仙台都市圏

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テンプレート:Pathnav 仙台都市圏(せんだいとしけん)とは、仙台市を中心市とする都市圏のこと。

概要

10%都市圏(2005年都市雇用圏)による仙台都市圏の人口は約157万人。1.5%都市圏(2005年都市圏)による仙台大都市圏の人口は約229万人。

広域行政推進地域としての仙台都市圏国勢調査人口は、1920年大正9年)には約32万人で宮城県全体の3割強を占める程度であったが、2005年平成17年)には約146万人となって県全体の6割強を占めており、仙台都市圏への一極集中が起きている。

テンプレート:地図市郡界 テンプレート:地図1975 かつて仙台都市圏内には、1889年明治22年)4月1日に県内で初めて市制施行した仙台市、および、1941年昭和16年)11月23日に県内3番目に市制施行した塩竈市の2つのしか無く、また、仙台城下町を基礎にする仙台市都心部陸奥国府多賀城外港塩釜港日本三景松島が沿線に連なるJR仙石線沿いに都市軸(DIDの連担)が形成されていたため、(京浜阪神札樽と同様)「仙塩」あるいは「仙塩広域都市圏」などと呼ばれる事が多かった。しかし、1958年(昭和33年)10月1日名取市が、1971年(昭和46年)11月1日には多賀城市泉市岩沼市が次々市制を施行し、「仙塩」を以って当都市圏を表すには無理が生じてきた。さらに、東北自動車道国道4号仙台バイパスが供用開始し、都心部の北西および南西の丘陵地にベッドタウンが集中立地して放射状の都市圏構造になったため、特に仙台市の政令指定都市化後は当都市圏を「仙塩」と呼ぶことはほとんどなくなった(宮城県による当都市圏内の都市計画区域1970年7月7日に「仙塩広域」と命名されたが、上述の経緯から報告書などでは「仙塩広域」との名称を題字にしながらも、本文では仙台都市圏に言い換えを行っている[1]

近年、仙台都市圏は奥羽山脈を挟んで隣接する山形県村山地方(人口約60万人。中心都市:山形市)との間で密接な関係を築いており、「双子都市 (twin cities) 」の様相を呈している[2]。また、仙台都市圏の小売商圏が拡大して南東北主要部を包含するようになり、仙台経済圏が形成されてきている。このような傾向の中、「仙台圏」という言葉が、仙台都市圏と仙台経済圏のどちらの意味か曖昧に使用される例も増加しているため、ここでは両者を区別して表記する(→仙台)。

なお、仙台都市圏と広島都市圏とは、両者とも札仙広福に並び称され、都市圏人口が概ね同規模で、都市圏内に日本三景を含み、最寄の三大都市圏からの距離(東京 - 仙台大阪 - 広島)が 350 km 程度であるなど様々な共通する点があるためよく比較される。

定義

広域行政推進地域

約148万人(2010年5月1日推計人口)。面積:1,648 km²(参考:大阪府 1,894 km² 、885万人。香川県1,876km²、102万人)

宮城県が指定する仙台市を中心とした広域行政推進地域は、「広域仙台都市圏」または単に「仙台都市圏」と呼ばれ、仙台都市圏広域行政推進協議会が設置されている[3]。仙台都市圏と山形県村山地方が構成する「仙台・やまがた交流連携促進会議」では、この「仙台都市圏」の枠組みで参加している。

人口の変化

以下に、現在の広域仙台都市圏(表中では仙台圏と記す)にあたる地域の国勢調査人口の変遷と最新の推計人口を示す。この定義では、仙台圏の範囲は一定。ただし、仙台市は合併により市域が拡大し(仙台市#行政区域の沿革参照)、仙台圏に占める面積比率が増大している。

仙台圏の人口(表中のB)は年々増加しているが、1965年昭和40年)から1995年平成7年)にかけては5年ごとに約10万人ずつ増え、増加が顕著である。

仙台圏に占める仙台市の人口比率(表中のA/B)は、1920年大正9年)には4割弱だったが、仙台市の都市化と合併による市域拡大などにより昭和40年代には6割強まで増加した。しかし、1970年(昭和45年)をピークに減少し始め、ドーナツ化現象を呈するようになった。仙台市の合併・政令指定都市化によって1990年(平成2年)には7割強になるもドーナツ化現象は続いてきたが、2000年代に入って都心回帰の影響もあって歯止めがかかりつつある。

