千賀ノ浦部屋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

千賀ノ浦部屋(ちがのうらべや)は、日本相撲協会に所属する出羽海一門の相撲部屋。

歴史

1989年(平成元年)7月場所限りで引退して春日野部屋の部屋付き親方となっていた千賀ノ浦親方(元関脇舛田山)が、2004年平成16年)9月27日に春日野部屋より分家独立して千賀ノ浦部屋を創設した。独立に際しては、拓殖大学の後輩である関脇・栃乃洋を内弟子として引き連れる予定であったが、年寄株譲渡の問題で話がまとまらず栃乃洋は春日野部屋に留まることになった。同じ拓殖大学の後輩である幕下・栃の山(現・世話人)はこの時に春日野部屋から千賀ノ浦部屋へ移籍している。

2010年平成22年)11月場所に舛ノ山が新十両へ昇進し、部屋初となる関取が誕生した。現在は力士15名、部屋付き年寄1名、世話人1名、行司2名、床山1名、呼出1名が在籍している。

所在地

師匠

  • 19代:千賀ノ浦靖仁(ちがのうら やすひと、関脇・舛田山石川

力士

2013年7月場所現在

現役の関取経験力士

幕内

その他

幕下

三段目

序二段

引退した力士

部屋付き年寄

世話人

  • 栃の山博士

行司

幕下

序ノ口

床山

五等

  • 床千(千葉県印旛郡栄町)

呼出

序ノ口

旧・千賀ノ浦部屋

明治時代に初代・高砂雷電が所属した関係で、当初は千賀ノ浦は高砂系の名跡だった。

大正に元関脇の綾川五郎次が高砂の相続争いに敗れて、入間川部屋に身を寄せた後、引退後に内弟子を連れて千賀ノ浦部屋を創設した。この時の弟子には後の関脇・綾川や幕内・外ヶ浜がいた。1927年(昭和2年)限りで部屋を閉鎖し、綾櫻や外ヶ浜、関脇・綾昇などの所属力士は出羽海部屋へ移籍した。

その後、千賀ノ浦の名跡は、綾川の弟子であった綾櫻改め綾川が継承したが、部屋を再興することなく1940年(昭和15年)1月限りで名跡を伊勢ヶ濱部屋の元関脇・幡瀬川邦七郎に譲って廃業した。元幡瀬川の千賀ノ浦は1941年(昭和16年)5月から1942年(昭和17年)5月までの1年間だけ部屋を経営したが、関取を育成することはなくすぐに伊勢ヶ濱部屋に戻っている。

外部リンク

テンプレート:Sumo-stub テンプレート:千賀ノ浦部屋 テンプレート:相撲部屋