小堀勝啓のわ!Wide とにかく今夜がパラダイス

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テンプレート:基礎情報 ラジオ番組小堀勝啓のわ! Wide とにかく今夜がパラダイス』(こぼりかつひろのわ!ワイド とにかくこんやがパラダイス)は、1982年10月 - 1989年9月までCBCラジオ中部日本放送)で放送された、夜の若者向けワイド番組。通称は「わ! WIDE」「とに今(サブタイトル『とにかく今夜がパラダイス』に由来)」「ワイド(より簡略的な場合)」。

概要

この番組は、当時首都圏で絶大な人気を博していた、夜のワイド番組『吉田照美のてるてるワイド』(文化放送)を徹底研究し、制作された番組である(明らかに『てるてるワイド』を意識した名の付いたコーナーも存在していた[1])。愛知県岐阜県三重県が主な放送対象地域。

パーソナリティは、小堀勝啓(CBCアナウンサー)が担当。この番組が始まる前まで放送されていた番組『星空ワイド 今夜もシャララ』でパーソナリティを務めていた当時の小堀のキャラクターが注目され、そのキャラを生かして作られた番組でもある。番組放送当時の小堀は30代(32歳~39歳)で、アナウンサーとして、最も脂の乗った時期だった。

小堀の様々な音楽に対する造詣の深さと(橋幸夫から、ビートルズまで網羅)その語り口(若者には新鮮だった「オヤジ ギャグ」の多用)が、当時の東海地方の中学生、高校生から圧倒的な支持を得た。当時の東海地方のラジオ番組聴取率調査では当番組がトップで、小堀の発言が東海地方の流行を左右すると言われるほどの影響力があった。

当時、平日夜間のCBCラジオは全国的に聴取が可能である事から、番組人気は全国的に広がり、雑誌『ラジオパラダイス』(三才ブックス)ではパーソナリティ人気投票で、小堀がベスト10の常連となり、当番組と連動したレギュラーコーナー「パラダイスKING」も設けられていた。

鉄崎幹人黒川慶一など、当番組で、レギュラー出演をした事で人気を得て、現在の活躍へと繋げることに成功したタレントもいる。

オープニング テーマは、ザ・ベンチャーズの「青い渚をぶっとばせ(Kickstand)」だが、実際に使われたものは、武川雅寛(ムーンライダーズ)のカバーバージョンである[2]

1995年12月15日(金)21時 - 12月16日(土)21時まで、CBC創立45周年記念番組『TALK RADIO45』が放送され、その中の第2部(12月15日 21:00 - 24:00、12月16日 25:30 - 27:00)で復活した。

2013年11月28日(木)22:00 - 23:55に『伝説の深夜ラジオ復活祭』の一環として、一夜限りで復活した。

放送時間

放送開始当初(1982年10月)は毎週月曜 - 金曜21:00 - 22:50に放送されていた。1984年4月第2週より『今夜もシャララ ぽっぷるfeeling』の放送枠を吸収し、放送時間を月曜~金曜21:00 - 24:40まで拡大した。金曜のみ、4月第3週から別番組が入り、24:10までの放送に短縮。

1985年4月第2週以降『ラジオでフライデイト 夜はこれから!』(パーソナリティ:伊藤秀志益川京子永井恵神野三枝)が開始。月曜 - 木曜の放送となった。

出演者

レギュラー

ほか多数[13]

主なコーナー

  • ここで一発 運試し
  • クイズ ショックタイム
  • 少年少女探偵団
  • 鉄崎幹人のとと〜んとクイズ
  • とに今 ラジオ文庫
  • 日替わりマル秘 マルキャンレポート
    • ラジオ生徒手帳
    • 学校対抗 カラオケ歌合戦
    • 夜空にこんばんは
    • 一万人のカルチャークラブ
    • 勉ちゃんの「これが本当のイミダス」
    • ほか
  • 2F ロビーアワー
  • キャンパス考現学
  • NEC ビットイン プラザ
  • TDK パラダイス通信[14]
  • ヒロくんの気まぐれ ワンダーランド[15]
  • 木村一八の前のコーナー[16]
  • いちご倶楽部とにんじんパーティ[17]
  • エキスプレス ホットインフォメーション[18] 
  • 敗者復活 早掛けテレフォン
  • 勉ちゃんの「青春の門(かど)」
  • ジェクス うわさのデータボックス
  • 今日の電話メッセージ
  • 10・4カプセル
  • キャンパス グラフィティ
  • ビートオン ララバイ(月曜23 - 24時台)
    • フレキシブル サウンドコンテスト〜ハメハメ エブリバディ  
    • ワースト ヒットU.S.O!
    • ウィークリーミュージック インフォメーション
    • 庄ちゃんの「さびしんぼう万才」
  • 夜のいこい(火曜23 - 24時台)
    • 黒ちゃんのパパはニュースキャスター
    • エジソン君とトマソン君
    • 人に歴史あり
    • 人生テレホン相談(金曜23 - 24時台 → 火曜23 - 24時台) → さわやか人生相談
  • CBC プライム ステーション24(火曜23 - 24時台)
    • ニュース タイムマシン
  • ムーンライト シャッフル(水曜23 - 24時台)
  • 化石博物館(木曜23 - 24時台)
  • コーク ワンダーレイディオ(木曜23 - 24時台)
  • 世紀末博覧会(木曜23 - 24時台)
  • 木曜喫茶室(木曜23 - 24時台)
    • チャーリーのアバウト人生
    • 底抜け! B級天国
    • K.Kのオーラル シアター
    • モックのちょっとだけサイエンス
    • フラワーエクスプレス フォーユー