宮城県に占める仙台圏の人口比率(表中のB/C)は、1920年(大正9年)には3割強で、1945年(昭和20年)7月10日仙台空襲によって一時減少し、戦後も微増に留まっていた。しかし、昭和30年代から増加率が上昇して仙台圏への集中が始まった。近年は仙台圏の人口比率が宮城県の6割強を占め、仙台圏への一極集中の様相を呈している。

国勢調査人口の変遷と最新の推計人口[4][5][6]
統計年月日 (A)
仙台市
人口(人)
(A')
現・仙台市域
の人口(人)[† 1]
(B)
仙台圏の
人口(人)
(C)
宮城県の
人口(人)
A/A'
(%)
A/B
(%)
A'/B
(%)
B/C
(%)
A/C
(%)
1920年大正9年) 118,984 190,013 320,770 961,768 62.6 37.1 59.2 33.4 12.4
1925年(大正14年) 142,894 221,709 364,002 1,044,036 64.5 39.3 60.9 34.9 13.7
1930年昭和5年) 190,180 252,017 409,351 1,142,784 75.5 46.5 61.6 35.8 16.6
1935年(昭和10年) 219,547 278,821 450,591 1,234,801 78.7 48.7 61.9 36.5 17.8
1940年(昭和15年) 223,630 284,132 465,094 1,271,238 78.7 48.1 61.1 36.6 17.6
1947年(昭和22年) 293,816 331,570 563,727 1,566,831 88.6 52.1 58.8 36.0 18.8
1950年(昭和25年) 341,685 380,217 623,833 1,663,442 89.9 54.8 60.9 37.5 20.5
1955年(昭和30年) 375,844 414,775 669,422 1,727,065 90.6 56.1 62.0 38.8 21.8
1960年(昭和35年) 425,272 459,876 719,550 1,743,195 92.5 59.1 63.9 41.3 24.4
1965年(昭和40年) 480,925 520,059 784,615 1,753,126 92.5 61.3 66.3 44.8 27.4
1970年(昭和45年) 545,065 598,950 881,306 1,819,223 91.0 61.8 68.0 48.4 30.0
1975年(昭和50年) 615,473 709,326 1,018,375 1,955,267 86.8 60.4 69.7 52.1 31.5
1980年(昭和55年) 664,868 792,036 1,126,742 2,082,320 83.9 59.0 70.3 54.1 31.9
1985年(昭和60年) 700,254 857,335 1,209,050 2,176,295 81.7 57.9 70.9 55.6 32.2
1990年平成2年) 918,398 918,398 1,292,282 2,248,558 100.0 71.1 71.1 57.5 40.8
1995年(平成7年) 971,297 971,297 1,381,877 2,328,739 100.0 70.3 70.3 59.3 41.7
2000年(平成12年) 1,008,130 1,008,130 1,437,181 2,365,320 100.0 70.1 70.1 60.8 42.6
2005年(平成17年) 1,025,098 1,025,098 1,463,279 2,360,218 100.0 70.1 70.1 62.0 43.4
2010年(平成22年) 1,045,986 1,045,986 1,490,098 2,348,165 100.0 70.2 70.2 63.5 44.5
テンプレート:自治体人口/宮城県
推計人口
テンプレート:自治体人口/宮城県 テンプレート:自治体人口/宮城県 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。 テンプレート:自治体人口/宮城県 100.0 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。 構文エラー: 予期しない演算子 < です。 構文エラー: 認識できない区切り文字「[」です。

10%都市圏(通勤圏)

人口:約157万人(2005年都市雇用圏)。面積:2,236 km²(参考:東京都 2,187 km² 、1,255万人。佐賀県 2,439km²、87万人)

都市雇用圏(10%都市圏・10%通勤圏)の基準では、それぞれの市町村の通勤者のうち、10%以上が中心市に通っている場合、都市圏を構成する市町村とみなす。この基準に於いて、2005年平成17年)時点の仙台都市圏の人口は約157万人で、これら都市圏内の市町村から仙台市に通勤・通学する者は、約10万人にのぼる。この基準では、上述の広域行政推進地域としての仙台都市圏に、さらに以下の自治体が加わる。

