伝統

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伝統(でんとう、テンプレート:Lang-en-short)とは、人間行動、発言、思考及び慣習に見出される歴史的存在感を総称していう。または、人間の生存・生活の中に長い歴史を通して表される種々の慣習や形式、価値観を総体的に指し、狭義には、個々の集団が個別に有する慣習、形式、価値観を指す。

伝統はまた、それまでの歴史の中で形成されて来た種々の形態の中から、特に重んじて次世代に継承すべきものに対する精神的な立場を指す。

主に伝統の主体となる範囲

  1. 政府国家の統治機構)
  2. 地域
  3. 家族
  4. 国民民族

政府を主体とする伝統

政府を主体とする伝統とは、歴史の中で政府が採用してきた統治体制や経済体制(君主制貴族制共和制民主制権威主義自由主義資本経済コーポラティズム共産主義社会主義など)を指し、時の権力者や民意によってその主義は受け継がれ、また変容していく[1]

地域を主体とする伝統

地域を主体とする伝統とは、地域毎の習慣信仰祭事・生活様式等に引き継がれる形態を指す。近年の日本では、地方の都市化過疎化問題から、地域における伝統の衰退を危惧する声が出ている。地域の伝統を重んじる立場から、行政の主体を広域化する市町村合併道州制に反対する声もある。

家族を主体とする伝統

家族を主体とする伝統とは、狭義では、ある血縁集団における、種々の形態の次世代への継承を指すが、家族制もしくは氏族制の元で、特定の家族が覇権統治の主体となる伝統を持つ集団もあり、主たる家族の伝統が、一族の外部に強い影響を及ぼす事例がある[2]

国民・民族を主体とする伝統

民族を主体とする伝統とは、民族生活の種々の形態(言語習慣制度信仰)の総称を指す。国民を主体とする伝統について西部邁(評論家)はこう述べている。「次のように考えることは、経験的にも論理的にも、さして不都合ではないのではないか。「良心からの呼び声」および「良心への決意」にかかわる気遣いが、歴史上、数限りなく堆積してきた。そして、どういう気遣いがいかなる状況の下で成功したり失敗したりするものであるかについての判断力が、「伝統」とでもよぶべき国民の精神のなかに、蓄積されている。だから、その歴史的な精神の蓄積に気分、体験そして思索を通じて触れることができるなら、良心をめぐる人間の生の出来事がいかなる結構(けっこう)にあるかを理解することができる。」[3]

神を主体とする伝統

を主体とする伝統とは、人間の生存上に必要な理性宿命の理解への拠り所として、または、人類地球の起源を司る存在として、「神」を精神的に崇める立場やその信仰の形態が、歴史の中で形成されつつ次世代に伝承されて行く、その一連の歴史的な形態を指す。古来、人類の歴史には、世界各地に於いて、神を主体とする伝統によって形成された、種々の伝統文化や生活様式があるが、それらは、経済主義社会の台頭や過剰開発による破壊を受け、地域主体の伝統・文化の衰退と共に、その存続が危惧されている面もある。一方、神の伝承が政治権力によって利用されて来た歴史もある。その代表的な事例として、主に第二次世界大戦以前の日本に於ける「現人神」としての天皇制や、『王権神授説』(ジョン・ロック)における君主制の伝統への言及等がある。

脚注

  1. 自由主義資本経済に言及した言論として代表的なのはマックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』である
  2. 現代において、特定の家族が長期にわたり国家を統治している事例として、サウジアラビアを統治するサウード家がある。
  3. テンプレート:Cite book

参考文献

関連項目

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外部リンク