日本電気

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Redirect テンプレート:Infobox 日本電気株式会社(にっぽんでんき、NEC Corporation、略称:NEC(エヌ・イー・シー)、旧英社名Nippon Electric Company, Limitedの略)は、東京都港区五丁目(元・東京都港区芝三田四国町)に本社を置く住友グループ電機メーカー。大手電機8社の一角(日立製作所、パナソニック、東芝、三菱電機、ソニー、シャープ、日本電気、富士通)。

日電(にちでん)と略されることもあるが、一般的には略称のNECが使われ、ロゴマークや関連会社の名前などにもNECが用いられている。

住友電気工業と兄弟会社で、同社及び住友商事とともに住友新御三家の一角であるが、住友の象徴である井桁マークは使用していない。

概要

有線無線通信機器IP電話網、携帯電話基地局テレビジョン放送設備、ITS鉄道無線船舶無線航空無線宇宙通信等)、コンピュータパーソナルコンピュータからメインフレームスーパーコンピュータまで)およびITサービスを主力事業としている。

日本マイコン、パーソナルコンピュータ市場では黎明期より手がけ、1976年昭和51年)のTK-80のリリースで、日本のマイコン市場の活性化に努めた。

日本において「NEC」という名称で親しまれているものに、パーソナルコンピュータ(PC)がある。長らくNECおよびその関連企業によって製造がおこなわれてきたが、2011年7月にレノボとの合弁で発足したレノボNECホールディングス(NECの出資比率は49%)の子会社であるNECパーソナルコンピュータに移管された[1]。ただし、国内市場では引き続きNECブランドのPCが製造販売され、企業向けPC(MateVersaPro)についてはNECパーソナルコンピュータが製造、日本電気本体が販売を担っている。携帯電話および半導体集積回路(IC)事業は、それぞれNECカシオ モバイルコミュニケーションズおよびルネサスエレクトロニクスに分社化され、NECはこれらの会社の筆頭株主となったが、ルネサスエレクトロニクスについては2012年以降の経営立て直しに伴う産業革新機構などからの増資により筆頭ではなくなっている[2]

また、ITとネットワーク(NW)の融合を掲げ、成長市場であるクラウドコンピューティングによるITサービスやプラットフォームの提供、NGNスマートグリッドなどのキャリアネットワークや社会インフラの構築にも力を入れている。

ブランドステートメントは「Empowered by Innovation」である。

テンプレート:要出典範囲

略歴

1899年明治32年)7月17日設立。岩垂邦彦米国ウェスタン・エレクトリック(現在のアルカテル・ルーセントの前身)が54%を出資する日米合弁会社であった。ウェスタン・エレクトリックは当初沖電機工場(現・沖電気工業)を合弁先に交渉したが、沖電機工場の沖牙太郎との間で条件がまとまらず成立しなかった[3]。このため、ウェスタン・エレクトリックの代理人として交渉に当たっていた岩垂が自ら会社を興して提携相手となった。これは日本最初の合弁企業の事例とされる(1992年まで使用されていたNECロゴの字体はウ社の当時のロゴに由来している)。

戦前は、電話交換機などの通信機器の製造を主な事業としていた。1928年(昭和3年)に日本電気の丹羽保次郎小林正次らが昭和天皇即位大礼の写真のファクシミリ通信を成功させた業績で知られる。

その後、住友財閥に経営委託され、第二次世界大戦で日米関係が悪化すると住友グループ傘下となった。このため、1943年(昭和18年)から1945年(昭和20年)までのごく一時期であるが「住友通信工業」という社名を名乗っていた(住友電気工業が当時既に存在していたためこの社名になったようである)。大戦期は陸軍無線機を一手に引き受け、電波警戒機の開発も行っていた。

戦後は、通信関係や真空管半導体など電子部品のほか、子会社「新日本電気」(のちの日本電気ホームエレクトロニクスとなり、現在は清算)による家電無線通信機器分野への進出がされた。また、1958年(昭和33年)のNEAC 1101からコンピュータの開発にも取り組み始めた。

1970年(昭和45年)には、日本初の人工衛星である「おおすみ」を製造し、運用に成功する。

1977年(昭和52年)に、当時会長であった小林宏治によって「コンピュータと通信の融合」をうたった「C&C」(Computer & Communicationの略)のスローガンが提唱され、新たな企業理念となる。これ以降、それまで「電電ファミリー」(例えば電話交換機では富士通と並び大手の一角と言われた)というイメージの強かったNECは、情報・通信系を中心とした総合電機メーカーへと変貌を遂げる。

