国道15号

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Pathnav テンプレート:Infobox road

ファイル:Ginza 02.jpg
国道15号中央通り銀座4丁目交差点

国道15号(こくどう15ごう)は、東京都中央区から神奈川県横浜市神奈川区へ至る一般国道である。京浜地区においては「第一京浜」あるいは「一国(いちこく)」などと呼ばれる。

なお、本稿においては明治時代明治1號國道(めいじいちごうこくどう)についても併記する。

概要

国道15号は、旧東海道日本橋 - 神奈川間とほぼ同じ位置にある国道であり、明治1號國道の日本橋 - 神奈川間にも相当する。

芝五丁目交差点以西の区間は毎年1月開催の東京箱根間往復大学駅伝競走(箱根駅伝)のコースともなっている[1][2]

歴史

ファイル:Daiichi Keihin 01.jpg
旧京浜電気鉄道品川駅前
正面が旧京浜国道(旧東海道)で右方が改築後の京浜国道で現在の第一京浜[3]
ファイル:Suzugamori overpass 01.jpg
京急本線鈴ヶ森高架橋
京浜国道改築と同時に建設[3]

京浜国道

1885年(明治18年)の国道指定により、国道15号の前身である明治時代の「1號國道」が指定される。

明治の1号国道は、日本橋から横浜港に至る国道であった。日本橋から神奈川までの区間は現在でも残っている旧東海道と同じであり、神奈川から先は万里橋[4][5]を渡り官設鉄道[6]に平行し初代横浜駅前から、現在の国道133号を経て横浜港[7]までの道路と同じである。この1号国道は、通称「京濱國道」と呼ばれる。

京浜国道改築

大正時代になると京浜国道の交通量が増大し、それに伴い交通事故の問題も多くなる[8]。これらの交通問題に対処するため、東京府神奈川県が品川の八ツ山橋から神奈川の青木橋までの改築をする計画となり、八ツ山橋から生麦まで改築が行われた。その後、帝都復興院が生麦から表高島までを改築し、八ツ山橋から表高島に至るまでの、距離約22.5km・総工費約1293万円(当時金額)となる改築がおこなわれた[9]

改築の経過

まず、神奈川県が1918年(大正7年)6月に「1號國道改修事務所」を設置し、同年7月に六郷橋から生麦までの区間の工事が着手され、東京府が1920年(大正9年)6月1日に「國道改修事務所」を設置し、八ツ山橋から六郷橋までの工事が着手される[8][10]。そして、1925年(大正14年)8月3日に六郷橋と六郷橋から生麦までの区間が完成[11]1927年(昭和2年)11月28日に八ツ山橋から六郷橋までの区間が完成する[12]。なお、1919年(大正8年)と1921年(大正10年)に幅員を広くする工事変更を行っている[8]。改築費用は東京府と神奈川県が負担だが、内務省土木局の道路改良費から改築費用の2分の1、六郷橋は3分の1を補助を受けている[8]

その後、1923年(大正12年)9月28日に関東大震災の復興事業とされ、帝都復興院が1924年(大正13年)に生麦から表高島までの区間の改築に着手し、1930年(昭和5年)10月の京浜国道の改築完成となる[8][9]

この京浜国道の改築は、改築と同時に鉄道との交差の全てを立体交差とする計画であり、電柱も全て排するとしていた。しかし、京浜電気鉄道本線との鈴ヶ森での交差、京浜電気鉄道大師線との六郷橋南詰での交差は立体交差にする工事が行われたが、京浜電気鉄道本線との八ツ山橋での併用軌道、および、京浜電気鉄道穴守線海岸電気軌道との交差は平面交差のままとなり、電柱も排されることが無かった。立体交差の計画において、東京府神奈川県内務省鉄道省の無計画さにより平面交差の箇所が残ることになり[13]、せっかく巨費を投じての改築が意味を成していない結果となる。また、電柱を排することについても、逓信省が例外を認めたために警視庁から例外を要求され、そして、東京電燈東京市電気局など次々と要求が拡大していく結果になる[8]

新京浜国道

先の立体交差の問題に加え、その後のさらなる交通増加や交通事故の増大により京浜国道改築完成後、わずか数年で新たな道路計画することに至る。まず、東京府と神奈川県により東京府道下大崎川和線・神奈川県道都田下大崎線、及び東京府道大森大師河原線・神奈川県道田島羽田線などを整備して対策する[14]が、内務省は抜本的に解決するための新しいバイパスとして、「新京濱國道」を建設することになった[9]

