富山村 (愛知県)

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テンプレート:Infobox 富山村(とみやまむら)は、愛知県の東北端に位置したである。北設楽郡に属した。16世紀までは、賀茂郡(加茂郡)に属していた。最盛期でも人口は1000人に過ぎない。

日本離島以外の市町村の中で最も人口が少ない村であったが、2005年11月27日豊根村編入され、高知県土佐郡大川村にその座を譲った。

地理

急峻な地形で平地はほとんど見られない。愛知県で一番山の奥にあった山村である。民家は急斜面に石垣を築き、その上に建っている。 村の東部は佐久間湖(佐久間ダムのダム湖)が広がっている。年平均気温が14℃、霜日数約150日、根雪日数約5日と夏は過ごしやすいが、冬はやや寒い。

  • 川:井戸川、漆島川
  • 山:八嶽山(やたけさん・標高1,140m)、日本ヶ塚山(にほんがづかさん・標高1,107m)

隣接していた自治体

歴史

テンプレート:Sister 南北朝時代頃から、開拓されたことが『熊谷家伝記』に記載されている。

江戸時代、現村域にあった佐太、大谷、市原、河内の各村はすべて天領であった。

  • 1876年(明治9年) - 佐太、大谷、市原、河内の各村が合併し富山村となる。
  • 1955年(昭和30年) - 佐久間ダムの建設に伴って村の中心地区が水没することになり、全人口の約1/3が離村する。
  • 2005年(平成17年) - 豊根村に編入され、旧村域は豊根村の大字富山」となった。

経済

労働力人口は97人で、労働力平均年齢は46.8歳。産業別構成比率は、第1次産業12.4%、第2次産業13.4%、第3次産業74.2%である(2000年国勢調査)。従来第1次産業の従業者が多かったが、最近では高齢化の進行によりその比率が急減している。大きな産業がないため、高齢化と過疎化の傾向が見られる。

村では、生涯学習や山村留学を通じて他地域との交流を深めていた。

郵便

郵便配達は隣の静岡県浜松市天竜区水窪地域にある水窪郵便局が行う。そのため、愛知県に属するものの、郵便番号は浜松西郵便局を地域区分局とする431-4121が使われる。

教育

高等学校は、自宅通学生の大半は、静岡県立佐久間高校(静岡県浜松市)へ進学、稀に愛知県立の高校や長野県阿南高等学校長野県下伊那郡阿南町)への進学者もいる。

  • 富山小・中学校

交通

鉄道

JR東海飯田線大嵐駅(おおぞれえき・静岡県浜松市)が最寄り駅。下車して前方の鷹巣橋を渡ると富山村に入る。

バス

村民バスが漆島 - 大嵐駅間を運行。料金は無料で一日4〜6往復(合併後、豊根村営バスとなるが、他路線との連絡はない)。

道路

村内に一般国道は通っていない。

電気

富山村では、電気中部電力株式会社が供給していた。

富山村に電気の供給が開始されたのは1924年(大正13年)である。長野県下伊那郡竜丘村(現・飯田市)に本社を置く電力会社南信電気が、県境を越えて供給した。愛知県側からではなく長野県側からの供給となったのは、愛知県側からでは山岳地帯で配電線建設が困難であったためである。南信電気は1938年(昭和13年)に中央電力に合併[1]。続いて戦時下の配電統制により中央電力は1942年(昭和17年)に中部配電へと統合、富山村は同社の供給区域へと編入された[2]。戦後の電気事業再編で1951年(昭和26年)に中部電力が発足すると同社の供給区域に組み入れられ[3]、現在に至っている。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

  • バンガロー村「古里とみやま」
  • 生涯学習・みんなの森大学
  • 湯の島温泉

脚注

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関連項目

外部リンク

  1. 芳賀信男 『東三河地方電気事業沿革史』、2001年、pp.204-205
  2. 中部配電社史編集委員会(編)『中部電力社史』、社史編集委員会、1954年、pp.19-20,39ほか
  3. 愛知県全域が中部電力の供給区域である。中部電力10年史編集委員会(編)『中部電力10年史』、中部電力、1961年