五条駅 (奈良県)

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五条駅(ごじょうえき)は、奈良県五條市須恵三丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)和歌山線である。

概要

五條市の代表駅で、大阪支社王寺鉄道部)と和歌山支社の境界になっている(当駅の管轄は大阪支社であり、当駅の上り場内信号機が両支社の境界になっている)など、和歌山線運行上の要の駅となっている。当駅を跨いで運転される列車は、必ず当駅で乗務員交代を行う。

所在地の市名は「五條市」、駅名は「五条駅」と、「條」の字体が異なっているが、案内標識には「五駅」と記されているものも多く、駅前にあるバス停も「五條駅」となっている(なお、五條市内の町名(五條1~4丁目)、小中高校名及び官公庁施設の殆どが「五條」表記)。


戦前、この駅から現・紀勢本線新宮駅までを鉄道で結ぶ計画(五新線、後に阪本線と呼ばれるようになる)があったが、モータリゼーションの影響などもあって結局実現せず、現在は五條市大塔町阪本まで完成した路盤のうち、同市霊安寺町付近から同市西吉野町城戸付近まで簡易舗装されバス専用道として利用され、2系統のバスが運転されている。また、バス専用道に転用されなかったアーチ橋の遺構が国道24号を跨いでいる。

駅構造

単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅。最大10両の列車が停車可能で、ローカル線の駅としてはホームの有効長が長い。互いのホームは地下通路で連絡している。

駅舎は基本的に木造であるが、入口周りにはコンクリートで増築されており、木造とコンクリート造りが入り混じった建物となっている。駅舎内のキヨスクは平日午前中のみ営業しており、その向かい側には柿の葉寿司店がある。便所は、改札内・改札外ともに男女別の水洗式

王寺鉄道部が管理し、駅業務のうち営業部門(出札・改札業務)はジェイアール西日本交通サービスに委託されているが、運転取扱い業務(車両入換え)があるためJR西日本の社員も常駐する。窓口営業時間は朝6時から夜21時までである。朝の改札業務は、JR西日本の社員と共同で行う。

駅舎左手にあるスペースは阪本線バス用ホームの跡である。現在は、事故や大雨などで見合わせにあった場合の鉄道代行バスが発着する場合のみ使用。

ホーム 路線 方向 行先
1・2・3 テンプレート:Color和歌山線 下り 橋本和歌山方面
上り 高田王寺奈良方面

通常は上下線とも駅舎側の単式ホーム(1番のりば)に発着し、島式ホーム(2・3番のりば)の使用は行違いのある場合や、列車接続時に限られる。その島式ホームへは地下道で連絡している。そのほか、1番のりばと2番のりばの間に留置線1線と、3番のりばの向こうにも、留置線が3本あり、夜間滞泊が行われている。運転取り扱い上では駅舎反対側の3番のりばを「1番線」として逆順に振っており、1・2番のりばの間の留置線もカウントに含まれるため、1番のりばが「4番線」となる。

ダイヤ

下り方面(和歌山方面)では、朝夕の通学時間帯の混雑に対応するため快速列車が2本設定されている。

また上り列車も同様に朝ラッシュ時間帯に快速JR難波行が2本、平日の夕ラッシュ時間帯にはJR難波駅および大阪駅から快速列車が合計3本設定されていて、うち2本は大和路線内では奈良方面行きに併結し、王寺駅で切り離す。

土曜・休日には、大阪駅から直通する大和路快速・区間快速も設定されており、大阪駅から乗り換えなしで当駅まで来ることも可能になった。上下列車とも、朝夕問わず桜井線経由の奈良行が設定されている。

日中の高田・奈良(桜井線経由)方面の列車は高田駅で大和路線直通の快速列車に接続している。

国鉄時代から2002年平成14年)3月23日未明までは、和歌山方面から日付を越えて終電が到着していたが、今は当駅終着で日付を越える設定はない。

利用状況

奈良県統計年鑑によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。

  • 2,357人(2005年度)
  • 2,315人(2006年度)
  • 2,160人(2007年度)
  • 2,122人(2008年度)
  • 1,982人(2009年度)
  • 1,910人(2010年度)
  • 1,842人(2011年度)

駅周辺

あたりは木材工業によって発展した五條市の中心部である。当駅はその市街地の北東の端に位置し、市街地の中心部は当駅の南西方向にある。駅近くにはイオン五條店などもあり市役所をはじめとする公的施設も近い。