ファイル:PC9821 Nb10 NEC.jpg
ノートパソコンの一例
PC-9821 Nb10

1982年(昭和57年)に発売された「PC-9800シリーズ」は、約15年間にわたって日本のパソコン市場を席巻し、全盛期には「国民機」とまで呼ばれるようになった。

C&Cの理念は小林の実質的な後継社長であった関本忠弘の時代にも引き継がれ、上記のPC-9800シリーズによる国内PCシェアトップに加え、1980年代後半には、半導体生産で世界一位となるなど、日本を代表するエレクトロニクス企業へと成長した。NECを含めた日本企業の国際半導体市場進出は、「日の丸半導体」と呼ばれ、日米半導体貿易摩擦問題として政治問題化するまでになった。

実際にコンピュータ系の事業部門においては、日本の情報処理分野の生みの父の一人とされる水野幸男などが、汎用機や関本の好む大型技術案件だけに集中しがちなNEC自体の傾向を補正し、PCやUNIXなどの当時の次世代技術に他ベンダよりいち早く投資を続ける事により発展してきたという側面も大きい。

この間、1983年(昭和58年)には、英文社名を現在のものに変更している。1990年平成2年)には、創業以来の地に現在の本社ビルであるNECスーパータワーが建設された(建設中は森永製菓本社がある森永プラザビルを間借りしていた)。さらに、1992年(平成4年)には、CI刷新により、現在の青色のNECマークとロゴに変更した(NECロゴの色は元来、赤だった)。このロゴの使用を開始した1992年(平成4年)以降、対外的には「NEC」を通称とするようになっている。

1990年代後半に至り、国内PC市場でのPC/AT互換機によるシェア浸食に加え、海外PC市場進出をめざし買収したパッカードベル社の不振、半導体市場での米国・韓国勢との競争激化といった要因により業績の勢いにかげりが見えた矢先、1998年(平成10年)には防衛庁調達における価格水増し疑惑が発覚し、企業イメージを損なうこととなった。この責任を取る形で関本は会長を退き、社長も金子尚志から西垣浩司へと交代した。

西垣社長体制下において、不採算事業のリストラとガバメント強化施策に従い、家電分野から撤退した。1999年(平成11年)12月には、DRAM事業部門を分社化し、NEC日立メモリ(現・エルピーダメモリ)を設立する。また、2000年(平成12年)4月には、社内カンパニーとしてNECソリューションズ・NECネットワークス・NECエレクトロンデバイスを設立したが、2002年(平成14年)11月に半導体関連部門のNECエレクトロンデバイスをNECエレクトロニクス(現・ルネサスエレクトロニクス)として分社化、カンパニー制自体も導入からわずか3年後の2003年(平成15年)4月に金杉社長体制において廃止された。 総合電機メーカーとしての暖簾を下ろし、C&Cコンセプトに立ち戻り、コンピュータシステム及び通信を中心とした電機メーカーへ転換した。

2001年(平成13年)、創立100周年記念事業として、玉川事業場の一部を高層ビル群に建て替えた(NEC玉川ルネッサンスシティ)。

2002年(平成14年)には、「地球シミュレータ」を完成させ、日米スパコン貿易摩擦以降初めて、スーパーコンピュータの世界最速を記録した。稼働当初の他を圧倒する性能差は、アメリカではスプートニクショックになぞらえコンピュートニクショックと呼ばれ衝撃を与えた。

2004年(平成16年)11月アビームコンサルティングと業務提携し、グループに加えることで、ビジネスコンサルティングとITサービスを強化する。

この頃から、PCや携帯電話のパーソナルプロダクツに関しては、国内市場の飽和やアジアの新興国による廉価品の競合により、利益が上がりにくい市場構造となっていった。そのため、事業均衡を図り、PCや携帯電話に関してはリストラを進めていく一方、企業向けコンピュータシステムと通信システムのインテグレーションとコンサルティング、および自社サーバやストレージなどのハイエンド製品の強化と国際市場への販売に注力することで対応を取っている。

また、ITとネットワークの融合を掲げ、通信ネットワークのインターネット化・IP化を進めていく。次世代電話網のNGN (Next Generation Network) に関しては、IT/NW機器業界では一番早くから対応を進めている。NECの製品であるUNIVERGEブランドもNGN関連の著名な製品となっていく。

