大島町 (富山県)

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テンプレート:Infobox 大島町(おおしままち)は、富山県中部の西寄りに位置し射水郡に属していた2005年に射水郡内の全町村と新湊市の合併により射水市となり、消滅した。

一時期「ヘチマの街」としていたことがあったが、近年では「絵本の街」として街起こしを図っていた。近年は、富山市高岡市ベッドタウンとして宅地開発が活発である。

地理

西側は庄川を挟んで高岡市に接し、南は大門町、東は小杉町、北は新湊市に接している。富山平野のうちの射水平野の中央部に位置し、町域は平坦で高低差はほとんどない。

歴史

1889年町村制の施行により、現在の町域内の各聚落が合併して大島村となった。それ以降は、細かな境界線の変更があっただけで、射水市となるまで他の市町村との合併は行われていない。

合併時、中心聚落の名前「小島」を村名にしようとしたが、当時としては人口・面積ともに大きい部類であったことから、村勢の発展への願いも込めて「小」を「大」に変え「大島村」とした。しかし、庄川の上流の五箇山に既に大島村(後の平村大字大島、現在の南砺市大島)があることがわかり、村の世話役衆が一斗樽の酒を背負って五箇山の大島村を尋ね、「大島村」の村名を譲り受けたというエピソードが伝わっている。

企業の進出などによる人口の増加により、1969年4月1日をもって「大島町」となった。

2005年11月1日に、射水郡・新湊市の1市3町1村が合併して射水市となった。

経済

産業

農業、特に米の生産が中心の町だったが、東洋紡日本電工などの工場も進出している。

またヘチマを特産品とし、一時期ヘチマで街起こしを図ったことがあった。

姉妹都市・提携都市

姉妹都市などの提携はないが、1992年以降、「全国大島リンク会議」と称し、全国の「大島」という名前の町村(大島町大島村)との友好関係があった。平成の大合併によりほとんどの大島町・大島村が消滅もしくは消滅予定となったことから2004年に全国大島リンク会議は解散した。全国大島リンク会議に参加した7つの町村の記念碑や町村木を建てた「おおしまリンクロード」が八塚にある。

地域

教育

保育所は、町営の大島町中央保育園(後の射水市立大島中央保育園。2009年に閉園し、公設民営の射水おおぞら保育園が開園)と大島町南部保育園(現・射水市立大島南部保育園)、および公設民営の大島つばさ保育園の3か所がある。以前は中央保育園と同じ敷地内に大島幼稚園があったが、幼保一元化により大島町中央保育園に統合された。

小学校は大島小学校1校のみである。町内に中学校はなく、隣の大門町と共同で大門町大島町中学校組合立大門中学校(現・射水市立大門中学校)を運営していた。高校・大学などはない。

交通

鉄道

町の南を北陸本線が東西に貫き、南西部に越中大門駅がある。

道路

一般国道
県道

名所・旧跡

  • 鳥取の里

古事記によれば、垂仁天皇の皇子の誉津別命は大人になっても言葉が話せなかったが、ある日、白鳥の鳴き声を聞いて声を発した。そこで天皇は山辺之大鷹という人物にその白鳥を捕えるよう命じた。山辺之大鷹は白鳥を追いかけて、9つの国を走り抜けて越国の和那美の水門(わなみのみなと)でようやく捕えることができた。『古事記伝』を著した本居宣長が、和那美の水門の地は越中国鳥取(後の大島町鳥取)であるとしたことから、鳥取八幡社の境内にそれを記念した「高志国鳥取の里」の石碑が立てられている。

大島町が企画して、上記の古事記の説話や附近に伝わる民話などを集めた絵本を刊行し、それをきっかけに「絵本の街」として町起こしを図っている。その中心となる施設が大島町絵本館で、鳥取の里の近くに建てられている。

関連項目

外部リンク