテレビ出演も多い。
  • 中孝介
    奄美大島出身。島唄の名人の坪山豊に師事、シマ唄を習い始める。第19回奄美民謡大賞に初出場し、努力賞を受賞。2000年には同大賞で新人賞、日本民謡協会奄美連合大会で総合優勝。琉球大学卒業後の2006年にシングル『それぞれに』でメジャーデビュー。テレビ、CM等でも活躍中。
  • 牧岡奈美
    喜界島喜界町)出身。2001年に奄美民謡大賞を受賞。『うふくんでーた』(2001年)、『南柯 Nanka』(2005年)、『シツルシマ』(2007年)などのアルバムを発表。現在は関東在住で、ライブ活動などを行っている。

レコード

シマ唄は、方言で歌われることから、奄美群島という非常に限定された地域の音楽であるため、そのレコードも独特の製作・流通形態を持っている。シマ唄のレコードの多くは、奄美市名瀬の商店街の中にある、セントラル楽器という小さな楽器店が製作し、自社の店舗で販売するものである。レコーディングも、かつてはセントラル楽器の社宅で行われていた。

セントラル楽器によるシマ唄のレコード化に大きな役割を果たしたのは、北海道出身で早稲田大学の修士課程大学院生として奄美の民謡を調査していた小川学夫である。小川は1963年(昭和38年)から1977年(昭和52年)まで、早稲田大院生かつセントラル楽器の社員として奄美で活動し、数多くのシマ唄のレコード製作を行った。

大手のキングレコードは、民族音楽のCDを多く制作しており、そのひとつとして制作された『MUSIC OF AMAMI』 (1991年)のような例もある。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプテンプレート:Reflist

外部リンク

  • 奄美大島|ゆっくりと島巡り| いつでもBon vivant - ボンビバン(小学館)
  • 2.0 2.1 〈しまうた〉にまつわる諸概念の成立過程 ―奄美諸島を中心として―(pdf) - 高橋美樹、2003年10月、『立命館言語文化研究』15巻2号、立命館大学国際言語文化研究所
  • 同大賞の受賞者であっても、群島内でCDなどが発売される程度で、全国的には注目されないが、受賞者の中には後にJ-popsを歌いメジャーデビューした元ちとせ中孝介などの歌手もいる
  • 南政五郎 - 奄美島唄学校(セントラル楽器)