1988年よりNASDAQ米国預託証券(ADR)を上場していたが[4]、米国の監査法人から求められていた保守・サポートサービスと製品が一体になった「複合契約」の収益分析が完了しなかったため、上場維持に必要なSECに対する2006年3月期の年次報告書を提出できず、2007年10月に上場を廃止した[5]。その後、SECとの間では2008年6月に和解が成立した[6]。また、この関連で2006年の中間決算より、日本国内向けの財務諸表の作成基準を従来の米国基準から日本基準に変更している。

2007年(平成19年)4月、日産自動車とともに自動車アプリケーション用リチウムイオン電池の開発を行うオートモーティブ エナジー サプライを設立する。これによって、自動車の電化時代の到来に対応している。2010年にはリチウムイオン電池専門のNECエナジーデバイスを設立。

2010年(平成22年)、携帯電話事業を分社化し、NECカシオ モバイルコミュニケーションズを設立する。

NEC東芝スペースシステムが主製造業者として製造した「はやぶさ」が世界初の地球重力圏外にある天体からのサンプルリターンに成功して地球に帰還する。

2011年(平成23年)1月27日、80年代から国内シェア首位のPC事業を分社化し、世界シェア4位のレノボとともに合弁会社を設立すると発表した。これにより国内最大手のPC事業グループが誕生することとなる[7]

これらの統合による規模のメリットによって、パーソナルプロダクトのコストダウンやシェア拡大を目指す一方で、成長市場であるクラウドスマートグリッドなどのビジネス・社会インフラ関係の分野での高収益確保を図っている。

また、SDN (Software Defined Network) を実現するOpenFlow技術を世界で初めて製品化したUNIVERGE PFシリーズを発売する[8]

2012年(平成24年)、東京国税局税務調査で、海外の携帯電話事業からの撤退に絡んで要求され支払った補償金などについて交際費と認定され、約100億円分の所得隠しを指摘されている[9]

2013年(平成25年)、SDN戦略本部を設立し[10]、世界で初めて通信キャリア向けネットワークのSDN仮想化ソリューションを発売する[11]など、SDNを新しい事業の柱として据えている[12]

2011年発売のMEDIASより参入していたスマートフォン事業からの撤退を発表。フィーチャーフォンの開発は継続するが、2001年から2004年までの4年間トップを占めていた国内シェアは、2011年には7位まで落ち込んでいる[13]。こうして、パーソナル事業から社会インフラ事業へのシフトがますます鮮明となる。

2013年現在、サーバ分野で国内トップクラスのシェア(3位[14])を持つ。コンビニエンスストアホテルなどのバックオフィス用コンピュータは独占状態に近い。これらの製品の国際市場への販売にも引き続き力を入れている。

通信分野では、通信衛星から光通信など様々な設備を販売している。PASOLINKブランドは、小型の固定無線伝送装置で世界トップのシェアを持つ[15]。また、海外メーカーなどの通信製品も販売している。

採用・人事

2011年度(平成23年度)の募集職種は、設計開発(ハードウェア、ソフトウェア)、システムエンジニア、営業、スタッフ(事業計画、経理、資材購買、人事、法務など)、研究開発。

2009年(平成21年)には、同年度中に国内研究員の約15%(約150人)を製品開発や営業、SEなどの事業部門に異動させる方針と報じられている[16]

歴代社長等

氏名 在任期間 役職
1 岩垂邦彦 1899年 7月 - 1926年12月 専務
2 大畑源一郎 1926年12月 - 1932年 6月 専務
3 志田文雄 1932年 6月 - 1938年 4月 専務
4 梶井剛 1938年 7月 - 1943年 2月
1943年 2月 - 1946年 1月
専務
社長
5 佐伯長生 1946年 1月 - 1947年 6月 社長
6 渡辺斌衡 1947年 6月 - 1964年11月 社長
7 小林宏治 1964年11月 - 1976年 6月 社長
8 田中忠雄 1976年 6月 - 1980年 6月 社長
9 関本忠弘 1980年 6月 - 1994年 6月 社長
10 金子尚志 1994年 6月 - 1999年 2月 社長
11 西垣浩司 1999年 3月 - 2003年 3月 社長
12 金杉明信 2003年 3月 - 2006年 3月 社長
13 矢野薫 2006年 4月 - 2010年 3月 社長
14 遠藤信博 2010年 4月 - 社長

