大久保忠朝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:基礎情報 武士 大久保 忠朝(おおくぼ ただとも)は、江戸時代大名老中肥前唐津藩主、下総佐倉藩主、相模小田原藩主。

生涯

江戸時代初期に本多正信正純父子との抗争に敗れて失脚した大久保忠隣の孫にあたる。従兄の大久保忠職の養子となる。家督を相続する前より小姓、小姓組番頭を勤め、寛文10年(1670年)、肥前唐津藩9万3000石を相続し、延宝5年(1677年)、老中となる。貞享3年(1686年)には祖父忠隣の領地であった小田原への復帰を果たす。漸次加増を受け、最終的に11万3000石となる。

土芥寇讎記』における人物評価、特に「謳歌評説」などでは忠朝を、戸田忠昌阿部正武ら同僚と並べて「善人の良将」と評している。徳川吉宗が世に出るきっかけを作った人物でもある。(吉宗のエピソード参照

なお、現在の旧芝離宮恩賜庭園は延宝6年(1678年)に忠朝が4代将軍徳川家綱から拝領した庭園が原型となっている。

経歴

日付は旧暦

参考文献

  • 「系図纂要」
  • 大日本近世史料「柳営補任」
  • 児玉幸多監修・新田完三編「内閣文庫蔵・諸侯年表」東京堂出版

演じた俳優

関連項目

先代:
大久保忠職
大久保氏当主
1670年 - 1698年
次代:
大久保忠増

テンプレート:唐津藩主 テンプレート:佐倉藩主 テンプレート:小田原藩主