都市圏の変遷

以下に、都市雇用圏(10%都市圏・10%通勤圏)の変遷を示す。この定義では、通勤者の職場の位置や居住動向によって都市圏の範囲も面積も変化している。

  • 仙台市の10%通勤圏に入っていない自治体は、各統計年の欄で灰色且つ「-」で示す。
  • 大衡村は大和町の郊外1次圏、村田町は大河原町の郊外1次圏、それ以外の仙台都市圏の自治体はすべて1次圏で、上記2町村は2次圏にあたる。
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:6em;"|自治体
('80)
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|1980年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|1990年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|1995年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|2000年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:8em;"|2005年 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color; width:6em;"|自治体
(現在)
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|古川市 テンプレート:都市圏 テンプレート:都市圏 テンプレート:都市圏 テンプレート:都市圏 古川都市圏 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|大崎市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|小牛田町 rowspan="25" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 rowspan="2" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|美里町
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|南郷町 rowspan="24" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 rowspan="24" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| -
鳴瀬町 rowspan="24" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 石巻都市圏 東松島市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|松山町 rowspan="23" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|テンプレート:都市圏 rowspan="2" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|大崎市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|鹿島台町
大衡村 大衡村
大和町 大和町
大郷町 大郷町
富谷町 富谷町
松島町 松島町
利府町 利府町
七ヶ浜町 七ヶ浜町
塩竈市 塩竈市
多賀城市 多賀城市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|泉市 rowspan="4" style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|仙台市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|宮城町
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|仙台市
style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"|秋保町
名取市 名取市
岩沼市 岩沼市
亘理町 亘理町
山元町 山元町
柴田町 柴田町
大河原町 大河原町
川崎町 川崎町
村田町 style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - style="background-color:#テンプレート:都市圏Color;"| - 村田町

5%都市圏(通勤圏)

人口:約182万人(2000年国勢調査時[7]

通勤依存率 5 - 10 % の市町はテンプレート:Colorで示す。市町村名は2000年国勢調査時点のもの。

1.5%都市圏(通勤・通学圏)

人口:約229万人[8]都市圏参照)

総務省により、仙台市の1.5%都市圏は「仙台大都市圏」と名付けられており、全国6番目の人口を擁する。

1995年平成7年)国勢調査に基く「テンプレート:PDFlink」は、おおむねJR仙台駅を中心とした半径 50 km 圏から山形県村山地方山形市など)を除いた範囲だった。すなわち、県北山間部・栗原圏登米圏三陸海岸地域および七ヶ宿町を除いた宮城県全域に、福島県浜通り北部(新地町相馬市)を加えた範囲だった。2000年(平成12年)国勢調査に基く「仙台大都市圏」の人口は218万6397人[9]

2005年(平成17年)国勢調査に基く「仙台大都市圏」は、唐桑町気仙沼市本吉町南三陸町女川町鳴子町・七ヶ宿町の1市6町を除く宮城県全域に、福島県の新地町・相馬市の1市1町を加えた範囲となり、人口は228万9656人となった[8][10]

市外局番「022-」地域

仙台市内から市内通話料金で電話がかけられる地域(=単位料金区域(MA))、すなわち市外局番が "022-" である地区は、以下の様になっている。

なお隣接料金で電話をかけられるMAは県内では岩沼 (0223) 、大河原 (0224) 、石巻 (0225) 、古川 (0229) の4MAで、県外では山形 (023) 、村山 (0237) の2MAである。この中でも特に岩沼MAとは結びつきが強く、一部にはMA統合希望の意見も聞かれる。岩沼MAに所属する市町村は以下のようになっている。

以下には仙台MA (022) と岩沼MA (0223) に所属する市区町村の市外局番の変遷を示す。なお仙台MA、岩沼MAの市外局番がそれぞれ 022 、0223 に統合されたのはともに1986年(昭和61年)7月1日である。