※ 梶井剛の任期途中の1943年2月以降から社長を置く。それまでは専務がトップマネージメント。

製品

主要な製品・サービスは、コンピュータ、ソフトウェアパッケージおよびネットワーク・通信機器の生産/販売、またそれらを組み合わせたITサービス(コンピュータシステムの構築・インテグレーション)の提供である。

2000年(平成12年)以降、事業の選択と集中が進み、半導体携帯電話照明および宇宙関連の機器は分社化している。これらの製品は「#分社/子会社化した部門の製品」に記載する。

コンピュータ

社内カンパニー制時代はNECソリューションズに属していた。

NECのコンピュータの歴史

パーソナルコンピュータに関しては、 PC-9800シリーズ など「過去の製品の各項目」も参照
黎明期

NECのコンピュータは、戦前のリレー式自動電話交換機の開発に端を発し、日本電気の中島章は1936年(昭和11年)、後の真空管・半導体コンピュータの論理回路にあたるリレー回路の論理設計を論理数学(ブール代数)により行う理論を発表している。

戦後の1950年代には、パラメトロンコンピュータやFONTAC富士通/NEC共同コンピュータ)といわれる初期コンピュータを構築した。さらに、1960年代半ばに始まる経済産業省(当時)主体の大型プロジェクト超高性能電子計算機開発計画においては、IBMなどの海外のコンピュータベンダに寄らない日本独自のコンピュータシステムを構築すべく、電機メーカに対し通産省の元でコンピュータシステムの開発を進めた。[17][18][19][20]

1970年代

1973年(昭和48年)、日本ではコンピュータの輸入自由化が決定された。IBMを初めとする海外メーカーに日本市場を席巻されると考えた通商産業省は国内コンピュータ業界の再編に乗り出し、当時6社あった国産コンピュータメーカーのうち東芝とNECを1つのグループとし、補助金を支給のうえ、各社に「IBM対抗機」を開発させた。この際に開発されたのが、メインフレームACOSシリーズである。 テンプレート:See

1980年代

それまでの汎用機に加えて、ミニコンピュータオフィスコンピュータのMSシリーズ/N5200シリーズといった小型サーバ機のカテゴリにも進出した。1985年(昭和60年)には通産省主導のΣプロジェクトに参加し、EWS4800によるUNIXワークステーションといったUNIX製品群においても、CAE-2Dなどを発売した。NECのPCは、Windows以降の巨大な勢力であるPC/AT互換機とも激しい競争を繰り広げ、最終的には最後発でありながら規格を統合した(なお、他の日本メーカーの規格は比較的早い段階で消えていった)。往年の圧倒的シェアは無いものの、営々と築き上げた独自規格を断念するという大きな試練を経ながらなお、2010年代まで国内首位を維持している。

NECのパソコンは1980年前半には日本国内を代表するブランドとなり[21]、世界シェアでも上位を占めていた[22]。しかしながら、プラザ合意(1985年)後の急速な円高の影響もあり、最終的には台湾や米国のメーカーに後れを取ることとなった[21]

1990年代以降

UNIX戦争の影響やその後の、Windows OS ベースのサーバやワークステーションの躍進を受けての、国産UNIX市場の衰退により、自社独自開発のUNIX関連製品群を放棄、HP-UXのOEMへの縮退に至った。コンピュータ事業は、企業向けにおいてはシステムインテグレーション (SI) 案件の受注及び、ミッションクリティカルコンサルティングサービスといったSIサービスに軸足を移し、そのSIに必要なソフトウェアパッケージの販売を含め、建設系ゼネコンのような総合力で利益の確保を図った。さらに、クラウドコンピューティングという新たな潮流に対応するべく、データセンター向けのサーバシステムやネットワーク経由のサービス提供(SaaS)にも力を入れた。その一方で、Itanium系サーバの展開は失敗に終わった。

個人向けPC事業においては、長らく日本電気本体(一時期は新日本電気も含まれていた)が事業を統括して、傘下の生産子会社(NEC米沢・NEC群馬・NEC新潟・日本電気データ機器)で製造を行う形を取っていた。しかし、2001年(平成13年)10月に製造をNECカスタムテクニカ、個人向け(VALUESTARLaVie)の販売をNECカスタマックスに統合再編し、さらに2003年(平成15年)7月、この2社が合併したNECパーソナルプロダクツが事業を行い、企業向け(MateVersaPro)についてはNECパーソナルプロダクツで製造、販売は日本電気本体が担当した。2009年(平成21年)には海外のパソコン事業から撤退、国内専業に甘んじる状態となっていた[21]