内包していた主な番組

エピソード

  • パーソナリティの小堀は、地方局の一アナウンサーでありながら、この当時から芸能人との交遊が広かった。当時、人気絶頂だったアイドルの田原俊彦、無名の存在だったドリームズ・カム・トゥルー[24]など、この番組に、有名無名の芸能人が多数、ゲストとして出演した。中には永井真理子の様に、当番組で小堀が強力にプッシュしたことによって、東海地方で人気に火が付き、全国区進出を果たしたアーティストもいた。
  • 地元、東海地方出身のアーティスト センチメンタル・シティ・ロマンス、小堀と親交がある原田真二が、当番組のテーマソングを提供したこともあった[25]
  • 番組のアットホームな雰囲気も手伝ってか、生放送中に「乱入」という形でスタジオに登場したタレントも数多い[26]
  • 本来は裏方である、テレビ番組制作関係者などの業界人がゲストとして、多数出演していたのもこの番組の特色である。最たる例は、中京テレビで、当時『5時SATマガジン』『ラジオDEごめん』等の各種バラエティ番組の制作を手掛けていた、苅谷隆司ディレクター(後にプロデューサー、現・編成部長)である。彼が、ライバル局の当番組に出演するようになったのは、当番組にゲストで出演した芸能人を中京テレビまで送迎するため、CBCに訪れ、待機していたのがきっかけだった。苅谷は元来、出たがりな性格であり、当番組にたびたび出演。CBCのリスナーからも、その名が知られるようになった[27]
  • この番組の手本となっている『てるてるワイド』に、「名古屋で『てるてる-』そっくりの番組が放送されている」という投書が届いた。吉田照美は、自らを「○○大学・放送研究会の吉田」と称して、CBCに電話をして、その番組内容を聞き出す様子を番組で流し、内容の類似さをリスナーにアピールして、憤慨していた[28]
  • CBCと同じく、中日新聞社を親会社とする中日ドラゴンズは名古屋の地元球団であり、CBCは中日ドラゴンズ関連の番組を放送する事で、同球団を支援している。当番組は『CBCドラゴンズナイター』のドラゴンズ戦の試合展開次第で、番組が短縮放送となる事も少なくなかった[29]。延長された試合[30]の影響で、3時間弱も放送が短縮された時は、内包番組とCMの放送のみとなってしまった。この様な事例が数多く発生したため、元来「スポーツ、特に球技がまるでダメ」とまで公言していた小堀は「野球は嫌いだー!」「野球の選手は『プロ』なんだから、速く終わってみろ!」などと、聞き様によっては暴言とも取れる発言をしていたが、高聴取率や前述のように高い人気を獲得するなどの実績を上げていたため、許されていた部分があったと思われる[31]