  • 仙台MA
    • 仙台市
      • 旧市域(太白区生出地区以外)…0222-DE-FGHJ→022-2DE-FGHJ
      • 旧市域(太白区生出地区)…022381-FGHJ→0222-81-FGHJ→022-281-FGHJ
      • 泉区(旧泉市)…02237-E-FGHJ→022-37E-FGHJ
      • 太白区旧秋保町域及び青葉区旧宮城町域(青葉区作並地区以外)…02239-E-FGHJ→022-39E-FGHJ
      • 青葉区旧宮城町域(青葉区作並地区)…022387-FGHJ→02239-5-FGHJ→022-395-FGHJ
    • 宮城郡
      • 松島町…02235-E-FGHJ→022-35E-FGHJ
      • 塩竈市及び多賀城市…02236-E-FGHJ→022-36E-FGHJ
      • 利府町…022356-FGHJ→022-356-FGHJ
      • 七ヶ浜町…022357-FGHJ→022-357-FGHJ
    • 黒川郡
      • 大和町及び大衡村…02234-E-FGHJ→022-34E-FGHJ
      • 富谷町…022358-FGHJ→022-358-FGHJ
      • 大郷町…022359-FGHJ→022-359-FGHJ
    • 名取市
      • 堀内地区以外…02238-E-FGHJ→022-38E-FGHJ
  • 岩沼MA
    • 岩沼市
      • 全域…02232-E-FGHJ→0223-2E-FGHJ
    • 亘理郡
      • 亘理町及び山元町…02233-E-FGHJ→0223-3E-FGHJ
    • 名取市
      • 堀内地区…02232-E-FGHJ→0223-2E-FGHJ

交通

主な鉄道

鉄道は東北本線仙台駅を中心に放射状に伸びる。環状方向の接続は無い。JR東日本のICカードSuica』の利用可能区間が概ね都市圏に重なるよう設定されているが、2009年(平成21年)春以降Suica利用可能区間が福島県方面へ拡大されるなど、鉄道利用における仙台都市圏の範囲が広がりつつある。

JR東日本
公営・第3セクター
Suica利用区間
  • Suica対応路線マップ(仙台エリア)
    仙台地区のJR路線網は放射状になっているため、大都市近郊区間の設定がされていない。そのため、Suica利用可能区間は「仙台エリア」(仙台都市圏・仙台圏とも)として表記される。基本的に仙台都市圏(10%都市圏)内のJR線は全線Suicaに対応しており、さらに「5%都市圏」程度までサービスされている。仙山線は仙台市内を走っていても愛子駅 - 奥新川駅間ではSuica導入が見送られているが、これは同線の愛子駅以西が段々と奥羽山脈の谷沿い及び山岳区間に入っていき、また人口密度が低くなっていき、"利用者実数" が少ないためである(山形県との県境まで仙台市内である)。また、2007年3月18日に開業した仙台空港線でもSuicaが利用できる。しかし、同日に首都圏の主な私鉄・地下鉄・バス事業者が導入したPASMOは、概ね1年を目処に相互利用ができるように準備を進めていて、当面新潟地区と同様に利用できなかったが、2008年3月29日より利用可能となった。

なお、「仙台まるごとパス」という仙台市とその周辺のJR・仙台空港線・地下鉄・バスを2日間乗り放題できるチケットがある(2,500円)。このきっぷの利用可能範囲はSuicaのそれより狭く(但し仙山線はSuicaでは利用できない愛子 - 山寺間も利用可)、観光面での仙台都市圏の範囲を示している。

主な道路

高速道路網整備

仙台都市圏の高速道路網は「1環状5放射」になっており、都市高速道路と似た様な役割を持ち、仙台経済圏のインフラとして機能している(→仙台経済圏都市圏自動車専用道路の項も参照)。

環状高速道路

テンプレート:See

放射状高速道路


現在、仙台市都心部からこの高規格道路網へのアプローチとなっている自動車専用道路は、無料の仙台西道路のみである。仙台西道路は、都心にある広瀬通りのランプから、地下トンネルで2層構造の仲ノ瀬橋下層に入り、青葉山トンネル経由で東北自動車道の仙台宮城ICに至る。将来的には、都心から東方面、北方面、南方面への自動車専用道路によるアプローチ構想があるが、具体的な計画には至っていない。

高速道路の規格

札幌や仙台、新潟など、冬季に積雪や凍結に見舞われる都市では、都市高速道路の道路規格(第2種1級・2級規格)で都市内高速道路を造る事ができない。いわゆる都市高速規格の狭い路肩の幅(第2種:路側帯 125 - 100 cm、中央分離帯側 50 - 25 cm)では、除雪した雪を置く場所がなく、凍結時のスリップに対する遊びが少ない。そのため、路側帯が広い第1種で造る必要があり、結果、都市高速が存在しない。

