加賀美幸子

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テンプレート:基礎情報 アナウンサー 加賀美 幸子かがみ さちこ、旧姓・山田。1940年6月24日 - )は、日本フリーアナウンサー千葉市女性センター名誉館長。元NHKエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)でNHKを代表するアナウンサーの1人であった。

来歴・人物

東京都出身。 1963年NHK入局。以来定年まで一貫して東京アナウンス室勤務(実力が評価されていたこと、大学教授と結婚し一女を儲けていたことや当時NHKに女性アナウンサーが少なかったことなどの理由はあるが、地方転勤が多いNHKアナウンサーとしては異例中の異例)であった。同期には名取将広瀬久美子松田輝雄村田幸子森本毅郎山田康夫吉川精一らがいる。

放送原稿の朗読の上手さはNHK女性アナウンサーの中で屈指の実力者で、一時期は朗読の加賀美幸子と高く評価されていたほどである。

1979年 - 1982年まで放送された総合テレビの音楽番組『ばらえてい テレビファソラシド』の出演時のタモリとのかけあいで一躍その名は全国区となる。女性アナウンサーのタレント化の先駆け的存在とも言える。この時の縁もあってか、ラジオ第1で2010年9月20日に放送された『ラジオでブラタモリ』では、元々テレビ用に制作されたものに一部、未公開トークを加えたため、通常の戸田恵子によるナレーションのほか、加賀美による補足や状況説明といった補足ナレーションが加わった。

1987年には、ドキュメンタリー映画『柳川堀割物語』(高畑勲監督・制作二馬力)のナレーションを同僚の国井雅比古と共に務めた(NHK在籍中でこのようなことは異例である)。

その落ち着いた雰囲気から、同僚・後輩アナウンサーからは「お母さん」と呼ばれ、親しまれた(『テレビファソラシド』出演時にタモリが「日本のお母さん」と呼んでいた理由は、このことをタモリが耳にしたことからでもある)。

久保純子のNHK入局試験の際の面接官であり、他の面接官が難色を示す中、加賀美が「全身が言葉という雰囲気が体から溢れてる」と推薦し、久保の入局が決まった。久保は「加賀美さんがいなかったら、今の久保純子はなかった」と感謝しており、(久保の)結婚の際には仲人を加賀美に務めてもらうほど、親交は深い[1]

1997年には、「NHK女性アナウンサー初の理事待遇のエグゼクティブアナウンサー」となる。2000年6月に定年退職。

退職後は千葉市女性センター館長に就任。2004年からは同センター名誉館長。フリーの立場で、古巣であるNHKを中心に活動しているほか、講演活動なども精力的に行っている。2005年から2008年までは内閣府の外郭団体である(社)時事画報社(後に解散)の会長を務めた。

現在の出演番組

ナレーション

過去の出演番組

著作

  • ことばの心に耳を澄ませば
  • 心にちょっと深呼吸
  • やわらか色の烈風
  • くらしの一分メモ
  • こころを動かす言葉

脚注・出典

  1. テンプレート:Cite web

関連項目