仙台市八木山動物公園

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テンプレート:動物園 テンプレート:座標一覧 仙台市八木山動物公園(せんだいしやぎやまどうぶつこうえん)は、仙台市太白区にある仙台市立の動物園である。仙台市都心部からやや近い青葉山丘陵にある八木山の上に位置する。当園の向かい側には遊園地八木山ベニーランドがあり、また青葉山仙台城へは八木山橋を渡ってすぐであるなど、観光地区の一角を成している。

代表的な飼育動物

歴史

1935年昭和10年)、東京府東京市浅草区(現・東京都台東区浅草)の花やしきが動物園を廃業する際、全ての動物を仙台市に売却した。翌1936年(昭和11年)4月1日、これらの動物をもとに「仙台市動物園」([[[:テンプレート:座標URL]]38_15_9.9_N_140_51_44.1_E_region:JP&title=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92%EF%BC%881936%E5%B9%B4%EF%BD%9E1945%E5%B9%B4%EF%BC%89 地図])が東北地方初、かつ、日本で11番目の動物園として開園した[1]。場所は広瀬川河畔の花壇地区で、現在の花壇自動車大学校から仙台花壇団地にかけてである[2][3]面積は2万6881m2(8,146)であった。展示動物には、ゾウライオンラクダホッキョクグマシカなどがいた。観覧料は大人15、子供5銭、軍人10銭で、1936年(昭和11年)の来場者は36万7000人を越えた。

1941年(昭和16年)12月8日太平洋戦争が始まり、ドーリットル空襲によって本格的な日本本土空襲への危機感が強まると1943年(昭和18年)10月以降、防空法改正(第三次防空法)や都市疎開実施要綱により都市への空襲から子供・文物を守る疎開が推進され、その一方で都市に不必要なものは廃止する動きが生まれた。そのため、空襲の混乱の中で園から猛獣が脱走する危険性があること、園の広大な敷地を食料増産のために使用すべきことなどを指摘した意見書が仙台市会で1944年(昭和18年)3月2日に採択された。すると当園の猛獣は銃殺され(戦時猛獣処分)、5月19日に慰霊祭が執り行われた。その後、空いた動物舎を豚舎に改造して食用ブタの飼育を始め、花壇や通路では蔬菜類の栽培を始めた。猛獣以外はまだ飼育していたため開園し続けたが、入園者の減少により同年9月1日には表門を閉じ、希望者は事務所脇の通用門から一律1人5銭で入園させるようになった。1945年(昭和20年)7月10日仙台空襲で園は焼失し、そのまま再建されなかった。

戦後占領期が終わると、仙台市電終着駅の1つ八幡神社前駅から徒歩9分にある広瀬川河畔の三居沢に「子供動物園」([[[:テンプレート:座標URL]]38_15_58.5_N_140_50_29_E_region:JP&title=%E5%AD%90%E4%BE%9B%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%9C%92%EF%BC%881957%E5%B9%B4%EF%BD%9E1965%E5%B9%B4%EF%BC%89+%E2%86%92+%E4%B8%89%E5%B1%85%E6%B2%A2%E4%BA%A4%E9%80%9A%E5%85%AC%E5%9C%92 地図])が1957年(昭和32年)10月25日に開園した[1]

1962年(昭和37年)、市は引揚者住宅地であった広瀬川河畔の川内追廻に移転する計画を立てたが、住民が居住権を盾に反対したため計画変更を余儀なくされ、八木山地区のうち広瀬川支流竜ノ口渓谷の崖上に面した現在地に移転する事になった。新たに動物園を建設するにあたって、「自然を出来るだけ残す」「無柵放養式」の二つの方針が打ち立てられた。1965年(昭和40年)4月、アクセス用に八木山橋が架け替えられ、同年10月25日に「アジア地区動物区」の完成をもって「八木山動物公園」([[[:テンプレート:座標URL]]38_14_39.6_N_140_50_39.4_E_region:JP&title=%E4%BB%99%E5%8F%B0%E5%B8%82%E5%85%AB%E6%9C%A8%E5%B1%B1%E5%8B%95%E7%89%A9%E5%85%AC%E5%9C%92%EF%BC%881965%E5%B9%B4%EF%BC%88%E6%98%AD%E5%92%8C40%E5%B9%B4%EF%BC%89%EF%BD%9E%EF%BC%89 地図])として開園した[1]。その後、八木山球場跡地に「アフリカ生態園」が新設されるなど、園内の整備が段階的に進められた。