豪雪地帯指定の札幌都市圏新潟都市圏では、除雪した雪が置ける様、一般道の高規格化や、旧日本道路公団による高速道路(第1種1級・2級規格道路:路側帯 250 - 125 cm、中央分離帯側 75 - 25 cm)によって都市高速の代わりにしている。

豪雪地帯指定を受けていない仙台の場合は、積雪よりも夜間や早朝の凍結の方が問題であるため、除雪した雪を置く分を考えた広い路側帯はあまり必要ではない。しかし、凍結時のスリップに対する遊びのため、ある程度路側帯の広い第1種3級規格(路側帯 175 - 100 cm 、中央分離帯側 50 - 25 cm)が宮城県道路公社の建設した高速道路で用いられている。その他、旧日本道路公団が建設したものは全国標準規格の第1種1級・2級規格で造られているが、いずれにせよ、都市高速規格である第2種は採用していない。

空港

港湾

マスメディア

仙台にあるマスメディアは、ほとんどが東京キー局の番組を放送したり、通信社などから情報を得ている。特に、テレビは東京の番組にほぼ占有されているため、仙台都市圏の情報は紙メディアとラジオが主力になっている。但し、テレビとラジオについては東北の地方キー局としても機能しており、東北6県(+新潟県)向けの番組を制作・送出している。以下、地元制作番組や、紙面が多いメディアを列挙する。

新聞

仙台都市圏の情報を最も多く発信しているメディアは河北新報である。朝刊・夕刊・ウィークリーなどを発刊し、それぞれ紙面割りを工夫して多様な読者層を持つ。また、東北地方全県を販路とするブロック紙であるため、仙台都市圏の情報を東北地方全体に発信する役割も持つ(全国紙中日新聞西日本新聞北海道新聞に次ぐ広域販路を持っている。)。

雑誌

次に重要なメディアは、プレスアートが発行している数々の雑誌である。

テレビ

  • ブロックネット放送と地域外番販
    • NHK仙台放送局ミヤギテレビ日本テレビ系列)、仙台放送フジテレビ系列)は基幹局となっている。
    • 仙台の放送局が製作し、東北6県+新潟県向けに放送されるローカル情報番組が土日の朝や昼間にいくつかある。「東北6県+新潟県」という枠組みでの放送になっているのは、東京以北で最大の企業である東北電力の電力供給がこの7県の範囲であるからで、この場合の番組内容は仙台色が薄められているのが普通である。すなわち、「仙台都市圏の情報を他県に流している」という形ではなく、「7県それぞれの情報を交換している」という形になっている。
    • 「東北6県」という枠組みでの放送には、NHKの地方ニュース(各県版の前の部分)や「クローズアップ東北」という番組などがある。いずれも仙台色はほとんどない。
    • 東北地方以外への定期的番販としては、1990年代テレビ埼玉などで「みせてうにゃまぐ」などが放送され、2000年代にも、テレビ神奈川でミヤギテレビ制作の「かっぺいのいったりきたり」が放送されていた。現在は年に1度ミヤギテレビ制作の「元祖あばれ寿司」が全国に放送されている。
  • 将来の計画
    • 将来の計画として、2011年の地上デジタル放送完全移行後にテレビ東京が宮城県内に系列局を新設する計画があるが、実現するかは現在も不透明である。

ラジオ

土地政策とインフラ整備

可住地に対する人口密度

都市圏 都市圏人口(1995) 可住地面積(1996) テンプレート:Color
札幌都市圏 2,162,000 人 1175.25 km² 1,839.6 人/km²
仙台都市圏 1,492,610 人 1029.94 km² 1,449.2 人/km²
広島都市圏 1,562,695 人 691.89 km² 2,258.6 人/km²
※都市圏人口:1995年の大都市雇用圏人口[1]
※可住地面積:1996年の大都市雇用圏内の可住地面積[2]
※可住地人口密度:可住地面積に対する人口密度

