北一已駅

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ファイル:KitaIchiyan eki.jpg
1977年の北一已駅と周囲約500m範囲。上が留萌方面。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

北一已駅(きたいちやんえき)は、北海道空知総合振興局深川市一已町にある北海道旅客鉄道(JR北海道)留萌本線である。電報略号キイ

一部の普通列車(朝一番の増毛行きと夜の深川行き)は通過する。

歴史

駅構造

単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の西側(増毛方面に向かって左手側、旧1番線)に存在する[3]転轍機を持たない棒線駅となっている[3]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった[4]。当時は互いのホームは駅舎側ホーム北側と対向側ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[4]。駅舎側(西側)が下りの1番線、対向側ホームが上りの2番線となっていた[4]。交換設備運用廃止後は1993年(平成5年)3月までに線路は撤去されたが、ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた[3]

無人駅となっている。駅舎は構内の西側に位置しホーム中央部分に接している[3]。開業当初からの建物と思われる[5]有人駅時代からの駅舎が残っている。木造平屋[6]の建物で、下見板張りの外壁[5]は劣化で黒ずんでおり[6]、使用されていない事務室部分などの開口部は板で閉鎖されている[5]。トイレは無い[5]。かつて存在した上りホーム(2番線)には長さ70mの花壇があり、コンクールで表彰されたこともあったという[4]

駅前には枝振りの大きなの木が植えられている[4]

駅名の由来

当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「イ・チャン」(ホリ)に由来する[7]が瀬につき、川底に産卵する場所の意味である[7]。元は石狩川の中にあった地名で、当駅はその北方に位置することから「北」を冠する[7]

尚、「已」の字は、「已然形」の「已」であり、干支の巳年の「巳」や、おのれの「己」とは異字である。 難読駅の一つとされる[3]

利用状況

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は12人[4]
  • 1992年度(平成4年度)の1日乗降客数は6人[3]

駅周辺

開業時は旧・雨竜郡一已村に存在した(1963年(昭和38年)に合併により深川市となる)。深川市の郊外に位置する[5]。日本の水田の北限とされている水田地帯の真ん中にあり[6]、農耕地の中に農家が点在している[5]

隣の駅

北海道旅客鉄道
留萌本線
深川駅 - 北一已駅 - 秩父別駅

その他

脚注

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注釈

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出典

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関連項目

外部リンク

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  1. 1.0 1.1 書籍『日本鉄道旅行地図帳 全線全駅全廃線 1 北海道』(監修:今尾恵介新潮社2008年5月発行)44ページより。
  2. “<こだま>「留萠駅」から「留萌駅」に”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1997年2月21日)
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 3.6 書籍『JR・私鉄全線各駅停車1 北海道630駅』(小学館1993年6月発行)154ページより。
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 4.5 4.6 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館1983年7月発行)195ページより。
  5. 5.0 5.1 5.2 5.3 5.4 5.5 書籍『北海道鉄道駅大図鑑』(著:本久公洋、北海道新聞社2008年8月発行)166ページより。
  6. 6.0 6.1 6.2 書籍『ダルマ駅へ行こう!』(著:笹田昌宏、小学館文庫2007年5月発行)65ページより。
  7. 7.0 7.1 7.2 書籍『北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究』(監修:太田幸夫、富士コンテム、2004年2月発行)105ページより。
  8. 8.0 8.1 書籍『蒸気機関車完全名鑑 ビジュアル改訂版』(廣済堂ベストムック2011年1月発行)49-50ページより。
  9. 「北海道ぷっちがいど」一已(いちやん):難読地名


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