仁科盛信

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仁科 盛信(にしな もりのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代武将甲斐国戦国大名武田信玄の五男[1]。母は油川信守の娘で側室の油川夫人武田信虎は祖父、武田信繁武田信廉は叔父にあたる。信濃国安曇郡国人領主である仁科氏を継承し、武田親族衆に列する。

勝頼末期に織田信長甲州征伐に際して一族・重臣の逃亡や寝返りが続く中、高遠城において最後まで抵抗し、討死した。異母兄に武田義信武田勝頼、同母の弟妹に葛山信貞松姫織田信忠婚約者)・菊姫上杉景勝正室)がいる。

は盛信のほか、近世の系図類・編纂物では「晴近」とする資料もあるが、信玄が将軍足利義晴から授与された「晴」の偏諱を授与することは社会通念上ありえないことから、疑問視されている[2]。また、天正9年5月7日付霊松寺宛禁制や『甲乱記』では「信盛」とする用例があり、天正9年2月から同年5月の間に、高遠入城を契機に改名した可能性が考えられている[3]

生涯

信玄時代

武田氏は父・晴信期の天文年間から信濃侵攻を本格化し、信濃国人の被官化が進められていた。安曇郡を領する仁科氏は天文22年に武田方に帰属し、安曇郡は仁科盛政支配期を経て直轄領化されている。晴信期の信濃支配では、征服した信濃名族と婚姻関係を結び親族衆に列することで懐柔させることが行われていたが、盛信も永禄4年(1561年)に父の意向で仁科氏の名跡を継ぎ、仁科氏の通字である「盛」の偏諱を受け継ぎ、親族100騎持の大将となっている。天正年間には仁科氏当主として諸役免許や知行安堵を行っており、武田領国と敵対する越後国との国境警備を指揮している。

勝頼時代と最期

信玄の死後は当主となった異母兄である勝頼に仕え、甲越同盟の締結後にも国境警備を務めている。勝頼後期には織田・徳川勢力との敵対が激化し、天正9年(1581年)には対織田・徳川の軍事再編成に際して信濃国高遠城の守備を任された。

天正10年(1582年)、織田信長の命により織田軍による甲州征伐が始まると、兵3000(500とする説[4])が籠もる高遠城は信長の嫡男・織田信忠率いる5万の大軍に包囲された。このとき、信忠は盛信に降伏を勧告したが、盛信は勧告を拒否。降伏の使いに来た僧侶の耳をそぎ落として追い払ったとされる。

高遠城は3月2日早暁から織田軍の猛攻に晒され、盛信は奮闘した後、自刃した[4]享年26。約500名余りの家臣も共に討ち死に[4]して高遠城は陥落した。織田軍も300人の死者を出したという[4]

切腹後首級は信忠のもとに届けられ、長谷川宗仁によって京の一条通の辻に武田勝頼・武田信勝武田信豊らと共に獄門にかけられたが、盛信を敬慕する領民によって胴体は手厚く葬られた。江戸時代後期の天保2年(1831年)3月、高遠藩内藤頼寧は高遠城内の法堂院曲輪に盛信を祀り、3月1日を祭日と定めて新城神とした[4]

墓所には現在でも献花が絶えぬと言う。

系譜

  • 長男?:信基 - 古文書によっては表記が違っており統一されていない。近年、架空人物説・非武田一族説が浮上している。この系統は江戸初期で断絶した。
  • 二男:信貞 - 当人は祖母方の姓で油川信貞と名乗っていた(油川夫人参照)。子孫が武田に復姓。現在も続いている。
  • 三男:晴正 - 上総武田家最後の当主武田豊信に頼り、落ち延び、子孫は郷士として存続。現在も続いている。仁科嫡流。
  • 四男:信久 - 子孫は旗本。
  • 長女:督姫 - 体が弱かったために嫁ぐことはなく出家し、生弌尼と号した。慶長13年(1608年7月29日に29歳で病死。

仁科盛信の子には信貞がおり、戦国の世を生き抜いた。徳川家康との対面の際、敗将の子として罰せられるのを恐れたが、仁科氏の存続と盛信の家系を名乗ることを願い出て、それを許されている。その後、徳川旗本として江戸時代を乗り切り、現在に至る。また別に盛信の子供(晴正)が上総武田氏を頼って上総国に逃れて子孫を現在に伝えている。

なお、「寛永諸家系図伝」には信久の系統である信道が見えるのみである。「寛政重修諸家譜」では信久の子孫と称する2家が掲載されているが、信基と名乗る人物と子孫は掲載されておらず信基自体存在しないものである。信貞は「寛政重修諸家譜」では 油川信次の子としている。

家紋は、割り菱紋と丸に割り菱紋。

脚注

注釈

引用元

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  2. 丸島和洋「武田勝頼と一門」『武田勝頼のすべて』新人物往来社、2007年
  3. 丸島 2007年
  4. 4.0 4.1 4.2 4.3 4.4 長谷川『シリーズ藩物語、高遠藩』、P12

参考文献

書籍
史料

小説

  • 伊東潤『温もりいまだ冷めやらず』(『戦国鬼譚 惨』収録の短編)

関連作品

外部リンク

先代:
武田支流仁科家
初代:1561年 - 1582年
次代:
仁科信基