ミラージュ2000 (戦闘機)

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テンプレート:Infobox 航空機 ダッソー ミラージュ2000(Dassault Mirage 2000)は、フランスダッソー社製の軍用機迎撃戦闘機の要求に基づいて開発されたが、改良が続けられた結果、世界的に有名なミラージュ・シリーズ初のマルチロール機となった。フランス空軍の他に、8ヶ国の空軍に採用された。

概要

無尾翼デルタ式の単発戦闘機フランスの他、8ヶ国に採用されている。

操縦システムにはフライ・バイ・ワイヤを採用し、これによりCCV設計が導入された。無尾翼機は主翼のみで機体の安定を図る設計にする必要があり設計上の制約になるが、CCV設計により静安定が緩和されたために主翼設計の自由度が高くなった。

機体は複合材の使用による軽量化とブレンデッドウィングボディの採用による空気抵抗の低減が図られている。カナード翼によって無尾翼デルタの欠点を改善できるにも関わらずカナード翼を採用しなかった(代わりに小型のストレーキを採用している)のもこのためである。それでも、CCV設計によりエレボンを下げたまま高い揚力を維持しつつ機首上げ姿勢をとれるようになったため[1]、離陸滑走距離の短縮や着陸進入速度の低下に成功している。

こうした構造により、低速度域での操縦特性が極めて良好で[2]、その空戦性能はパイロットの間でも評価が高い[3]

フランス空軍機は1991年湾岸戦争を筆頭とする多くの紛争に実戦投入された。アラブ首長国連邦空軍機は湾岸戦争に、カタール空軍機は2011年リビア内戦にフランス空軍機と共に参加している。他にも、ギリシャ空軍機は1996年領空侵犯したトルコ空軍F-16Dを撃墜し、インド空軍機も1999年カルギル紛争で対地攻撃に投入されている。

開発の経緯

ダッソーは無尾翼デルタ機の開発を得意としてきたが、これは機体の小型軽量化、飛行特性の安定性などにメリットがある一方で、STOL性能、低空飛行、機動性などが主・尾翼の組み合わせによる二翼式の航空機に劣るとされ、通常の二翼式・後退翼のミラージュF1が採用された。

またミラージュF1は基本的には50年代の超音速戦闘機の技術からあまり発展が見られない、保守的な設計であった。ダッソーとフランス空軍は、当初地上攻撃に重点をおいた双発可変翼戦闘機ミラージュG-4を、次いでその派生型要撃機ミラージュG-8を次期戦闘機として開発していたが、費用・運用の両面から1975年に全プロジェクトは中止となった。その他にも各種新機軸を採用した機体が構想・計画・設計されたものの、ことごとく行き詰まった。

しかしながらその結果、1975年のNATO4ヶ国の新型戦闘機導入商戦において、ミラージュF1E/M53は、フライ・バイ・ワイヤCCV設計などの新機軸を採用したF-16に性能面で水をあけられ、ことごとく敗れ去った。

フランス空軍・ダッソーの両者が必要としていた次期戦闘機計画(ACF)は、1976年の時点で実用化までの期限が1982年までという当時としても短期間での開発計画として再度開始された(現代の戦闘機開発は、さらに長期化している)。ダッソーにとっては短期間で十分な成果を残すことを求められた結果、1972年より『ミニ・ミラージュ(通称ミミ)』『シュペルミラージュIII』『デルタ1000』などの名称で検討されていたミラージュIIIの後継機案をこれに充てた。再び無尾翼デルタ形式に回帰したものの、F1において採用されなかった最新の技術を以ってデメリットを回避し、大幅な性能向上を目指した。

機体はミラージュ2000と命名され、エンジンをミラージュG-4/8用のSNECMA M53を採用するなど開発期間の短期化に注力した結果、設計開始から初飛行までわずか27ヶ月と驚異的な速さで開発が進み(それでも、計画から9ヶ月遅延していた)、1983年には量産型の軍への納入を開始、翌年には実戦配備されている。ただし、レーダーの開発は間に合わず、最初期の37機は予定していたRDIレーダーの代わりにRDMレーダーを装備していた。