このように、仙台都市圏は、可住地に対する人口密度が低いという特色を持っている。これには歴史的・政治的・経済的・地理学的(地球物理学的)要因による複合的なものであり、仙台都市圏の都市開発に関して強い個性となっている。本節では、この観点を中心に、仙台都市圏の開発の諸相・論争・現実について述べることとする。

伊達政宗の城下町立地

1601年、伊達政宗岩出山に代わる新しい居城を建設する際、徳川家康に3つの案を出して許可を求めたと言われている。石巻日和山、宮城野榴ヶ岡、現仙台城の3箇所である。石巻日和山は北上川の河口付近にある山であり、榴ヶ岡も仙台平野の中心部の小高い丘(断層撓曲)であって周囲には低地が広がるが、仙台城だけは山城となっている。家康は仙台を指示したため、政宗は、仙台城の広瀬川中流対岸にある河岸段丘面を城下町として開発することとなった。この点に関しては様々な憶測があるが、ともあれ、この家康の指示により、仙台城下町は広瀬川中流域左岸の河岸段丘上に築かれることとなり、海岸や沖積平野からは離れることとなった。仙台城下町の設計は広大であり、近代になっても都市機能を抱える余裕が十二分にあったため、昭和中期に至るまで、仙台の都市域は、初期の設計に基づいた3段の河岸段丘上で十分であった。

沖積平野の水田開発

他方、仙台城下町の東側・南東側に広がる沖積平野は、中世には茫漠とした荒れ地が広がっていたとされているが(歌枕としての宮城野の一部)、伊達政宗の藩政以来大規模な水田開発が行われ、水路網・運河網が整備され、屋敷林(いぐね)を持つ農家の屋敷が散在する農村地帯が形成されてきた。第二次大戦後、国はこの広大な農地を大規模な食糧供給基地として整備するため、税金を投じて重点的な土地改良事業を行い、長方形の大きな圃場を整備して、大型農機による大規模稲作が行われるための環境整備を行った。これらの大規模圃場は、農業目的以外の商業地や住宅地への転用が条例によって規制されており、農地として厳しい保護の下にあった。

デベロッパー・市当局の歯軋り

高度成長期に、仙台都市圏の市街地がついに政宗の予定した河岸段丘一杯となって更に拡張を必要としたとき、宅地開発と農地政策が衝突することとなった。仙台市街地は、上述の農地保護のため、東・南東方向の沖積平野に伸びることが法令上困難となっていた。そこで、河岸段丘の北西から西部にかけて存在する丘陵地を宅地造成することによって宅地需要を満たすこととなり、市街地は北や西の丘陵地へ向かって伸びることとなった。しかし仙台市は、条例によって丘陵地の森林の宅地開発規制も同時に行っており、河岸段丘を巡る中心部至近の丘陵地には傾斜が急で規制される場所も多かったこと、また地滑り地帯なども存在したことから、かなり中心部から遠い丘陵地が開発されることになっていった。また、丘陵地毎に宅地造成をしたため、谷間を挟んで住宅地が島状に分布する事になり、マイカーでの移動が前提となって、結果、仙台都市圏はDIDが狭い割に動線の長い都市圏を形成することとなった。

近年の沖積平野方向への開発の開始

このような形の都市圏は、行政担当者や、とりわけ開発至上主義の高度成長期のデベロッパーにとっては大変に非効率的な都市圏と理解されるものであり、広島都市圏が平地・谷あい・海岸線沿いの狭い土地に集中して人が住み、そこに電車や高速道路などを通して高度に効率的な都市圏を形成しているのとは対照的であるとして厳しく非難された。 この点に関して仙台市当局は、まず宅地開発の主力となった北部丘陵地を縫うように地下鉄南北線を開通させ、北部の丘陵地上の最も主要な住宅地においてその動線を高速化する事ができた。しかし地下鉄線1本では面的に広がる住宅地をカバーすることは困難であり、多くの住宅地では中心部との移動にもマイカーに頼らざるを得ず、政令市の中では交通渋滞が著しい状態が続いている。