レノボとの合弁

2011年(平成23年)1月27日、NECパーソナルプロダクツのPC事業を分社化し、レノボとともに「Lenovo NEC Holding B.V.」という持株会社を設立すると発表した。NEC 49%、レノボ 51%の出資比率で同年7月1日に発足し、その100%子会社として、NECパーソナルプロダクツのPC事業を分離した新会社NECパーソナルコンピュータおよび既存のレノボ・ジャパンが独立して設置された[23]。レノボとともにNECのブランドも残る。しかしながらこの合弁は、NECにとっては実質的なパソコン事業の売却であるとも理解され[21]、統合から5年後に、レノボ側が合弁会社の全株式取得権をNECの同意があれば行使できる事が明らかにされた[24]

これらの経緯の背景には、日本国外のIT企業との比較におけるNECの技術革新への貪欲さの欠如と、高付加価値路線の結果としての高価格が消費者に支持されなかったことなどが指摘されている[21]

スーパーコンピュータ(HPCサーバ)

サーバ

ストレージ

  • iStorage

ビジネスPC・ワークステーション

パソコン

NECのパソコン一覧も参照のこと。

クラウド端末

ソフトウェア

NECのパッケージソフトは、そのほとんどが企業システム向けである。特に、ミドルウェアに強い。下記ソフトウェア以外に業種(医療、製造業など)に特化したパッケージソフトの開発、販売も行っている。事業部ごとに企業向けパッケージソフトを販売しており、例えば医療ソリューション事業部では電子カルテの販売を行っている。

通信・ネットワーク機器

大部分が社内カンパニー制時代はNECネットワークスの事業分野だが、AtermやスピークスなどはNECソリューションズの商品だった。

無線・通信関係に関しては、かつて日本陸軍の無線・通信設備を一手に引き受けていた。陸軍の無線機は電力供給がままならない状況を想定していたため、日本の低い工業技術力を背景にしながらある程度実用になったことで知られている(特に軍用機用)。一方で、日本無線が独占していた日本海軍の無線機は通じないことで有名だった。

超小型マイクロ波通信装置Pasolinkシリーズは、海外の主要オペレータを中心に販売を広げており、2007年度(平成19年度)から3年連続で世界シェア第1位を記録している。

放送機器

社内カンパニー制時代はNECネットワークスに属していた。

従来はテレビカメラからマスター機器、送信機器まで製作から送信まで一貫したラインナップを誇っていたが、現在は、テレビ局テレビマスター装置(NECでは「APS装置」と呼ぶ)、CMバンクシステム、中継器及び送信機を製造しており、多くの放送局に納入実績がある。最近では、デジタル放送システムを納入している。また、ラジオマスター装置も製造している。

マスター装置の系列局・放送波毎の納入状況は次の通りである。

その他の放送局へのマスター納入状況は次の通りである。

  • 短波ラジオ放送局のラジオNIKKEI
  • イギリスBBC(世界初となるDVB-T2方式の送信機を近年から納入している)

周辺機器

エネルギーコンポーネント

ソリューションサービス

市販製品や特注のハードウェア、ソフトウェアを組み合わせるシステムインテグレーションを行う。主に以下の業界向けのソリューションサービスを提供している。

  • 地方公共団体
  • 教育機関/国立研究機関
  • 医療、介護、福祉
  • 製造業、プロセス業
  • 建設業・不動産業
  • 流通業・サービス業
  • 金融機関
  • メディア業
  • ライフサイエンス
  • 宇宙システム
  • ヘルスケアソリューション

分社/子会社化した部門の製品

子会社化

携帯電話

テンプレート:Main

ファイル:V601N c.jpg
日本初のアナログTV受信可能携帯電話 V601N
左側起動画面、右側TV受信画面 2004年

社内カンパニー制時代はNECネットワークスに属していた。NECネットワークス唯一の一般向け事業分野でもあった。

ほとんどNTTドコモ向けだが、ソフトバンクモバイルにも旧デジタルフォン・デジタルツーカー時代から端末を提供していた。また、かつてはツーカーグループ・DDIセルラーグループ(のちのauKDDI / 沖縄セルラー電話))にも供給していたこともあった。日本における折たたみ(二つ折り)式端末のパイオニアで、2001年のNTTドコモ503iシリーズでN503iが多く売れたことが他社も折畳式に流れるきっかけとなった。