公的機関等

学校

商業施設等

観光施設等

バス路線

駅前に奈良交通のバス乗り場があり以下のようなバスが発着している。

駅前乗り場(五條駅バス停)
  • [特急]八木駅行き(終点まで各停)(五條BC、かもきみの湯、近鉄御所駅高田市駅経由)
  • [特急]新宮駅行き(五條市西吉野町・大久保口停留所まで各停)(上野地、十津川温泉本宮大社前湯の峰温泉川湯温泉経由)
  • [1][10][11][12][31][32][広域通院ライン] 五條バスセンター行き
  • [1]十津川温泉行き(賀名生和田、城戸、阪本、上野地経由)
  • [広域通院ライン] 十津川温泉行き(県立五條病院玄関口、賀名生和田、城戸、阪本、上野地経由)
  • [10]城戸行き(県立五條病院、生子、賀名生和田経由)
  • [11]西吉野温泉行き(県立五條病院、専用道生子、賀名生、専用道城戸経由)
  • [12]専用道城戸行き(県立五條病院、専用道生子、賀名生経由)
  • [31]野原循環・内回り(野原南口⇒県立五條病院⇒智辯学園⇒辯天宗本部⇒五條BC行き)
  • [32]野原循環・外回り(辯天宗本部⇒智辯学園⇒県立五條病院⇒野原南口⇒五條BC行き)
北口乗り場(五條駅北口バス停)
  • [58]五條バスセンター行き(田園三丁目、田園五丁目、中之経由)
  • [56]田園五丁目行き(田園三丁目経由)
  • [57]田園一丁目⇒田園三丁目方面、五條駅北口行き

歴史

1896年明治29年)10月25日、南和鉄道が葛駅(現・吉野口駅)から当駅を経て二見駅(のちの川端駅)までを開通させたのと同時に五条駅(ごじょうえき)として開業、およそ2年後の1898年(明治31年)4月には紀和鉄道が今度は当駅から南和鉄道との接続点(のちに二見駅、現・大和二見駅)を経て橋本駅までを開業、この駅は南和鉄道と紀和鉄道、二つの会社の境の駅となった。

この時、紀和鉄道は実際は両鉄道の接続点から線路を延ばしていたが、1902年(明治35年)6月には紀和鉄道がこの接続点に二見駅(2代目、現・大和二見駅)を開業させ、南和鉄道はその二見駅から元々あった二見駅までの旅客営業を廃止し、貨物線とする。なお(初代)二見駅は、新しく出来た二見駅との重複を回避するため川端駅に改称、二見からの南和鉄道貨物支線の終着駅という形になった。この二見から川端までの貨物支線は1982年(昭和57年)10月1日に廃線となっている。

和歌山線の電化王寺駅から当駅と当駅から和歌山駅の二段階に分けて行われたため当駅には電化・非電化区間の境目となった時期がある。

年表

  • 1896年明治29年)10月25日 - 南和鉄道の葛駅(現・吉野口駅)から当駅を経て二見駅(初代、のちの川端駅)までの開通に伴い開業。
  • 1898年(明治31年)4月11日 - 紀和鉄道が当駅から南和鉄道との接続点(のちに二見駅(2代目)、現・大和二見駅)を経て橋本駅までを開業。南和鉄道と紀和鉄道の接続駅になる。
  • 1904年(明治37年)
    • 8月27日 - 関西鉄道が紀和鉄道を買収、関西鉄道と南和鉄道の接続駅になる。
    • 12月9日 - 関西鉄道が南和鉄道を買収、関西鉄道単独の駅となる。
  • 1907年(明治40年)10月1日 - 関西鉄道が国有化国有鉄道の駅になる。
  • 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称が制定され、和歌山線の所属となる。
  • 1980年昭和55年)3月3日 - 王寺駅から当駅までがシンプルカテナリー方式で電化、当駅は電化・非電化区間の境界駅となる。
  • 1984年(昭和59年)10月1日 - 当駅から和歌山駅までが電化。これにより当駅は電化・非電化区間の境界駅ではなくなる[1]
  • 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。

隣の駅

西日本旅客鉄道
テンプレート:Color和歌山線
テンプレート:Color快速・テンプレート:Color普通
北宇智駅 - 五条駅 - 大和二見駅

快速は当駅をまたがって運転されていない。和歌山発の快速の当駅を越えての運転がされているが、当駅で列車番号および種別表記が変わり、高田方面へは普通として運転されている。

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

関連項目

外部リンク

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  1. なおこの時の電化は国鉄末期の経費節減の影響を受け、通常の電化方式であるシンプルカテナリー方式ではなく、簡易な電化方式たる直架式によってなされており、現在でも五条駅が二つの電化方式の境目となっている。