近年に至り、デベロッパーにとって悲願とされていた東部沿岸部の沖積平野の開発が、公共交通網整備とともに始まることとなった。鉄道整備を行うことは周辺の土地の用途変更手続を容易にすることにつながるため、交通網整備と沿岸低地開発の一石二鳥が期待できるとされたのである。 まず、仙台市は2本目の市営地下鉄線として、地下鉄東西線の計画を進めることとした。これは、仙台の東西軸の動線の高速化を目的にしていて、多数の大学や高校をつなぐ形で経路が計画されているとされるが、実際にはもう一つの側面があり、デベロッパーにとっては忌まわしい非効率性の象徴として糾弾の対象であった市東部の「宅地開発にまたとなく適する」はずの沿岸部の低平で広大な水田農地を、ついに農政の桎梏から解放して都市化・宅地化させ、これによって「効率的な」都市圏の構築を行うことが可能になると大いに期待されるところであった。 また、東西線の例の他にも、仙台都市圏では開発規制されていた沿岸沖積平野の農地の都市化・宅地化が進められつつあった。JR仙石線の沿線の仙台都心部と多賀城市との間に存在している広大な開発規制された水田農地(都市化空白地)についても、小鶴新田駅を新設して都市化・宅地化が始められた。また、仙台市の南に隣接する名取市の開発規制された農地についても、JR東北本線から分岐する仙台空港線が新設されるのに伴い、沿線の土地用途変更をして都市化・宅地化が進められつつあった。

なお、市東部沿岸の沖積平野の水田以外でも、都心部に接する他用途の土地の市街地・宅地への用途変更が同時平行でいくつか計画されている。JR東北本線長町駅の東側に存在する貨物ヤード跡地の再開発『あすと長町』や、JR仙石線の地下化に伴う仙台駅東口の再開発によってこの先10年以内に都心に近い平地の土地が大量供給される事になっている。また、都心部の東側を南北に貫く東北本線宮城野貨物支線の仙台貨物ターミナル駅を郊外へ移転させ、当該地を再開発する構想がある(→宮城野ボールパーク構想)。また、貨物線の東側に隣接する広大な卸商団地(卸売り企業や流通企業の集積地。卸町・扇町・六丁の目)が、昨今の卸しを通さない簡略流通の隆盛によって空き地が目立って来ているため、一部の土地用途を市街地・宅地に変更する予定になっている(地下鉄東西線の卸町駅六丁の目駅が設置される予定)。最近まで、仙台駅西口と広瀬川によって限られていた仙台の都心部が、集客マグネットとしての東北楽天ゴールデンイーグルスの存在も手伝って、大量供給による地価下落の可能性との間でせめぎあいながらも、仙台駅を越えて東方面に拡大をしていく兆しが見えている。

東日本大震災とその帰結

2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波は、このような開発を巡る意識に痛烈な衝撃を与えるものであった。もともと、仙台は日本国内でも大地震の多い地域である。1978年宮城県沖地震でも、市東部の沖積平野において特に多くの被害が出たことが知られており、地震学者や地理学者によって、市東部の地震に対する脆弱性は指摘されていた。しかし今回の大地震による津波は、東部沿岸部の沖積平野の極めて広範囲に襲来到達し、沿岸部の集落に壊滅的打撃を与えた。だが全く皮肉なことに、上述の沿岸低地開発は端緒についたばかりであり、市東部の沖積平野の大半は農地のままであった。全世界の人々は、上述の「非効率開発の象徴とされた広大な農地」を壮絶な勢いで飲み込んで遡上する大津波を、テレビ画面で目撃することとなったのである。そのため、人命の犠牲や家屋の破壊は、デベロッパーが夢見ていたような「住宅に適する平地を効率的に開発した全面的な宅地開発が完了していた」場合などを想定すれば、著しく少なく済むこととなったと言える。地震学者や歴史学者の研究によれば、同地域には、869年貞観地震により今回と同規模の大津波が襲来していたことが明らかになっている。このほか、1611年慶長三陸地震でも同程度の大津波が襲来していたことが明らかになっており、さらに地質学調査によれば、弥生時代にも同規模の津波が襲来した痕跡がある。このように、仙台平野東部の沖積平野は、周期的に壊滅的な津波被害を受ける地域であることが、改めてクローズアップされるようになっている。また、地震学者は、やはり市東部の平地を縦断する活断層である長町利府断層の危険性についても警鐘を鳴らしている。長町利府断層および、その支線としての大年寺山撓曲は、津波被害地よりさらに仙台中心部に近い場所を走っている(榴ヶ岡は、この断層の活動により出来た地形である)。