また、NECとパナソニック モバイルコミュニケーションズ(松下通信工業)は、第三世代携帯電話向けの端末・技術を共同で開発していた。

なお、ドコモ向けのデータ通信用端末は日本電気本体が手がけていたが、ウィルコムイー・モバイル向けデータ通信用端末はNECインフロンティアが、UQコミュニケーションズ向けデータ通信用端末はNECアクセステクニカがそれぞれ手がけている。

2010年(平成22年)4月より、カシオ計算機日立製作所の合弁会社カシオ日立モバイルコミュニケーションズと経営統合し、携帯電話端末事業はNECカシオ モバイルコミュニケーションズとして統合されることとなった(実際の移行スキームは、NEC本体からの部門譲受が同年5月1日付、次いで同年6月1日付でカシオ日立を吸収合併し、以降のカシオブランド端末の販売開始と同時に、日立ブランドを含む保守部門を継承)。統合後もNECブランドとして携帯電話を供給する。

2013年7月に、スマートフォンの新規開発を中止し在庫分のみを以って販売を終了した[26]。ただし、スマートフォンの修理等の保守業務、およびフィーチャーフォン(従来型携帯電話)の開発、製造、販売は継続している。

さらに2013年12月には、カシオと日立が保有する全株式をNECが買い取ることが発表され、NECの完全子会社に戻った[27]

  • NTTドコモ向け Nシリーズ
  • ソフトバンクモバイル向け Nシリーズ

テンプレート:See also

電子部品

テンプレート:Main コンデンサリレーRFIDタグ・リーダ/ライタ、各種センサ等のデバイス製品を生産している。

照明

テンプレート:Main 1950年(昭和25年)に日本電気のラジオ事業部で蛍光ランプを試作したのが始まり、清算された日本電気ホームエレクトロニクスから引き継いだ事業。1970年代にはアメリカの管球・照明器具メーカー、シルバニア(現在はオスラム傘下)との合弁会社「日本電気シルバニア株式会社」が展開していた。 現在ランプ類を製造している水口工場は全国でも有数の規模を誇る管球工場であり一般ユーザー向け商品(下記の2製品が代表例)のほか特殊用途向け蛍光ランプのOEM生産も比率が高くなっている。

  • ホタルック:消灯後もしばらく光り続ける蛍光灯。阪神・淡路大震災の教訓を基に開発された。
  • ライフルック

宇宙関係

テンプレート:Main 1956年(昭和31年)に東京大学ロケットテレメトリ送受信装置を納入したのが始まり。2007年に日本電気に再び宇宙システム事業部が新設されたため、NEC東芝スペースシステムは主にサブシステムや搭載機器の開発や製造を担当している。

分社化

集積回路 (IC)

テンプレート:Main(旧・NECエレクトロニクス)

メモリ

テンプレート:Main(旧・NEC日立メモリ) 1980年代、NECにおいて最大の利益を上げ、企業の屋台骨であった半導体部門も、東アジアにおいて日本製製造装置を輸入してメモリを製造するサムソンなどの韓国や台湾の半導体企業群の隆盛により、著しく価格が下落したことにより利益を上げることが難しくなった。これにより、利益を上げるにもシェアの低下や開発力の維持が一ベンダーでは維持できなくなったメモリ関連の事業部及び工場群を、2000年(平成12年)に日立製作所のメモリ関連事業部と統合し、別会社に移行した。

その後、エルピーダは外部から開発および工場更新の資金を調達し、三菱電機のメモリ事業部門を買収したため、NECの出資比率は日立などに次いで3位となっている。すでに持分法の対象以下の比率となっており、NECの関連会社からははずれている。

液晶ディスプレイ

テンプレート:Main(旧・NEC液晶テクノロジー) 1989年(平成元年)に発足したカラー液晶推進開発本部(後に事業部)の分社型会社分割により、2003年(平成15年)4月1日にNEC液晶テクノロジーを設立する。この会社は液晶ディスプレイ事業を担う。2011年(平成23年)2月25日、NEC液晶テクノロジーの株式の70%を中国の液晶大手である天馬微電子のグループに売却すると発表した[28]

2011年(平成23年)7月1日、NECと深セン中航光電子との合弁企業となり、NLTテクノロジーへと商号を変更した。

インターネットサービスプロバイダ

テンプレート:Main(旧・NECビッグローブ) 2006年(平成18年)7月3日に、NECの一部門だったBIGLOBE事業本部をNECビッグローブとして分離、独立させた。