脚注

テンプレート:Reflist

関連項目

テンプレート:前後番組 テンプレート:中部日本放送平日夜ワイド(深夜)番組

テンプレート:中部日本放送金曜夜ワイド(深夜)番組
  1. ここで一発 運試し → ルミちゃんのノッケからマルモウケ、バナナくらぶとアップルちゃん → いちご倶楽部とにんじんパーティ、不良少年探偵団 → 少年少女探偵団、アイ・ラブ・シティ → アイ・ラブ・タウン など
  2. ソロアルバム「とにかく ここがパラダイス」に収録。「パラダイス通信」のタイトル曲も、同アルバムの収録曲「クルーエル・シー(Cruel Sea)」である
  3. 「人生テレホン相談」回答者 → 「さわやか人生相談」 (「夜のいこい」内包) 回答者。番組内で「大須種馬」の異名を取った
  4. 「ビートオン ララバイ」パーソナリティ。一時期は「学校対抗カラオケ歌合戦」の審査員を兼務していた
  5. 「夜のいこい」コメンテーター。本業は放送作家。レギュラーメンバーとなる以前に、「化石博物館」「木曜喫茶室」に数回ゲスト出演し、その度に「乱暴者」のキャラクターを印象付けた。木曜レギュラーのチャーリー栗原とは、長年の友人。後に「サンデードラゴンズ」の構成を担当
  6. 6.0 6.1 ともに『今夜もシャララ ぽっぷるfeeling』からスライドした形での起用
  7. 「ムーンライト シャッフル」パーソナリティ
  8. 「化石博物館」 → 「コーク ワンダーレイディオ」 → 「世紀末博覧会」 → 「木曜喫茶室」。当時、タウン誌「月刊OUR CITY」編集長(のち発行人)、男性。本名は栗原和美で、“チャーリー”は「外人になりたいんだ、僕」という理由で、当番組内で、自ら付けたニックネームである。今ならば天然とでも言うべき「壊れた おじさん」と形容されたキャラクターや、独特の笑い声がリスナーから評判となった。当番組以外にも、テレビCM(米常ライス)や『景山民夫の大人気セミナー』(中京テレビ放送、番組後期)に出演
  9. 「化石博物館」 → 「コーク ワンダーレイディオ」 → 「世紀末博覧会」。現:コラムニストのペリー荻野
  10. 「木曜喫茶室」ウェイトレス(アシスタント)。当番組出演時は、大学在学中だった。ニックネームは“モック”で、これは高校時代に“木村元子”という役で出演した映画『アイコ十六歳』に由来している。
  11. 「木曜喫茶室」に登場。「モックのちょっとだけサイエンス」では、リスナーからの質問に対しての解説を行った。これは本名ではなく、理系学部(科学関連)の学生であること以外、番組内で、“正体”が明かされることはなかった。
  12. 「木曜喫茶室」に登場。こちらも、本名ではなく、番組スタッフでもないのに「気がつけば、なぜか居た」という、謎の存在
  13. なお、当番組の歴代のディレクターは「イモ村」というニックネームで呼ばれていた。これは番組の初代のディレクターが、その様に呼ばれていた事に由来するが、その後、ディレクターが変わっても、ニックネームだけは「○代目イモ村」という形で引き継がれていった
  14. 身近な話題を、テープなど録音したもので募集していた
  15. オープニング テーマは、讀賣テレビ放送の『おもしろサンデー』でも使われた、COSMOS-keyboards trio-の「Spiral Dream」
  16. タイトル通り『木村一八のギリギリtwist and shut』の前に放送していたコーナー。当初は前身番組『俺が木村一八だ!』のあまりの短さ(5分間)に「自己紹介みたい」という評判が立ったため、自己紹介的なハガキを取り上げるコーナーだったが、一八の言動に対しての印象度や、タレントとしての評価が悪化するにつれ、ハガキの内容が、次第に過激化していった
  17. ゲストコーナー。近況を聞くのが主で、不定期で、録音となった事があった
  18. 1985年頃より『ファンハウス ホットインフォメーション』に変更
  19. パーソナリティは、つボイノリオ。前身の「のりのりだぁー歌謡曲」から連綿と続いた長寿番組だが、当番組に内包される形で、最終回を迎えた。最後まで一貫して「生番組」と主張してきたが、何回かは、当番組が放送されていた、レインボースタジオに姿を現したつボイが、本当に、生で番組を放送した事があった
  20. 平日帯のコーナー番組だが、コーナーに入る前に、田原の「小堀さーん!」という“呼びかけ”に対し、小堀が「トシちゃーん!」(後に「TOSHI!」に変更)と返すのが定番となっていた
  21. CBCラジオ豊橋放送局のみ放送のローカル番組。次番組の『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』でも内包されていた
  22. CBCラジオ豊橋放送局のみ放送のローカル番組
  23. 当番組の後期に始まり、CBCラジオにおいては当番組の末尾10分間を削る形で放送した。このため、相撲期間中の番組のエンディングで、小堀は決まって「このあとは『スポーツでぶ野郎』(SDY)の時間です」と皮肉交じりに紹介し、邪険に扱った
  24. 小堀と吉田美和出身高校は同じ
  25. 特に原田は「この番組が好きだから」という理由で、自主的にテーマソングを作って来た
  26. ちわきまゆみに帯同した忌野清志郎。雪で、帰りの新幹線が動かず、足止めを食らったため、CBCに現れた「いんぐりもんぐり」の永島・前島。デーモン小暮閣下など
  27. 苅谷は、中京テレビ制作の各種バラエティ番組にも露出することが多く、後に放送された、深夜番組『ラジごめII金曜日の王様』においても、出演者の嘉門達夫から「タレントになりますか?」などと言われるほどだった
  28. 最初に電話を掛けた時は、対応したCBC社員に「照美さんでしょ?」と言われてしまい、最初からわかっていた事が判明すると、吉田は一方的に電話を切ってしまった。その後、日を改め、2度目の電話をした時は存在が判明する事無く、番組内容を聞き出す事に成功した
  29. これは後継番組の『CREATIVE COMPANY 冨田和音株式会社』でも、同様の処置が取られていた
  30. その中には、当時の日本プロ野球最長記録となった試合もある。
  31. 大相撲に関しても『大相撲ハイライト』が同局で放送され、その影響で、本場所開催中は、放送時間が10分間短縮される形となったため、小堀は野球と同様に嫌悪しており、相撲取りの事を「スポーツでぶ野郎」などと称していた