このように、東日本大震災は、仙台都市圏の開発のありかたにとっても、重大な問題を投げかけるものであった。今後の開発の方向性を考えるに当たっては、このような仙台固有の自然的(地震学的・地球物理学的)特性を踏まえて計画を立案し進めることが不可欠であることが、改めて浮き彫りになったと言える。

公営競技アレルギー

仙台市には公営競技場が存在しない。1960年昭和35年)まで、現在の太白区東郡山に地方競馬としての仙台競馬場(長町競馬場とも言った)が存在したが、廃止されている。宮城野原総合運動場の自転車競技場のバンクは競輪競技を開催できる仕様であるが、開催権を得られなかった。そのため、中央競馬のファンなどは県外の競馬場などにわざわざ出向いており、福島競馬場(かつては上山競馬場も)で競馬が開催される時は直通の高速バスも運行されている。また、場外馬券売場などを設置しようとする業者が現れると、市民団体を中心に反対運動が起き、過去何度も話が立ち消えになっている。またこれは仙台のみならず他の大都市圏でも見られる事例ではあるものの、選挙の時期になると、婦人票や教育関係者票などの集票を目的にこの様な場外投票券売場の設置の噂などが利用される事も見られている。この様な仙台市民の「公営競技アレルギー」の如き反応のため、仙台市内には場外売場は存在しない。但し、あくまで「公営競技」に対してのアレルギーであり、パチンコ店は他都市に比較的しても多い。

モータリゼーションの発達と各競技の場外投票券売場の展開に合わせて、最近では仙台市以外の仙台都市圏内に場外売場が設置される様になり、仙台市中心部などから無料送迎バスも運行されている。現在は、インターネットでも投票券が買える様になったので、仙台市内に場外売場を設置する動きはない。

以下に場外売場を列挙する。ボートピア川崎以外のすべての場外売場が仙台北部中核工業団地の周辺に集積している。仙台北部中核工業団地は東北道大和ICを中心としてその周囲に広がる工業団地であり、仙台市の北に隣接し(仙台宮城IC - 大和IC:24.7 km 、19分)、宮城県内最大の観光地松島の西隣(10 - 25 km)にある。

観光・レジャー

仙台都市圏内には、温泉地を2つ有し、プロスポーツチームも3つ擁し、年中街を舞台とした屋外イベントが開かれるアミューズメント型都市化した仙台市があるが、何といっても、全国的に知られた観光地は日本三景松島である。同様に日本三景・安芸の宮島を有する広島都市圏と非常に似た都市圏構造となっている。しかし、仙台都市圏の観光は広島都市圏と比べると観光客入り込み数で足元にも及ばす、外国人観光客も少ない。ただし、明治時代から外国人が居住する高山外国人避暑地七ヶ浜町に存在する。

北東北3県合同の積極的な観光政策により、北東北で韓国人観光客などが急激に増えたのに刺激を受けた事、仙台空港台北便が就航して利用者の7割が台湾人旅行客で埋まり、外国人にもアピールできる観光資源がこの都市圏にある事、台北乗り継ぎなどで東南アジアからの観光客も増えて来た事などにより、最近になって積極的に外国人観光客誘致をする様になって来たが、まだまだ他人任せな状況に留まっている。

仙台都市圏が属する南東北の観光・レジャーについては、「南東北#気候とレジャー」を参照。

脚注

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注釈

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出典

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関連項目

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外部リンク

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  1. 宮城県都市計画課
  2. 仙台・やまがた交流連携促進会議の構成市町村
  3. 宮城県推計人口の月報で、毎月の人口統計が発表されている。
  4. テンプレート:PDFlink(宮城県企画部統計課 2011年3月)
  5. 平成17年国勢調査(宮城県)
  6. 日本の長期統計系列 2-9 都市別人口(大正9年 - 平成17年)総務省統計局
  7. テンプレート:PDFlink国土交通省中国地方整備局
  8. 8.0 8.1 テンプレート:PDFlink p.24-p.25(総務省統計局平成17年国勢調査 最終報告書「日本の人口」上巻-解説・資料編」)
  9. 大都市圏統計表(総務省統計局。2000年国勢調査)
  10. テンプレート:PDFlink(総務省統計局「平成17年国勢調査 最終報告書「日本の人口」上巻-解説・資料編」)


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