2014年3月末にNECは保有していた株式を日本産業パートナーズに売却し、4月1日付で当社はNECグループを離脱するとともに、社名を「ビッグローブ」に変更した。

過去の製品

これらの製品はすべて生産終了している。

マイコン

LSI

サーバ

  • EWS4800シリーズ(生産終了)
  • UP4800シリーズ(受注停止)
  • N6300シリーズ(生産終了)
  • N5200シリーズ(生産終了)
  • N7200(生産終了)
  • N6850(生産終了)
  • System3100シリーズ
  • System7100シリーズ
  • FTシリーズ(提供終了)
  • PO-POSシリーズ(生産終了)

パソコン

携帯情報端末(PDA)

ワープロ専用機

家庭用ゲーム機

デジタルビデオレコーダー

研究・特許

製造・研究拠点

NECの組織は論理的にはビジネスユニット-事業本部-事業部の階層構造をとっている (研究所はビジネスユニット上の階層をR&Dユニットと位置づけている)。 これとは別に、物理的な所在地として下記の事業場・研究所がある。

事業場

通信機器生産および研究開発
コンピュータおよび通信機器生産
研究開発
通信機器生産

研究所

ファイル:YRPNEC.jpg
YRP技術センター
第3世代、第4世代携帯電話の研究開発

関連会社

テンプレート:Main

提供番組

2011年4月から2014年6月まで、CM最後のサウンドロゴに当社製のロボットPaPeRo子役女優谷花音が登場していた。

現在

過去

日本テレビ系列
TBS系列
TBS系列・毎日放送制作
テレビ朝日系列
フジテレビ系列
テレビ東京

ほか

関連項目

製品・サービス
施設
スポンサースポーツ
広告宣伝
その他

所属スポーツチーム・選手

過去所属していたチーム・選手

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

外部リンク


テンプレート:Sister

テンプレート:NEC Group テンプレート:住友グループ

テンプレート:日本オンラインゲーム協会
  1. レノボNECホールディングスはNECの持分法適用会社であるが、その子会社であるNECパーソナルコンピュータは関連企業の範囲外となる。
  2. ルネサスの“実質国有化”が完了 - EETimesJapan(2013年9月30日)
  3. テンプレート:PDFlink2001年、P23 - 26。
  4. Technical Analysis of NIPNY (NEC CP ADR)
  5. NECのプレスリリース
  6. NECのプレスリリース
  7. 2011年1月27日付NECプレスリリース
  8. 世界初、新ネットワーク制御技術「OpenFlow」に対応したネットワーク製品を販売開始
  9. NEC:100億円所得隠し…補償金は「交際費」国税判断 毎日新聞 2012年6月25日(2012年6月24日時点のアーカイブ
  10. NEC、SDN ソリューションを体系化
  11. NEC、世界初、通信事業者向け SDN 仮想化モバイルコアネットワークソリューションを販売
  12. NECら5社、世界初の広域SDN実現を目指す「O3プロジェクト」を立ち上げ
  13. http://www.icr.co.jp/newsletter/report_tands/2013/s2013TS293_3.html
  14. 2012年 国内サーバー市場動向を発表
  15. [2007-2009年は三年連続首位、2010-2011年は二位、2012年は再び首位。]
  16. 2009年11月28日付日本経済新聞テンプレート:リンク切れ
  17. オフィスコンピュータの歴史
  18. NECオフコンの歴史
  19. オフィスコンピュータの歴史
  20. NECパソコンの歴史
  21. 21.0 21.1 21.2 21.3 21.4 今こそ選択と集中が求められるNEC 『日本経済新聞』 平成23年1月28日 社説
  22. 世界のPC市場シェアの歴史的推移
  23. レノボNEC始動、「圧倒的シェア」実現へのシナリオ 日本経済新聞 2011年7月5日
  24. レノボに合弁会社の全株取得権 NECの同意が前提 asahi.com 2011年1月29日(2011年1月31日時点のアーカイブ
  25. NHKオンライン「NHKデジタル」のNHKの放送技術2012「世界に向けて発信」より
  26. テンプレート:Cite web
  27. NECカシオモバイルコミュニケーションズ社の 経営体制変更について
  28. 2011年2月25日付NECプレスリリース
  29. 知財ワールドへのいざない