テンプレート:Main

年表

  • 1876年(明治9年)6月8日
    『太政官達第60号』(道路ノ等級ヲ廢シ國道縣道里道ヲ定ム)にて国道、県道、里道が指定される。この時は、道路を国道・県道・里道のそれぞれ1等 - 3等に分類する等級制であり、現在の番号による分け方では無かった。
    その後、国道の等級は、1885年1月6日の『太政官布達第1号』(國道ノ等級ヲ廢シ其幅員ヲ定ム)により廃止。
  • 1885年(明治18年)2月24日
    『内務省告示第6号』(國道表)にて、国道路線が番号を付与、指定され、「1號」(東京ヨリ横濱ニ達スル路線)、「2號」(同(東京ヨリ)大坂港ニ達スル路線)他、44路線が指定される。
  • 1918年大正7年)7月
    京浜国道の改築が開始される。
  • 1920年(大正9年)4月1日
    この年施行の『道路法』に基づく『路線認定』が施行される。
    1番目の「1號國道」(東京市ヨリ神宮ニ達スル路線)は日本橋から伊勢神宮までとされ、2番目以降は東京から各府県庁所在地に達する路線とされる。現在の国道15号に相当する経路は、1号国道などの日本橋 - 神奈川間である。
  • 1923年(大正12年)9月28日
    京浜国道改築は、関東大震災の復興事業となる。
  • 1925年(大正14年)8月3日
    六郷橋から生麦までの区間の改築が完成。
  • 1927年昭和2年)11月28日
    八ツ山橋から六郷橋までの区間の改築が完成。
  • 1930年(昭和5年)10月
    京浜国道の改築が完成。
  • 1934年(昭和9年)5月1日
    この時の「1號國道」と日本橋 - 神奈川間が重複区間であった、「36號國道」(東京市ヨリ横濱港ニ達スル路線)の経過地を変更し、この年に着工した「新京濱國道」の経路に変更される。
  • 1934年(昭和9年)7月
    大田区の一部である、当時の蒲田区梅屋敷前と六郷郵便局前に、日本初押しボタン式信号機が設置される[15]
  • 1952年(昭和27年)12月4日
    この年施行の『道路法』に基づく『路線指定』で、「一級国道15号」として東京都中央区(日本橋) - 神奈川県横浜市(神奈川)間の指定がされる。
  • 1965年(昭和40年)4月1日
    道路法改正によって一級・二級の区別がなくなり、「一般国道15号」となる。

路線状況

通称

重複区間

道路施設

ファイル:Yatuyamabashi 01.jpg
八ツ山橋
左の石柱は2代目の親柱、鉄柱は3代目の親柱

日本橋

東京都中央区の日本橋川に架かる、国道15号の起点ともなっている橋である。 テンプレート:Main

八ツ山橋・新八ツ山橋

東京都品川区東海道品川宿北端に位置し、東海道本線等の鉄道線を越える、国道15号の橋である。しかし、東海道新幹線上に八ツ山橋・新八ツ山橋は架かっていない。これは、東海道新幹線がトンネルで旧道直下を通す構造のためである。なお、映画「ゴジラ」で、日本上陸地点としてこの付近が設定された。

  • 八ツ山橋
    初代の八ツ山橋は、1872年(明治5年)に架けられた日本初跨線橋である。なお、この橋は、木造橋であった。
    1914年(大正3年)にアーチ形鉄橋に架け替えられ、1924年(大正13年)3月29日東京電車鉄道省線品川駅前から京浜電気鉄道旧品川駅前まで延伸により八ツ山橋上に軌道を敷き、1925年(大正14年)3月11日京浜電気鉄道本線高輪駅までの延伸に伴い、この軌道線の一部に乗り入れ[16]をした。
    1930年(昭和5年)に既設アーチ橋(2代目)の西側に併設する形でアーチ橋(3代目)を架設し、「2つの橋」となる。その後、京浜電気鉄道本線が現在の品川駅に延伸・軌道線廃止により、1933年(昭和8年)4月1日供用した「八ツ山跨線橋」へ移り、東京電車鉄道の品川駅前から北品川駅前までの廃止により、八ツ山橋は道路専用橋となる。
    1985年(昭和60年)3月に4代目の橋に架け替え、現在に至る。
  • 新八ツ山橋
    新八ツ山橋は、1963年(昭和38年)5月11日に供用開始。道路拡幅により、当時の八ツ山橋の代わりとして架設される。

六郷橋

東京都大田区と神奈川県川崎市川崎区の間を流れる多摩川を越える、国道15号の橋である。 テンプレート:Main

地理

通過する自治体

交差する道路

(右の「表示」を押す)

史跡

(右の「表示」を押す)

ギャラリー

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web
  3. 3.0 3.1 参考文献『改良された京濱國道』に同じ場所の写真が掲載。
  4. 当初の橋とは異なり現在の万里橋は、横浜市道横浜駅根岸線を継ぐ方向に架けられている。
  5. 参考資料「国土地理院地形図」、外部リンク「レール敷きつつ、街造りつつ…」
  6. 官設鉄道の一部であった現在の横浜駅 - 桜木町駅間は、現在、根岸線となっている。
  7. 道路関係法令での横浜港とは、現在の大さん橋の入口である開港広場前付近を指す。
  8. 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 参考文献『改良された京濱國道』
  9. 9.0 9.1 9.2 参考文献『行詰れる京濱國道』
  10. 参考文献『一號國道改築工事概要』
  11. 参考文献『彙報、京濱國道神奈川縣管内改築工事竣工式』
  12. 参考文献『彙報、京濱國道竣工式』
  13. 2012年10月に最後まで残った京急空港線が完全高架化され、鉄道との平面交差は解消される予定である。
  14. 参考文献『丸子橋架設工事の大要』、『大師橋架設工事概要』
  15. 参考文献『地方通信、京濱國道の横断信号機』
  16. 京浜電気鉄道本線の旧品川駅 - 高輪駅間の一部は、国道15号と併用された東京電車鉄道軌道線を使用していた。なお、八ツ山橋は厳密に鉄道道路併用橋では無い。

参考文献

関連項目

テンプレート:ウィキポータルリンク テンプレート:ウィキプロジェクトリンク テンプレート:Sister

外部リンク

テンプレート:国道15号