輸出面ではF-16やF/A-18の躍進によってあまり振るわなかったため、1986年から戦闘能力向上の研究が始まり、マルチロール型のミラージュ2000-5が開発された。当初フランス空軍で採用する予定はなかったものの、1992年ラファールの配備が遅れている間の繋ぎとして同仕様への改修を決定、それに続く形で中華民国台湾)とカタールが採用した。

1999年に発表されたミラージュ2000-5 Mk.2は輸出専用の発展型で、ラファールで採用した装備の一部も取り入れているが、採用したのは既存の運用国であったギリシャアラブ首長国連邦のみで、ブラジルも契約直前まで進んでいたが財政危機により中古機の導入に切り替えられた。

こうしてミラージュ2000の生産は2007年に終了したが、ダッソーは既存のユーザーにHMD、画像識別ポッド、戦術データ・リンクGPSIRSTを実装する中間寿命改修を提案している。

派生型

主なバリエーションは以下の通り。

ミラージュ2000A
プロトタイプ。
ミラージュ2000C(ミラージュ2000C-S1/S2/S3)
RDMレーダーを装備した初期量産型。
ミラージュ2000DA(ミラージュ2000C-S4/S5)
RDIレーダーを装備し、防空能力を向上させた本格量産型。DAは『Defense Aerienne(防空)』の略。
ミラージュ2000B
機関砲を外してシートを増設した複座型。
ミラージュ2000D
後述のミラージュ2000Nをベースに対地攻撃能力を強化した戦闘爆撃機型。なお、フランス空軍以外のものは後述のミラージュ2000Eの複座型を示す。
ミラージュ2000E
ミラージュ2000Cの輸出型。RDMレーダーを搭載し、対地攻撃能力を強化。
ミラージュ2000N
ミラージュ2000Bに核弾頭搭載の巡航ミサイルASMPの運用能力を付与した、ミラージュIV後継の戦闘爆撃機型。
ミラージュ2000R
偵察ポッドの運用を可能にしたタイプ。アラブ首長国連邦のみ採用。
ミラージュ2000-5
次世代型と呼ばれ、大幅な改良を施したマルチロール型。新型のRDYレーダーを装備し、MICAミサイルの運用能力を得た他、コックピットグラスコックピット化。
ミラージュ2000-5 Mk.2
ミラージュ2000-5に、レーダー改良・航法装置の改良・データ処理能力の向上・電子戦能力の強化を施した型。アラブ首長国連邦向けのものはシステム構成が大きく異なるためミラージュ2000-9と呼ばれる。
ミラージュ2000AT
ミラージュ2000-5 Mk.2をベースにレーダーや自衛機器を外した練習機型。計画のみ。
ミラージュ4000
ダッソーの社内企画による拡大双発型。不採用に終わる。

スペック

ファイル:HAF Mirage 2000-5 .jpg
ミラージュ2000-5 Mk.2と搭載武装

採用国

運用国

採用を取り消した国

1983年チャドからの撤退と引き換えに最大100機の導入を打診したが、撤退を反故にしたため実現せず。
1988年に単座型のEJを10機、複座型のDJを2機発注したが、湾岸危機の際イラクを支持したことで購入資金を出すサウジアラビアが援助を停止したため取り消された。
1990年にミラージュ2000-5を最大50機導入することを検討し契約寸前だったが、湾岸危機により実現せず。
イラクとほぼ同時期に、保有するミラージュF1を下取りしてもらい20機以上を導入する計画だったが、湾岸危機により実現せず。
登場時から何度も売却交渉を行っているが、実現していない。ちなみにアラブ首長国連邦のミラージュ2000のパイロットや整備士のほとんどはパキスタン人であるという。

登場作品

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出典

脚注

  1. 本来無尾翼機は機首上げの際エレボンを上げなければならないため、離着陸の際揚力が減少しSTOL性能の悪化に繋がる
  2. 無尾翼形式のデルタ翼機は、翼幅荷重が小さく、低速域では揚抗比が悪く、性能上の欠点となるのが、それ以前の通例であった。
  3. F-16の操縦経験があるパイロットでさえ、空中戦をするなら迷わずミラージュ2000を選ぶというほどである
  4. AFPBB News 2007/11/24:ギリシャ空軍、ミラージュ2000-5戦闘機を採用

外部リンク

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