なお、三居沢にあった動物園の跡地には三居沢交通公園[4]が開園している。

年度別入園者数の推移[5]
年度 入園者数 備考
1960 102,364 三居沢
1965 222,423 八木山移転
1970 505,022
1975 505,044
1980 630,918
1985 590,102
1990 581,922
1995 520,386
2000 449,792
2002 513,814
2004 460,683
2005 505,864
2006 493,550
2007 483,536
2008 473,353
2009 528,018
2010 470,733

八木山球場とベーブ・ルース

八木山は、明治時代まで越路山と呼ばれた地域の一部であったが、八木久兵衛が払い下げを受けて所有し、開発に乗り出した。1929年昭和4年)に八木山球場が完成し、翌1930年(昭和5年)に八木山遊園地が完成、1931年(昭和6年)には青葉山仙台城(青葉城)本丸の裏手と当地との間にある竜ノ口渓谷吊橋の(初代)八木山橋が架けられた。

球場では1934年(昭和9年)11月9日日米野球戦においてベーブ・ルースホームランを打った。八木山動物園のアフリカ園エリアは八木山球場の跡地であり、現在、動物園の中には彼の銅像が立っている。

年表

ラジオ番組

ラジオFMたいはくで『こんにちは八木山動物公園です』という番組が放送されている[7]。放送日時は金曜日の14:10頃から30分間。隔週で、地底の森ミュージアムの『地底の森だより』と交互に放送される。

アクセス

例年、ゴールデンウィーク中は周辺道路が混雑するため、アクセスの仕方がいつもと異なる[8][9]5月3日4日5日の午前中は、市の中心部から当園への最短路にあたる市道仙台城跡線[10]仙台城本丸脇を通過する道)が一方通行規制される。園内の有料駐車場への駐車待ちの車列が公道上に形成されてしまうため、青葉山観光駐車場と仙台市立立町小学校校庭が臨時無料駐車場として開放され、パークアンドライドが推奨されている。また、仙台駅近くの臨時バス停、パークアンドライド用駐車場、および、当園とを結ぶシャトルバスが特別運行される。

脚注

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出典

テンプレート:Reflist

参考文献

  • 仙台市八木山動物公園『平成16年度八木山動物公園年報』
  • 仙台市八木山動物公園『平成18年度八木山動物公園年報』
  • 仙台市八木山動物公園『平成19年度八木山動物公園年報
  • 仙台市『仙台市交通事業50年史』

関連項目

外部リンク

テンプレート:日本の動物園
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  2. 『昭和11年、19年、27年の仙台と現在の仙台』(レトロマップシリーズ2、塔文社)所収の地図、鉄道省・編『改版日本案内記・東北篇』(博文館、1937年)97-98頁の地図による。
  3. 広瀬川の記憶 vol.7 昭和30年代、暮らしの舞台は橋と川だった ■花壇に牧場と動物園があったころ(仙台市「広瀬川ホームページ」)… 仙台市立動物園の写真あり。
  4. 交通公園(仙台市)
  5. 『平成20年度八木山動物公園年報』12頁年度別入園者数
  6. (3) 八木山動物公園開園河北新報「ニュースの記憶~仙台圏・あのころ」)
  7. 八木山動物公園のFM番組「こんにちは八木山動物公園です」放送中(仙台市八木山動物公園)
  8. 5月3日から5日まで仙台城跡・八木山動物公園方面の交通規制とシャトルバス運行のお知らせ(仙台市八木山動物公園)
  9. 交通規制およびシャトルバスの運行について(仙台市政だより 2009年4月号)
  10. 仙台市道青葉1342号・仙台城跡線(最小幅員7.50m、最大幅員42.00m、延長1412.2m)